2020年10月27日火曜日

新しい鞍が淵伝説

鞍が淵の案内板(上田市行政チャンネルより)
鞍が淵の現地案内板(上田市行政チャンネルより)

鞍が淵付近の川(上田市行政チャンネルより)
鞍が淵付近の川(上田市行政チャンネルより)

蛇骨石(母龍と小太郎)
蛇骨石(母龍と小太郎 写真幅約5cm)

(※冬は路面凍結・落石の箇所が多く、自動車は危険。通行止めでなくても)

上田市行政チャンネルの動画で、小泉小太郎・蛇骨石の話がありましたが、これまでの鞍が淵伝説とは異なる伝説が紹介されていました。
日本遺産ストーリーに合わせて、伝承も都合良く上書きされて行くのでしょうか…

動画中の「龍の子太郎ではお母さんは龍ではなく大蛇なんだけどね」は「小泉小太郎では~」の誤り? 龍の子太郎の母親は龍(元は人)。小泉小太郎の母親は犀龍や大蛇。(女神が蛇の姿になって出産する神話による?)

小泉小太郎と母龍が(松本で)湖を壊すという話は、瀬川拓男・松谷みよ子『信濃の民話』(1957)にある話で、各地の伝説を合わせて作った創作民話です。それを基に影絵芝居や紙芝居が作られました。
この創作民話には産川・蛇骨石の由来話は含まれていませんが、今回の上田市の動画ではそれが(新たに?)追加されていました。
蛇骨石は大蛇が岩に体を打ち付けて割った石、という話で(鞍が淵上流に湖があって、水を流すために岩に体を打ち付けて骨が埋め込まれた?)、出典はわかりません。
出典が示されないなら、この新しい伝説は、今回の日本遺産認定に合わせて捏造されたもの、と確定して良いでしょうか?(魅力アップと地域文化の尊重とを両立することはできないでしょうか? 日本遺産は創作推奨? 偽装不問?)
干ばつ地域にとって上流に湖があればそれは命綱の水源です。だから沢山池を造ったのでは? 湖を壊され、下流は大洪水。つまり大迷惑の大破壊。そんなことも想像できないほど、昔の人は脳内お花畑だった?

現代の創作であっても、出版物等に書かれると、地域外の人はそれを本物と思い込んで拡散し、地元でも実情に合わない偽物の伝承を信じるようになります。「古くからの伝承」には外部から繰り返し書き換えられてきたものも多くあるのかも…

捏造体質の地域振興は、選挙でたとえるなら、候補者のために誇大宣伝をして、嘘がばれて逆に評判を落とす、という困った支援者のようなもの…

鞍が淵(現地案内板と同様の伝説)
http://db.umic.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=2064006

行ちゃんと辿る日本遺産のストーリー②「龍と生きるまち」
https://www.youtube.com/watch?v=Hmr-cLXjSIk

ホームページ作品のご紹介 電子紙芝居「小泉小太郎物語」
https://museum.umic.jp/sakuhin/responsive/web.html
https://museum.umic.jp/kotaro/kaisetsu.htm


電子紙芝居「小泉小太郎物語」の解説に「原作では、村人達は湖の水が流れ出してその後に、広い田畑が出きる事を一番願っていたが、塩田の子どもたちはそれより水不足に苦しむ、農民の水への願望を強く打ち出すよう、自分達の土地の言葉でせりふを作った。」とありました。
実情に合わない部分が修正される一例でしょうか。ただし、文字化された話は柔軟には変化できないので、部分的な修正は不整合になることがあります。この紙芝居も、干ばつ時に川(犀川)ができて大水が出たという話にとどまり、その後の(塩田平などの)水不足解消に繋がる話はありません。人々の願いとストーリーの結末との関係は曖昧で、それは今回の新しい鞍が淵伝説でも同じ。

実は元々の鞍が淵伝説にも同類の不自然な点があります。蛇、僧、川が登場するのに、神仏や雨乞い等の信仰に関係する内容が全く無いのです。水の伝承の多い地域に流布して時間が経てば、信仰に関する内容が付加される方が自然です。それが無いということは、(農業と直接的関係のない)特定の場所で発生し、短時間で(流布する前に)文字化・固定化されたのかもしれません。

江戸時代には家伝薬の宣伝で伝説を利用することがあったようです。例えば別所温泉の当時のガイドブック『信濃国小県郡出浦郷別所七久里温泉並名所畧記』(弘化年間?)では、北向観音・別所温泉の縁起の中に「北斗丸」「七久里膏」という家伝薬の由緒が組み込まれています。
蛇骨石は傷薬と言われているので(手塚村誌等)、根拠はありませんが、鞍が淵伝説は家伝薬・民間薬の由緒が始まりという可能性も。

蛇骨石の鉱物について
・本草学の蛇骨は、主に珪華です。石灰華なども蛇骨と言われることがあるようです。(独鈷山の蛇骨石は珪華ではありませんが、同様に傷薬と言われました。)
・独鈷山の蛇骨石は沸石等の白い鉱物の塊りです。上田市誌等で簡略に灰沸石とだけ説明していることがありますが、他の鉱物であったり、複数の鉱物を含むことが普通にあります。
・よく見かける放射状柱状結晶の鉱物は、中沸石や灰沸石の報告があります。見た目で見分けるのは難しいです。
・曹達沸石・中沸石・灰沸石の区別が明確になったのは戦後のことで、古い資料では「曹達沸石の部類」(明治31年 神保小虎)や、単に「曹達沸石」と書かれていることがあります。トムソン沸石とされたこともあります。(明治24年 帝国博物館天産部金石岩石及化石標本目録)

『広報うえだ 2020年10月号』39頁に「産川(小太郎が大蛇である母から生まれた川)や、鞍が淵と蛇骨石(大蛇の住いと蛇の骨のような石)からは、口伝だけでなく、川や石の名前にして、伝説を永く伝えていこうとする思いを感じることができます。」とありますが、逆(名称が先で伝説が後)もあり得ます。伝説が先だとすると「蛇のお産」を淵や場所ではなく川の名前にする理由が不明確、また単に「産」とするのも不自然。伝説には龍と蛇がある一方で石名は蛇骨だけ(龍骨は未確認)なので、石名が先(または伝説とは無関係に発生)の可能性も。伝説が先としても、特別な思いが無くても特徴的な石に名前が付けられることは普通にあります。(どれも恣意的な推測かも。)

甲田池の河童も奇妙な伝説です。周囲は水田ばかりで、池の水が無い時期も多く、近くの産川も夏には「笊水」になるという、河童が棲むには過酷すぎる環境。
話者名の記録があるので、今でも調査すれば、もしかしたら採話時のことが何かわかるかもしれません。

現在・未来に合うように過去を"調整"することは、これまでもこれからも、世界中どこでも行われ続けるのでしょう…


ところで、動画では、産川(さんがわ)の水が濁っていましたが、沢山(さやま)池で泥水を流していたのかも。ため池は常に土砂が入って貯水容量が減って行くので、泥水にして流し出したり、土砂の除去を継続的に行う必要があります。最近はどうか知りませんが、冬に産川へ行って、この泥が厚く堆積しているのを見たことがあります。水生生物には生息しやすいもの、しにくいものがあるかもしれません。鞍が淵も昔は人が泳いで遊べるほど深い淵で、竜宮に繋がっているとも言われたそうですが、戦後に沢山池で泥流しを始めるとすっかり埋まってしまったそうです。

小泉小太郎と泉小太郎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32564782
伝承の保護者と破壊者
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34754513
小泉小太郎と蛇骨石
https://kengaku2.blogspot.com/2019/07/blog-post.html
舌喰池の伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2019/09/blog-post_29.html
日本遺産ストーリー 子供銀行券 (日本遺産スペシャル)
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_31.html
日本遺産 レイラインの幅
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_15.html
鷲岩と雨乞い多様性
https://kengaku2.blogspot.com/2020/08/blog-post_19.html
龍王山、レイライン
https://kengaku2.blogspot.com/2020/06/blog-post_20.html

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。