2019年6月3日月曜日

星糞(星石)


星糞(星石)
信州和田峠 星石 (飯田市美術博物館編『江戸時代の好奇心』(2004) 33頁より)

星糞(星石) 地質学雑誌より
地質学雑誌 明治27年7月 山田・伊木「旅中見聞鎖談ノ續キ」より

先日、勉強会で保科百助「長野県小県郡鉱物標本目録」(明治28年・29年)にもある「星糞」の語源の話題がありました。本では菊岡米山『諸国里人談』(1743)、木内石亭『諸国産石誌』(星糞)、『諸州石品産所記』(星石)、伊藤圭介『日本産物誌』(明治5)(ホシイシ 一名ホシクソ)等にあります。

『諸国里人談』は田から黒曜石等のかけら(たぶん遺跡の石器)が出てくるという話で、それを当時の人は星の化石とか星の糞とか呼んだわけです。さらに、星との結び付きの起源は?となると、わかりません。石器時代からあったのもしれませんし、そうではなく、もっと後になって生れたイメージなのかもしれません。
(記述から、主に黒曜石と思われますが、他の石も混在して、明確には区別していなかったのではないかと思います。また、本物の隕石によるガラスを見た記憶や伝承も混じっている可能性も。)

※星糞を「黒曜石の方言」とする説明を見ることがありますが、星糞・星屎(ほしくそ)は中国伝来の本草学の言葉であり、江戸時代には全国的に使われていたので、方言とか地方名とは言えないのでは…(地域・学者によって定義や対象に差異はありますが)

和田峠の黒曜石も江戸時代には(諸地方と同様に)星石、星糞と呼ばれたのだろうと思います。市岡家コレクション(1800年頃)に「信州和田峠 星石」がありました。また、市岡智寛『玄経集』に和田峠の「星カ石」の記述があるそうです。(星化石?)

鷹山の「星糞峠」はもしかしたら明治からの名前かもしれません。天領・国有林で一般の入山は制限されていたそうなので。(戦後に開拓、スキー場開発)
山田・伊木「旅中見聞鎖談ノ続キ」(地質学雑誌 明治27年7月) 、山崎直方「八ヶ嶽火山彙地質調査報文」(明治31 1898)に星糞・星糞峠の名前がありました。(ここは黒曜石に「耀」の字を使ったり、名前にこだわった取り組みをしているので、峠の名前にも何かこだわりがあるのか?と思いましたが、そうではなく、遺跡調査のずっと前から学者の間では定着した名前だったようです。児玉司農武氏の文章にも「有名な星糞峠」という言葉がありました。)

※和田峠等、広範囲が「八ヶ岳中信高原国定公園」になっています。岩石等の採集には土地所有者・権利者の許可が必要で、さらに公園内や史跡等では様々な制限があります。
(誤解を招くような話を見かけますが、自然公園法の制限・許容の対象は当然、地権者。軽微な変更に止めるには不特定の採集は許容できない≒一般の採集禁止?)

菊岡米山『諸國里人談 卷之二』(寛保3 1743)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557402/14

○星糞《ほしくそ》
信濃國岩村田の邊に星糞《ほしくそ》といふ石あり 春 田《た》耕《うへ》す(※たがやす?)ころ土中より掘出す也 色うす鼡にして性《しやう》は水晶石《すいしやうせき》に似たり 大きなるは稀《まれ》也 燧石《ひうちいし》の欠《かけ》たる程の石角たちたる也 此地は他所より流星《りうせい》多き所也 すぐれて流星あるとしは此石もまたおほし これを星糞《ほしくそ》といふ


宮澤恒之「「市岡家の 考古資料」補遺」(2005)
https://doi.org/10.20807/icmrb.15.0_197

伊藤圭介『日本産物志 前編 信濃部 上』(明治5 1872)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801582/3

地質学雑誌 第1巻第10号 明治27年7月
山田・伊木「旅中見聞鎖談ノ續キ」より

旅中見聞鎖談ノ續キ (十五)信州和田峠 上諏訪に着し日尚ほ高かりしを以て之より三里半を隔てたる和田峠を驗したり、此山は木曾街道の一部にして今は舊道廢して新道の通行甚た盛なり 峠の東西に二小村落あり 東に在るを東餠屋と云ひ西に在るを西餠屋と云ふ 山越の旅人の休息所なり、和田峠は一の火山地にして西餠屋の邊より少しつゝ火山岩の散布せるを見る 此より廢れたる舊道を傳ひ行くに岩石累々として橫はり恰も河原を行くが如し 道こそなけん好き岩石は標本は數多集めらるゝなり、岩石の内里人の口にとまれる者は星石及ひ豆石なり、星石は又星の糞と稱す 尋常の黑曜石の稱なり 白き小斑點を有する者あり、豆石は Spherulitic Obsidian の種類とも云ふ可き者にして恰も豆を集めたる如き看をなせり 取り來りて公園の置石等に供せるを見る 顆粒は直徑二三許にして其發生烈しく硝子即ち黑曜石の部分は殆んと有るかなきか位なり 顆粒は多くは核として中心に一個の長石の微晶を有せり、顆粒の内部の構造に二樣あり 即ち長石を取圍みて分子か同心環樣(Concentrically)に排列せると菊座形(Radially)に排列せるものとあり 環層をなすもの多く菊座形をなす者は稀なり 此顆粒の薄片は能く光線を通過せしめす反射光を以ては灰色に見え通過光を以ては褐色に見え尚非常に多く散在せる岩石は粗面岩樣の岩石にして色白く大抵里雲母を有し時として石英を有す 能く流紋組織 Fluxion Structure を顯はし恰も木纖維の如き看を呈する者あり、和田峠に富士岩質の岩石を見さるを以て考ふれは寧ろ古代の火山ならんか 尤も路中玄武岩の露出する所ありと云ふ、(以下略)


震災予防調査会報告 第二十号(明治31 1898)
山崎直方「八ヶ嶽火山彙地質調査報文」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/831458/47
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/831458/73

第四章 火山特論 より

(十)和田峠
(中略)
峠の頂上に露出せる黑曜石は和田峠の黑曜石とて其名夙に顯れ黑曜石と稱すれば直に和田峠を聯想せしむるに至れるものなり 今此黑曜石噴出の状況を察するに和田峠の直に東に隣り鷲ヶ峯あり 南方霧ヶ峯火山に連る鷲ヶ峯は此附近に於ける最高峯にして東は男女倉澤より星糞峠の方向に長き山脊を曳き西は和田峠より緖占山に連る、黑曜石並に其類似岩は實に此鷲ヶ峯附近を中心として噴出し此等の地方に流れ一部は焙録山の富士流を蔽へり 此黑曜石熔岩は其種類一ならずして所を異にするに從ひ其外觀亦從て異れり
今和田峠地方に露出せる黑曜石の種類を示さんに其最普通なるものは黑色の玻璃にして時々褐色又は白色の彩紋あるものあり 又其色淡きときは白色或は殆ど無色を呈す 此等の黑曜石中球子を含有するものあり 普通豌豆大黝色不透明の非晶物にして其少なきものは唯僅かに點々散在するも其數次第に增加して遂に岩石全體に球子を以て充たされ透明なる玻璃質分は纔に其間隙を填充するに過ぎさるものあり 此球子となるべき物質は又充全なる球状をなせる球子を造らずして泡沫状をなし宛然熔鉄爐より生ずる鑛[金へんに宰]の状を呈し其各泡又純、不純、各種の玻璃質又は磁器状のものより成るものあり 此等の岩石は石質脆弱にして又其不純陶器質の部分は霉爛し易く爲に岩石容易に粉碎して其堅硬なる玻璃質の部分のみを剰し粗粒の砂を作る鷲ヶ峯和田峠の中間に位する山脊、及び星糞峠附近に於て其適例を見るべし、
(中略)
此黑曜石は如何なる種類の岩石の玻璃に屬すべきか試に之を鏡下に檢するに美麗なる流紋状をなせる「ミクロライト」、「ロンギュライト」の外に往々斜長石、顆粒状をなせる輝石、桂状(※柱状?)をなせる角閃石等の介在せるを認むべく、星糞峠の西方には殆と玻璃質の石基より成れる角閃富士岩あり、鷲ヶ峯の角閃富士岩の如きも玻璃質に富み其和田峠に近つくに從ひ此角閃富士岩は玻璃質と共に「ユーターキシット」構造をなすものあり、由て意ふに此黑曜石は富士岩玻璃にして即ち此鷲ヶ峯地方に發達せる角閃富士岩と同一の岩漿より成り唯其急激なる凝結によりて今日の状態をなすものたるに過ぎす 而して其外觀に種々の差あるは亦其凝結當時の状態により彼の泡沫状をなすものは意ふに岩流の表面に生じ、完全なる玻璃質をなせる部分、及び土器質にして緻密流状をなせる部分は稍其内部に位せるものなるべし

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