2025年6月28日土曜日

長野県の方言「するしない」と「ないないことば」

『しおだ町報 昭和36年12月』塩田平の ないないことば
『しおだ町報 昭和36年12月5日』4頁 「塩田平の ないないことば」

テレビ番組で「するしない」という北信(長野県北部)の方言を紹介しているのを見ました。
上田市周辺で似た方言に「塩田平の ないないことば」というのがあります。(ありました?)
(これは自分の感覚なので、違うという人もいるかもしれませんが)語尾に「ない」(なえ、なゐ、なゑ)を付ける言葉で、特に決まった意味やニュアンスはありません。「ない」を「な」「なあ」「ね」「ねえ」等に置き換えたのとたぶん意味は同じ。
(塩田平にも表面的には同じ「するしない」がありますが、「するない」も普通です。「する・しない」ではなく「するし・ない」という意識があります。イントネーションもたぶん違って、「い」は下げるのが普通。)

早いない(早いな、早いなあ、早いねえ)
早いしない(早いしな、早いしなあ、早いしねえ)
あるない(あるな、あるなあ、あるねえ)
あるない?(あるな?、あるねえ?、あるよねえ?)
あるしない(あるしな、あるしなあ、あるしねえ)
あるしない?(あるしな?、あるしねえ?、あるよねえ?)
するない(するな、するなあ、するねえ)
するない?(するな?、するね?、するよねえ?)
するしない(するしな、するしなあ、するしねえ)
するしない?(するしな?、するしねえ?、するよねえ?)

北信の「するしない」は比較的新しい俗語で、同意・勧誘のニュアンスがある言葉みたいです。
もしかして、語尾「ない」が特定のニュアンスに限って生き残り、または、復活したものでしょうか…

荒井崇裕「北信方言「~シナイ」について」(2000)
http://hdl.handle.net/10091/00022431

『しおだ町報 昭和36年12月5日』 4頁
紙上講座 塩田平の ないないことば 東川多寿男
 塩田平の特有なことばとして、昔から伝えられていることばに、いろいろあるが、その中でおもしろいのは、塩田のないないことばである。「それでない」とか「あれでない」「ないそうだない」というように「ない」ということばが親しい間がらに、つかわれている。
 昔から「塩田のない、ないないことばはやめておくれ」といわれるぐらい「ない」ということばがつかわれたが、このごろではあまりつかわれないらしい、それでもときどき耳にすることがある。
 またこんなことばも残っている「そのうえせ、のつけておけ」その上にのせておけとか、あげておくようにという意味だが、他府県のものには、その言葉がわからないらしい。
 このような塩田平に残されている特有な「ことば」と思われるものを、ひろいあげてみると、なかなか数が多いものである。
 いけやあ(行こう)、いかね(行かぬ)、いいじやねいか(よいではないか)、いきやしよう(いきましよう)、ろくすつぽ、ろくつたま、ばんばあ(おばあさん)はなる(はじまる)、ばかこけ(ばかをいうな)、ばたこん(なわとび)、ほける(だんだん大きくなる)、ほたつぽ(薪のふといもの)、ほうたろ(ほたる)、ぼこ(幼児)、べちやべちや(よくぬれた)へえび(蛇)へえ(灰または蠅)、べろ(舌)、どうずく(なぐる)、どんびん道具(葬式道具)、どうだない(どうですか)とんでけ(とんで行け)、とべねえ(とべない)、とうやん(父)おべちや(おふろ)、おまんま(飯)おめえ (お前)、おざんざ(めん類)およはん(夕飯)、おしよぼる(折る)おき(たんぼ)わんだれ(お前たち)わりやいい(割合がよい)、かあやん(母)、かくねつこ(かくれんぼ)、がきや(子ども)よなべ(夜仕事)、たつぽ(たんぽの中)、たべなや(召あがれ)、そのかあち(そのかわり)、ぞぜえる(あまえる)なつぱ(菜)、うめい、うんめい(おいしい)、うそだうず(うそでしよう)、うちいれ(うどんの太いもの)、うそこけ(うそをいうな)、えべや(いくこと)、えんにや(否)、えれえ(えらい)えつける(のせる)、ええべべ(よいきもの)、でいろ(かたつむり)、でつかい(大きい)、ていら、でいら(平のこと)、あちやそうかつちや(ああそうだつたですか)、あんしやん(兄)、あんた(あなた)、きんな(昨日)、ゆうべな(昨晩のこと)、めためた(益々)、まんがれい(馬鍬洗)、しめし(おむつ)、しよつぺい(塩からい)、しんのい、しんのう(つかれたこと)、じやんぼん(葬式)、せつこうよい(精出してはたらく)
 以上の外にまだまだいくらもあげることが、できると思う。



方言は、最近の変化もあって、自分の語感がすでに伝統的なものではない可能性も… いくつか書いてみると…

おやげねえ
「親気ない」「人情がない」「ひどい」「理不尽」というニュアンスが強いです。「かわいそう」だけの意味で言う人もいて、それを聞くと違和感があったりします…

なから
「だいたい」「ほぼ」という意味で「適切・妥当な量」というニュアンスもあります。何の「なから」なのか多義的だったり省略されていることもあります。(「なから仕事が終わった」は「"仕事"のなから」と「"終わった"のなから」の両方の意識があり、例えば、7割の進捗のときに、「なからの作業は終わったけれど…」(だいたい主な作業は終わったけれど、まだ終わっていない部分もある)は言うかもしれませんが、「なから作業が終わった」(ほぼ終わった)は言いません。)

おはようでごわす
丁寧な朝の挨拶。「こんにちは」「こんばんは」では「ごわす」は聞きません。
「おめでとうでごわす」も改まったお祝いの言葉。
他には「おはようさん」「こんちは」「おこんちは」「おこんにちは」「おこんばんは」「お疲れー」「お疲れでごわす」「お疲れでごわした」「ごめんなすって」「ごめんよー」

にわごめーん
人の家の庭を通させてもらうときに言う挨拶。人がいてもいなくても言う。

ご苦労様です
仕事の始め・終わりの挨拶。「お疲れ様です」「お疲れです」「お疲れ」 終了時は「ご苦労様でした」「ご苦労でした」「お疲れ様でした」「お疲れでした」「ご苦労でごわした」「お疲れでごわした」
ビジネスマナーにあったような上下の使い分けはありません。勤務に対する慰労の言葉で、感謝の意味は直接的にはありません。何かしてもらって感謝を言うときは「ありがとうございました」

しんの、しんのい
疲れた。「しんどい」「しんど」も言う。

カミナリ
「小麦粉に油を入れて味噌汁で掻き、野菜を入れたもの。」(『信州上田附近方言集』35頁)
黄色の蕎麦掻きみたいなものだったような…

へーぼー
クマバチ。(クロスズメバチは「じばち」)

じくまん、くまんばち
オオスズメバチ。



アーカイブ・エディティング、報告書等
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アーカイブ・エディティング
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仏像は動く、菩薩立像の謎
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幻のクジラ化石名?
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大正13年大干ばつ100年 ~お地蔵様と生きるまち?
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もう一人の林東馬の謎
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北条国時、北条時春の勅撰集和歌
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もの恋し火ともしころを散る桜
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2025年5月23日金曜日

アーカイブ・エディティング、報告書等

長野県 地域発 元気づくり支援金事業の資料(全国つるし飾りまつり他)
長野県 地域発 元気づくり支援金事業の資料(全国つるし飾りまつり他)

アーカイブの対象は、ウェブコンテンツの他には、団体の会報・会誌、議事録、事業報告などもあります。どんな形式で保存するのか、どんな情報を記録したいのか、どんな手続きが必要か等、検討すべきことはたくさんありそう……
例えば、ウェブで公開されている補助金事業の概要報告書は、ある程度定型的ですが、やはり情報量は少ないです。(日付が書かれていないものも多くあって、年と年度の揺れとか、いちいち確認しないといけないのは結構大変……) そして時間が経つと消されて行きます……

学校等で、数時間でいいので、地域の過去の資料を調べて報告するような実習はできないでしょうか。例えば「道の駅の計画と実績」「ご当地カルタの系譜」とか、もっとピンポイントで具体的な課題とか。
完成できなくても構いません。今ある情報が消えて行くことや、記録を残すことの意味について、一度くらいは考えてみても良いのではないでしょうか……

長野県「地域発 元気づくり支援金」
https://www.pref.nagano.lg.jp/shinko/kensei/shichoson/shinko/shienkin/index.html

「地域発 元気づくり支援金」優良事例の選定事業【平成20年度】
https://www.pref.nagano.lg.jp/shinko/kensei/shichoson/shinko/shienkin/jisshijokyo/yuryoh20.html
情緒溢れ、楽しく歩ける温泉街づくり 別所温泉観光協会(上田市)

「地域発 元気づくり支援金」 フォローアップ調査について (平成27年?)
https://www.pref.nagano.lg.jp/shinko/kensei/shichoson/shinko/shienkin/20150421followup1.html
☆県内10団体の特色ある事例
復活上田雛によるまちづくり 全国つるし飾りまつりin別所温泉実行委員会(上田市)



アーカイブ・エディティング
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仏像は動く、菩薩立像の謎
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2025年4月29日火曜日

アーカイブ・エディティング

上田地域千曲川自然電子図鑑 上田地域の地形・地質
「上田地域千曲川自然電子図鑑 上田地域の地形・地質」(非公開中?)

gooブログ(2004年3月~)が終了するそうで、また、多くの記録が消滅します。イベントレポートとか、団体の活動記録とか、重要性は不明確でも、失うには惜しいものもたくさんあるのでは……
図書館、博物館、学校等で、本等の媒体を収蔵するように、一定の有用性があるウェブコンテンツを普段から収集するようなことはできないでしょうか……

・個人や団体が作ったコンテンツを収集して、長く再利用できるような仕組みがほしい。
・即興的で完成度・信頼度が中程度のコンテンツが主な対象。
・ここで言う「アーカイブ・エディティング」は、デジタルアーカイブについての作業全般のこと。設計、運用、コンテンツの作成、作成依頼、収集、編集、保守、利用等。
・現在のウェブサービスと範囲は同じで、コンテンツの蓄積を前提としていることが特徴。各種サービス+アーカイブ機能。

残したいコンテンツというのは、例えば……

上田地域千曲川自然電子図鑑
http://edu.umic.jp/zukan/

上田小県地方の希少生物
http://kisyoseibutu.web.fc2.com/
(上田・小県の自然 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2876/index.html)

上田地域千曲川自然電子図鑑が見つからない?
https://kengaku2.blogspot.com/2023/12/blog-post.html


今年の花見…
花曇りいずこの鐘の響くやら
命にも無為の時あり春嵐
降りかかる花の香りの時雨かな


仏像は動く、菩薩立像の謎
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幻のクジラ化石名?
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大正13年大干ばつ100年 ~お地蔵様と生きるまち?
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もう一人の林東馬の謎
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北条国時、北条時春の勅撰集和歌
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もの恋し火ともしころを散る桜
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2025年3月30日日曜日

仏像は動く、菩薩立像の謎

長福寺銅造菩薩立像の説明

1月に、仏像がテーマのテレビ番組で、長福寺銅造菩薩立像の発見を「大正時代」としていました。疑問に思って、関連の話を探してみたのですが、よくわからず……
『信濃 昭和10年8月』の記事では「二三百年前」でした。(不確かな伝承があるだけで、別の由来の可能性もあるということ?)
国の重要文化財の来歴の話なので、それなりに重要と思うのですが……

NBS「みほとけ信州美仏めぐりin上田」 2025年1月31日(金)放送
https://www.nbs-tv.co.jp/program/focus8/single.php?id=95


「昭和19(1944)年に信州夢殿と共に長福寺へ寄進」は正確ではなく、仏像の所有者変更は昭和16年12月5日(官報)、八角堂は戦争中の昭和17年起工、19年竣工のようです。(戦後まで続いたという話も。) 資料によって、昭和17年、18年、19年等の表現がありました。

※生島足島神社社殿も信州夢殿も、戦勝祈願と死者への鎮魂の思いを込めて建てられたはずで、文化財として解説するときに、それを省略したり僅かな言葉で済ませるべきではないのでは……(インバウンドでトラブルの原因になる可能性もある?)

※『上田市誌 文化財編』の「昭和十三年(一九三八)に長福寺へ移されました。」(81頁)は誤りかも。昭和13年は小布施の吉沢家から大塚稔が仏像を入手した頃でしょうか。

『上田市誌 文化財編』(1999) 81頁
この夢殿観音と呼ばれる菩薩像は、もとは上高井郡小布施町(旧都住村)の旧家に伝わるものでしたが、昭和十三年(一九三八)に長福寺へ移されました。そして菩薩を祀る信州夢殿が昭和十七年(一九四二)に建てられました。

(※仏像展の講演でも不正確な内容になっていました。一度、記録を整理するべき?)


「今まで3回盗まれて戻ってきた」は、公式サイトにもある話ですが、探してみると、昭和23年と平成7年の2回は見つかりましたが、残りの1回は見つからず……

『信州上田 塩田平ガイドブック』(平成28 2016)では「二度の盗難」。(10頁「菩薩立像は二度の盗難に遭い、長い間行方不明になっていたが、二度とも無事戻ってきた。」)

「分かっているだけで3回」という言葉はいくつも見ましたが、その情報源は示されていません。
例えば、小布施で盗難があったことが、本当に「わかっている」のでしょうか?

(もしも、伝言ゲームの勘違いの可能性もあるとしたら、例えば、平成18年に返還されたときに、「(今回を含めて)2回盗まれた」→「(今回を含めず)2回盗まれた」→「今回で3回」→「長福寺で2回だから小布施で1回あったのかも」→「小布施で1回、長福寺で2回盗まれた」と変化したとか?)

昭和23年の盗難についても不明確な部分があります。
・発見は盗難の「次の日」という話と「1か月後」という話がある。
・盗んで川に捨てるのは不自然。
・浸水した仏像(旧国宝)の清掃や修理の記録が見当たらない。
(もしかして、子供のいたずらで持ち出されて、川原に放置されていたとか?)

清水利雄編『小県上田歴史年表 続』(昭和35 1960)
(昭和23年)四、一二 東塩田村長福寺の国宝救世観音盗まる。幸い次の日産川の川の中より子供達どじようと共に救い出す

UCVレポート(平成18年10月22日仏像一般公開のレポート)
この菩薩立像は以前にも盗まれたことがあり、そのときには1か月後に近くの用水路で発見されています。


『信濃 昭和10年8月』
吉澤氏の古佛像に就て
 ▽玻璃版は正面と背及側面
   栗原生
 去る五月二十六日小布施、都住に開催の信濃史談會に際して發見されたものが二三あつた。其の中の一つは都住中子塚區吉澤龜之助氏方に前代から奉安された觀音の古佛像である。
 同家の傳へに依れば二三百年前同區字下谷地と稱する人家を離れた畠の地下二三尺の所より發掘されたとの事である。
 寫眞版でも窺ひ得る通り、光背も臺座も共に失はれ、剩へ左手もなく誠に痛々しい姿に成つては居るが、相好と云ひ、時代と云ひ平安前期のもので、北信に三體(上水若槻の山千寺、下水太田の新當寺と併せ)と云ふ古佛像であると、當日栗岩氏は説明された。
 由來都住村では藥師堂の特建物、準國寶の藥師如來、藤原期と稱せらるる聖觀音(淨光寺)等、世間周知の事なるにも拘らず、この古佛像のこれまで餘り知られなかつたのは抑も何故か。
 吉澤家では昔から鄭重に奉安して置かれ乍ら一般に參拜を許さなかつた爲めか、其安置の爲め別に結むだ草庵は今尚ほ一切其儘ではあるも、これも時勢の變、最近養蠶のために尊像は居宅の座敷へ移し御堂は雜庫に利用されて居る。
 處で此の古佛像を今囘の史談會一行に見て頂きたい、見せてはといふ人が吉澤氏の友人にあつて、私達は夫等の人々の心配で會前の十四日に初めて拜觀した。
 私の今日迄に親しく取り上げて拜觀した金銅佛ではこれが第二囘目で、(其の一は南安曇郡栗尾山滿願寺の彌勒菩薩で白鳳の稱あるもの)實に襟を正して拜した次第である。
 身丈九寸、文字は何處にも見えぬが茲に殘された問題は此の佛像が最初何人に據つて如何なる所に安置されたかにある。今日迄の所では高井郡殊に延德沖の南部には此の時代に此の佛を奉安された樣に思へる寺院は文獻にも口碑にも存してゐない。
 然し乍ら湖南の高井郡は千曲川河東の文化の吹き溜りとも云ひ度い場所柄であるが故に、何時如何なる大氏人があつてこれを奉戴したのか知れない。況んや南北朝時代の如きは中央史的大氏人がこの地方に出入頻繁であつたり、殊に千曲川を隔てて西には古代文化の中核地のあるありと云ふに於てをやである。是等の點もやがては詳しく研究されて發表される時が來るであらう。


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龍骨、立石(龍ヶ沢)
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2025年2月28日金曜日

鎌倉街道歴史遊歩道

鎌倉街道
鎌倉街道(広報うえだ 昭和54年8月16日 前山寺の西)

昭和の『広報うえだ』で「鎌倉街道歴史遊歩道」というのを見かけたのですが、思い当たる節はあるものの(たぶん、今のあじさい小径と重なる)、具体的なコースや作られた経緯は知らなかったので、少し調べてみました。

1975(昭和50) 「三·五キロにわたって「鎌倉街道歴史遊歩道」ができ道案内板もある」(前山寺から中禅寺が約1.4kmなので、残りは、前山寺-手洗池-安曽神社(約2.3km)のコースか?)
1981(昭和56) 11月1日 塩田三代北条まつり(別所温泉と前山で時代行列、ふるまい等。翌年、翌々年も開催)
1983(昭和58) 上田市予算 商工費 塩田史跡めぐり道路改修工事費 1100万円
1984(昭和59) 上田市予算 商工費 鎌倉街道歴史遊歩道整備事業 452万円
1984(昭和59) 4月14・15日 前山塩野神社 甲子祭(60年に一度)
1985(昭和60) 4月3日 NHK「真田太平記」放送。(翌年3月19日まで 全45話)

現在は、パンフレット等では見ませんが、現地には「鎌倉道遊歩道」の案内表示があるようです。手洗池の西方、安曽神社、砂原池、上窪池など。
ただし、上窪池では、安曽神社北側の小道の写真に「鎌倉道遊歩道 650m」と書いてあるだけで、どこのことを言っているのか不明です……(上窪池から安曽神社までは直線距離で約1.5km)
また、柳沢から安曽神社までのコースもはっきりしません……
(「鎌倉道」自体も、そう呼ぶ理由が特にあるのか、ぼんやりした印象。隣接する集落間の道で、もっと古くからあったと思われますし、その他の道もあって日常的に使われていたでしょうし……)


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