2020年11月15日日曜日

曲がった直線、裸の王様、袈裟供養(けさくよう)

The 2020 July issue of Public Information Ueda City, Nagano, Japan 信州上田 鹽田平 日本遺產
広報うえだ(令和2年7月)より。ラインというよりベルト?

The 2020 July issue of Public Information Ueda City, Nagano, Japan 信州上田 鹽田平 日本遺產
日本遺産ストーリーの"直線"?

The ley line (swerving?) in Shioda plain, Ueda City, Nagano, Japan 信州上田 鹽田平 日本遺產
龍脈(Leyline) 直線? fake? ※一点だけ直線から外れた状況を「一本の直線状」と認識する可能性はほぼ無いのでは?


気になったことを2つ。

子供たちが、曲がった直線を見て何も言わずに受け入れるようなら、小さなことだと放置しないで、心配した方が良いのではないでしょうか。(ストーリー冒頭に「大げさ、まぎらわしい」があるのは重いことなのでは?)

不合理性が人選のフィルターになって、曲がった直線を許容できる人の多い集団ができるかもしれません。(トップが突出して有能だったり、ワンマンだったりすると、イエスマンばかりの集団ができるのと似た現象。お金も絡んで、意識の分断(分布が偏れば地域的分断)が醸成されるリスクも。「上田市日本遺産パンフレット」を見たら、誤りが多く、無校正状態…(ラインの傾きが20度(信濃国分寺跡と生島足島神社の間は実際は約25度)、前山寺を中禅寺の西に表示、表紙は"斜め鳥居"(斜めから見た鳥居と朝日の写真)、夕日の写真の横に「(レイラインとは)夏至の朝日が照らす光の線」と表記、等) もしかして対象地域の人は手を引いてしまった? または最初から無関与?)


区別して確認した方が良いこと。(何があって何が無いのか、事実確認)
1. (内容の)史実の有無
2. 物・現象の有無
3. 伝承の有無(伝統的な俗信の有無)
4. 伝承の伝承の有無("伝承があったらしい"という記録の有無)
5. 伝承の研究の有無(いつ誰がどんな仮説を提唱したのか)
6. 直近の情報源
(脳内妄想レイライン(位置を曖昧にしないと成り立たないレイライン。直線でないものを直線に偽装)、フェイク遺産(レイラインという現代の仮説を地域文化に偽装)になっていないか等の検証)

ガイドブック・新聞等の記事ではこれらの区別が曖昧なことが多いので、理解するには、複数の仮説・文脈を考えたり、ものすごく面倒…

歴史を知るということは、史実の不確かさと人間の妄信に向き合う ということでもあるかと。
疑似科学の特徴の一つは、事実と仮説の集まりを、まとめて確実なものとして扱うこと。例えば、建物の向きが事実で、向きの理由が仮説であるとき、事実と仮説の区別(人には苦手なこと)を曖昧にして、全体が確実であるかのように錯覚させる。(疑似科学は現実よりも"わかりやすい"。対策は、複数の仮説を提示して相対化する。相対化されない仮説は疑似科学に近付く。)
曖昧な話で相手を誤った主張(ストローマン論法等)に誘導し脱落させる、というテクニック(結果的にそうなっている?)もあるとか。
事実の列挙は事実を切り貼りしたフィクションに近いものである可能性も。(聞き取り調査結果 等)
極端な事例を提示して否定してみせるのは、強制的に同意させて、頭ごなしの拒絶を回避するための話法の一つ。(偽説でも多用。)
「根拠の否定=偽説の否定」という誤解は、偽説が存続する温床でもあるかも。
カルト弱者(霊感商法の顧客やインフルエンサーになりやすい人)は一定数いて、利益も大きいので、そういうビジネスも集まってくる?(明確なB級志向?)
呼称は「日本遺産」よりも「日本遺産ストーリー」の方がベターかも。(レイラインを日本遺産だと誤解する人も多いようなので。「レイライン」「聖地」は上田市歴史文化基本構想(2019)にまったく無かった話。文化財とか文化遺産とかではないです。)
"初公認レイライン"という本物?の"レイライン聖地"になったというアルケミー?(認定取消でも"レイライン聖地"はたぶん確定…)
この看板で人が来るのか、この看板に地域が耐えられるのか、という実験?
自由に発想する遊び・楽しみ(逃避?)は大切ですが、一線を越えてお金や社会を絡めれば、放置で済まなくなるのも自然の流れ…

日本遺産ストーリーの概要・詳細の文章を改めて読んでみましたが、面白さを感じる人はいるのかもしれませんが、好感を持つ人は本当にいるのでしょうか? 袈裟供養(けさくよう)と同様、看板を歓迎しているだけの人も多いのでは…
この中の「特別」という言葉が個人的にはダメなようで、他の観光地との差別化を狙っているのかもしれませんが、他の意味でも差別的に感じてしまいます。
夏至の朝日が通らない、聖地ではない場所ってどこ?
伝承でもない、「かもしれない」話で、特別に思ったり、誇りに思ったりできる? 大人は咀嚼できても、これを最初に教えられ、刷り込まれる子供たちはどうすればいい? 100年前の教育と同じようなことをまたやろうとしているような…

上田付近の良さは、風景が穏やかで、大きくなく小さくなく、おおらかさもあり、閉鎖性もあり、等身大の、ちょうどいい感じ、のような気がしています。特別というより普通の聖地という印象。強引な理由付けとは相性が悪く、逆効果にもなるのでは…

レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」信州上田
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/nihonisan/
祝 日本遺産認定 (上田市)
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/shogaku/30087.html

日本遺産 レイラインの幅
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_15.html
日本遺産 ストーリーのデパートメント化
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_12.html
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html
自由研究と疑似科学
https://kengaku2.blogspot.com/2020/08/blog-post_17.html


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