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2025年4月29日火曜日

アーカイブ・エディティング

上田地域千曲川自然電子図鑑 上田地域の地形・地質
「上田地域千曲川自然電子図鑑 上田地域の地形・地質」(非公開中?)

gooブログ(2004年3月~)が終了するそうで、また、多くの記録が消滅します。イベントレポートとか、団体の活動記録とか、重要性は不明確でも、失うには惜しいものもたくさんあるのでは……
図書館、博物館、学校等で、本等の媒体を収蔵するように、一定の有用性があるウェブコンテンツを普段から収集するようなことはできないでしょうか……

・個人や団体が作ったコンテンツを収集して、長く再利用できるような仕組みがほしい。
・即興的で完成度・信頼度が中程度のコンテンツが主な対象。
・ここで言う「アーカイブ・エディティング」は、デジタルアーカイブについての作業全般のこと。設計、運用、コンテンツの作成、作成依頼、収集、編集、保守、利用等。
・現在のウェブサービスと範囲は同じで、コンテンツの蓄積を前提としていることが特徴。各種サービス+アーカイブ機能。

残したいコンテンツというのは、例えば……

上田地域千曲川自然電子図鑑
http://edu.umic.jp/zukan/

上田小県地方の希少生物
http://kisyoseibutu.web.fc2.com/
(上田・小県の自然 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2876/index.html)

上田地域千曲川自然電子図鑑が見つからない?
https://kengaku2.blogspot.com/2023/12/blog-post.html


今年の花見…
花曇りいずこの鐘の響くやら
命にも無為の時あり春嵐
降りかかる花の香りの時雨かな


仏像は動く、菩薩立像の謎
https://kengaku2.blogspot.com/2025/03/blog-post.html
幻のクジラ化石名?
https://kengaku2.blogspot.com/2024/10/blog-post.html
大正13年大干ばつ100年 ~お地蔵様と生きるまち?
https://kengaku2.blogspot.com/2024/03/13100.html
もう一人の林東馬の謎
https://kengaku2.blogspot.com/2024/07/blog-post.html
北条国時、北条時春の勅撰集和歌
https://kengaku2.blogspot.com/2024/06/blog-post_24.html
もの恋し火ともしころを散る桜
https://kengaku2.blogspot.com/2024/05/blog-post.html


2023年12月5日火曜日

上田地域千曲川自然電子図鑑が見つからない?

上田地域千曲川自然電子図鑑
上田地域千曲川自然電子図鑑のトップページ

「上田地域千曲川自然電子図鑑」が見つからず… 消えている?(旧URL http://edu.umic.jp/zukan/)
変更はリニューアル時でしょうか? 「ウェブサイト 34点」とありますが、現状は29? (上田市景観マップとロケ地探訪マップは一覧にはないですが、ページはありました。黙って変更・終了? デジタルアーカイブ事業を担っている所が?)

ホームページ「上田市デジタルアーカイブポータルサイト」をリニューアルしました(2023.6.16)
https://www.umic.jp/umic/topics/2023/post-1740616.html
上田市景観マップ
https://map.umic.jp/
信州上田 ロケ地探訪マップ
https://map.umic.jp/location/


デジタルアーカイブの評価方法、基準、指標 等について、長期利用はもちろん、他にも不十分に感じる点は多いです。 実験的な取り組みを抑制しすぎるのはよくないですが…

致命的になりそうな問題
・最大データ量での運用テストは行っている?(件数増加で利用困難になる?)
・誤情報が非常に多く、"他人まかせ"では訂正が追い付かず、必要な品質を確保できない?

デジタルアーカイブ推進に当たってのガイドライン等
デジタルアーカイブアセスメントツール(ver3.0)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/digitalarchive_suisiniinkai/index.html


2023年10月31日火曜日

長野県地学標本 寄付金の謎

「通俗滑稽信州地質学の話 五無斎復讐心に富む事」(信濃毎日新聞 明治36年1月11日)
「通俗滑稽信州地質学の話 五無斎復讐心に富む事」(信濃毎日新聞 明治36年1月11日)


保科百助(1868-1911)「長野県地学標本」製作での"寄付金破約"の経緯は、今も未調査のまま…
避けては通れない話なので、あまり根拠のない推測ですが、書いてみます。

軍への寄付に備えるように、教員に対して指示・示唆があった可能性は考えられないでしょうか。
・日清戦争(明治27年~28年)では、学校で寄付金を取りまとめることが多く行われました。
・採集旅行(明治34年~35年)は、義和団の乱(明治33年~34年)、日英同盟(明治35年1月30日)の頃。日露戦争は明治37年2月~明治38年10月。
・明治34年5月に採集旅行を開始。夏頃(7月~9月頃?)には資金が枯渇したので、破約は5月~6月の頃でしょうか。(「二ヶ月間許りは長野市の某下宿屋に下宿籠城となりたり僅々数円の下宿料にも究するなり」『信濃毎日新聞』明治36年1月11日1面)
・寄付をしたのは師範学校同窓生等で教育関係者。明治34年4月30日の退職広告で上層部に反感を持たれ、協力しないように圧力をかけられた? そのための口実として軍への寄付の準備が利用されたとか…
・標本頒布の募集でも同様の圧力の恐れがあり、その対策として、皇室への献納を行ったのではないでしょうか。(発案が保科百助かどうかはわかりませんが。)

長野県地学標本の寄付金の謎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/30556999


『信濃毎日新聞』明治36年1月11日1面より

通俗滑稽信州地質學の話
  五無齋保科百助述
⦅四⦆五無齋復讐心に富む事
孔子《こうし》曰《いは》く怨《うら》みをかくして其人《そのひと》を友《とも》とするは
左丘明《さきうめい》之《これ》を愧《は》づ丘《きう》も亦《また》之《これ》を愧《は》づと五無齋《ごむさい》に
至《いた》つては怨《うら》みある人《ひと》を友《とも》とする事《こと》を好《この》まざ
るのみならず面當《つらあて》に復讐的《ふくしうてき》に一と仕事《しごと》仕事《しごと》
をして見《み》せてやらんと欲《ほつ》するなり前段《ぜんだん》にも
記《しる》し置《お》きたりしが如《ごと》く予《よ》は漫遊《まんいう》の旅費《りよひ》とし
て山禎《さんてい》以下《いか》八九人《にん》の諸君《しよくん》より助力《ぢよりよく》を得《え》て四
百五十圓《ゑん》許《ばか》りの額《かく》に達《たつ》したりければ是《これ》さへ
あればとて大《おほい》に喜《よろこ》び乃《すなは》ち漫遊《まんいう》の途《と》に上《のぼ》りた
り當時《たうじ》予《よ》の心中《しんちう》には口《くち》でこそ四百五拾圓《ゑん》な
れ親子兄弟《おやこきやうだい》の關係《くわんけい》あるに非《あら》ず刎頸《ふんけい》の交《まぢは》りあ
りと言《い》ふにもあらず言《い》はゞ普通《ふつう》一偏《ぺん》の寄附《きふ》
金《きん》や草鞋錢《わろじせん》なり寄附金《きふきん》や草鞋錢《わろじせん》としては少《すこ》
しく巨額《きよがく》なるを感《かん》ず若《し》かず一日《にち》も早《はや》く漫遊《まんいう》
を終《をは》り採集《さいしう》を果《はた》して是《こ》れ等《ら》の人《ひと》に報《むく》ゆると
ころなかるべからずと日毎々々《ひごと/\/\》に金槌《かなづち》を振《ふ》
り廻《ま》はし歩《ある》きたるに標本《へうほん》は愈《いよ/\》集《あつ》まりて愈《いよ/\》
多《おほ》く百種《しゆ》位《くらゐ》にては止《とゞ》まるべくも見《み》えず三百
にも近《ち》かゝらん一日《にち》に一種《しゆ》宛《づゝ》を得《う》るとする
も三百日《にち》を要《えう》すべきに其後《そのご》寄附金《きふきん》は破約《はやく》の
緒《いとぐち》を開《ひら》きたり一昨年《さくねん》の夏頃《なつごろ》は随分《ずゐぶん》究厄《きうやく》に
陥《おちゐ》りたるなり二ヶ月間《げつかん》許《ばか》りは長野市《ながのし》の某《ぼう》下《げ》
宿屋《しゆくや》に下宿籠城《げしゆくろうじやう》となりたり僅々《きん/\》數圓《すうゑん》の下宿《げしゆく》
料《れう》にも究《きう》するなり俸給《ほうきふ》を取《と》り居《を》る身《み》にても
あらば友人《いうじん》を訪《と》ふて借《か》りもしまじを収入《しうにふ》な
き身《み》の金《かね》を借《か》りに行《ゆ》くは返《かへ》すべき目當《みあ》ても
なければ体《てい》のよき乞食《こじき》なり然《しか》らば惡《わ》るロ職《くちしよく》
を辞《じ》して還俗《けんぞく》せんか曰《い》はく否《いな》大《おほい》に否《いな》抑々《そも/\》惡《わ》
る口《くち》の職《しよく》たる何《いづ》れの官省《くわんしやう》よりも辞令《じれい》を受《う》
けたる事《こと》なければ名宛《なあて》を認《したゝ》むるによしなく
名宛《なあて》のなき辞表《じへう》は郵便集配人《いうびんしふはいにん》も大《おほい》に當惑《たうわく》せ
ん然《しか》らば漫遊《まんいう》を繼續《けいぞく》せんか旅費《りよひ》の續《つゞ》かざる
を如何《いかん》せん進退《しんたい》維《こ》れ谷《きは》まりたれども亦《また》つく
/゛\思《おも》ふやう若《も》し此儘《このまゝ》にして打過《うちす》ぎなば世《せ》
人《じん》は予《よ》を何《なん》とか評《ひやう》せん法螺百《ほらひやく》は依然《いぜん》法螺百《ほらひやく》
にして天下《てんか》亦《また》予《よ》と齒《よはひ》せざるに至《いた》らん然《しか》れど
も法螺《ほら》の豫告《よこく》に變《へん》じたる事《こと》歷史上《れきしじやう》其例《そのれい》に乏《とぼ》
しからず新言海《しんぜんかい》に曰《いは》く法螺《ほら》の責任《せきにん》を果《はた》した
るもの之《これ》を豫告《よこく》と云《い》ふ豫告《よこく》なる哉《かな》豫告《よこく》なる
哉《かな》若《し》かず如何《いか》にもして漫遊《まんいう》を終《をは》り採集《さいしふ》を果《はた》
さんにはと例《れい》の山禎《さんてい》に泣《な》き付《つ》き旅費《りよひ》を整《とゝの》え
玆《こゝ》に芽出度《めでたく》二ヶ年《ねん》の漫遊《まんいう》を果《はた》し四百餘種《よしゆ》三
萬餘塊《よくわい》の標本《へうほん》を採集《さいしふ》し終《をは》るに至《いた》りたるなり
是《こ》れ予《よ》が破約者《はやくしや》に對《たい》しての復讐心《ふくしうしん》なり面當《つらあて》
的《てき》行為《かうゐ》なり然《しか》れども予《よ》は今後《こんごは》是等《これら》の諸君《しよくん》に
對《たい》しては感謝《かんしや》の意《い》を表《へう》せねばならぬなり。
そは是《これ》にて寄附金《きふきん》の募集《ぼしふ》すべからざるもの
なること人心《じんしん》の賴《たの》むに足《た》らざるものなる事《こと》と
の眞理《しんり》を發見《はつけん》したり今後《こんご》何等《なんら》の事業《じげふ》を經營《けいえい》
するに當《あた》つても予《よ》はチビ/\したる細《こま》かき
寄附金《きふきん》は募集《ぼしふ》せざるべし他人《たにん》の御影《おかげ》は蒙《かふむ》ら
ざるべし即《すなは》ち今回《こんくわい》破約者《はやくしや》に對《むか》つて發見《はつけん》した
る眞理《しんり》は挙々服膺《けん/\ふくやう》して終生《しうせい》忘却《ぼうきゃく》せざらんこと
を期《き》するものなり然《しか》れども讀者諸君《どくしやしよくん》怨《うら》みも
面當《つらあて》も漫遊《まんいう》を終《をは》り採集《さいしふ》を果《はた》すと同時《どうじ》消滅《せうめつ》し
て跡形《あとかた》もなし五無齋《ごむさい》の心事《しんじ》光風晴月《くわうふうせいげつ》の如《ごと》し

2023年5月3日水曜日

黒色頁岩の模型(2)

黒色頁岩の模型(取り外した状態と埋め込んだ状態)
黒色頁岩の模型(取り外した状態と埋め込んだ状態)

化石の代わりに玄能石を埋め込んでみました。
2つ合わせて、頁岩を割ると中から現れるというギミックになる… はずだったのですが、歪みのために、ぴったりには、はまらず…

魅力アップと情報発信の反比例
https://kengaku2.blogspot.com/2022/04/blog-post.html
箱入り模型
https://kengaku2.blogspot.com/2020/05/blog-post_24.html
高温石英の模型
https://kengaku2.blogspot.com/2020/06/blog-post.html
石の模型
https://kengaku2.blogspot.com/2020/04/blog-post_21.html


2023年4月22日土曜日

木の葉石

三葉マツの化石
三葉マツの化石(約18cm)
『坂城町胡桃沢化石群の調査報告』(1979)より

貝原益軒(1630~1714)『大和本草 巻之三』(宝永6 1709)に「木ノ葉石」があり、産地の中に「信濃善光寺ノ近所榊ト云處」がありますが、「榊」は坂城のことでしょうか。
「硯ニスヘシ」ともあって、化石を含む粘板岩や硬い泥岩をイメージしていたようです。
「木ノ葉石」の前にある「花紋石」には「其形状各其物ノ形體備レリ 魚ナト只其形似タルノミニ非ス 頭目鬐鱗尾ノ形皆眞ト相同シ」(鬐:魚の背びれ、馬のたてがみ など)とあるので、植物化石だけでなく、産地はわかりませんが、魚化石も見ていたようです。

貝原益軒は筑前の人で、貞享2年(1687)に中山道を歩き、後に『木曽路之記』(宝永6年1月自序 1709)を書いているので、どこかで誰かの標本を見たのか、それとも何かの書物からの引用か、と思って探してみたのですが、今のところ見つからず…

貝原益軒『大和本草 巻之三』(宝永6 1709)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2557465/1/20
木ノ葉石 其石ノスヂメ木葉ノ如シ 會津羽黒山ノ北ノ麓 筑紫宗像大宮司宅ノアト 信濃善光寺ノ近所榊ト云處ニ何レモ木ノ葉石アリ 其外諸州ニアリ ワリテ中ニモ同紋アリ 硯ニスヘシ 是花紋石ノ類ナルヘシ

貝原益軒『木曽路之記』(正徳3 1713)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2536871


地質見学には良い季節ですが、産地情報になるので発信は控えめにしています。(マナーの悪い人へのガイドにもなることを自覚して… あまり人を恐れないクマの出没も増えてきているようで、これまで以上の警戒も必要かも)
同様に、受け入れ態勢のない観光コース(候補?)も、少し人が増えるだけでも、トラブルや不快感に繋がったりするので、慎重に… (私有地の撮影・紹介等は、一度許可を取っても結局トラブルになることも… 合意不足、投棄、侵入、毀損、盗難等)

第三紀層地すべりの記事
https://kengaku2.blogspot.com/2023/04/blog-post.html
大行満 願海 生誕200年 没後150年
https://kengaku2.blogspot.com/2023/04/200-150.html
別所温泉駅 夫婦道祖神
https://kengaku2.blogspot.com/2023/03/blog-post.html
武石の石造文化財マップ(ブセキ など)
https://kengaku2.blogspot.com/2023/02/blog-post.html


2023年4月13日木曜日

第三紀層地すべりの記事

別所愛宕山で地すべり(広報うえだ 昭和50年7月16日)
地すべりの記事(広報うえだ 昭和50年7月16日)

昭和50年(1975)の広報うえだにあった地すべりの記事です。
別所層、青木層、小川層 等、地表近くの泥岩は水にはだんだん砕けて溶けて行きそう…
山沿いはどこでも「崖はいつか必ず崩れる」という言葉を忘れてはいけないのでしょう。

『広報うえだ 昭和50年7月16日』より
別所愛宕山で地すべり 人家に被害なし 「対策本部」設置、応急措置行う
 七月三日、降り続いた長雨のため地盤が軟弱化した県道別所鹿教湯線の別所愛宕山地籍(北向観音裏)で、幅六十メートル、長さ三十メートルにわたり地すべりが発生。
 現場に駆けつけた市長が直ちに「別所愛宕山地すべり現地対策本部」を設置しました。
 地すべり地籍の北側にある旅館一軒、県道をはさんで向い側にある農家、みやげ店など三軒の客や家族の避難、家財道具の運び出しを行う一方、建設事務所が地すべり警報装置を取り付けるとともに、地元消防団、上田消防署および、地元自治会、森林組合などが、愛宕山にある愛宕池の減水、現場の立木伐採、土のう積みなど応急措置を行いながら、三、四日にわたり警戒監視体制をとり、市役所本庁にも「対策本部」を設置しました。
 地すべりを最少限度に抑えるため、三日午後から、地すべり地籍の土砂を上から約十五メートル、約五千立方メートルを削り取る作業を行いました。
 この措置により、人家に対する災害は回避できました。削り取った土砂の取り除き作業を六日から行っていますが、土砂の量が多いため約十日間位かかる予定です。
 また、市長も応急措置の陣頭指揮を取りながら、避難した四軒を見舞い、突然の災害におどろいている家族の皆さんを励ましました。

上田市災害ハザードマップ ※ホームページに誤りがあるので「まとめてダウンロード」でも確認を。(「建物被害マップ」の一部が「洪水・土砂災害マップ」)
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/kiki/1434.html
上田地域(地すべり)(※「区域の名称」が一部変?)
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/kiki/2504.html


大行満 願海 生誕200年 没後150年
https://kengaku2.blogspot.com/2023/04/200-150.html
別所温泉駅 夫婦道祖神
https://kengaku2.blogspot.com/2023/03/blog-post.html
武石の石造文化財マップ(ブセキ など)
https://kengaku2.blogspot.com/2023/02/blog-post.html

2023年2月26日日曜日

武石の石造文化財マップ

異なる形のブセキを組み合わせた図(だるま?)
異なる形のブセキを組み合わせた図(だるま?)

「双体道祖神でめぐるおさんぽマップ」ができたとのこと。
(この企画で言っている「石造文化財」は「双体道祖神」?)
松本方面からの影響も大きいのでしょうか。
道沿いには他にも、道標、馬頭観音・大日如来などがありそう。

武石地域振興課 石造文化財マップの作製
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/ttiiki/

ブセキのキャラクターキーホルダーも作って配ったそうで、続編も期待… (フィギュア製作が可能なら(立科でも長野でも良いのですが)保科百助(五無斎)と岩石鉱物化石のシリーズはできないでしょうか。ファーブル昆虫記みたいな…)

昔はブセキを"緒締め"にしたとも言われます。実物を見たことはありませんが。
(元々黄鉄鉱なので、穴をあけたり表面を加工すると分解しやすくなり、残りにくい?)

異なる形を組み合わせたりもしたのでしょうか。
ちなみに、小山真夫が、ブセキが2個結合しているのを猫ブセキと呼ぶと書いていましたが、一般的な呼称というより、小山真夫の家か近所に、猫に見立てられるようなブセキがあったのかも。今もどこかに残っていないでしょうか…

※このマップや「ともしびの里暦」では、ブセキや(緑簾石の)焼餅石を紹介していますが、天然記念物(市指定)であることは書かれていません。鉱物や化石は動植物のような再生はしないので、持続的な"活用"には課題がつきまといます。(公園周辺を整備した頃には、岩石が多く出て、ブセキも多く見つかったと思います。採集目的で崖を崩す人もいたかもしれません。大きな結晶から減って行き、今は意外と見つかる小さな結晶もいずれ見つかりにくくなるのかも…)
※カルタの題材になった武石小学校の焼餅石は緑簾石ではない可能性があります。
武石小学校の焼餅石の謎、高師小僧
https://kengaku2.blogspot.com/2021/01/blog-post_25.html

北条義政の勅撰集和歌
https://kengaku2.blogspot.com/2022/09/blog-post.html
北条重時の和歌
https://kengaku2.blogspot.com/2022/08/blog-post_28.html
両参りと片参りの謎(北向観音、善光寺)
https://kengaku2.blogspot.com/2022/03/blog-post.html
義仲願状、三島社
https://kengaku2.blogspot.com/2022/02/blog-post.html
義仲・鎌倉 Year
https://kengaku2.blogspot.com/2022/01/year.html
鎌倉殿と信州上田
https://kengaku2.blogspot.com/2021/12/blog-post.html


2022年7月14日木曜日

ウィーン万国博覧会(明治6年)の地学標本

WIEN CATALOGUE DER KAISERLICH JAPANISCHEN AUSTELLUNG
『WIEN CATALOGUE DER KAISERLICH JAPANISCHEN AUSTELLUNG』(1873)より


ウィーン万国博覧会(1873)の資料はいろいろ残っていますが、まだよくわからないこともたくさん。

原田準平「明治以後の鉱物学界」(地学雑誌 vol.63 1954)
https://doi.org/10.5026/jgeography.63.3_166
明治6年(1873)オーストリアのウィーンで万国博覧会が開かれた際,わが国の政府はこれに賛同し,全力をあげてわが国からの出品をさかんにした。当時政府は各府県に命じて,各府県に産する鉱物を蒐集し,その一部をウィーンに送り,一部は東京に保存し,後にこれを博物局に保蔵した。これはわが国における鉱物蒐集の嚆矢であつたが,その標本の多くは鉱石であり,学術上の価値のあるものは少なかつた。ウィーンに出品したものは,オーストリアの専門家にその研究を依頼したが,その研究の結果は同博覧会の報告のなかに発表された。本邦に保存されたものについては,和田が修学中,それを研究させられた。これは本邦産鉱物の学術研究の濫觴である。


『澳国博覧会出品目録』(東京国立博物館 所蔵)
博覧会のための蒐集品の目録(出展品ではなく)
原典画像の公開等はない?

『ウィーン万国博覧会 日本帝国出品目録』(1873) ※博覧会出展品の目録?
(WIEN CATALOGUE DER KAISERLICH JAPANISCHEN AUSTELLUNG)
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0080769

『WIEN CATALOGUE~』の Shinano(信濃国)の地学標本(12種 15標本)
 No   Gegenstand (※和名は推測)
 34   Braunkohle 褐炭
 51   Bergtheer 石脳油(原油?)
 54   Schwefel. 硫黄
 60   Schwefel. 硫黄
 86-87 Bergkrystall 水晶
 88 B Rother Eisenkiesel 赤い鉄石(鉄石英?)
 90 B Achate 瑪瑙(アゲート)
 98   Damolit ドロマイト
102-103 Asbest アスベスト
180   Eisenkieskrystalle 黄鉄鉱結晶?
192   Magnet-Eisensand 砂鉄
201   Magnet-Eisenerze 磁鉄鉱石?
299   Silbererz 銀鉱石?

産地は旧国名(ローマ字表記)だけで、具体的にはわかりません。
鉱物・岩石の名称も当時のもので、調べるのはなかなか大変…

『WIEN CATALOGUE~』は日本で外国人指導下で作成したものでしょうか?
「オーストリアの専門家にその研究を依頼した」結果も含まれている? それはまた別?


両参りと片参りの謎(北向観音、善光寺)
https://kengaku2.blogspot.com/2022/03/blog-post.html
義仲願状、三島社
https://kengaku2.blogspot.com/2022/02/blog-post.html
義仲・鎌倉 Year
https://kengaku2.blogspot.com/2022/01/year.html
鎌倉殿と信州上田
https://kengaku2.blogspot.com/2021/12/blog-post.html
Japan Heritage fake ley line
https://kengaku2.blogspot.com/2022/02/japan-heritage-fake-ley-line.html

2022年6月20日月曜日

信濃国古器集録 成沢寛経 矢嶋行康 井上寂英

『信濃国古器集録』雷斧
『信濃国古器集録』雷斧 長壱尺五寸(約45cm イッカクの角?)

『信濃国古器集録』は明治時代初期の信濃の愛好家や寺社の所蔵品の図を集めた冊子。約40頁。詳細は不明。
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100323866

実相院「石剣」(独鈷石?)、龍洞院(上青木)「缶」(壺?)、東昌寺「浦野美濃守友久 木印」等、今もあるでしょうか。

蔵印「杉園」は 小杉榲邨(すぎむら)(1835-1910)

原昌言(良平 1820-1886) は『弘化丁未信濃国大地震之図』でも知られています。

「成澤金兵衛蔵」「成澤蔵」は明治時代の金兵衛(世襲名)のことかもしれませんが、元は成沢寛経(金兵衛 七郎左衛門 1797-1868)の所蔵品の可能性があります。寛経は家業のために書籍等を多く処分したそうなので、手元に残したものか、その後新たに入手したものか。

飯山の井上寂英(1842-1916)は真宗寺の住職。真宗寺に下宿した保科百助もウニコールの角を見たのでしょうか。

矢嶋行康(吉太郎 1836-1895)所蔵の「石鏃」は玄能石に見えます。もしも原寸大なら約20cmで「石鏃」「矢の根」と呼ぶには大きめ。上田産か、北国街道沿いなので越後産の可能性も。もしかして、海野宿の資料館にあったりするのでしょうか…

両参りと片参りの謎(北向観音、善光寺)
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義仲願状、三島社
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義仲・鎌倉 Year
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鎌倉殿と信州上田
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Japan Heritage fake ley line
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2022年5月9日月曜日

鉱物キラキラエンドとフィールドビンゴ

安山岩?
石ころの断面 輝石安山岩?

流紋岩?
流紋岩 斜長石 石英 白い微結晶の丸い塊はクリストバライト?

緑色凝灰岩または石英閃緑岩?
緑色凝灰岩または石英閃緑岩? 空隙に緑簾石

久しぶりの川原の石ころ観察会。人数を少なめにすれば比較的やりやすいのかも。

フィールドビンゴは、縦が色、横が形・模様、特徴の組み合わせで小石を見つけるというゲームでした。カードが何種類かあって、もしも全部埋めようとしたら、時間はかかりますが良い勉強になりそう。

「鉱物キラキラエンド」というのは、「キラキラして綺麗」で おしまいにしないで、どうかそれを観察の入口にしてください、というお話でした。


フィールドビンゴ(ネイチャービンゴゲーム)は、身近な場所で多く楽しまれているようです。
西部地域デジタル写真展 花桃のイベント2022
https://d-commons.net/seibu?c=&p=8824
UCVレポート 2022年5月6日(金)
https://ucv.co.jp/program/cat_prg/report/


各自でカードを持つと、周囲への注意が低下する人もいるかもしれないので、グループ毎に持つ方が野外では安全かも。

個人的な好き嫌いというだけですが、自然の中に人工的アートを置くのはあまり好きではないです。ワロックとかもだめな方…

自然石のボルダリングは、磐座とか神聖視されている場所もあるので注意が必要…
いつもクマにおびえ、人の目におびえながら里山歩きをしているので、そんな気がかりばかり…

両参りと片参りの謎(北向観音、善光寺)
https://kengaku2.blogspot.com/2022/03/blog-post.html
義仲願状、三島社
https://kengaku2.blogspot.com/2022/02/blog-post.html
義仲・鎌倉 Year
https://kengaku2.blogspot.com/2022/01/year.html
鎌倉殿と信州上田
https://kengaku2.blogspot.com/2021/12/blog-post.html
魅力アップと情報発信の反比例
https://kengaku2.blogspot.com/2022/04/blog-post.html


2022年4月7日木曜日

魅力アップと情報発信の反比例

放射状集合体の模型
放射状集合体の模型

展開図
展開図


展開図
展開図


岩石のペーパークラフトに再チャレンジしましたが、どうも今回も失敗。
手間と品質のバランスが重要で、時間をかけて苦労して作って、結局うまくできなかったり、無価値に思われるとしたら、やらない方が良いわけで…
上の展開図(A6サイズ)を使って、折り線引き、切り取り、組み立てに1個30分程かかりました。
球体(12x9面)を4分割してさらに3分割したもの、その一部分を2つ接合したもの。四角柱はこんな破片もなくはないという程度。

できることを少しずつ、あきらめずに… 実際は(春先は地質観察には良い時期ですが)昼間の時間が取れないので仕方なく、ですが…

蛇骨石のペーパークラフト
https://kengaku2.blogspot.com/2021/05/blog-post.html
結晶集合体の模型
https://kengaku2.blogspot.com/2020/06/blog-post_8.html
高温石英の模型
https://kengaku2.blogspot.com/2020/06/blog-post.html
箱入り模型
https://kengaku2.blogspot.com/2020/05/blog-post_24.html
石の模型
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両参りと片参りの謎(北向観音、善光寺)
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義仲願状、三島社
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義仲・鎌倉 Year
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鎌倉殿と信州上田
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2021年10月20日水曜日

湖成層の化石

湖成層
湖成層

湖成層
湖成層(右は現代の犬の足跡)

貝化石の破片
貝化石破片の表面。藍鉄鉱化?

藍鉄鉱化した植物化石?
藍鉄鉱化した植物化石?


上小湖成層の貝化石はときどき見てはいるのですが、標本にしたことはありません。露出しているのは半分壊れていて、残りを壊さずに採取するのも難しそうなので。地層を掘り込むわけにもいかず…
窪みは足跡化石かもしれないので注意して見るようにしています。露出が狭く、連続はわかりにくいです。

自由研究の岩石・鉱物採集(桃簾石、オーケン石など)
https://kengaku2.blogspot.com/2021/08/blog-post_20.html
自由研究の化石採集
https://kengaku2.blogspot.com/2021/08/blog-post.html
看板いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/07/blog-post.html
夏至の朝日と別所線の赤鉄橋
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/blog-post_27.html
Japan Heritage delusions
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/japan-heritage-delusions.html

2021年8月20日金曜日

自由研究の岩石・鉱物採集(桃簾石、オーケン石など)

桃簾石
桃簾石

オーケン石(オケナイト)・方解石
オーケン石(オケナイト)・方解石

化石採集体験のおまけ?で小さな鉱物標本の作成と観察もしました。
今回はすべて旧真田町産で、桃簾石、オーケン石(オケナイト、ラビットテール)、黄鉄鉱など。
結晶の撮影はやはり機材に依存…
小さい結晶なら身近な場所でもいろいろ観察できてそれなりに楽しめるのではないかと。(化石や鉱物の楽しみは無制限に共有できるわけではないですが…)

今年も作品展覧会はWeb開催(10月中旬~11月下旬)とのこと。
https://event.yomiuri.co.jp/jssa/contact

※公開されました。
令和3年度 第65回 長野県学生科学賞作品展覧会
http://kagakusakuhinten.sakura.ne.jp/

自由研究の化石採集
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看板いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/07/blog-post.html
夏至の朝日と別所線の赤鉄橋
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Japan Heritage delusions
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/japan-heritage-delusions.html
Japan Heritage fake ley-line
https://kengaku2.blogspot.com/2022/02/japan-heritage-fake-ley-line.html

2021年5月5日水曜日

蛇骨石のペーパークラフト

蛇骨石の模型
柱状結晶 放射状集合体の模型

展開図
展開図

昨年作成した、蛇骨石(じゃこついし)の模型(柱状結晶の放射状集合体)です。底面を横長にしたタイプ。蛇骨石には決まった形は無く、六角錐というわけではありませんが、破片はこんな雰囲気のものもよく見かけます。

結晶集合体の模型
https://kengaku2.blogspot.com/2020/06/blog-post_8.html

折り線引きには書けなくなったボールペンと定規を使っています。切るのは、薄い紙ははさみ、厚紙はカッター(定規は使わず)。
紙は裏紙をよく使います。空き箱のツルツルな表面をやすりで削って印刷してみたり。(廃品使用が目的化してしまい、節約とは言えないことも…)

地方では気晴らしに近くの野山を歩いたりできますが、人との接触がないわけではないので、注意を忘れているとやはり危ないのでしょうね…

2021年2月17日水曜日

志賀溶結凝灰岩(佐久石)、渋沢栄一、力石

内山峡 肬水の志賀溶結凝灰岩
内山峡 肬水(いぼみず)の志賀溶結凝灰岩

渋沢青淵先生内山峡之詩 碑
渋沢青淵先生内山峡之詩 碑より(石材は仙台石(稲井石 井内石))

伝説の力石?
伝説の力石?(加美畑神社)

NHK大河ドラマ「青天を衝け」では内山峡や香坂峠のエピソードもありそうで、楽しみです。(聖地巡礼で「青天を衝いてみたい」という人もいるでしょうか…)
勢衝青天攘臂躋(勢《いきおい》青天《せいてん》を衝《つ》き 臂《ひじ》を攘《はら》い躋《のぼ》る)
「攘臂」は着物の袂をたすき掛けで縛ったという意味でしょうか。(攘は「はらう」と読んだ可能性が高いかも。) 内山峠を勢いよく登り、しかし、険しさと美しさは一つのもので、人も理想と現実の一方だけでなく両方を思うのが良いというような大人っぽい思索をしたり…
もしも渋沢栄一(1840-1931)の没後の内山峡詩碑(昭和15)まであれば、三石勝五郎も大河に登場? 保科百助もちょっとだけエピソードはありますが可能性はないでしょうね。今回は松平忠優(忠固)(開国派のリーダー。日米和親条約・修好通商条約締結時の老中。徳川斉昭の敵?)、それと田中芳男(1838-1916 幕末パリ万博派遣 「日本の博物館の父」と言われる)はどうでしょう…

上田市付近では藍玉販売、般若経奉納、力石 などの話がありました。(事実かどうか疑問点も。藍を敲く石を持ち上げたという話もあるようですが、藍を叩く石(石臼のこと?)に力石ほど大きなものが本当にあったのでしょうか? 藍を叩く石は他にも残っている?)

塩田町教育委員会『塩田歴史年表』(昭和35 1960) 73頁 より
安政5(1858) この年より四ヵ年渋沢栄一藍玉を小県地方に販売にくる。(八木沢資料)

清水利雄編『小県上田歴史年表』(昭和35 1960) 57頁 より
安政5(1858) 此の年より四ヶ年渋沢栄一藍玉を小県地方に販売に来る矢沢とか丸子神畑にその資料現存する
安政6(1859) 8.18 岩下観音堂盤(※般?)若経の一部渋沢栄一寄進 百日咳祈願とした

『渋沢栄一伝記資料』第1巻 p.208-209 より
上田毎日新聞 第三六四六号〔昭和一三年三月一〇日〕
丁度その時この観音様へ六百巻の大般若経奉納の計画があつたので功徳に感じた栄一氏は父市郎左衛門氏《(市郎右衛門)》の名前で一巻を寄進し巻頭に祖父市郎左衛門安知《(市郎右衛門安知)》の戒名を書いて納めた

『渋沢栄一伝記資料』第1巻 p.101 より
雨夜譚会談話筆記 上・第六―八頁〔大正一五年一〇月―昭和二年一一月〕
先生「そう云ふ記憶がない、観音様を信仰する様なこともなかつたが――(中略)由来私は無信心で寧ろ排仏論者である。神様の方はそうでもないが、(以下略)」

(※渋沢栄一に覚えが無く、父、市郎右衛門の名前があるということは、市郎右衛門が奉納し、その話が変化した?)

『渋沢栄一伝記資料』第1巻 p.123 より
上田郷友会月報 第六二〇号・第一五―一七頁〔昭和一三年九月〕
旧幕時代には村々に若者連の集まる場所に力試をする力石と称するものがあつて、今日尚処々に残されて居るものがある、神畑の伝ふる所によれば、翁、青年の際御得意廻りに来られ、村の若者連に参加し此の力石を試みたが、群を抜き若者連一人として翁に及ぶものがなかつたとのことだ。

『渋沢栄一伝記資料』第1巻 p.97 より
御口授青淵先生諸伝記正誤控 第一二頁〔昭和五―六年〕
「よく若い同志で下肥かつぎの競争をしたが、わしは力があつたのだが、どうも肩が弱くて、いつも残念乍らかなはなかつたよ。」

『渋沢栄一伝記資料』第1巻 第1巻 p.181 より
渋沢栄一伝稿本 第二章・第三〇―三二頁〔大正八―一二年〕
先生は生来の健康に加ふるに筋骨逞しく、膂力人に過ぐ、故に剣道の仕合にも、最後には得物を打捨てゝ敵と組打し、遂に勝を得るを常とせり、然れども相撲には極めて弱かりしといふ。又物を担ふの力は、村中にても一二を争ひ、他人の持て余したる俵などを、如何にも軽ろげに運びしこと屡々なりき、又畠を耕し畦を起すに「進さく」と唱へ、五人程同列にて之に従ふことあり、其折にも先生が先に立ちて働けば他の者は容易ならざる苦痛を感じ「若旦那は強力に任せ無理なる仕事のみして困る」とは、彼等が常に訴へたる繰言なりき。


神畑(かばたけ)村の力石の話は昭和13年(幕末から約70年後)上田郷友会月報の記事で事実かどうかは不明。他に記録がなければ創作や誇張の可能性も。
体力の記録は ちくはぐ? 本人の言葉を信じるなら、力は人並み以上。村で一二というのは誇張(お世辞?)で、力くらべや相撲では順当に勝ち、負けたということ? 明治~昭和の神畑の人にとっては一種の英雄譚?(お世辞や皮肉もあった?)
「神畑のお宮(加美畑(かみはた)神社?)に小泉小太郎力験しの石というのがあったそう」という話を聞いて見に行ったことがありますが、わかりませんでした。石垣や台などに転用された? 上の写真の石は少しそれっぽい感じがして、もしかしたら渋沢栄一も抱えたりしたのかもしれませんが、どうでしょうか…
大河ドラマで力石を担ぐ場面があり、「かわべむら」と言っているようでしたが、もし上田郷友会月報の話なら、小県郡川辺村は明治22年発足で、江戸時代から明治前期は神畑(かばたけ)村のはず。

あの大きさの力石でどれくらいの重さなのでしょう。
山形県庄内地方の「5俵かつぎ」について
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000254061
(観光用写真で2俵はもみ殻だったという話。米3俵でも180キロ…)

上田市誌に江戸時代から昭和まで盛んだった草相撲や力比べの話が少しありました。(石久摩神社近くの川辺小学校でも力石のような石を見たことがありますが未確認です。)

『上田市誌 民俗編(3) 信仰と芸能』(平成14 2002) 176-177頁より引用
二 力石など
一人前を示す力比べ
 機械化が進む以前の人力による農耕や山仕事をしていた時代は、力のあることが一人前であることの条件で、それがまた自慢にもなったのです。
 築地には、堂庭や火の見櫓《やぐら》の下などに、力石《ちからいし》が残っていますが、大正のころ祭りの夜に若者が集まって、これを持ち上げて力比べをしたといわれています。
 上田原の石久摩神社の境内にも、球形に近い一抱えもある石があって、若い衆が力比べに使った石といわれ、何回持ち上げられるか、地面からどこまで持ち上げられるか、大勢で互いに競ったもので、石の表面がつるつるになっています。
 石神には、かなり豪傑の若者がいて、石地蔵を抱き上げてお地蔵さんの首を欠いてしまったとか、日向小泉では、道祖神の碑を担いで力比べをしたと伝えられています。
 俵を持ち上げる力比べは、上田原で六〇kgの米俵を地面に置いて、続けて何回肩にのせることができるかを競いました。
 上塩尻や別所でも、一定の規格の俵を持ち上げたり背負ったりしたようです。越戸では、土を詰めた俵を担いで走り比べをしたといわれます。上本郷では、棹秤《さおばかり》の分銅《ふんどう》上げをしました。
 越戸では、大正のころにムラの辻などの広い場所で、天秤棒《てんびんぼう》を押し合って棒押しをしたといわれます。小井田でも、地面に描いた円の中で二人が向き合い、三尺(約九〇cm)ぐらいの長さでやや太目の棒で押し合い、相手を円の外に押し出す勝負をしたとのことです。


上田民俗研究会『上田盆地 第18号』(昭和54.6 1979) 19頁より引用
石雑題  酒井 侅
(中略)
 石久摩神社の境内に「力石」というものがある。これは球形に近いひとかかえもある石で、若い衆の力くらべの石であった。
 遊びのなかった昔は、若い衆が、お宮へ集った時など、この石を持ち上げて、それぞれの力を競い合った。
 何回持ち上げられたとか、どこまで持ち上げられた、など大勢で遊んだので、石の表面が、つるつるになっている。
 同じような石が、東部町本海野の白鳥神社にもある。ここの石は四二貫とかで、かんたんには持ち上げることはできない。(以下略)

(※『上田市誌』(2002)の石久摩神社の記述は『上田盆地 第18号』(1979)を基にしたものでしょうか。現状は未確認。文脈から、白鳥神社の力石に似て、それよりは小さいと思われます。)

ちなみに、鎌倉殿の13人 には畠山重忠の他、泉親衡と安念も登場する?(3人は鞍が淵伝説(小泉小太郎伝説)の関係者)

関連して荒船山、内山~下仁田のブラタモリとかもどうでしょうか。例えば、裏街道はなぜ"裏"だったのか? みたいな。(北部より古い火山噴出物で浸食のため険しい?) ただ、地史は難解で不確実な話になるのかもしれませんが。

たび重なる火山活動「本宿陥没」と「妙義火山」
https://www.shimonita-geopark.jp/geosite/geo04.html
兜岩層の化石から日本で初めてのホタル化石が発見されました
https://www.shimonita-geopark.jp/news/press%20relese20210127.html
下仁田町自然史館 研究報告
https://www.shimonita-geopark.jp/shizenshikan/

五郎兵衛記念館 館長の豆知識(2) 渋沢栄一を守り育てた佐久と古文書の世界
https://www.city.saku.nagano.jp/shisetsu/sakubun/gorobekinenkan/mamechisiki/mamechisiki02.html
https://www.city.saku.nagano.jp/shisetsu/sakubun/gorobekinenkan/mamechisiki/mamechishiki10.html
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?01
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK010003k_text
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK010008k_text

田中芳男-『虫捕御用』の明治維新(長野県立歴史館 2017年度 冬季展)
https://www.npmh.net/exhibition/2020/02/-.php

地質ニュース509号(1997.1)
神津俶祐先生の故郷を訪ねて 八木健三
https://www.gsj.jp/publications/pub/chishitsunews/news1997-01.html

『信濃教育 昭和4年1月』90頁より
五無齋の片鱗 德永晁岷
時は忘れたが、澁澤子爵と成瀬仁藏氏とが、女子大學の基金募集にやつて來た時の事である。例によつて歡迎會が催された。席上に突立つた五無齋は、長野市がかたをつけねばならぬのに其の儘放置して居る事業の幾つかを列擧した。それは長野市が如何に財政上窮迫して居るかを暗示するが爲である。二氏は募集の口を開かずに、倉皇として長野を去つたと云ふ。之を五無齋一世一代の演説と云ふさうである。(以下略)

(※渋沢栄一の歓迎会は明治43年8月長野市でのこと。『信濃公論』明治43年8月20日、9月15日に「渋沢男爵一行 歓迎会席上」の記事があります。)

(※五無斎関係の未公開資料で「公表しないでね」と言われることがあって、たいていは個人情報・権利関係(入手経緯不明品とか)か裏付けがないケース(ガセっぽい とは言いにくそうだったり)なのですが、ある件を研究者の方が記事に書かれたので、裏が取れたのかと思ってその方に問い合わせてみたら未確認だったようで(歓喜バイアスで検証無し?)、後で「伝」が追加されました。伝かどうかも疑わしい話でしたが… 誰がいつ何を伝えたのか、対象物の伝来経路等、できる限りの事実確認が必要で、考察はそれから。不確かな話を公表するのは、関係者には苦痛になるケースも。
新聞等の断片的・一方的な情報から憶測が大量発生。真面目に考えているとしても、自分が憶測で批判される側になったらどうか、想像できない? 全公開が不可なのはお互い様。「当たり前」の押し付け合いと情報不足で、相互に不信感を与えて、個々に都合の良い話を選択していたり…)

(以前からお世話になっている方が実は事情があって遠方に転居中とのこと… 知らずにメールで面倒なことをお願いして甘えていました。相手の状況を確認せず勝手な思い込みによる言動を反省)

信州レイライン
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別所神社、縁結びの謎
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日本遺産ストーリー、子供銀行券、ハーメルンの笛吹き男 (日本遺産スペシャル)
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新しい鞍が淵伝説
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夕日いろいろ 信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
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曲がった直線、裸の王様、袈裟供養
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日本遺産 レイラインの幅
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日本遺産 ストーリーのデパートメント化
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バーチャル別所線ガイドの動画
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2021年2月2日火曜日

鉱物の世界、大人のつきあい

発泡した流紋岩の粒状の黒曜石
発泡した流紋岩の粒状の黒曜石

安山岩の変質した輝石
安山岩の変質した輝石(緑と青黒の部分)

石英閃緑岩表面の角閃石、輝石
石英閃緑岩表面の角閃石、輝石(小粒)

緑色凝灰岩の斜長石の斑晶
緑色凝灰岩の斜長石の斑晶(中央)

流紋岩の斜長石の斑晶
流紋岩の斜長石の斑晶(中央)

植物化石が分解してできた霜柱状鉱物
植物化石が分解してできた霜柱状鉱物(緑礬?)


NHK 所さん!大変ですよ「ブーム到来!?不思議な鉱物の世界」の配信(TVer)を教えて頂いて、見ました。
スピリチュアル、パワーストーンの話はほとんどなく。鉱物標本の擬人化はありました。系統や宗派のようなものもあるのでしょうか…

見立て遊びで、生チョコが「武石」でした。レーズンの黒曜石はアパッチの涙でしょうか。卵は珪乳石、きざみ葱は孔雀石のさざれ?
ケーキは「珪乳石」との表示でしたが、たぶん同じ品物のウェブの写真では「ラピスラズリのオペラ」になっていました。

大きさや珍品にこだわらないなら、身近な石ころの中の鉱物も、拡大して観察するといろいろ特徴があって楽しめるかも。(人とは繋がりにくいかもしれませんが…)

石好きは石と深く関わっているように見えても、その石がいつどこで、どんな環境で生まれ、どんな経緯で今ここにあるのか等の具体的なことは、調べてもよくわからなかったり、知ろうともしていないこともあります。あまり詮索はしない、大人のつきあい方?

雲や空の光も気象の仕組みと関係付けて楽しみたくなりますが、理屈を好まない方向性もあるのかも…

ヒスイハンターの取材では「絶対 売らない」「絶対 売らない」「お金には代えられない魅力がヒスイにはあるという」とのストーリーでした。「注意点」が影響している?(販売目的の採集は違法? ハンターの執拗な採集は常識的範囲内? 穴を掘るのは範囲内?)

ヒスイ拾いの注意点(新潟県糸魚川地域振興局地域整備部より)
 個人の趣味の範ちゅうで常識的な範囲で行う
 高波に十分注意する


黒曜石といえば、隠岐の産地の映像が、少しですが、NHKの番組でありました。
新日本風土記「隠岐諸島」(2021年1月29日 2月5日)
https://www.nhk.jp/p/fudoki/

スピリチュアル系図鑑 辛酸なめ子 第1回 パワーストーン系
http://webheibon.jp/spiritualkei-zukan/2017/04/post.html

石拾い・土砂の持ち帰りが違法になるケース
https://yoi-net.com/archives/3157

ナショナルジオグラフィック日本版
研究室に行ってみた。気象庁 気象研究所 雲の科学 荒木健太郎
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/18/013100002/

2021年1月25日月曜日

武石小学校の焼餅石の謎、高師小僧

武石小学校の焼餅石?
武石小学校の焼餅石?(上田創造館「上田地域の地層・化石・鉱物」(2013年))

住みよい武石をつくる会広報誌に保科百助の紹介記事があることを教えていただきました。気付いた点等です。
・「ふるさとかるた 武石村」(武石小学校 1988?)「すずしげにカラコロと鳴るやきもち石」の題材になった武石小学校所蔵の焼餅石?には謎があって、一般的な緑簾石の焼餅石とは異なるように見えます。褐色の部分があり、管状の突起があります。(管の穴が内部まで続いているかどうかはわかりません。) 一般的な音はコトコトやシャカシャカで、カラコロというのは他にはまだ知りません。表面の文字?も不明です。
・保科百助が最初に入手した緑簾石の焼餅石は、武石小学校の生徒が持ち込んだもの。(『信濃公論 明治41年12月16日』)
・比企忠(ひき ただす)や高壮吉(こう そうきち)が武石村を訪問したのは明治29年4月、5月。(『地質学雑誌 明治29年7月』)
・保科百助が地質学教室に行ったのは、高壮吉によれば明治29年の秋。(『五無斎保科百助評伝』等)
・標本目録の名称は「長野県小県郡鉱物標本目録」(明治28年8月 師範学校同窓会で発表、明治29年7月『地質学雑誌』に比企忠が掲載。武石村の焼餅石が広く知られたのは明治29年?)
・立科町山部
・(七郎左衛門は世襲名の一つで、雲帯(寛致)の孫の寛経も七郎左衛門)
・(「方名 ブセキ」は江戸時代には広く使われていた名称で、もしかしたら地元由来ではなく、村外で発生して伝わってきた可能性も。)
・黄硫鉄鉱の方名は「下武石 余里其他諸所」で共通して「ヂャカ 金武石」、という解釈もできるのではないでしょうか。(「一六 柘榴石 方名 菱石 緒〆石」が似た文章です。)
・武石村産標本はもう一つ「三一 ? 下本入 ドイン石(高師小僧)」があります。長野県地学標本(明治36年)にも収録。産出場所は未確認。(小山真夫によると「下武石区のたつ原」とも。)
・鈴木半兵衛一保(甘井)
・鈴木甘井の手紙で武石をブセキと読んだかどうかは『書簡による近世後期俳諧の研究』では不明ではないでしょうか。

住みよい武石をつくる会広報誌『住みよいたけし 第21号』(2020年10月16日)
たけし 歴史さんぽ道 第3回
https://s-takeshi.jp/tiikizyoho/koho.html
武石村の歩み
https://s-takeshi.jp/siryo/ayumi.html

2021年1月16日土曜日

モノマネ石、化石おみくじ、一文字石

干支石?
干支石?

不明化石?
不明化石?

緑色凝灰岩の一文字石
緑色凝灰岩の一文字石

正月恒例?の、川原でモノマネ石さがし(干支石さがし)をしました。小石のある場所へ移動して、制限時間は5分。まずは汎用俵形の小石をいくつか確保。それから形や模様の面白い石を探しましたが、うまく見つけられず、結局、牛とも虎とも何とでも言えそうな小石を選んで終了。最下位で良いです…
大きな斑晶のない安山岩でしょうか。ちなみに古文書で見かける「青石」は青から緑色の閃緑岩とか片岩とか、各種の石のようで、安山岩もあるのかも。他にはホルンフェルスの青いものを青石、茶褐色のを赤石と呼ぶのを聞いたこともあります。

化石おみくじは、軟らかい泥岩の礫を3個拾ってみました。結果は3個とも植物片と不明化石がありました。上の写真は形は貝に似ていましたが、植物化石と接していて、何か別のものかも。

緑色凝灰岩(これはたぶん変質した溶結凝灰岩)の一文字石も見ました。
三保松原の一文字石も溶結凝灰岩だったのかも。今も普通にありそうな気もしますが、どうでしょう… (昔は一文字石の話だったのが、今はハチマキ石の話ばかりで(一文字石と同一視?)いつ頃入れ替わったのでしょう)
黒羊石、はちまき石、一文字石
https://kengaku2.blogspot.com/2020/02/blog-post.html


星糞峠黒曜石原産地遺跡(平成13年指定 国史跡)の展示施設の名称が決まったとのこと。記事では触れていませんが、「星の糞遺跡」(昭和44年 御前崎市指定文化財)があり、唯一の名称とは言い難いです。江戸時代の「星石」の名前を使って、星の石館、ほしいし館 等もあったかも。隕石と誤解されそうで注釈が必要になったかもしれませんが…

◆長和町が「黒耀石鉱山展示室」を「星くそ館」に決定! 長和町同町大門の国史跡「星糞峠黒曜石原産地遺跡」に整備している展示施設! 来年7月にオープンを予定!
https://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000609654.html
御前崎市内の指定文化財一覧 星の糞遺跡
https://www.city.omaezaki.shizuoka.jp/kurashi/sports_bunka/bunka_gejutsu/bunkazai/ichiran.html
星糞(星石)
https://kengaku2.blogspot.com/2019/06/blog-post.html

2020年11月23日月曜日

石の名前、情報発信と乱獲

大石橋と猫石
大石橋と猫石(UCV「自慢ばなしめっけた ~大屋の巻~」(1989) より)

松脂岩(千曲川)
松脂岩(千曲川)

石の地方名はたいていは種類名で、同時にローカルな固有名であることも多いです。例えば、猫石は「猫のような石」であり、大屋の大石橋付近では、かつてあった大岩(溶結凝灰岩)の名前でもあります。

固有の石は採集対象にはなりにくいので(なることもありますが)、ネットで楽しむには良いテーマかも。大石(雷電の出身地)の「七つ石」等、各地にあります。
ちょっと変わった名前で「コロンブス」というのを聞いたことがあります。近くの山にある3mほどの岩で、名前から連想される形の中でたぶん一番シンプルな形。(アメリカ大陸ではなく)

一方、採集対象になる鉱物や岩石の場合は、名前を出さないこともあります。むしろ、状況に応じて、情報の削除を考えたり。(詳細を伏せても、文脈や写真から場所を推測されたり、無関係な既知の産地に採集が集中したり。古い記述で著作権の問題や直接的な違法性は無いとしても。石に名前を付けて宣伝すれば、魅力度は向上しますが、採集圧力も増大して、長く楽しむことはできなくなる可能性も。観光資源にすることが最優先で、他の不都合は二の次、くらいの感覚なのかもしれませんが…)
結果を予想できなかったという言い訳はたぶんもう通用しないので…

採集可否のグレーゾーン付近を分類すると、例えば
× 権利侵害になる採集
× 環境に影響を与える採集
× 累積して環境に影響を与える採集
△ 累積せず環境に影響をほぼ与えない採集
累積しない採集だけ、ケースバイケースで、大目に見てもらっているという現状。
情報共有の問題の一つは、それが累積の程度に直結すること。
(ただ、問題が無いのに(問題の有無もグレーですが)占有を厳格にするためだけに野外の自然物の持ち出しを一切禁止するというのは、幸福を損なう悪習であり、それも正しくないように思います。持ち出しの禁止が息苦しさや敬遠に繋がっていないか観察する必要もある?)

学術研究目的・教育目的でも、環境に影響が出るなら、せめて後からでも批評する必要はあるのではないでしょうか。(記載された場所が、崩され、立入禁止になっていたりするのをフォローしている?)
情報分野も情報共有の問題点の洗い出しや対策は後回し? 目まぐるしい実験的な状況が続き、重要課題も多いので仕方ないですが、安易な汎用も無責任で、実用は絵に描いた餅。(単純さと泥臭さが必要)

そういえば日本遺産で郷土環境保全地域の話が無かったような… 保護地域だと知らずに違反行為の写真をネットで公開、という気の毒な話もあります。自然保護の広報も十分に行う必要があるかと。

石ころ観察でも便乗して(?) 切石や刀石の名前が出ていましたが、ニュースにもなっているんですね。石の種類・成因、周辺の地質との関係とかも面白そう。(便乗したい人、捏造を嫌う人。程度も様々)割石だんご、割石まんじゅう、他にもいろいろ… メロンパン、味噌パン(焼き菓子)、チョコパイとかも、どうでしょう?
小石が採集対象になることは無いと思いますが、もしなったとしたら、不吉なハチマキ石や首切石との関係はどうなるでしょうね。(吉凶入り乱れて、三すくみ四すくみになるのは好ましいことかもしれませんが。)
※三保松原の砂や石は持ち帰り禁止とのこと。※
三保松原 お知らせ
https://miho-no-matsubara.jp/archives/2853
 ※海岸の砂や石のお持ち帰りはできません。

新称偽称も出てきそうで、もしかしたら、登録商標で自由に使えない、なんてことも現代では起こる可能性も。鬼滅、鬼切とか。
本原の小玉神社(割石明神)では割れた大岩に社を祀っています。

盗掘
https://www.ishitomo.club/post/___盗掘
猫石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35517041
独鈷山郷土環境保全地域
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34927798
日本遺産ストーリー 子供銀行券 (日本遺産スペシャル)
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_31.html
曲がった直線、裸の王様、袈裟供養
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_15.html
日本遺産 ストーリーのデパートメント化
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_12.html
日本遺産 レイラインの幅
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_15.html
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html
黒羊石、はちまき石、一文字石
https://kengaku2.blogspot.com/2020/02/blog-post.html
切り石(北佐久郡と小県郡の境石)
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/33233763

2020年10月27日火曜日

新しい鞍が淵伝説

鞍が淵の案内板(上田市行政チャンネルより)
鞍が淵の現地案内板(上田市行政チャンネルより)

鞍が淵付近の川(上田市行政チャンネルより)
鞍が淵付近の川(上田市行政チャンネルより)

蛇骨石(母龍と小太郎)
蛇骨石(母龍と小太郎 写真幅約5cm)

(※冬は路面凍結・落石の箇所が多く、自動車は危険。通行止めでなくても)

上田市行政チャンネルの動画で、小泉小太郎・蛇骨石の話がありましたが、これまでの鞍が淵伝説とは異なる伝説が紹介されていました。
日本遺産ストーリーに合わせて、伝承も都合良く上書きされて行くのでしょうか…

動画中の「龍の子太郎ではお母さんは龍ではなく大蛇なんだけどね」は「小泉小太郎では~」の誤り? 龍の子太郎の母親は龍(元は人)。小泉小太郎の母親は犀龍や大蛇。(女神が蛇の姿になって出産する神話による?)

小泉小太郎と母龍が(松本で)湖を壊すという話は、瀬川拓男・松谷みよ子『信濃の民話』(1957)にある話で、各地の伝説を合わせて作った創作民話です。それを基に影絵芝居や紙芝居が作られました。
この創作民話には産川・蛇骨石の由来話は含まれていませんが、今回の上田市の動画ではそれが(新たに?)追加されていました。
蛇骨石は大蛇が岩に体を打ち付けて割った石、という話で(鞍が淵上流に湖があって、水を流すために岩に体を打ち付けて骨が埋め込まれた?)、出典はわかりません。
出典が示されないなら、この新しい伝説は、今回の日本遺産認定に合わせて捏造されたもの、と確定して良いでしょうか?(魅力アップと地域文化の尊重とを両立することはできないでしょうか? 日本遺産は創作推奨? 偽装不問?)
干ばつ地域にとって上流に湖があればそれは命綱の水源です。だから沢山池を造ったのでは? 湖を壊され、下流は大洪水。つまり大迷惑の大破壊。そんなことも想像できないほど、昔の人は脳内お花畑だった?

現代の創作であっても、出版物等に書かれると、地域外の人はそれを本物と思い込んで拡散し、地元でも実情に合わない偽物の伝承を信じるようになります。「古くからの伝承」には外部から繰り返し書き換えられてきたものも多くあるのかも…

捏造体質の地域振興は、選挙でたとえるなら、候補者のために誇大宣伝をして、嘘がばれて逆に評判を落とす、という困った支援者のようなもの…

鞍が淵(現地案内板と同様の伝説)
http://db.umic.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=2064006

行ちゃんと辿る日本遺産のストーリー②「龍と生きるまち」
https://www.youtube.com/watch?v=Hmr-cLXjSIk

ホームページ作品のご紹介 電子紙芝居「小泉小太郎物語」
https://museum.umic.jp/sakuhin/responsive/web.html
https://museum.umic.jp/kotaro/kaisetsu.htm


電子紙芝居「小泉小太郎物語」の解説に「原作では、村人達は湖の水が流れ出してその後に、広い田畑が出きる事を一番願っていたが、塩田の子どもたちはそれより水不足に苦しむ、農民の水への願望を強く打ち出すよう、自分達の土地の言葉でせりふを作った。」とありました。
実情に合わない部分が修正される一例でしょうか。ただし、文字化された話は柔軟には変化できないので、部分的な修正は不整合になることがあります。この紙芝居も、干ばつ時に川(犀川)ができて大水が出たという話にとどまり、その後の(塩田平などの)水不足解消に繋がる話はありません。人々の願いとストーリーの結末との関係は曖昧で、それは今回の新しい鞍が淵伝説でも同じ。

実は元々の鞍が淵伝説にも同類の不自然な点があります。蛇、僧、川が登場するのに、神仏や雨乞い等の信仰に関係する内容が全く無いのです。水の伝承の多い地域に流布して時間が経てば、信仰に関する内容が付加される方が自然です。それが無いということは、(農業と直接的関係のない)特定の場所で発生し、短時間で(流布する前に)文字化・固定化されたのかもしれません。

江戸時代には家伝薬の宣伝で伝説を利用することがあったようです。例えば別所温泉の当時のガイドブック『信濃国小県郡出浦郷別所七久里温泉並名所畧記』(弘化年間?)では、北向観音・別所温泉の縁起の中に「北斗丸」「七久里膏」という家伝薬の由緒が組み込まれています。
蛇骨石は傷薬と言われているので(手塚村誌等)、根拠はありませんが、鞍が淵伝説は家伝薬・民間薬の由緒が始まりという可能性も。

蛇骨石の鉱物について
・本草学の蛇骨は、主に珪華です。石灰華なども蛇骨と言われることがあるようです。(独鈷山の蛇骨石は珪華ではありませんが、同様に傷薬と言われました。)
・独鈷山の蛇骨石は沸石等の白い鉱物の塊りです。上田市誌等で簡略に灰沸石とだけ説明していることがありますが、他の鉱物であったり、複数の鉱物を含むことが普通にあります。
・よく見かける放射状柱状結晶の鉱物は、中沸石や灰沸石の報告があります。見た目で見分けるのは難しいです。
・曹達沸石・中沸石・灰沸石の区別が明確になったのは戦後のことで、古い資料では「曹達沸石の部類」(明治31年 神保小虎)や、単に「曹達沸石」と書かれていることがあります。トムソン沸石とされたこともあります。(明治24年 帝国博物館天産部金石岩石及化石標本目録)

『広報うえだ 2020年10月号』39頁に「産川(小太郎が大蛇である母から生まれた川)や、鞍が淵と蛇骨石(大蛇の住いと蛇の骨のような石)からは、口伝だけでなく、川や石の名前にして、伝説を永く伝えていこうとする思いを感じることができます。」とありますが、逆(名称が先で伝説が後)もあり得ます。伝説が先だとすると「蛇のお産」を淵や場所ではなく川の名前にする理由が不明確、また単に「産」とするのも不自然。伝説には龍と蛇がある一方で石名は蛇骨だけ(龍骨は未確認)なので、石名が先(または伝説とは無関係に発生)の可能性も。伝説が先としても、特別な思いが無くても特徴的な石に名前が付けられることは普通にあります。(どれも恣意的な推測かも。)

甲田池の河童も奇妙な伝説です。周囲は水田ばかりで、池の水が無い時期も多く、近くの産川も夏には「笊水」になるという、河童が棲むには過酷すぎる環境。
話者名の記録があるので、今でも調査すれば、もしかしたら採話時のことが何かわかるかもしれません。

現在・未来に合うように過去を"調整"することは、これまでもこれからも、世界中どこでも行われ続けるのでしょう…


ところで、動画では、産川(さんがわ)の水が濁っていましたが、沢山(さやま)池で泥水を流していたのかも。ため池は常に土砂が入って貯水容量が減って行くので、泥水にして流し出したり、土砂の除去を継続的に行う必要があります。最近はどうか知りませんが、冬に産川へ行って、この泥が厚く堆積しているのを見たことがあります。水生生物には生息しやすいもの、しにくいものがあるかもしれません。鞍が淵も昔は人が泳いで遊べるほど深い淵で、竜宮に繋がっているとも言われたそうですが、戦後に沢山池で泥流しを始めるとすっかり埋まってしまったそうです。

小泉小太郎と泉小太郎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32564782
伝承の保護者と破壊者
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34754513
小泉小太郎と蛇骨石
https://kengaku2.blogspot.com/2019/07/blog-post.html
舌喰池の伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2019/09/blog-post_29.html
日本遺産ストーリー 子供銀行券 (日本遺産スペシャル)
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_31.html
日本遺産 レイラインの幅
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_15.html
鷲岩と雨乞い多様性
https://kengaku2.blogspot.com/2020/08/blog-post_19.html
龍王山、レイライン
https://kengaku2.blogspot.com/2020/06/blog-post_20.html