2021年1月25日月曜日

武石小学校の焼餅石の謎、高師小僧

武石小学校の焼餅石?
武石小学校の焼餅石?(上田創造館「上田地域の地層・化石・鉱物」(2013年))

住みよい武石をつくる会広報誌に保科百助の紹介記事があることを教えていただきました。気付いた点等です。
・「ふるさとかるた 武石村」(武石小学校 1988?)「すずしげにカラコロと鳴るやきもち石」の題材になった武石小学校所蔵の焼餅石?には謎があって、一般的な緑簾石の焼餅石とは異なるように見えます。褐色の部分があり、管状の突起があります。(管の穴が内部まで続いているかどうかはわかりません。) 一般的な音はコトコトやシャカシャカで、カラコロというのは他にはまだ知りません。表面の文字?も不明です。
・保科百助が最初に入手した緑簾石の焼餅石は、武石小学校の生徒が持ち込んだもの。(『信濃公論 明治41年12月16日』)
・比企忠(ひき ただす)や高壮吉(こう そうきち)が武石村を訪問したのは明治29年4月、5月。(『地質学雑誌 明治29年7月』)
・保科百助が地質学教室に行ったのは、高壮吉によれば明治29年の秋。(『五無斎保科百助評伝』等)
・標本目録の名称は「長野県小県郡鉱物標本目録」(明治28年8月 師範学校同窓会で発表、明治29年7月『地質学雑誌』に比企忠が掲載。武石村の焼餅石が広く知られたのは明治29年?)
・立科町山部
・(七郎左衛門は世襲名の一つで、雲帯(寛致)の孫の寛経も七郎左衛門)
・(「方名 ブセキ」は江戸時代には広く使われていた名称で、もしかしたら地元由来ではなく、村外で発生して伝わってきた可能性も。)
・黄硫鉄鉱の方名は「下武石 余里其他諸所」で共通して「ヂャカ 金武石」、という解釈もできるのではないでしょうか。(「一六 柘榴石 方名 菱石 緒〆石」が似た文章です。)
・武石村産標本はもう一つ「三一 ? 下本入 ドイン石(高師小僧)」があります。長野県地学標本(明治36年)にも収録。産出場所は未確認。(小山真夫によると「下武石区のたつ原」とも。)
・鈴木半兵衛一保(甘井)
・鈴木甘井の手紙で武石をブセキと読んだかどうかは『書簡による近世後期俳諧の研究』では不明ではないでしょうか。

住みよい武石をつくる会広報誌『住みよいたけし 第21号』(2020年10月16日)
たけし 歴史さんぽ道 第3回
https://s-takeshi.jp/tiikizyoho/koho.html
武石村の歩み
https://s-takeshi.jp/siryo/ayumi.html

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