2024年1月12日金曜日

龍っぽいもの、龍つながり

アケボノゾウ臼歯化石(レプリカ 東御市産出 戸隠地質化石博物館所蔵)
アケボノゾウ臼歯化石(レプリカ 東御市産出 戸隠地質化石博物館所蔵)

辰は想像上の生き物なので、干支にちなむ話題では、何かしら関連のあるものを取り上げたりするようで、恐竜をテーマにしている所では、今年は恐竜の年、ということになるのかも… 年末にも恐竜関係のテレビ番組をいくつか見ました。
昔の「龍骨」「龍歯」には大型哺乳類の化石もあったので、例えば、ゾウ化石をテーマにしている所は、今年はゾウ化石の年ということしてもいい?

生薬学雑誌11(2) 1957-12-25
https://dl.ndl.go.jp/pid/10395724
益富寿之助「正倉院薬物を中心とする古代石薬の研究」
https://dl.ndl.go.jp/pid/10755921
(2頁より引用)
4. 竜骨(北第64号) 竜骨,白竜骨,竜角,五色竜歯は新修本草に記載される.これらは何れも哺乳動物の化石骨である.化石種の決定は哺乳類専攻の横浜国立大の鹿間時夫教授に委嘱した.
 竜骨は甲乙2種あるがともに鹿角 Cervis(Axis) punjabiensis BROWN の断片が主である.
5. 白竜骨(北第67号) 山西,河南西省に分布する三趾馬赤土層出土の化石鹿 Cervoceras Novorossiae KHOMENKO の歯及び角,四肢骨等の断片を主とし,これに食肉類 Ictitherium sinense ZDANSKY の歯断片その他から成る.
6. 竜角(北第69号) 印度産の化石鹿 Carvis(Axis) punjabiensis BROWN の角の断片と思われる.
7. 五色竜歯(北第70号) 大小2塊あり大塊は旧象 Palaeoloxodon namadicus (FALC & CAULT) であり,小塊は Archidoskodon planiflons (FALC & CAULT) であるらしい.ともに印度産でなければ日本産かと思われるものである.
 竜骨に就いて化学分析の結果,主成分は燐酸カルシウムであるが一部に二次成の CaCO3 calcite によつて交代されている.燐酸カルシウムは光学的に燐灰石 apatite の繊維状集合体を形成する.最近アメリカの古生化学者 Philip Abelson 氏の研究によると数十万年を経た化石骨中にもアラニン,グリシン,ロイシン,ヴァリン,グルタミン酸等のアミノ酸を検出するとのことである.竜骨が強壮薬となるのは或いはこのような有機成分が与かるものかも知れない.
8. 似竜骨石(北第134号礦石数種中) 一種の化石木で樹幹の繊維か SiO2 で交代された珪化木 siliceous wood である.その破片の状況が竜骨に似るのでこの名がが出たのであろう.江戸時代に中国から渡米した竜骨にはこの珪化木が多かつたらしい.


ナルバダゾウ 学名(Palaeoloxodon namadicus)
https://paleontology.sakura.ne.jp/narubatazou.html

アケボノゾウ切歯・臼歯
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32353816



めでたさも16時間の年始かな
リモコンで年賀と惨状切り替わり

2回目が激震だったので、次に揺れたときはそのつもりで避難行動をすると思いますが、それで何もないことが続けば、またその経験から、追加的な警戒をしなくなるのかも…

NHK「光る君へ」は、正月7日に凶事の予言で始まり、驚きました。今年はもう正月気分ではなかったですが…
星図の元ネタはあるのでしょうか。口星? 国星? と思って検索してみたのですが見つからず…
PCのフォントを使った印刷物という話もあって、もしかして文字化けや誤写の可能性も?
冒頭の「貞元二年(977)年」は見ない表記方法で、~(977年)で良いのでは…


2023年12月5日火曜日

上田地域千曲川自然電子図鑑が見つからない?

上田地域千曲川自然電子図鑑
上田地域千曲川自然電子図鑑のトップページ

「上田地域千曲川自然電子図鑑」が見つからず… 消えている?(旧URL http://edu.umic.jp/zukan/)
変更はリニューアル時でしょうか? 「ウェブサイト 34点」とありますが、現状は29? (上田市景観マップとロケ地探訪マップは一覧にはないですが、ページはありました。黙って変更・終了? デジタルアーカイブ事業を担っている所が?)

ホームページ「上田市デジタルアーカイブポータルサイト」をリニューアルしました(2023.6.16)
https://www.umic.jp/umic/topics/2023/post-1740616.html
上田市景観マップ
https://map.umic.jp/
信州上田 ロケ地探訪マップ
https://map.umic.jp/location/


デジタルアーカイブの評価方法、基準、指標 等について、長期利用はもちろん、他にも不十分に感じる点は多いです。 実験的な取り組みを抑制しすぎるのはよくないですが…

致命的になりそうな問題
・最大データ量での運用テストは行っている?(件数増加で利用困難になる?)
・誤情報が非常に多く、"他人まかせ"では訂正が追い付かず、必要な品質を確保できない?

デジタルアーカイブ推進に当たってのガイドライン等
デジタルアーカイブアセスメントツール(ver3.0)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/digitalarchive_suisiniinkai/index.html


2023年11月29日水曜日

大姥石仏の謎

薬師仏・大姥仏の記事(富士山村誌 明治14 1881)
薬師仏・大姥仏の記事(富士山村誌 明治14 1881)


奈良尾石造大姥坐像の銘文について、明治時代の富士山村誌(写し)に読めない文字があったので、実物の写真を探して見たら、普通に読めました…
以前は実物を確認していなかったのでしょうか?
もしかして、石の表面を研磨して刻字し直したという可能性もある?

富士山村誌(明治14 1881)
藥師佛 大姥佛 塔 藥師佛ハ南ノ方富士嶽ノ内字黒谷ノ嶺ニアリ大姥佛ハ黒谷ノ東ニアリ里老ノ傳ニ寛正三年大旱ノ時人民該山ニ登リ雨ヲ祈リテ驗アリ依テ之ヲ建ルト今ニ至テ旱魃ノ年ハ村民登山シテ雨ヲ祈ルヲ例トス
 藥師佛一基 高サ一尺七寸
 大姥佛一基 仝上
  裏ニ
   願主 權大僧都眞海 釆?初 和尚位
   寛正七(年)丙戌五月日ト刻シ
   アリ

富士山村誌(明治14 1881)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1246422/1/572

『小県郡史 余篇』(大正12 1923) 603頁
https://dl.ndl.go.jp/pid/965787/1/315
二一二六 寛正七年丙戌五月日 石 大姥佛 富士山村富士嶽の中峰 願主大僧都眞海釆初和尚位。

上田情報蔵 解説石造大姥(おおば)坐像(市指定文化財)
http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=668031
http://db.umic.ueda.nagano.jp/johogura/datadisp.php?arg_sano=668033
(背面の写真)
願主
権大僧都真海法印和尚位
寛?七??五月日


「権大僧都~法印」は修験道でよくある名称のようです。
佐加神社に人が集まって大姥仏に雨を祈ったという話もあって、修験道の儀礼の名残りなのでしょうか…

https://kotobank.jp/word/法印-627033
>先達であれば法印権大僧都を許された。したがって山伏の別称としていまも「法印さん」とよばれている。


2023年10月31日火曜日

長野県地学標本 寄付金の謎

「通俗滑稽信州地質学の話 五無斎復讐心に富む事」(信濃毎日新聞 明治36年1月11日)
「通俗滑稽信州地質学の話 五無斎復讐心に富む事」(信濃毎日新聞 明治36年1月11日)


保科百助(1868-1911)「長野県地学標本」製作での"寄付金破約"の経緯は、今も未調査のまま…
避けては通れない話なので、あまり根拠のない推測ですが、書いてみます。

軍への寄付に備えるように、教員に対して指示・示唆があった可能性は考えられないでしょうか。
・日清戦争(明治27年~28年)では、学校で寄付金を取りまとめることが多く行われました。
・採集旅行(明治34年~35年)は、義和団の乱(明治33年~34年)、日英同盟(明治35年1月30日)の頃。日露戦争は明治37年2月~明治38年10月。
・明治34年5月に採集旅行を開始。夏頃(7月~9月頃?)には資金が枯渇したので、破約は5月~6月の頃でしょうか。(「二ヶ月間許りは長野市の某下宿屋に下宿籠城となりたり僅々数円の下宿料にも究するなり」『信濃毎日新聞』明治36年1月11日1面)
・寄付をしたのは師範学校同窓生等で教育関係者。明治34年4月30日の退職広告で上層部に反感を持たれ、協力しないように圧力をかけられた? そのための口実として軍への寄付の準備が利用されたとか…
・標本頒布の募集でも同様の圧力の恐れがあり、その対策として、皇室への献納を行ったのではないでしょうか。(発案が保科百助かどうかはわかりませんが。)

長野県地学標本の寄付金の謎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/30556999


『信濃毎日新聞』明治36年1月11日1面より

通俗滑稽信州地質學の話
  五無齋保科百助述
⦅四⦆五無齋復讐心に富む事
孔子《こうし》曰《いは》く怨《うら》みをかくして其人《そのひと》を友《とも》とするは
左丘明《さきうめい》之《これ》を愧《は》づ丘《きう》も亦《また》之《これ》を愧《は》づと五無齋《ごむさい》に
至《いた》つては怨《うら》みある人《ひと》を友《とも》とする事《こと》を好《この》まざ
るのみならず面當《つらあて》に復讐的《ふくしうてき》に一と仕事《しごと》仕事《しごと》
をして見《み》せてやらんと欲《ほつ》するなり前段《ぜんだん》にも
記《しる》し置《お》きたりしが如《ごと》く予《よ》は漫遊《まんいう》の旅費《りよひ》とし
て山禎《さんてい》以下《いか》八九人《にん》の諸君《しよくん》より助力《ぢよりよく》を得《え》て四
百五十圓《ゑん》許《ばか》りの額《かく》に達《たつ》したりければ是《これ》さへ
あればとて大《おほい》に喜《よろこ》び乃《すなは》ち漫遊《まんいう》の途《と》に上《のぼ》りた
り當時《たうじ》予《よ》の心中《しんちう》には口《くち》でこそ四百五拾圓《ゑん》な
れ親子兄弟《おやこきやうだい》の關係《くわんけい》あるに非《あら》ず刎頸《ふんけい》の交《まぢは》りあ
りと言《い》ふにもあらず言《い》はゞ普通《ふつう》一偏《ぺん》の寄附《きふ》
金《きん》や草鞋錢《わろじせん》なり寄附金《きふきん》や草鞋錢《わろじせん》としては少《すこ》
しく巨額《きよがく》なるを感《かん》ず若《し》かず一日《にち》も早《はや》く漫遊《まんいう》
を終《をは》り採集《さいしう》を果《はた》して是《こ》れ等《ら》の人《ひと》に報《むく》ゆると
ころなかるべからずと日毎々々《ひごと/\/\》に金槌《かなづち》を振《ふ》
り廻《ま》はし歩《ある》きたるに標本《へうほん》は愈《いよ/\》集《あつ》まりて愈《いよ/\》
多《おほ》く百種《しゆ》位《くらゐ》にては止《とゞ》まるべくも見《み》えず三百
にも近《ち》かゝらん一日《にち》に一種《しゆ》宛《づゝ》を得《う》るとする
も三百日《にち》を要《えう》すべきに其後《そのご》寄附金《きふきん》は破約《はやく》の
緒《いとぐち》を開《ひら》きたり一昨年《さくねん》の夏頃《なつごろ》は随分《ずゐぶん》究厄《きうやく》に
陥《おちゐ》りたるなり二ヶ月間《げつかん》許《ばか》りは長野市《ながのし》の某《ぼう》下《げ》
宿屋《しゆくや》に下宿籠城《げしゆくろうじやう》となりたり僅々《きん/\》數圓《すうゑん》の下宿《げしゆく》
料《れう》にも究《きう》するなり俸給《ほうきふ》を取《と》り居《を》る身《み》にても
あらば友人《いうじん》を訪《と》ふて借《か》りもしまじを収入《しうにふ》な
き身《み》の金《かね》を借《か》りに行《ゆ》くは返《かへ》すべき目當《みあ》ても
なければ体《てい》のよき乞食《こじき》なり然《しか》らば惡《わ》るロ職《くちしよく》
を辞《じ》して還俗《けんぞく》せんか曰《い》はく否《いな》大《おほい》に否《いな》抑々《そも/\》惡《わ》
る口《くち》の職《しよく》たる何《いづ》れの官省《くわんしやう》よりも辞令《じれい》を受《う》
けたる事《こと》なければ名宛《なあて》を認《したゝ》むるによしなく
名宛《なあて》のなき辞表《じへう》は郵便集配人《いうびんしふはいにん》も大《おほい》に當惑《たうわく》せ
ん然《しか》らば漫遊《まんいう》を繼續《けいぞく》せんか旅費《りよひ》の續《つゞ》かざる
を如何《いかん》せん進退《しんたい》維《こ》れ谷《きは》まりたれども亦《また》つく
/゛\思《おも》ふやう若《も》し此儘《このまゝ》にして打過《うちす》ぎなば世《せ》
人《じん》は予《よ》を何《なん》とか評《ひやう》せん法螺百《ほらひやく》は依然《いぜん》法螺百《ほらひやく》
にして天下《てんか》亦《また》予《よ》と齒《よはひ》せざるに至《いた》らん然《しか》れど
も法螺《ほら》の豫告《よこく》に變《へん》じたる事《こと》歷史上《れきしじやう》其例《そのれい》に乏《とぼ》
しからず新言海《しんぜんかい》に曰《いは》く法螺《ほら》の責任《せきにん》を果《はた》した
るもの之《これ》を豫告《よこく》と云《い》ふ豫告《よこく》なる哉《かな》豫告《よこく》なる
哉《かな》若《し》かず如何《いか》にもして漫遊《まんいう》を終《をは》り採集《さいしふ》を果《はた》
さんにはと例《れい》の山禎《さんてい》に泣《な》き付《つ》き旅費《りよひ》を整《とゝの》え
玆《こゝ》に芽出度《めでたく》二ヶ年《ねん》の漫遊《まんいう》を果《はた》し四百餘種《よしゆ》三
萬餘塊《よくわい》の標本《へうほん》を採集《さいしふ》し終《をは》るに至《いた》りたるなり
是《こ》れ予《よ》が破約者《はやくしや》に對《たい》しての復讐心《ふくしうしん》なり面當《つらあて》
的《てき》行為《かうゐ》なり然《しか》れども予《よ》は今後《こんごは》是等《これら》の諸君《しよくん》に
對《たい》しては感謝《かんしや》の意《い》を表《へう》せねばならぬなり。
そは是《これ》にて寄附金《きふきん》の募集《ぼしふ》すべからざるもの
なること人心《じんしん》の賴《たの》むに足《た》らざるものなる事《こと》と
の眞理《しんり》を發見《はつけん》したり今後《こんご》何等《なんら》の事業《じげふ》を經營《けいえい》
するに當《あた》つても予《よ》はチビ/\したる細《こま》かき
寄附金《きふきん》は募集《ぼしふ》せざるべし他人《たにん》の御影《おかげ》は蒙《かふむ》ら
ざるべし即《すなは》ち今回《こんくわい》破約者《はやくしや》に對《むか》つて發見《はつけん》した
る眞理《しんり》は挙々服膺《けん/\ふくやう》して終生《しうせい》忘却《ぼうきゃく》せざらんこと
を期《き》するものなり然《しか》れども讀者諸君《どくしやしよくん》怨《うら》みも
面當《つらあて》も漫遊《まんいう》を終《をは》り採集《さいしふ》を果《はた》すと同時《どうじ》消滅《せうめつ》し
て跡形《あとかた》もなし五無齋《ごむさい》の心事《しんじ》光風晴月《くわうふうせいげつ》の如《ごと》し

2023年9月29日金曜日

飯島雪堂と飯島寅次郎

『上田案内』(明治40)「飯島雪堂著」「著者兼発行者 飯島寅次郎」
『上田案内』(明治40)「飯島雪堂著」「著者兼発行者 飯島寅次郎」

明治時代の本の『上田案内』(明治40)、『別所温泉誌』(明治33)は、表題に「飯島雪堂 著」「上田 雪堂主人 著」とある一方で、奥付は「著者兼発行者 飯島寅次郎」「著作者兼発行者 飯島寅次郎」となっています。
この「雪堂」は、どうも飯島保作(茂経 花月 等)のことのようです。例えば『別所温泉誌』の「詩歌」に「雪堂 飯島茂経」の名前がありました。
奥付の「著者」とは、飯島寅次郎が書いた部分もあるという意味でしょうか。
あるいは、ここでは、二人で一つの名前を使っているということでしょうか…
誤解しないための説明は何か必要かも。

『上田案内』(明治40)「飯島雪堂著」「著者兼発行者 飯島寅次郎」
https://adeac.jp/shinshu-chiiki/catalog/mh043800


『別所温泉誌』(明治33)「上田 雪堂主人著」「著作者兼発行者 飯島寅次郎」
https://adeac.jp/shinshu-chiiki/catalog/mh055500

飯島保作(茂経 雪堂 花月 1863-1931)
飯島寅次郎(嬉笑 1866-1909)
※上田情報ライブラリー「地域の文化を支えた人々Part1~Part9」の飯島寅次郎の生年はもちろん誤り。
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/jlib-tosho/4514.html

上田市立図書館 令和5年度貴重資料紹介展
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/ueda-tosho/52191.html

「塩」の地名と塩田庄の謎
https://kengaku2.blogspot.com/2023/08/blog-post.html
主峰と脇峰?
https://kengaku2.blogspot.com/2023/07/blog-post.html
醤油久保橋の謎
https://kengaku2.blogspot.com/2023/06/blog-post.html