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2024年3月26日火曜日

大正13年大干ばつ100年 ~お地蔵様と生きるまち?

絵堂の地蔵尊
絵堂の地蔵(「大正13年の大旱魃に8月8日より15日間〝雨降らせたんまいな南無地蔵大ぼさつ〟昼夜兼行1分の休みもなく村人の叫びが続いた」『五加の歴史』(1982)138頁)

2024年は大正13年(1924)の大旱ばつから100年。
干害はこの年だけではありませんが、言及されることが多く、知名度の高い災害の一つです。
「時報」が多くの村で発行され始めた時期で、当時の人のいろいろな思いを知ることができます。
西塩田時報(大正12 1923~)、中塩田時報(大正13 1924~ ただし、大正13年の現存は4号(題字は第三号? 6月)、9号(11月))

雨乞いの記録を集めて行くと、多くの村で地蔵菩薩に雨を祈っていたことがわかります。
上田市日本遺産のタイトルの元になったという龍の吹き流し幟?も、大正13年の絵堂地蔵の雨乞い祭りのもの?(龍は地蔵菩薩の眷属・配下の扱い? "お地蔵様カンパニー"の雨担当?)
「お地蔵様と生きるまち」だった?

御嶽堂(富士山村の隣り)では、蓼科山の御水を貰い、雨乞い地蔵に雨を祈ったそうです。このお地蔵様は塩田平へも貸し出されたそうで、降雨の実績があれば、引く手あまた になったのかも。

小県郡丸子町御嶽堂区『ふるさと御嶽堂ムラのむかしといま』(平成17 2005) 102頁

(35)雨乞い地蔵
 この地蔵様は、南原公民館の裏山に、ちょっとした小屋掛の中に祭られています。大正十三年(一九二四)は大旱魃に見舞われ、南原でも他部落と同様に「雨乞い」を次のような形で実施したということです。
 旱魃の続く七月、ムラの青年の幾人かが、朝暗いうちに蓼科山へ出向き、水(一説には残雪)を竹筒に詰め、津金寺・箱畳とリレーで運び、お薬師様に供えて雨乞いを祈りました。またムラの若い女性たちは、薬師堂の裏に祭られている雨乞い地蔵を、山寺跡近くの古井戸に運び、畚(モッコ)に乗せて井戸の中へドブンドブンと何回となく投げ込み、雨乞いをしました。その名残りとして地蔵様の顔が欠けています。(中略)
 なお雨乞いは、薬師堂の庭にこのお地蔵様を安置し、鉦《かね》を叩きながら「雨地蔵大菩薩雨降らせてたんまいな」と唱えながら、疲れきるまで回ったといいます。(以下略)

※同書67-68頁にも蓼科山の御水貰いの記録があります。

塩田平ガイドマップ(12) 絵堂の地蔵尊
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34620178

2022年2月17日木曜日

Japan Heritage fake ley line

Japan Heritage leyline
The leyline (swerving?) in Ueda Shioda-daira(Nagano Pref.)

Japan Heritage leyline sun's light reaches places in order from west to east
The sun light reaches in order from west to east in the basin

Japan Heritage "Along the Ley Lines – Ueda Shiodadaira (Nagano Pref.)" is a fake story.
https://www.japan.travel/japan-heritage/full_list?tab=region&map=hokuriku#region
> First, the sun’s light touches Shinano Kokubunji Temple, where the Dainichi (“Great Sun”) Nyorai Buddha is enshrined, before passing on through the Ikushimatarushima Shrine, where the earth is the deity. Finally, the light reaches Bessho Onsen hot springs,


The truth is that:
In Ueda Shioda-daira basin the rising sun's light reaches places in order from west to east in the shadow of the mountains in summer.
First, Bessho Onsen on the west side, then, Ikushima-tarushima Shrine, then, Shinano-kokubunji Temple on the east side.
And it is NOT straight line actually. See the map again.

Don't make children liars

2021年11月6日土曜日

脱日本遺産、泥宮の朝日、レイラインの競合

泥宮 夏至の朝日
泥宮 夏至の朝日の写真パネル(日の出位置は頂上よりも南)

斜め鳥居と架空レイライン
日本遺産を象徴する 斜め鳥居架空レイライン? どう案内する?

泥宮に夏至の朝日の写真パネルが設置されたとのこと。
日本遺産のマークが無く、もしかして補助金対象外?

泥宮は日本遺産の構成文化財ですが、申請資料には泥宮の夏至の朝日の話はありませんでした。レイライン関係の説明は、「かつては生島足島神社の西鳥居とまっすぐな道で繋がっていたといい、御神体を同じくするこのふたつの神社は、深い関係があることを示す。神社はレイラインを構成する、聖地のひとつとして親しまれている。」
(ただし「まっすぐな道」は絵図等で確認できず、後付けの脚色という可能性も。)

日本遺産ストーリーで泥宮の扱いが小さいのは、信濃国分寺-生島足島神社-別所温泉 のラインと競合するためでしょうか。太陽の線に近いはずの、王子塚、皇子塚、無量寺、手塚八幡社、塩田水上神社などを構成文化財から外しているのも競合を隠すため?
申請時には、レイラインの競合を意識する、合理的な感覚があったのかも。(関連ログ ご当地検定)
認定後に泥宮とその先に注目するようになったのは、日本遺産レイラインが脳内絶対化して、競合を避ける必要を感じなくなったため? もしそうなら、危険度は上がりますが、事例としては興味深いです…

泥宮、生島足島神社、信濃国分寺の日の出時刻は異なるので、泥宮の日の出の方角は「信濃国分寺と生島足島神社を結ぶ、夏至の朝日が照らす光の線」(日本遺産パンフレットのレイライン。実在するか未確認)とは一致せず、必ずズレることになります。生島足島神社で約1度(太陽約2個分)、信濃国分寺で約2度(太陽約4個分) どの地点・時刻の方角を選ぶ? こまけぇこたぁいいんだよ?

写真パネルの裏に解説文があって「烏帽子岳-信濃国分寺-生島足島神社-泥宮-女神岳」をレイラインと言っています。しかし、日本遺産ストーリーのレイラインは、解説文にはない「別所温泉」を通る直線です。
では、塩田地域の人は「烏帽子岳-信濃国分寺-生島足島神社-泥宮-女神岳」の直線が「別所温泉」を通ると考えるのでしょうか? 観光客にそう案内するのでしょうか? 子供達にそう教えるのでしょうか?


日本遺産は将来像をイメージできるでしょうか? 知名度向上と(”次”を見つけるための)時間稼ぎにはなったのかも… 今が分岐点?
(前向きに考えるなら、「ワクチン」のようなものにはなるのかも… 熱狂してしまう人もいるかもしれませんが…)
(2016年真田丸のときも、チャンスを活かせず、目に見えない失敗がたくさんあったような。反省無く、形式的なアウトプットばかり?)

地域の歴史で関心が高いものは(日本遺産より優先度を下げたりせずに)応援・支援した方が良いかと。
・真田氏・上田城・山城
・別所線(上田丸子電鉄)
・赤松小三郎・松平忠固
・産都上田
・木曽義仲・手塚光盛・北条氏
・加舎白雄
・農民美術
・たけしカルタ歴史さんぽみち
等々

御朱印、鉄印の真似で、各地の古道・峠道の集印の限定企画とかもどうでしょうか。(道印? 食・歴史・地理・地質等の組み合わせで。湯坂を越えて厄除け饅頭とか、鎌倉道であんぱん&コーヒーとか…)

別所線は101周年イベント(リベンジ)を積極的にやっても良いかも。100周年もほぼ単独だったので、日本遺産抜きでも変わらない?

カルタの歌「夏至の日の」は「冬の空」に訂正されたようですね。
「うえだ乙女百人一首」を製作!オリジナルデザインのカルタを「上田女子短期大学の学生有志」がつくる
https://ameblo.jp/idem2007/entry-12664130233.html

ちなみに、「塩田」「手塚」の名前は外来(山梨 笛吹市一宮町塩田(しおだ)、大阪 帝塚山(てづかやま))という話もあるそうですが、研究等は見たことがありません。

泥宮は上窪池の上で、前が烏帽子岳、後ろが女神岳(産川の水源の方向)。前後の山の方向に配置したら、たまたま、生島足島神社に向いて、夏至の日の出方向と一致した、という感じなのかも。創建や移設のときに意識していたのか、後で気付いて手直し等もしたのか。
始まりは偶然でも、そこに関係性や意味を見つけてしまうのが人間の認知・理性で、その中で文化が成立してきたことは、史実でもあり… それを現代にやっているのがレイライン研究の一側面?

補充調査報告書に大日如来関係の調査結果がありましたが、大日如来の石碑は一般的な供養碑として墓地などにあり、また、道路沿いには(馬頭観音のように)牛の供養碑としても多く建てられたと言われます。密教系の寺院、特に真言宗ではたいてい大日如来像があります。多すぎて、特定の信仰との結び付きを明確にするのはとても難しいような…
明確に否定もできないから、こじつけて強弁するには都合が良いのかもしれませんが。

看板いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/07/blog-post.html
夏至の朝日と別所線の赤鉄橋
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/blog-post_27.html
Japan Heritage delusions
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/japan-heritage-delusions.html
朝日いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/blog-post.html
The pagoda where time has stopped in the Sengoku period
https://kengaku2.blogspot.com/2021/05/the-pagoda-where-time-has-stopped-in.html

2021年7月17日土曜日

看板いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー

生島足島神社 歌舞伎舞台 も構成文化財?
「生島足島神社 歌舞伎舞台」も構成文化財?

下之郷駅前の看板の図
下之郷駅前の看板の図。ラインは細く(幅約45m)、神社本殿を通らず、角度(約20度)は参道(約30度)とも異なる、謎ライン… (信濃国分寺も別所温泉も通らない)

中塩田駅前の看板の図
中塩田駅の看板の図。信濃国分寺も別所温泉も通らない、謎ライン…

別所温泉駅前の看板
別所温泉駅の看板の図。看板毎にバラバラ… 伸縮自在の脳内妄想レイライン?

上田市の日本遺産の看板(構成文化財等)の写真を収集中。
あまり現地には行けていなくて、ネットや頂き物が中心です。

未確認なのは「21 奈良尾 石造大姥坐像」。文章の細部が未確認なものもあります。
※追記:大姥坐像の看板は「令和2年度事業報告 構成文化財35箇所看板設置報告書」で確認できました。
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/nihonisan/index.html

設置場所を予想しにくいもの。
10 ちがい石とその産地  とっこ館(手塚)前の南隅
17 別所温泉の岳の幟行事  別所神社神楽殿内
20 千駄焚き・百八手  舌喰池(手塚池)東
22 保野の祇園祭  保野塩野神社鳥居東
33 生島足島神社文書  歌舞伎舞台前西
35 別所線の鉄道施設  別所温泉駅西側入口階段上(他にもある?)

説明文は、資料からの変更もあるようです。
一番大きい変更は「生島足島神社 歌舞伎舞台」。構成文化財の資料に歌舞伎舞台は無いのですが、看板では「生島足島神社文書」と並んでいて、構成文化財のように見えます。
もしかして、構成文化財に追加されたのでしょうか?

(もしも構成文化財を自由に追加できるのでしたら、鉄道よりずっと古くから地域をつないできた道路も追加できないでしょうか。(東山道、鎌倉道、北国街道、上州街道、松本道、善光寺道、別所道、各地の峠道、信玄道・古戦場 など)
レイラインの幅さらに広げて、真田、丸子、武石の文化財も追加してみては…
対象を最大限に拡大した方が、日本遺産ストーリーに対する誤解・先入観(郷土自慢 みたいな)も減るのではないかと)

生島足島神社関係は他にも変更が多いです。

「21 生島足島神社 本殿内殿」の変更点
(説明を要約すると、古来、為政者から崇敬された。大地が御神体。参道が太陽の線。)

文化財名に「御本社」を追加。(生島足島神社 本殿内殿 --> 生島足島神社 御本社本殿内殿)

以下を削除。
「寛政11(1799)年に生島足島神社と社名を改めており、中世以降には「下之郷大明神」「諏訪法性大明神」などと呼ばれ、」
「境内には夫婦欅と呼ばれる樹齢800年を超えると推定される大木があり、良縁子宝等が祈願される」

「鳥居の真ん中」を削除。(「太陽が夏至には東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居の真ん中に沈む」-->「夏至に東鳥居・東御門から朝日の太陽が昇り、冬至には西鳥居・西御門に夕日の太陽が輝く」)
(「朝日の太陽」「夕日の太陽」は微妙な表現? 朝夕の光が鳥居を通るというだけなら、おおよそ東西に向いていればそうなるので、何が特別か不明…)

勅使「差遺」は「差遣」の誤字?(※「遣」に修正されたようです)

日本遺産の品質は誰が責任を持つのでしょう?
地元では審査・認定した文化庁の責任と思っていそう… 文化庁は地元が責任を持つのが当然と思っていそう…(内容の真偽は無審査?) 曖昧なまま押し付け合って、内容に責任を持つ人が誰もいないという状況?

レイラインのことがよくわからない、という声があるそうですが、それは当然で、むしろ、こんな あやふやな話を"理解できてしまう"ことが謎なのでは…


「9月25日 百八手」は、一年で最も雨が降ってほしくない時期の一つ(稲刈り)のはずなので、どうするのか(晴れ乞いに変更とか?)と思っていたのですが、案内を見ると、どうも本当に雨乞いをやるみたい…
令和元年10月の雨乞い行事もそうでしたが、人の願いや思いに反する、神仏を信じない神事・仏事というのは、斜め上過ぎでは… 大雨で苦しむ人がいるときに、必要もない雨乞い行事ができる? 呪術であり、一般のお祭りイベントと同じに考えるのは危険…子供の参加は(心理面で)大丈夫?
塩田平ため池まつり・百八手(※中止のようです。花火は実施予定)
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/nihonisan/48485.html

論社と偽因果
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_25.html


「9月26日 上田市日本遺産シンポジウム」「旅行者目線のモニター調査から見る上田地域の日本遺産の可能性と課題」というのがあるそうで、ターニングポイントになる可能性はありますが、批判スルー、詳細スルーで、それぞれの立場を再認識して終わる可能性も…(この件で長野大学は第三者とは言えず、リスクを負っている?)
上田市日本遺産シンポジウム2021(※無観客・ネット配信に変更)
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/nihonisan/47779.html

8月20日追記:上田市議会6月定例会の議事録がやっとウェブ閲覧可能になったようです。(1月半はかかりすぎでは…) シャトルバス5月利用者196名(1日10便、1便0.7人足らず?)等、その後の推移も気になるところ…
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/gikai/40273.html
https://ssp.kaigiroku.net/tenant/ueda/SpTop.html

研究しているというなら、宣伝するだけでなく、「日本遺産のレイライン」とは何なのか、誰にもわかるように説明してみては…
「上田市の日本遺産のレイライン」は直線なのか、そうでないのか?
直線なら、角度は何度で、幅は何メートルなのか?
直線でないなら、その定義はどこにあるのか? 日本遺産の説明資料と矛盾しないのか? 等々…
(場所と時が決まれば太陽の方角は決まります。ところが日本遺産ストーリーの"光の線"は、場所が曖昧、時刻も曖昧、方角も曖昧… メディアも曖昧な説明をスローガンのように繰り返し…(消極的追随から循環増幅的にエスカレートする、プロパガンダのパターン)
思考停止を前提とする研究は、それが不合理というだけでなく、その研究に関わる人は思考停止の毒に冒され、不合理であっても、今は仕方がないこの前提では正しい、と判断するようになります。思考停止の毒が社会全体を劣化させることを歴史から学んで来たはずでは…)

新たなレイラインの仮説を研究するのは別にいいですけど…
利用価値のある事実を集めて、反証を見なかったことにする研究方法は正しい?
"日本遺産ストーリーのレイライン"と"別所温泉"はどうするのでしょう? こちらの検証は放棄、封印?
日本遺産認定で重ねてきたインチキも放置?

夏至の朝日と別所線の赤鉄橋
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/blog-post_27.html
Japan Heritage delusions
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/japan-heritage-delusions.html
朝日いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/blog-post.html
The pagoda where time has stopped in the Sengoku period
https://kengaku2.blogspot.com/2021/05/the-pagoda-where-time-has-stopped-in.html

2021年6月27日日曜日

夏至の朝日と別所線の赤鉄橋

赤鉄橋を照らす夏至の朝日
赤鉄橋を照らす夏至の朝日(2021.6.21 UCVライブカメラより)

北東線(真田傍陽線)
上田城堀跡を走る電車(UCV「真田に電車が走っていた 1972 真田傍陽線の映像」より)

夏至の朝日が別所線 千曲川橋梁を照らす様子です。(UCVライブカメラ 20216月21日 5:00~5:10)
建物の影が動いていないので、光の動きは太陽ではなく雲の動きによるもの。(たぶん大きな雲が強く光っている状態。カメラ画像は明るさや色が自動調整されて変化がわかりにくいことがあります。)

太陽と雲からのささやかな祝福? と言ったら、頭が沸いていると思われるでしょうか…

曇りが多かったためか、日の出位置がわかる写真はなかなか見つからず。
信濃国分寺、信濃国分寺跡、別所温泉の朝日の写真は皆無?

別所温泉からわざわざ生島足島神社へ行く人もいるようですが、山かげで日の出が遅く眺望の無い生島足島神社よりも、日の出が早く眺望の良い別所温泉で、遠くの山からまっすぐに射してくる太陽を礼拝する方が、よほどスピリチュアルのような…

日本遺産ストーリーのレイラインの定義はいまだによくわかりません…
もし、パンフレット等にある「信濃国分寺と生島足島神社を直線状に結んでいる、夏至の朝日が照らす光の線」ということなら、おおよそ東西の位置関係にある2地点であればどこでも朝日は直線的に照らすので、光の線の話はあっても無くても同じ。2地点を結ぶ直線というだけの、ほとんど意味不明な説明?

なにより、この説明では別所温泉とレイラインの関係が不明。
本当の意味は隠されている? 不都合だから?

文化庁の審査ではレイラインはどのようなものとして理解されていたのでしょう?
信濃国分寺-生島足島神社-別所温泉は直線状に並んではいないが、(どういうわけか)地元住民は直線状に並んでいると信じ、その線をレイラインと呼んで信仰している、ということでしょうか?
もしそうなら、まったく信じ難い話で、鵜呑みにする方もどうかと思いますが…
(認定後に、信じた人、信じようとしている人は、いるのかもしれませんが。土地勘のある地元住民の方が、鵜呑みにできずに苦労している?)

呼応して、神社・寺院等へのスピリチュアルなイメージの押し付け(無理矢理感動、少々気持ち悪い、やらせレビューみたいな)も増えているような… 反発も増加して少し緊張感が出てきた?
(メディアも賛否を隠蔽する傾向… 賛否自体が事業として致命的な失敗で、表面化したら継続は困難、という認識がある? SNS等では認定直後から普通に批判があって、今後も話題になるたびに馬鹿にされる?)

UCVライブカメラ
http://live.ueda.ne.jp/

別所線を紹介した最近のテレビ番組の録画を4本見せて頂いたら、どの番組も日本遺産には触れていませんでした。応援・支援の話題とオカルトは組み合わせにくい?

サマーウォーズで伊勢山方面へ行く電車に違和感があった人も多いようで…
何かのPR動画とかで、もしも真田傍陽線が今も走っていたら、というシミュレーション映像を作ってみたら面白いかも。
博物館に相談したら、サポートしてくれそうな気も…
上田市立博物館「千曲川の赤い鉄橋と上田丸子電鉄の100年」
https://museum.umic.jp/hakubutsukan/


朝日いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/blog-post.html
信州レイライン
https://kengaku2.blogspot.com/2021/02/blog-post_12.html
夕日いろいろ 信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_19.html
日本遺産ストーリー、子供銀行券、ハーメルンの笛吹き男
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_31.html
曲がった直線、裸の王様、袈裟供養
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_15.html
日本遺産 レイラインの幅
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_15.html
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html
志賀溶結凝灰岩(佐久石)、渋沢栄一、力石
https://kengaku2.blogspot.com/2021/02/blog-post_17.html
別所神社、縁結びの謎
https://kengaku2.blogspot.com/2021/02/blog-post_5.html
バーチャル別所線ガイドの動画
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_5.html


2021年6月13日日曜日

Japan Heritage delusions

キショウブ(要注意外来生物)
キショウブ(要注意外来生物)

女神岳・夫神岳
山から里に降りてくる朝の光(女神岳、夫神岳。手前の暗い所は烏帽子岳の影)

生島足島神社東鳥居
生島足島神社 東鳥居 日の出(2021.8.4 5:32 太陽の方位約73度)

生島足島神社東鳥居
生島足島神社 東鳥居 日の出(2021.8.4)

生島足島神社東鳥居
9月上旬はまだ斜め鳥居の真ん中を昇る太陽を見られる?

生島足島神社の池のカエル
生島足島神社の池のカエル


日本遺産は「ストーリー」+「ストーリー構成文化財」でしょうか。
「ストーリー」は文化財でなくても良い? (現代の創作、旅行商品とか、集客力があれば何でも可? それとも、遺産と呼ばれるのだから「ストーリー」も文化財の一部である必要がある?)
文化庁が認定する「日本遺産」は「ストーリー」だけで、構成文化財は(あくまでも「日本遺産ストーリーの構成文化財」であって)単独では「日本遺産」とは呼べない?(ストーリーを付加せずに「日本遺産」と呼ぶと詐称になる?)

別所温泉の活性化についての研究報告がありました。(別所温泉活性化プロジェクト(2014~)の「レイライン」「聖地」の効果など)
筑波大学 人文地理学研究グループ
地域研究年報 43号(2021年) −長野県上田市−
「別所温泉のツーリズム活性化に向けた取り組みとその課題」
http://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo.html

長野県観光関連統計
https://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangyo/kanko/toukei/kanko.html

観光客数は、2016年(NHK大河ドラマ「真田丸」)は増加、その後は以前よりさらに減少、2019年(10月に別所線千曲川橋梁が崩落)も続落。2017年から2018年に老舗旅館の倒産が3件。プロジェクトの集客効果を実感したという声はなかったようです。
(「レイライン」「聖地」は既存の顧客層が離れるリスクもある、実験的な案件の可能性がありますが、マイナス効果の有無は不明。ただ、関連商品のウェブページを見ると、取り扱いを止めた理由は、低調だけでなく、商品イメージに何か違和感を感じた可能性もありそうな… 地元の人なら少し前にあった宗教&脱税の件も覚えているはず)


夏の朝、塩田平で日の出を待っていると、独鈷山や夫神岳の峯に朝日が当たって、それがだんだん里へ降りてきます。大昔から誰もが見てきた光景でしょう。女神岳の山頂東側の急斜面の場所を地元では「あさひ」(朝日、旭)と呼ぶそうです。西の山の麓が明るくなると、東の山脈から太陽が顔を出します。(生島足島神社、信濃国分寺はまだ烏帽子岳の影の中。)

日本遺産ストーリーの「夏至の朝日が照らす光の線」は実際に線が見えるわけではなく、光の方向を観察して、脳内でイメージするしかないものです。さらに、光の方向はどんどん変化するので、観察できる時間も場所も限定されるはずなのに、それが曖昧に、ぼかされています。あるのは斜め鳥居と曖昧なイメージ図だけ。
(曖昧にぼかして提供、自分好みに脳内補完して受容、という関係?)
レイラインと呼ぶ光の線が本当にあるのか、それはいつどこでどのように観察できるのか、確かめた人はいるのでしょうか?(生島足島神社の冬至の夕日と、泥宮の夏至の朝日を見ただけで、その場面以外はほとんど妄想なのでは?)
(保科百助等の実物教育の話を連想しました。この件も、曖昧表現×思い込み解釈×情報源に対する思い込み解釈=歴史=都市伝説 と同じ図式なのかも)

UCVレポートの日本遺産ガイド講座の動画を見たら、「レイライン」の定義がいくつも出てきて驚きました。ますます錯綜、混沌としてきているのでしょうか… 今後は「考えるな感じろ」みたいな話になって行く? 教育でも? 受講者はレイラインをどう説明するのでしょう…

そもそも、明確に定義できないようなストーリーテーマを文化庁は審査・認定した?
誰もあやふやにしか説明できないものを、どうやって確認?

最近はレイラインの説明から別所温泉を外している? 修正ではなく隠蔽?
(認定時の資料では 信濃国分寺-生島足島神社-別所温泉 の並びをレイラインとしていたのを、認定後の広報等では(別所温泉を外して)信濃国分寺-生島足島神社の「夏至の朝日の光の線」をフォーカスするようになり… 結果的に「夏至の朝日の光の線」はストーリーの不合理な部分から目をそむけるための、話題そらしの役割りをしている?
曖昧で、かつ、教義化・禁忌化しているために、担当がそれぞれに苦心して説明を考案、その結果、不合理・不整合な定義が乱立… 設計の問題を放置して建設工事を進めるようなことをすれば、投資・費用を上回る損害になるリスクも…)

レイラインの幅の話をしたときに、最初から厳密な話ではないのではないか、と言われたことがあります。もしかしたら、頭の中で、
 (アバウトな)レイラインが(アバウトに)つなぐ「太陽と大地の(アバウト)聖地」
みたいな補完が自然にできている?(そのため、正確さに関心がなく、誤りがあっても気にならない? アバウトさが前提のストーリーであるために、明確化は、したくてもできない、構造的ジレンマ?)
でも、そんな 脳内レイライン を「〇〇遺産」のようにかついで観光客をもてなすのは、かなり難易度が高い気もします。やり方を間違えれば、感動や好感が一転して、怒り・嫌悪・嘲笑・恥辱に変わることも。

(夏至の朝日の記事に夕日の写真を添えたり、今年の夏至の記事に説明無しに過去の写真を使ったり… こまけ​ぇこたぁいいんだよ?)
(泥宮の夏至の日の出位置は烏帽子岳山頂よりも南、生島足島神社の冬至の日没位置は女神岳よりも南。これも、こまけ​ぇこたぁいいんだよ?)

信濃毎日新聞に「(生島足島神社では)夏至の前後に鳥居越しに朝日が昇る。」「生島足島神社の東鳥居越しに昇る夏至の太陽。(※中略)21日午前5時36分」とあったので、この「夏至の前後」がどれくらいの期間か、調べてみました。
(1) 2021年6月21日 午前5時36分 生島足島神社 の太陽の方位を「こよみの計算」で調べる。
結果は 69.0°(緯度:36.3608° 経度:138.2187° 標高:470.0m)
(2) 日の出の40分後(現地で太陽が見られる時刻)に方位が69.0°以下になる期間を調べる。
7月21日 日の出 4:41 62.9° 40分後 5:21 68.8°
7月22日 日の出 4:41 63.1° 40分後 5:21 68.9°
7月23日 日の出 4:42 63.4° 40分後 5:22 69.2°
少なくとも夏至を含む約2か月間(5月下旬~7月下旬)は、同様の「鳥居越しに昇る太陽」を見ることができる、ということになるようです。(追記:8月初めの写真を上に提示しました。9月まで行ける?)

鳥居越し 夏至の日昇る 上田・生島足島神社 2021/06/22
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2021062100670
こよみの計算
https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/koyomix.cgi

(「20人ほどが同神社に集まった」というのは少ないような気がして、当日行った人に聞いてみたのですが、正しいそうです。(UCVレポート「15人ほど」は太陽が見えるまで粘っていた人数?) 太陽が鳥居の中に入るように自分が動かないといけないので、ありがたみはそれほど感じない、とも… また来たいと思う人は少ない?
当日の写真をよく見たら、参道の北側に場所取りをしているので、皆さんリピーターで、日の出位置が鳥居の正面でないことは知っているのですね。「斜め鳥居の真ん中を上る夏至の朝日の写真を撮影する」という "ミッション・コンプリート" が一番の目的なのかも)

日本遺産認定1周年記念に、構成文化財の説明板巡りとかも、いかがでしょうか。35個もあって大変かもしれませんが。オカルト嫌いな人や civic shame を感じている人にとっては苦痛?
(側にある古い看板が汚れたままなのを見て、新しい看板もこのまま放置なのかな、と思ったり… 雑巾で拭いたら文字まで落ちる?
強風時には看板は危険物。特に近年見かける大きな看板は大丈夫でしょうか。ダウンバースト等の強風にも安全な強度と耐久年数はどれくらい? 安全確認、注意喚起、補償対策などの負担も増えるのでは…)

別所線の地元向けの企画で、プチ旅行プランの募集とかもどうでしょうか。別所線を使った半日~数日程度の旅行の簡単なプランまたはレポートを募集して、提出と引き換えに記念グッズを進呈(先着順)、応募者には抽選で割引券等、とか。(リターン・予算がほとんど無くても、丁寧な対応をすれば、協力的な活動を楽しむ人もいるのではないかと。)


朝日いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/blog-post.html


2021年6月3日木曜日

朝日いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー

烏帽子岳から昇る太陽(塩田平)
烏帽子岳から昇る太陽(生島足島神社も信濃国分寺もまだ山の影の中)

安曽神社 鳥居と朝日
安曽神社 鳥居の真ん中を上る太陽

塩野入神社
塩野入神社(舞田)

五加八幡社
五加八幡社

手塚八幡社
手塚八幡社

誉田別神社
誉田別神社(下本郷)

保野塩野神社
保野塩野神社

前山塩野神社
前山塩野神社

別所温泉の日の出
夏至の太陽はさらに約1度北。この方角にあるのは神畑駅、科野大宮社、神科小学校 等。(生島足島神社(山裾に隠れて見えない)・信濃国分寺(小牧山の向こう)ではない。また、どちらもまだ山の影の中。 ※計算を間違えていました。すみません)

西から東に光が広がる
西(奥)から東(手前)に光が広がる(左奥 夫神岳手前が別所温泉、右は青木村。11分間。UCVライブカメラより)

盆地で西から東の順に朝日が届く
盆地で西から東の順に朝日が届く


鳥居の写真は5月の連休頃。どれも 斜め鳥居 です。
南東を向く神社が多いようで、その中で東寄りのもの。(前山塩野神社を除く。)
他には、佐加神社、氷上王子神社など。
(池生神社の東向き(小島大池側)の鳥居は改築中? 五加女池の八栄塩田稲荷社は改築?移築?)

塩田平は盆地なので、少なくとも夏は、西の方が日の出も日の入りも早くなります。東山(小牧山)に近い生島足島神社の日の出は、塩田平では最後の方。約5km西の別所温泉の12分ほど後のようで、別所温泉で日の出を見た後、移動すれば、生島足島神社でまた日の出を見ることができるのかも。

夏至の太陽の光は信濃国分寺、生島足島神社を通って別所温泉へと導かれる、という話もありますが、別所温泉の日の出の時刻にはまだ信濃国分寺も生島足島神社も烏帽子岳の影の中。方角も時系列も現実とは食い違うストーリー…

烏帽子岳(2066m)への仰角を概算(地表を平面と仮定)
信濃国分寺跡(距離約12km 標高約470m) atan((2.066-0.47)/12) = 7.575877556504347
生島足島神社(距離約17km 標高約470m) atan((2.066-0.47)/17) = 5.363342146183382
別所温泉駅(距離約22km 標高約550m)   atan((2.066-0.55)/22) = 3.9419685299830656

(※地表を半径6371kmの球面と仮定して概算。約0.05~0.1度ほどの差?)
信濃国分寺跡(距離約12km 標高約470m) atan((6371+2.066-(6371+0.47)*cos((12/6371)*180/π))/((6371+0.47)*sin((12/6371)*180/π))) = 7.628344640761188
生島足島神社(距離約17km 標高約470m) atan((6371+2.066-(6371+0.47)*cos((17/6371)*180/π))/((6371+0.47)*sin((17/6371)*180/π))) = 5.438720304605701
別所温泉駅(距離約22km 標高約550m)   atan((6371+2.066-(6371+0.55)*cos((22/6371)*180/π))/((6371+0.55)*sin((22/6371)*180/π))) = 4.0400834120035025

日の出の時間差を概算(地表を平面と仮定。夏至の頃は約7.5時間で約77度に上昇)
別所温泉駅 atan((2.066-0.55)/22)*444/77 = 22.730312043019236 分後
生島足島神社 atan((2.066-0.47)/17)*444/77 = 30.926284583187297 分後
信濃国分寺跡 atan((2.066-0.47)/12)*444/77 = 43.68428097516792 分後

実際は日の出位置(生島足島神社は直近の東山(小牧山)の日の出位置)の標高により変化します。
例えば別所温泉で日の出位置が烏帽子岳北側の1800m付近とすると、約19分後で、生島足島神社(約31分後)との差は約12分。

UCVライブカメラ
http://live.ueda.ne.jp/

国立天文台 暦計算室 こよみの計算(CGI版)
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/
生島足島神社 2021年6月11日~26日の日の出方位。(※標高0mにしていたので470mの結果に変更しました。)
11 59.5
12 59.4
13 59.3
14 59.3
15 59.2
16 59.1
17 59.1
18 59.1
19 59.0
20 59.0
21 59.0
22 59.0
23 59.0
24 59.0
25 59.1
26 59.1

夏至を含む約1週間は0.1度の範囲。(10m先の鳥居上で約17mmの範囲)
パワーをチャージしたい人にとっては夏至当日以外は無価値?なのかもしれませんが。
今回は「鳥居の真ん中」言及 の記事はあるでしょうか… 「鳥居の間」等にすり変えることも多かったので。(東鳥居の真ん中に太陽が来ないなら、ストーリーが嘘なのではなく鳥居の方が間違いだから建て直せ、という話も出てくる? (ストーリーに合わないなら合うように作り変えて、証言×記録×報道=歴史。 古今東西…) それとも、見えないけれど確かにある、心の目で見れば見える、とかでしょうか…)

日本遺産ストーリーについて学習するなら、塩田平の神社の向きとか、(見た目の)日の出・日の入りの方位・位置・時刻とかも調査・確認するのですよね? 目を覆い耳をふさぐための学習でないのなら…

(※撮影マップの表記を修正して頂いたようで、ありがとうございました。鉄橋から見ると下之郷駅は女神岳よりも東で、別所線は写真左に大きくはみ出して蛇行します。はみ出す部分はカット、見えない部分は点線にしてみるとか…)

別所神社、縁結びの謎
https://kengaku2.blogspot.com/2021/02/blog-post_5.html
日本遺産ストーリー、子供銀行券、ハーメルンの笛吹き男 (日本遺産スペシャル)
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_31.html
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html
曲がった直線、裸の王様、袈裟供養
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_15.html
日本遺産 レイラインの幅
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_15.html
日本遺産 ストーリーのデパートメント化
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_12.html
バーチャル別所線ガイドの動画
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_5.html
Japan Heritage fake ley-line
https://kengaku2.blogspot.com/2022/02/japan-heritage-fake-ley-line.html

2021年2月12日金曜日

信州レイライン

生島足島神社 東鳥居
生島足島神社東鳥居。正面の朝日の写真は1枚もなく、どれも斜めから?

生島足島神社西鳥居・参道
西鳥居正面。烏帽子岳の北の方角。夏至の太陽は烏帽子岳の南に出る?

東鳥居での夏至の日の出の位置
東鳥居での夏至の日の出の位置(推定。写真は冬)

泥宮 夏至の日の出
泥宮での夏至(翌日)の日の出。烏帽子岳山頂よりも南(UCV「太陽の線 夏至編」1994)

泥宮鳥居 夏至の日の出
夏至の太陽が中央に出るのは生島足島神社ではなく泥宮?(UCV「太陽の線 夏至編」1994)

月刊ムー3月号に信州レイラインの記事があると教えて頂き、ウェブにある地図を見たら、生島足島神社、信濃国分寺跡、別所温泉の位置は良いのですが、その他は(主に南側に)ずれているようでした。生島足島神社はもう少しだけ西。大日孁神社は図の線よりも北。(図のレイラインの角度は約24度)
上田市の資料でも、BS-TBS 日本遺産スペシャルでもそうでしたが、レイラインの話なのに、正確な位置を誰も確認していない?(レイラインの話だから?)
(※2月24日 BS-TBS 彩~日本遺産~ でも12月27日と同様のアバウト地図でした。地元施設や上田市行政チャンネルで同様の動画を流しているそうで、中身を気にする人はいないのかも。ガイドも観光客も知れば知るほど気付くと思うのですが、フェイクも含めて楽しむということが本当にできるのでしょうか。インチキは恥でしかないのでは…)

どうしても日本遺産の看板がほしかった?
本当に郷土をオカルト聖地にしたい?
いざとなれば、知らなかった、だまされた、自分たちも被害者、で責任回避?(デジャブ…)

月刊ムーの記事には別所温泉の内容は無く、名前が冒頭と地図(別所温泉を通らないレイライン)と展望写真の3か所にあるだけ、とのこと。

上田市の日本遺産ストーリーの資料には「約30度」のような具体的な数字はなかったと思います。別所温泉がレイライン上にあるという設定?なので、位置・方位は曖昧にして、相手に補完させる手法? (別所温泉ウェブサイトの文章では「直線」ではなく「導く」等の言葉でレイラインを表現?していました。もしかして「直線」は迷惑?)

最近見た別所温泉や塩田地域の資料でも、生島足島神社の線が別所温泉を通らない図を使っていました。日本遺産ストーリーの文章だけが宙に浮いた(梯子を外された)ような状態?


アバウト地図(もし意図的な印象操作ならインチキ地図)は上田市公認?(上田市行政チャンネル 動画 2021.3.17)
(鳥居と夕日の映像は日付が不明。夕日が北寄りで、冬至の約3~4週も前か後?)
(生島足島神社を大地や太陽信仰の「中心」とするのは直観とは矛盾します。平野の端の方にあって、朝日を見るには東側の山に近すぎ。日の出は塩田平では遅い方。例えば「東方の標識」の方が感覚的には自然。)
the Ray Lines も公式? 別所温泉活性化プロジェクトのウェブサイトでは ley line でしたし、昨年の講演会でも RAY LINE ではない とのことでしたので、変更された? あるいは Ley Line との併用? あるいは「Ley Line ではない、独自概念だから曲がった直線でも問題ない」という理屈にまでなる?(twitterアカウントは leyline にしたようで… これも、こまけぇこたぁいいんだよ?)

地図も正確に示せないのに、日の出・日の入位置を実証的に説明できる?
(正確な部分を示すと、曖昧な部分を否定してしまうというジレンマ。)
シンボルのように使われる"斜め鳥居"(斜めから見た鳥居と朝日の写真)は、鳥居を朝日に向ける意図が無かったことの証拠なのでは?
おおよそ東の方に信濃国分寺、西の方に別所温泉があるというだけなら、何が特別?

追記:今年は曇りが多かったので、これまでの観察も合わせて、生島足島神社の夏至の日の出の位置を推定してみました。(上の写真)
東鳥居では右の柱近くの鉄塔の左。落葉樹の丸いシルエットが2つ並んで間に松?が見える付近のようです。(※位置を訂正しました。地図: 鉄塔 日の出位置の松? ウェブの写真:道と川の駅事務局の方 市議の方 山稜が底辺、太陽の中心が頂上、頂上の角度が約36度、右が直角の三角形の左の頂点の位置)
鳥居から西へ離れると太陽は右へ移動して十数m?で鳥居の外へ。反対に鳥居に近付くと太陽は右から中央へ寄ってきますが、鳥居が視界からはみ出します。
前提無しに素直に見れば「鳥居の中の右から上がる」等が妥当で、「鳥居の真ん中から上がり」(日本遺産ストーリー)が正しいとは言えないかと。(これと斜め鳥居の組み合わせは、誤解・不快感を与えるリスクもあるのでは…)


上田市の日本遺産の問題点
1. 別所温泉、生島足島神社、信濃国分寺は1本の直線状に配置されてはいない。地図を見れば明白。(「この地が"特別"であると伝えるために"おおよそ"直線状に配置した」という、矛盾したヘンテコなストーリー?)
2. パンフレットの地図では位置と線の幅・角度を曖昧にしてごまかしている。PR動画では位置を動かして、直線状に偽装している。(嘘の連鎖は今後も続く?)
3. 夏至の朝日が生島足島神社の東鳥居の真ん中から上がるというのは、斜めから見ればの話で、鳥居は朝日に向けられてはいない? また、生島足島神社に夏至の朝日が届くのは塩田平では最後の方で、信濃国分寺はさらにその後。別所温泉の日の出の時刻にはどちらもまだ山の影の中で朝日は届いていない。「朝日が照らす光の線」「レイラインがつなぐ」の意味が不明。(日の出が遅い所からやってきて「この光は(アバウトに見れば)こちらの方角から来た特別な光だからありがたく思え」と要求する変な人?)
4. 根拠を示さずに、大日如来像とレイラインの関係を繰り返し強調。(大日如来像を見つけたらすべてレイラインに結び付けようとする。仏教からも離れた新たな教義に近いのでは? 大日如来像が各地に存在することは、大日如来像とレイラインの関係性が低いことを示唆します…)
5. 日本遺産関係の誤りを訂正する制度・体制が不明確。(現状は無検証で、誤情報を放置・拡散中。誰も内容に責任を持たない? 日本遺産制度には品質保証の規定はある? 審査・認定された件なので、誤解を招く表現があったから(問題になる前に)一部修正したい、と言えば、簡単には切り捨てにくい気もしますが… 文化庁の審査も不思議で、誰がどんな審査・評価をしたのか、資料があるなら見てみたいです… (認定されなかった所はどうやって納得している?))


上田市の2つのレイライン
1つは 信濃国分寺跡-生島足島神社-泥宮-女神岳 のライン。(東西の傾き約25度) 部分的には古くから考えられていたと思いますが、仮説の最初のまとめはたぶん相原文哉氏の「太陽の線」(昭和58 1983)。(ただし、日の出・日の入や社殿・参道の方向と単純に一致するわけではなく、不明確な部分も。)
2つめのラインは、この「太陽の線」に別所温泉を加えたもの。別所温泉活性化プロジェクト(2014~)が考案。別所温泉は「太陽の線」の上には無いので関連付けが必要。以下の手法の混合か?
(1)近さによる関連付け。(同じ塩田平にある温泉地) 妥当性〇 訴求力△
(2)直線以外の関連付け。(風水、龍穴等) 妥当性△ 訴求力△(一部には高評価?)
(3)太陽の線を帯状に変更し別所温泉を含める。(日本遺産ストーリーのレイライン) 妥当性△(×に近い?) 訴求力?

※別所温泉活性化プロジェクト(別所温泉観光協会、別所温泉旅館組合、別所温泉自治会連合会、長野大学、上田市 観光課・交通政策課、上田観光コンベンション協会、㈲信州観光バス、上田電鉄㈱)

上田市の別所温泉観光協会や上田電鉄などがつくる「別所温泉活性化プロジェクト」と長野大学が「信州の魅力発見シンポジウム」を開催 (2015年07月27日記事)
https://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000475976.html
(上記記事より引用)
同プロジェクトは別所温泉に新たな顧客層を呼び込もうーと早朝ヨガや太極拳、護摩体験など、苦を祓う「デトックス」と気や光のパワーを取り込む「チャージ」をキーワードに旅行商品を開発している。


令和元年度「日本遺産(Japan Heritage)」の認定結果の発表及び認定証の交付について(令和元 2019年5月20日)
https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1416977.html
(※認定されなかった上田市のテーマ「青空と蚕が紡いだ「映画のまち」信州上田 ~大正浪漫を守り伝える真田の「表裏比興」の精神~」)

令和元年度上田市教育委員会定例会
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/kyoiku/2517.html
令和元年12月18日 定例会「今年、これからの日本遺産のストーリーについて組立をしているところである。」
令和2年1月22日 定例会
(※令和2年1月24日が申請受付最終日。1か月前に作成中という報告、2日前の会議で資料差し替え(テーマが現在と異なり、この後も変更した?)、というあわただしい状況。レイライン自体の検証を十分に行える状況になかった? もしかして推敲の過程で、曖昧にしていた部分が単純化されて明確な虚偽になった?)

『週刊うえだ 令和2年9月26日』5頁より引用(『信濃路 昭和58年7月』相原文哉氏「太陽の線」の記事について)
二か月前、五月に発行された「信濃路」の塩田平の特集のために書かれた原稿でしたが郷土史家の反対で次の号に。当時まだ塩田平の研究は、この説を受け入れるほど進んでいませんでした。

(※38年前、太陽の線の仮説に懐疑的な人が少なからずいたようです。7年前、別所温泉活性化プロジェクトが旅行商品に取り入れるまで地域では特に進展は無かった? 現在はどうなのでしょう? ウェブでは6月の認定直後に批判的な反応があり、11月に批判記事が出て、擁護は無く、公式周辺は無対応、認知度・評価を調査して報告は無し?  … ウィルス禍でそれどころではなく、関心も危機感も低迷中?)


朝日いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
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別所神社、縁結びの謎
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日本遺産ストーリー、子供銀行券、ハーメルンの笛吹き男 (日本遺産スペシャル)
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新しい鞍が淵伝説
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夕日いろいろ 信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
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曲がった直線、裸の王様、袈裟供養
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日本遺産 レイラインの幅
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日本遺産 ストーリーのデパートメント化
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バーチャル別所線ガイドの動画
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Japan Heritage fake ley line
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2021年2月5日金曜日

別所神社、縁結びの謎

別所神社鳥居の扁額「本朝縁結大神」
別所神社鳥居「本朝縁結大神」(元は「正一位熊野三社大権現」)

本殿背面の3つの祠 飛宮社?
本殿背面の祠は飛宮社?

中央の祠の文字板「賀茂御祖大明神 飛宮大明神 賀茂別雷大明神」?
中央の祠の文字板「賀茂御祖大明神 飛宮大明神 賀茂別雷大明神」?

飛宮御玉石
飛宮御玉石(甲田三男著『上田盆地1600万年をめぐる』(2005) 31頁)

左の祠の柱の文字
左の祠の柱の文字「疱瘡之守」?

本殿階段下の男石?
本殿階段下の男石?(もしかして北向観音 男石明神から?)

別所神社(上田市)の本殿背面の祠について質問を頂き、調べてみたら、どうも謎な話が流通しているようです… (上のカラー写真は頂きもの。冬期や雨後は境内は泥でぬかるむので足元に注意。周辺は雑木で荒れている所もあって景観は期待しすぎないで、とのこと。)
(※露出度を上げるならもっと整備しないと、訪れて怒り出す人がいないか心配になるレベル…)

・本朝縁結大神は別所神社(熊野神社)のことです。(つまり、本朝縁結大神の祠=別所神社本殿。) ただし明確な一次史料は見つからず。
・本殿背面の祠は、おそらく、飛宮(とびのみや・とんびのみや)社。(または中央1つだけ? しかし複数社とすると中央だけ祠の形が異なるのは不自然…)
・本殿背面の中央の祠に文字板があり、不明瞭ですが、右から
賀茂御祖大明神(かも みおや だいみょうじん 下賀茂神社)
飛宮 大明神(とびのみや・とんびのみや だいみょうじん)
賀茂別雷大明神(かも わけいかづち だいみょうじん 上賀茂神社)
と読めます。丸石(少し扁平?)に「飛宮御玉石」の文字があります。祠の柱にも文字が見えて、左の祠の右柱「疱瘡(之守?)」、他の柱は判読できず。
賀茂祠から飛宮社になり、明治32年別所神社境内に移した、という話があります。(『別所村誌』(明治14年)、飯島寅次郎『別所温泉誌』(明治33年))
※『上田市誌 文化財編』や「日本遺産 構成文化財一覧」で本殿背面の祠を本朝縁結大神としているのは根拠が不明、不合理?(岳の幟の調査報告書等を否定するだけの根拠がある?)

・別所神社境内の祠に男石、女石、子種石があるという話は、観光案内の他には見つけられず、具体的にどこにあるのか、わかりませんでした。陰陽石があっても不思議はないですが、確認・報告されているでしょうか? (陰陽石・石棒等は古代に限らず、近世のものも多いのかも。)
・本殿の垣根の中に自然石の男石が立てられている、という話は聞いたことがありますが、現在は見当たらず。本殿の階段の下にある石がその男石ではないか、とのこと。

・別所神社(熊野神社)は「相染川 結神社」とも呼ばれたとの伝承があります。しかし、陰陽石の話は見当たらず、石が由緒かどうか不明。男(夫)神岳・女神岳からの川の合流点にあったこと、祭神がイザナミ・イザナギであることが、縁結びの神社と言われた主な理由ではないでしょうか。
(別所は「別れる所」という風評があるそうで、その対策として「結神社」「本朝縁結大神」のような別名が作られてきた?(江戸時代から現代まで?))
毘蘭樹(びらんじゅ 表記は美欄樹など)は、結の神社の神木が洪水で流されてきたものと言われています。その後、サイカチに替わり、願掛けの木とされ、現在は比蘭樹という地名が残っています。(瀬下敬忠『塩田の道草』(明和4年 1767)、『信濃国小県郡出浦郷別所七久里温泉並名所畧記』『信濃奇勝録』等)

『岳の幟の祭礼調査報告書(改訂版)』(昭和57 1982) より引用
Ⅱ 歴史的考察
(中略 ※14頁)
 次に「岳の幟」の最後の収め所として、現在は別所神社を充当しているので、このことについて、少し触れてみることにしよう。
 長野県町村誌(明治14年5月)によれば、別所神社(村社)
 社地東西37間、南北35間
 面積 4反3畝5歩
 祭神、伊弉諾尊
    伊弉冊尊
    速玉之男命
    泉津事解男命
  相殿 素盞鳴尊
 里伝、建久年間、紀伊国熊野より遷し創建と云ふ。永享年中、本殿を再建し、神殿等造営すと 確証なし。明治11年熊野神社の称号を廃し、更に官に乞うて別所神社と改称す。社地中老松 1株、周囲1丈2尺3寸、長さ8間半、祭日、4月16日。9月28日、素盞鳴尊、祭日7月12日よよ(※より?)14日まで。
 境内雑社 (省略)
建久年間(1190~1198)と言えば、鎌倉初期であり、それから240余年を経て永享年中に本殿を再建し、神楽殿を造営したというが確証ないと書いているので、伝言の程度と解すべきであろう。
 なお、このことについては、昭和30年10月、「別所村史略年表稿」としての別所村誌資料編纂委員会の記事によれば、「熊野神社(別所神社)本殿は昔から現在の位置にあったものではなく、江戸時代の天和2年(1682)に「下」の位置にあった同社を現在の位置に上げて社殿を造営して祀ったという記録が見えるので(西島義雅氏所蔵「万覚帳」)社殿は移動していると思われる。
 その「下の位置」とは、水帳に「みやのまえ」 "みやのわき" "みやのうえ" 等の地名があるので、その辺りであろうことは想像に難くない とあるが、果してその通りであろうか!。
 享保20年の「宗源宣旨」によれば、
 信州小県郡別所村
   正一位熊野三社大権現
 と書かれており、時の願主山極政之奉納の銅鏡にも「信州別所邑、正一位熊野宮広前」と刻み込まれていて、裏面には「享保二十年六月吉日」と書かれている。
 以前鳥居に掲げられていた神社の額には、「正一位熊野三社大権現」と書かれていたのであるが、これは常楽寺に預けられて、現在は鳥居の額に「本朝縁結大神」と記されている所をみると このお宮も時勢の影響を受け、主たる効能は「縁結び」となったもののごとくである。
 さて別所神社に保存される最近の記録を掲げてその全貌を見ることにしよう。

 別所神社
一、鎮座地 別所内大門 2338番
一、境内面積 1923坪(昭和31年国より無償交附)
一、建物 本殿   3坪
     拝殿   8坪
     神楽殿 45坪、間口9間、奥行5間
一、祭神
  伊弉諾、伊弉冊尊
  速玉男命
  泉事解男命
 相殿素盞鳴尊
一、由来 建久年間、熊野大権現を勧請し、創建す。熊野権現、又は本朝縁結神社と号す。
 明治11年、別所神社と改称す。
 永享年中、本殿を再建し神楽殿を造営す。
 明治42年諏訪社、三島、山の神社、住吉神社、八幡社、日月社、愛宕社、温泉社を合祀す。
一、祭日、1月12日新年祭、4月15日祈年祭、5月3日三島祭、7月14日祇園祭、7月15日(岳の幟祭)九頭龍社祭、9月28日例祭、11月28日神甞祭、12月20日大祓祭、
一、宝物 宝剣 一振
一、山林 1反7畝17歩
  三嶋神社旧境内地全部
一、氏子 別所地域現住の人、及び氏子にして他出中の人。
一、運営 神社総代3人
     祭典委員12人
  昭和37年7月23日記録
 と記されているので神社の概要はこれによって知ることができたと思われる。

3.「獅子舞及びささら踊り」の行事と別所神社の関係
 先にも記したように、「岳の幟」の行事は、永正年間に、九頭龍神の加護によって、与水があって以来、その奉賽として、三丈余の長幟を毎年献納して、今日に及んでいるのであるが、これにまつわる獅子舞と、さゝら踊りは何時頃からこの行事に附加されて、最後は別所神社に収められるようになったのであろうか。これについて倉沢美徳氏は「別所温泉の記録」中「岳の幟りと祇園祭」の項で下記の様に説明されている。
 「今日では、岳の幟り、さゝら踊り、獅子舞との三者を一括して "岳の幟りの祭礼" といわれるようになっている。しかし、ささら踊りと三頭獅子とは祇園祭の出し物であって、岳の幟りとは別個の祭りである。むかしは別々に行なわれていた。
 大正10年、小学校舎が増築された際、その祝典にこのさゝら踊りと三頭獅子が奉納された。その後、一両回出演したことがあったが、獅子面が大分破損したので、昭和9年になって資金を募集し、三頭の獅子面を新調した、その際、岳の幟と祇園祭の期日が接近しているので、この二祭を合せて同月日に施行したのがはじまりで、爾来今日に至るまで毎年同時に行なうのが慣例になってしまった。正式にいえば二つに分けて考えなくてはならない。」と書かれているので同時に行なわれるようになった理由も解る訳である。尚この記事の中に獅子面が破損しているので昭和9年に之を新調したと書かれている。獅子面が破損するほどそれ以前に舞い続けたことを想像せずにはいられない。別所には院内に立派な「市神」のお旅所が設けられてあり、三頭獅子舞が以前から行なわれていたことが想像に難くない。(別所の外に、前山、保野等いずれも三頭獅子舞の行なわれた所であるが、共に "市神" を今に伝えている。)
(※以下略)

郡村誌 小県郡(別所村 他)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03ADM110A35230
別所村誌(明治14 1881) 65コマ
飛宮社(中略)祭神 天太玉命 天児屋根命 大雷命 里俗傳に永享元年の創立にして 始めは加茂祠(※かものやしろ?)と称す 故あつて飛ノ宮と改めたりと云ふ 祭日十月廿九日

飯島寅次郎『別所温泉誌』(明治33 1900)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765305/20
飛宮社 祭神天太玉命、天兒屋根命、大雷命、永享元年の創立といふ祭日十月二十九日
明治三十二年本社を別所神社境内に移したり


井出道貞『信濃奇勝録 巻之三』
(男(夫)神岳 女神岳 相染川 結神祠(むすぶのじんし) 美欄樹)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765066/35

(※参考)
箱山貴太郎編『上田市付近の伝承』(昭和48 1973) 17頁より
小玉にある峯の七ツ石の一ツ、われ石というのは約二百貫位の石が真中から二ツに割れていて、此の割れた間に小さな祠があって諏訪明神が祀ってあって、その祠の中には、小豆粒ぐらいの小石が一面に敷いてあって、その上に丸い石や卵形の石が十四五入っている、石は安山岩が川の中の滝壺などで水にもまれているうちに自然と丸くなったもので、川から拾って来たものである。此の地方では、神社の本殿の中には殆んど、このような丸い石が収められている場合が多い。

日本遺産ストーリー、子供銀行券、ハーメルンの笛吹き男 (日本遺産スペシャル)
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_31.html
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html
夕日いろいろ 信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
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曲がった直線、裸の王様、袈裟供養
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日本遺産 レイラインの幅
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日本遺産 ストーリーのデパートメント化
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2021年1月8日金曜日

Godzilla cloud above Mount Tokkozan

Godzilla cloud
ゴジラ雲?

武石 小沢根方面の山並み
武石 小沢根方面の山並み

できたらいいなと思うものの一つは、風景のライブカメラです。
太陽、大地、空、雲のバーチャル美術館のような。
太郎山、逆さ霧、浅間山、独鈷山、千曲川、池、公園のライトアップ等。ライブ配信を見てきれいだと感じた風景は、機会があれば実際に見てみたい、と思うのではないでしょうか。

塩田平に限らず、例えば武石の山脈は三角山の Choo Choo TRAIN Dance のように見えたり、他にも美術の文脈から少し離れたものも含めて、ネットで鑑賞・記録できたら面白そうな風景は各地にあるのではないかと。そういうポータル、ハブを目指してみるとか。(写真はドローン撮影やトリミング・加工でバーチャルにより近付いていて、現地で体感できる日常的な自然風景はそれはそれで大切になるのかも。)
設置場所は、人家に向けるのは避けて、高所や広場(川、池、農地、公園等)を探すことになるでしょうか。

観光シミュレーション訓練?を繰り返し行ってみると、目標とする将来像や不足が見えてきて、計画や予算の優先順位付けの根拠も見えてくるかも。(PRや看板の前に、観光用コンテンツ製作、観光コンセプトが発生・集積する仕組み作り、ランドマーク施設・グッズ・郷土料理・スイーツ等の積極的な発掘が優先のような気がします…
各文化財の必見ポイントの一覧の作成(誤り訂正手続きのガイドライン必須で…)、小規模でいいのでここだけのマニアックな美術・博物展示とか、大正・昭和デザインのオープンカフェにもできるような休憩施設とか、子供が記念撮影できるような龍のオブジェとか、真田幸村デザインのランチとか…)

日本遺産ストーリー、子供銀行券、ハーメルンの笛吹き男 (日本遺産スペシャル)
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日本遺産 レイラインの幅
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2020年12月31日木曜日

日本遺産ストーリー、子供銀行券、ハーメルンの笛吹き男

烏帽子岳
夕暮れの赤烏帽子

BS-TBS「2020 日本遺産スペシャル 列島104の鼓動 今こそ知りたい!日本の記憶」(2020.12.27)の上田市の分を見ました。
レイラインを紹介する地図(鳥瞰図)で、位置が正しいのは別所温泉の一部(安楽寺?)だけで、信濃国分寺は神川の東側の岩下付近へ移動(南東約1km)、生島足島神社は五加の別所線の橋の付近へ移動(北西約800m)しているようでした。
図はイメージ、ということかもしれませんが、結果的に、事実を歪曲して直線状に並んでいるように見せかけ、それで誘客しているのでは?(上田市のPR動画でも同じ図を使用。JARO通報案件?)

地図を見れば、直線でないことは明白ですが… あちこちで絶賛フィルター中?

自治体のブランドイメージが悪化すれば地域全体に影響。計画の精査と受容性調査は、希望的観測は厳禁で、徹底すべきことなのでは。
水源地の不安も影響は大きく、知名度が上がれば悪影響はさらに増大。これも繰り返し検証が必要ではないかと。

主に生島足島神社、別所温泉、信濃国分寺の紹介で、構成文化財以外では、登録有形文化財(建造物)(2006年登録)の旅館花屋が紹介されていました。(南条吉左衛門 等の蚕種業の話は省略。)

別所温泉に限らず、この機会に地元の温泉巡りも良いのではないでしょうか。
安心してというわけには行かないかもしれませんが、地元観光は、今行かないなら、今後も行くことは多分無く、実は今しかないのかも…
(初詣等、年末年始の集まりはさすがに怖いです。時間と場所が限定なので、少しの人出でも集中するのは当然。危機意識少な目になっているかもしれませんし…)

その他、疑問点、不明点など。
「ジエンダイシ」とは?
安楽寺の惟仙・恵仁和尚と常楽寺との関係を示す史料は?(惟仙和尚が幼時常楽寺で学んだという話があり、関係はあったと思いますが)
「中国にも名声の届く」の根拠の史料は?
大日如来像が(密教系の)本堂や塔にあることは特徴的と言える?
常楽寺本尊の妙観察智弥陀如来について「妙観察智とは大日如来の五つの知恵の一つとされる如来」と解説していましたが、常楽寺では同じ説明をしている?(真言宗の概念で天台宗を解釈? 『常楽寺総攬』には「阿弥陀仏の智徳を表す」(26頁)という表現もありました。ちなみに以下の解説も。「天台宗には独特の法冠阿弥陀如来像があり、四種三昧のひとつ、常行三昧を行う道場、つまり常行堂の本尊がそれである。」(78頁))
福田(川辺・泉田地域)の宝池から西の方、川西地域方面の映像に「信州上田 塩田平」と表示されていました。上田市には含まれますし、観光客にとっては区別の必要はないのでしょうけど。塩田地域の池の映像もありました。倉保根池、共有池(ともいけ・きょうゆういけ。ハート池とも。上空からの映像と地上で太郎山方向の映像)など。
岳の幟の紹介のときに夫神岳の映像が無く、独鈷山が表示されていました。(女神岳の三角のような影もありました。)

夕日いろいろ 信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_19.html

2020年12月25日金曜日

論社と偽因果

科野大宮社 棟札「大宮 生嶋足嶋神社」
科野大宮社 棟札「大宮 生嶋足嶋神社」(UCV「科野大宮社 収蔵品のお披露目」(2019)より)

日本遺産 構成文化財一覧の生島足島神社の解説にある「生島大神と足島大神を祀る神社は全国的にも珍しく」から連想されるのは、江戸時代の社号争いの話です。このときの結果によっては、社号・祭神が入れ替わったり、今も論社が複数あった可能性も。(塩野神社みたいに)
(下之郷明神が生島足島神社の名称を許可されたのが寛政11年(1799)、上本郷の諏訪大明神(明和2年棟札)が泥宮(寛政2年棟札)になったのも同時期で、もしかして一連の動き?)

上田市の科野大宮社が「秋季大祭」2019を開く!
https://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000586745.html

『上田市史 上』(昭和15 1940) 133-134頁より
若し臆測を馳するならば、武田信玄が天文廿二年、下之郷の地に来たりし時、其所に鎮座する神社の名を尋ねた時、下之郷明神と聞き、諏訪神勧請の社と合点して、自分信仰の神なるより、直に社領安堵の状を出したものか、さもなくば、此社人等が、信玄の諏訪神信仰の篤きを知り、諏訪神勧進の社と称して社領の安堵を図りし者か、若し又然らざれば、此当時土地の人は勿論、神主等も何神を祭れるやも知らざるに至り、下之郷名神を下之郷明神と称して奉祀し終に、諏訪明神と誤るに至ったものか、若し延喜の頃より生島足島神社と正しく伝はり来たものならば、寛政の頃に至て神号に就て、他の喙(くちばし)を容るゝ余地のあるべき筈が無いと考へられる。信玄祈願状中の下之郷諏訪法性大明神を、生島足島神社を指した者と為す時は、願状中の下之郷両社とは、諏訪神社の上社下社の両社と云ふ事に成り、生島足島神社は存在を失ふことになる。

生島足島の神社号
 此社の重大儀たる、御遷り神事に拠り、上宮を生島足島二神の社殿、下宮を諏訪神の社殿と為すこと、穏当なるべしと思ふ。此社は、藩政時代の寛政以前の頃は、唯下之郷明神とのみ呼んで居たのであるが、寛政十一年正月十九日、京都吉田家より、生島足島神社の旧号に復する許可を得て、茲に生島足島神社と称する事となった。此時の上田原町問屋日記に
 一、下之郷明神生島足島之神社に相成り、信州二ノ宮小県惣社と唱へ神事有之由に候事
とあれば、此時には、信州二ノ宮で、小県総社と云ふたのである。

神社号の異議
 此神社号に就ては、常田村 今上田市内 大宮神主、川上対馬の故障申立てありしも、寛政十一年、下之郷明神は、生島足島神と認められた。後文化六年再び川上対馬、神社号に就て異議を唱へ、京都表に於て、下之郷神主工藤近江と論争の末、訳《ワケ》(分)社号と為す事となり、常田大宮を生国大明神と称するに協定したが、近江帰村の後、村人社人悉く之に反対し、訳社号を承認せず大騒となった。依て近江は出奔し、訳社号の件は中止と成った。此後天保四年三たび社号の儀に就き、常田大宮神主川上将監が争ふことがあったが、下之郷生島足島神社の社号は、依然変ることは、無かったのである。(生島足島神社史料)


『広報うえだ 令和2年11月』「知ってる?上田市の日本遺産③」等で令和元年10月の百八手に触れていました。このイベント(10月5日)は不都合な偽因果の事例で注目しています。
鳥居の方位にパワーを感じる人達は、不都合な偽因果をどう見るのでしょう。
良いことは信じて悪いことは信じないとか、認知フィルターによって自然に完全スルーできるとか。
多少は気になって、この時期は避けようという話が出てくるとか。

広報うえだ 令和2年 12月(生島足島神社) 11月(百八手)
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/koho/12263.html

安曽神社社叢越しの安曽岡山の写真を独鈷山と呼ぶのはどうなのでしょう。続いてはいますが…

2020年12月19日土曜日

夕日いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー

女神岳に沈む夕日
女神岳に沈む夕日(冬期。Leylineとは無関係)

女神岳に沈む夕日
女神岳に沈む夕日(右は夫神岳)

夫神岳に沈む夕日
夫神岳に沈む夕日(川西地域)

安曽岡山に沈む夕日
安曽岡山に沈む夕日

大六のケヤキに沈む夕日
大六のケヤキ(上田市天然記念物)に沈む夕日

半過岩鼻に沈む夕日?
半過岩鼻(長野県天然記念物)に沈む夕日?(千曲川)

生島足島神社 冬至
生島足島神社西鳥居。冬至日没は女神岳よりも南。この方向に別所温泉は無い(UCV「太陽の線」(1993)より)

生島足島神社参道と泥宮
生島足島神社参道の先は、泥宮よりも南、手塚八幡社付近を通る

21日が冬至で、1週間前後なら夕日の位置は大きくは違わないので(約0.3度の範囲内。太陽の見かけの大きさの約半分)そろそろ生島足島神社の鳥居を見に行こうかと思っています。(結局、行けないかもしれませんが…)

※田んぼ中の道路は、交差車両が見えにくく、ノーブレーキの大事故も起きています。優先側でも身を守るために厳重な注意が必要。

このイベントは直接的には、1年に2日、というか、1年に合計1時間ほど。人数に上限があるかもしれず、もしも盛況ならお稲荷さんみたいに鳥居を増やしてみるとか…

地図を見ても、現実の風景を見ても、この参道の先に別所温泉があるとか、女神岳があるとか、言われた通りに信じて疑わない人も本当にいるのかも…


UCVアーカイブ「太陽の線」(1993 相原文哉氏出演)の録画を見せて頂きました。
それによると、
・国分神社(八幡社)と金堂跡を結ぶ方角は真西より30度南方向
・生島足島神社の参道は真西より約27,8度南向き
・泥宮の本殿の向きは真東より北へ25度 (※実際は26度前後? 本殿と鳥居にズレ?)

国分神社30度、生島足島神社27.5度、泥宮25度で、これらが並ぶ直線の角度は約25度。
つまり、だいたい直線的に並んでいますが、生島足島神社と国分神社の向きは別々で、泥宮だけが生島足島神社と国分神社の方を向いているという状態。(信濃国分寺跡-生島足島神社-泥宮のレイライン(ley line) と、生島足島神社参道のレイライン(夏至冬至の太陽の線(疑似))はズレていて、同じものではないということ。)

このことから考えると、例えば、生島足島神社(参道)と国分神社・国分寺はそれぞれ夏至冬至の太陽を意識して(他の寺社・女神岳とは無関係に)作られた。泥宮は生島足島神社に向けて建立(または再配置)された。3つが直線状に並んだのは偶然。という可能性もあるのではないかと。(立地を決定するほど重要な要因なら、神社内にも影響があるはずですが、信濃国分寺と生島足島神社にはそれが見られません。)


日本遺産はインバウンド向けの観光案内とのことで外国語版があると思いますが(そちらが主?)、「レイライン」は ley line と ray line どちらなのでしょう?
例えば Along the sunray-lines (with a distance of 1 mile or more) とか?

最近の資料で、レイラインを(前置きなしに)「夏至の朝日が照らす光の線」と説明していますが、ley line の元々の意味は土地の(線的な)並びで、言葉に夏至や冬至の意味はなく、厳密に言えば嘘。レイラインを知らない市民や観光客への説明としては不誠実では? 顧客に誤解を与えないように気を配るのは最低限のルールのはず。言葉のプロであるはずのメディア関係者も黙認?

朝日いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/blog-post.html