2019年9月22日日曜日

上小湖成層 研究史の不整合

上小湖成層の泥岩~細粒砂岩
上小湖成層の細粒砂岩~泥岩

上田市誌 新期上小湖成層の柱状図
『上田の地質と土壌』98頁「図34 新期上小湖成層の柱状図」 黄色が軽石層

写真は工事現場で見た湖成層のシルト~細粒砂岩で、青色と褐色の境界部分です。青い方が下側でしょうか。他に礫層や泥炭層等があります。

湖成層の資料をいくつか見たのですが、それぞれ違いがあり、資料間の繋がり等、わからない部分がありました。特に上田市誌は論文集ではないので教科書風に結論だけ書かれていることが多く、前提となる情報・資料が不足しているように思いました。(市誌の資料編も内容は限定的。そのためか、独自な話が多くあっても、その後の地学系の論文・地質図等への影響はほとんど見られず、宙に浮いた感じ…)

『上田小県誌 第4巻 自然篇』(1963)

飯島南海夫・山辺邦彦・甲田三男・石和一夫・小宮山孝一 「千曲川上流地方の第四紀地質(その3) ―とくに上小湖成層について―」『地球科学 23巻2号』(1969)
https://doi.org/10.15080/agcjchikyukagaku.23.2_63

5万分の1地質図幅 坂城 (1980)
https://www.gsj.jp/Map/JP/geology4-8.html

『上田市誌 自然編 上田の地質と土壌』(2002)

新版長野県地質図ver.1 (2010) 坂城 上田
https://www.pref.nagano.lg.jp/kanken/chosa/kenkyu/chishitsu/chishitsuzu.html

20万分1 日本シームレス地質図
https://gbank.gsj.jp/seamless/

渡邊和輝・大塚勉「長野県上田盆地における第四紀の構造運動」『信州大学環境科学論文集 第41号』(2019.3)
http://www.shinshu-u.ac.jp/group/env-sci/Vol41/V41_2019.htm


「千曲川上流地方の第四紀地質(その3)」(1969)では上小湖成層(古期・新期)を以下のように定義しています。

古期上小湖成層
中新統または鮮新統を不整合におおい,上限は新期上小湖成層に不整合におおわれる.主として礫岩層・泥岩層・砂岩層からなり,これに数層の泥炭層と1層の前山寺浮石層をはさむ地層である.
関東ロームの多摩期初期に対比。

新期上小湖成層
古期上小湖成層を不整合におおい,最上部は新期ローム層へ整合に移化する.東部では主として礫岩層,南部では泥岩層にとみ,これに砂岩層・泥炭層をさはむ.
上限付近の泥炭層中の木片の14C年数は 28,400±1,800y.B.P. 下末吉ローム期~武蔵野期初期に対比。(※年代測定については以下の資料がありました。)
『上田小県誌 第4巻 自然篇』(1963) 252頁
塩川グループ・飯島南海夫「塩田層の絶対年代 -日本の第四紀層の14C年代 XVI-」『地球科学 1964巻75号』(1964)
https://doi.org/10.15080/agcjchikyukagaku.1964.75_46

『上田市誌 自然編 上田の地質と土壌』(2002)では、古期上小湖成層、新期上小湖成層、上田原湖成層の3つがあり、「千曲川上流地方の第四紀地質(その3)」(1969)と同じ呼称も使っていますが、定義や分け方はかなり違っているようでした。要約してみました。

古期上小湖成層
第三紀層を不整合に覆い、盆地周辺に分布。白色の泥岩層(白色粘土層)をはさむ。礫はほとんど第三紀層(内村層、別所層、青木層、小川層等)に含まれるもの。

新期上小湖成層
古期上小湖成層より低い場所に分布。石英安山岩質の平井寺軽石層(鷲場火山由来)をはさむ。(この軽石層は古期上小湖成層と上田原湖成層には無い。)
炭化木の年代測定結果は、薬師橋「>39,900 B.P」、八木沢「51,840±2,050 B.P」、室賀「56,020±3,140 B.P」(『上田市誌 自然編 資料』(2002) 1頁)、室賀61,000年前(上田市誌 97頁)

上田原湖成層
火山性の堆積物を主とした湖成層で、輝石安山岩質の火山灰層・火山砂層・礫岩層・黄褐色の泥岩層などからできている。千曲川沿いに分布し、塩田平には広がらない。
炭化木の年代測定結果は、小牧橋下流千曲川左岸で「>50,000 B.P」(『上田市誌 自然編 資料』(2002) 1頁)、小牧橋地下で28,000年前。(※以下の報告による)
宮坂晃・小諸団体研究グループ「長野県上田市に見出された第四紀湖成層」(1984)
https://doi.org/10.14863/geosocabst.1984.0_81

上田市誌で新期上小湖成層の鍵層としている平井寺軽石層は、「千曲川上流地方の第四紀地質(その3)」(1969)で古期上小湖成層の鍵層としていた前山寺浮石層と重なるもののようです。つまり、元の古期上小湖成層(1969)の、少なくとも一部は新期上小湖成層に含める変更がされているようです。
(上田市誌には前山寺浮石層についての記述が無く、詳細はわかりません。
「千曲川上流地方の第四紀地質(その3)」(1969)には「平井寺では(中略)前山寺浮石層は余りで,南部地域では最も厚い」とあります。(※「第3図 上小湖成層の柱状図」から推測すると「余り」は「3m余り」の脱字か)
『上田市誌 自然編 上田の地質と土壌』(2002)には「平井寺トンネルに通じる道路の小屋久保橋付近の崖で(中略)下から3mの礫岩層,厚さ約5mの軽石層が観察できます。この軽石層が,平井寺軽石層と呼ばれているものです。新期上小湖成層の露頭の中で最も厚く軽石が堆積しているのが,この平井寺です。」(97頁)とあります。ただし「図34 新期上小湖成層の柱状図」(98頁)の平井寺の図には下から3mの礫岩層も約5mの軽石層もありません。この図の軽石層は約3mで、「千曲川上流地方の第四紀地質(その3)」(1969)の平井寺の柱状図に似ています。異なる露頭かまたは誤りか。
平井寺の露頭は盆地周辺にあり、標高は約550mで、手塚の古期上小湖成層(約540m)とほぼ同じ高さであり、その場所で、新期上小湖成層の鍵層だとしている軽石層が最も厚いというのも、不思議に感じられます。)


「長野県上田盆地における第四紀の構造運動」(2019)では、上小湖成層I(l1)と上小湖成層II(l2)に分けています。(「図2-地質図」のl1とl2の数字は年代区分ではなく単なる連番?)
「湖成層Iは上田盆地内に残存する段丘面に分布する.中~細礫サイズの亜円~円礫からなる礫層,中粒~細粒の灰色砂層および灰色泥層から構成される.礫種は周囲の地質に強く影響を受け,(中略)
湖成層IIは上田盆地内の低位地形面に分布する.中~細礫サイズの亜円~円礫からなる礫層,中粒~細粒の灰色砂層および灰色泥層から構成される.礫種は周囲の地質に強く影響を受け,(中略)
湖成層Iが分布する上田市薬師橋付近で産出した炭化木から39Ka,湖成層IIが分布する上田市小牧橋付近で産出した炭化木から28Kaの14C年代値が得られており(上田市誌編さん委員会, 2002),後期更新世であると推測される.」としています。
ただし、薬師橋(別所線寺下駅南西約200mの産川の橋)は「図2-地質図」では湖成層II(l2)の範囲であり、「図-5 模式露頭と地質構造のロカリティーマップ」でも実際とは異なる場所に表記があります。もしかして平井寺の小屋久保橋と取り違えている?(湖成層とは関係ないですが、断層5の大部分は(Loc.17 Loc.18も)古安曽地区ではなく富士山地区です。)

ちなみに、小牧山の地質については以下の資料もありました。
竹内秀行「上田市小牧山周辺地域の層位学的研究とその教材化」(2014)
http://www.nagano-kyoko.jp/r_grant_repo_2013p.htm
http://www.nagano-kyoko.jp/r_grant_repo/2014p_takeuchi.pdf

前提となる情報・資料を公開・共有・積み重ねて行くことが大切ですが、郷土研究では、概要ばかりで詳細資料が作成されなかったり、どこに何があるのかわからず、先人の成果が引き継がれなかったり、ということが多いのも実情でしょうか。概要だけでは後の人には何とも評価のしようがありません…

先日も、ある場所の化石について、もう少し詳しい資料がないでしょうかと言っていたら、説明会のレジュメとプレゼンテーションを印刷したものを頂くことができましたが、その基データを整理したものはまだ無いとのことでした。限られた時間の中では、概要だけ書いて、素材は箱に入れたまま、ということが多いのかもしれません。

引用文献、参考文献の中には、充分に検証されず放置されてきた内容も多くあるのが実情ではないでしょうか。それらを前提とした考察は、根拠のない思い込みを前提にした考察と同様に、不確実なものになるのではないかと…

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