2023年6月6日火曜日

醤油久保橋の謎

醤油窪橋の記事(小泉村誌(明治14 1881))
醤油窪橋の記事(小泉村誌(明治14 1881))

UCVの地元の謎をテーマにした番組で醤油久保を取材していて、木橋の話も少しだけ出ていました。
「かつて~」&白黒写真 という紹介でしたが、撤去は2015年頃(平成27年度)なので、さすがに気が早いような…
Googleストリートビューで2012年6月の写真がまだ見られました。

地名の由来は、俗説があったとしても、本当の語源なのか、後からの理由付けなのか、わからないことも多くて、それをわかったことにしてしまうのは、もっと残念なこと…
(記録にも注意は必要で、例えば、お年寄りが最近思い付いた話を、伝承の聞き取りと思い込んで記録、それがいつの間にか地域の昔からの伝承と信じられるようになったり。好き勝手な想像にも意味はあるのかもしれませんが。)

関係ありそうな小泉村の地名の記録
しやうゆふ(1644頃?)
醤油(1715)
醤輔田(1801)
醤湯田(1801)

関係があるかわかりませんが、付近の浦野川から築地への水路の名前
昌栄堰(醤油久保堰の江戸時代の古名) 『泉田村誌』(昭和38 1963) 140頁
塩栄(しょうえい)水路 『築地誌』(平成23 2011) 29頁


https://ucv.co.jp/program/cat_prg/regular/nanami/

土木課 上田市橋梁長寿命化修繕計画
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/doboku/

上田市景観マップ 上田市みどころ一番
https://map.umic.jp/
浦野川の景色(特に醤油久保橋)
https://map.umic.jp/contents/59.html

「上田の景観80選」にも選ばれていましたが、撤去は話題にならず、ネットにもほとんど情報がありません… (歪んだ姿だったので忍びない気持ちもあったのでしょうか… あるいは何か不都合があった?)

広報うえだ 平成3年(1991)10月1日 10頁
昭和12年頃は、手すりのない、六尺(約2m)幅の板橋だった。
昭和34年の伊勢湾台風で全部流れてしまった。

広報うえだ 平成8年(1996)6月16日 1頁
昭和47年につくられたもの。(※H10年の記事では「昭和56年竣工」)
昔は架けた人の名をとって「えいじろう橋」と呼んでいた。

広報うえだ 平成10年(1998)11月1日 6頁
昭和56年(1981)竣工。長さ約40メートル、幅は3メートルほど。
近くに50センチほどの石の道しるべ。

小泉村誌(明治14 1881)
醤油窪橋 村内通路ニ属ス 村ノ丑寅ノ方 浦埜川ニ架ス 深サ二尺三寸 廣サ二十間 橋長八間 巾三尺 木造ナリ
(※丑寅=北東 二尺三寸=約70cm 二十間=約36m 八間=約15m 三尺=約91cm)

橋を歩こう
https://kengaku2.blogspot.com/2020/05/blog-post_31.html


0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。