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上田側から見た富士嶽山(ふじたけさん) |
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上田側から見た鹿教湯(かけゆ)の富士山(ふじさん) |
以前、UCVの ちいきたんけん ナゾときチャン!!で上田地域から富士山の見える場所を紹介していました。(上田市の真田・神科、東御市など、千曲川の北側の高所)
http://www.ucv.co.jp/program/nazo.html
日本一の富士山とは別の富士山(郷土富士、ご当地富士など)もあって、地元で比較的知られているのは、上田市の富士山(ふじやま)地域(明治~昭和前期の富士山村)と、鹿教湯(かけゆ)の富士山(ふじさん)でしょうか。
富士山村(ふじやまむら)の村名は、富士嶽神社、富士嶽山(ふじたけさん)から付けたのだろうと思います。(富士嶽神社は宝永差出帳では富士浅間宮。富士嶽山は宝永差出帳や管見録では富士山(読みは不明)、明治の町村誌では富士嶽。)
管見録 小県郡部 (嘉永5年10月29日 1852)
(上野尚志『信濃国小県郡年表』原稿と同じ筆跡か?)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD0622106200
(19コマ目)
冨士山 塩田組 奈良尾村ノ上ニアリ 奈良尾ノ不二ト呼リ 上ニ浅間ノ祠アリ
ちなみに富士嶽山では緑色凝灰岩と流紋岩(粗面岩)を見かけます。林道には急傾斜の層のある、比較的軟らかい緑色凝灰岩があります。(塩田平にある、崩れかけた緑色凝灰岩の石仏はこの石かも。)地形と岩石は太郎山(主に緑色凝灰岩・頁岩と貫入岩)に似ているのかもしれません。
流紋岩の露頭は見たことがなく、分布はわかりません。(林道より高い所?) 山麓にたくさんあって、石垣などの石材としても使われています。
鹿教湯の富士山は、現在の地図に「富士山」と書いてあって、読み方も「ふじさん」。「鹿教湯富士」とも呼ばれます。高くはない山ですが、上田側や鹿教湯トンネル付近で見ると富士山に似た形をしています。
上田地域の地質の富士山層(ふじさんそう)はこの鹿教湯の富士山のこと。(富士山(ふじやま)地域と勘違いされることも。) 1950年代に内村団体研究グループで呼び始めたようです。
上田地域自然電子図鑑-上田地域の地形・地質
http://edu.umic.jp/zukan/work/chikeichishitsu/chikeichishitsu-000.htm
内村団体研究グループ「内村地域の団体研究(フォッサ・マグナ)」地球科学1953巻14号(1953)
https://doi.org/10.15080/agcjchikyukagaku.1953.14_3
(「集塊岩」の言葉の定義が微妙に異なっているように感じました。信濃中部地質誌では溶岩寄り、内村団体研究では凝灰岩寄り?)
富士山層は、小川層時代以降の部分があると言われた後は、あまり話題も無いような…
仮説に合わせて材料を選択・解釈するということを今も繰り返しているのかもしません。
情報を多く蓄積するには、バイアスを減らすために、例えば、対立する複数の仮説を持って材料を集めることを意識的に行う方が良いのかも。