八間石(『東部町誌 自然編』(1988) 51頁より) |
8月1日のお墓参りの風習は戌の満水で亡くなった先祖を供養するため始まったという話を聞くことがありますが、「違うよ」と聞くことも度々あります。盆月1日の行事(釜蓋朔日、石の戸 等)が起源であって、戌の満水供養が始まりというわけではないとのこと。
旧暦では7月が盆月で、盆月の1日(7月1日)を釜蓋朔日、石の戸などと呼んで、お墓掃除等のお盆の最初の行事をするところが少なくありませんでした。(1日以外の日にお墓掃除をする地域・家もありました。また、旧暦8月が盆月の地域もあったそうです。)
戌の満水供養は旧暦8月1日頃か、お盆やお彼岸に行っていたのではないでしょうか。(例えば、7月1日墓掃除、7月13日頃お盆、8月1日戌の満水供養、等)
新暦に変わったとき、盆月を新暦8月にして、戌の満水供養を新暦8月1日にすると、盆月1日と戌の満水供養の日が重なります。それで、それまで盆月1日にお墓掃除をしていた家だけでなく、1日以外にお墓掃除をしていた家でも、戌の満水供養を兼ねて、盆月1日(新暦8月1日)にお墓掃除、お墓参りをするようになった、ということではないでしょうか。
丸子町誌と青木村誌の八月一日のお墓掃除についての記述です。(※信州で言う「やきもち」は「おやき」のこと。携帯食でもあるので、旅の食事の意味でお供えするという話も聞いたことがあります。)
『丸子町誌 民俗編』(平成4 1992) 332頁より
仏様を迎えるお墓そうじ 八月一日の朝飯前仕事《あさはんまえしごと》としてお墓そうじがあった。この頃は、農事の忙しいときでもあり、朝のすずしいうちにひと仕事というところであった。
これはおもに男衆の仕事であり、鎌で墓地への通路や、お墓のまわりの草を刈り、草かきでのびた雑草をけずった。
女衆は、朝飯に食べるやきもちづくりをした。できたやきもちは先ず仏壇にそなえ、お墓そうじからの帰りを待った。
この日は、石の戸、または釜のふたがあく日で、石の戸を打ち破って仏様が来るのでやきもちは、かたい方がよいといわれていた。
仏様は、この日から七日間旅をしてまずお寺につき、そして十三日めにはそれぞれの家について盆を迎えるのだと考えられていた。
お墓そうじの日は必ずしも八月一日ではなく、西内地区では八月七日に行うというところが多い。塩川の石井では、現在は七月の末日に多く行われているが、ここもかつては八月一日だったという。(以下略)
『青木村誌 民俗・文化財編』(平成6 1994) 36頁より
一 盆の準備
八月一日 盆祭りの朔日といい(入田沢)、盆の開始日としている。また八月一日は石の戸ともよび(全村)やき餅を地獄の石の戸にぶつけて開け、盆に仏様が出かけられるようにする日(夫神)とか、地獄の釜のふたの開く日(沓掛)とかいわれ、石のトオといって朝、焼餅・おやき・まんじゅうをこしらえて仏様に供える。また墓掃除をおこなう。なかには、八月九日に石の戸の焼餅をつくって仏壇に供え、墓掃除をする家、八月一日に焼き餅をつくって仏様に供え、墓掃除は十二日にする(入田沢)家もある。
八間石(はちけんいし はっけんいし)については異論ではないですが、当時の記録はなく、伝承のみのようです。(大雨・土石流しか考えないと盲点になる可能性も。)
今も記録等の材料は見つかっていないようで、以下のページでも「寛保2年(1742)の大洪水で流れついたとの伝承もある」となっていました。
八間石 ハチケンイシ
https://www.82bunka.or.jp/bunkazai/detail.php?no=3514
小山真夫『小県郡民譚集』(昭和8 1933)では「この石は寛保二年戌の満水に山ぬけがして字ざざめきより十町余も押し流されてきたものだといっている。(里老)」となっています。
以下は上田中学校『郷土の伝説』の記述です。
上田中学校郷土研究部『郷土の伝説』(昭和9年3月) 62頁より
八間石
禰津村金井區にある。一見五六間の平な石にして、寛保二年の山崩れの時に洪水と共に流れて現地に留まつたと言ふ。此の石の爲縣村加澤部落のみが助かつたと言ふ。事實この洪水に多くの物が流されたとのことである。尚厩尻善福寺の如き部落は禰津村の分なれど、此時流されしもので、後住民は舊に歸り再び彼の地に厩尻部落を興したと傳へてをる
後になって八間石を見て、この石のおかげで自分は助かった?と思う人もいたのかもしれません。(直後は土石だらけで意識しなかったかも)
年月をかけて耕地にして行く中で、八間石も(一部または全部)壊して取り除くこともできたと思うのですが、この石だけ残したのは、堤防になった(なる)と考えたからでしょうか。(流路を狭めたり、せき止めの原因になったり、一概には言えませんが。)
戌の満水の動画です。東御市の所沢川(しょざわがわ)土石流跡地の様子も少し出てきます。(八間石(伝承)が割愛されているのはタイトルに「史実」とあるからでしょうか…)
「戌の満水」の史実を歩く (2017)
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/Home/2000515100/topg/eizou_inu/inu-mansui.html
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