縛られ地蔵(左:南蔵院 右:品川願行寺)(本山桂川『日本民俗図誌 第二冊』昭和17 79頁) |
『上田小県誌』の「表35 文献にあらわれた上小地方の伝説」に「縄目地蔵(塩田町とあるのみ)」というのがあるのですが、実際には、該当するような地蔵像や伝承・風習は見当たりません。塩田地域だけでなく、小県郡全体でも見つからない……(『上田小県誌 第5巻 補遺 資料篇1』昭和48 1973 615頁)
出典を辿ると、『土の鈴』という大正時代に長崎で発行されていた雑誌(会誌)が初出のようでした。実物は未確認で、確認してから記事を書こうと思ったのですが、それから何年も経ち、もう今年も終わるので、一度、書いておきます……
この雑誌を参照したのが以下の本です。
『日本伝説名彙』柳田国男監修 日本放送協会編(昭和25 1950) 415頁
繩目地藏 長野縣小縣郡鹽田村
石地藏に旱天に降雨を祈る。荒繩で縛り、降雨があると、これを解くといふ。(土ノ鈴 一六)
※改版(昭和46 1971)では村名に「(現塩田町)」を追加。
※『土の鈴 第16輯』大正11年12月 土の鈴会 主宰:本山桂川
そもそも「小県郡塩田村」が実在しません。東塩田、西塩田、中塩田のどれかだろうと推測されたのかもしれませんが、間違いや別の塩田村と取り違えられた可能性も考えられます……
(ちなみに、小泉 山口の塩田神社の一帯も「塩田村」と呼ばれていたという話があります。もし、そうなら、上田原合戦の戦場でもあるので、武田の古文書の「塩田の城」は、ここの村上の城のことを言っていた可能性もある?)
本山桂川(1888-1974)『信仰民俗誌』(昭和9 1934) に「神仏脅迫祈願」「縛られ地蔵の類形」の記事がありましたが、この小県郡の話はありませんでした。
ちなみに、同書には「倒(さかさま)にして水中に浸す」等の話も。
本山桂川『信仰民俗誌』(昭和9 1934) 239頁
阿波名東郡佐那河内村にも「雨乞地藏」といふがある。旱魃の時には、雨乞の祈禱をして附近の池へ此地藏像を擔ぎ行き、倒にして水中に浸すと雨が降ると云はれてゐる。(後藤捷一氏)。
地域の「代表的な伝説」の中には、いつ頃どこで語られていたのか不明で、近世以降の書籍等が起源である可能性がある、むしろ都市伝説に近いような話もあります。(伝承と都市伝説の区別は実質的に不可能で、民俗学でもほとんど放棄されている? そのため、実態から離れた考察がされたり、民俗学の論説が伝承を上書きしたりもする?)
しかし、本に書かれた話が受容されないこともあるようで、縄目地蔵は、外部から地域の伝説集に伝播したものの、定着しないまま、放置されてきた、という事例なのかもしれません。
(ただし、今後、受容される可能性がないわけでもなく…… 例えば、塩野神社や生島足島神社は、平安中期の『延喜式』の僅かな記述が、約800年後の近世になって再利用されたものです……)
伝説の伝播の事例と言えるかどうかわかりませんが、小学校の生徒が先生から縛られ地蔵の話を聞いて、地元の石地蔵を縛られ地蔵と解釈する話がありました。それまでは縛られているとは認識していなかったようなので、もしかしたら、例えば、古い前掛の紐だけが残っているのを見て、縛られていると思ったとか……
(豊島区の「目白通り二又子育地蔵尊」のことだとしたら、現在は縛られてはいないようです。)
桂田金造『尋常一年の綴り方』(大正6 1917) 180頁
然らば、經驗はかくまで深く滲みこんだものばかりかといへば、左樣でもない、私は以前次の如き例にあつた事がある。私は「縛られ地藏」といふつまらない自作の話を兒童に試みた際。兒童は相當の興味を以て聞いたらしい。そしてその日の午後、一年の兒童は長崎村のあたりを散歩した。しかるに、そこに一つの石地藏がある、偶然にもその地藏が紐で縛られてあつた。所がこれは前からこんなにして立つてあつた石地藏であつたにもかゝはらず。その日に限つて兒童の注意を引いて、「あゝ縛られ地藏」「縛られ地藏」とよつてたかつて、嬉しがつて無邪氣な兒童は、後から前からこれを眺めて、まだ足りなかつたかそこらの繩
のはしを拾つて來て、又もや石地藏を縛つたり、はやし立てゝ歸つたものらしい。そして早速私を取りまいて、
「先生縛られ地藏がありました。」
「あの長崎村の十町川から少し行つた所に道が三つに分れてゐる所があるでせう、そこにあるのですよ。」
「お地蔵樣は立つて拜んでゐるのですよ。」
「ほら、屋根がしてあるお地藏樣があるでせう。」
「地藏さんは眼を閉ぢてゐましたよ。」
「涎掛がきたないのですよ。」
「何々」「何々」
とそれは詳細をきはめて、私をして了解せしめやうとつとめた。これらは經驗と、新しい觀察とが比較的短い間にあらはれた一例である。
歳の瀬に…
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二年参りにて
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