2024年7月28日日曜日

もう一人の林東馬の謎

林東馬
林東馬(『レコード音楽技芸家銘鑑』昭和15年 126頁)

林東馬と言えば幕末・明治初期の東馬焼ですが、以前、ネットを検索していて、同名の有名人?がいることを知りました。昭和前期の歌手の林東馬です。東塩田の出身、昭和12年(1937)にビクターの歌手としてデビュー、レコードは昭和15年までに10枚余り(活動期間は約1年半? 主に所謂 戦時歌謡)、戦後は昭和25年から29年に10枚余り(コロムビア、林康夫名義)。
その後、作曲家に転向、1967年頃まで歌謡曲(演歌)のレコードに10曲余りを提供(林恭生 等の名義)。
1968年以降の活動はわかりませんでした。

情報は少なく、誤情報もあるかも…
林東馬・林康夫以外のレコードについては、写真や音声からは別人のように思えました。
本名は記事によって林康夫または林東馬…
生年月日は大正7年2月3日と大正8年11月3日の記事がありました。(二と11の取り違えとか?)

林東馬が芸名だとしたら、幕末の林東馬を何か意識したのか、それとも偶々でしょうか?

地元の関係した話も聞いたことはありません。活動期間が短く、戦争と重なったために、あまり話題にならなかったのでしょうか…

できれば正確な記録・資料を残して頂きたいのですが…


レコード世界社『レコード音楽技芸家銘鑑』(昭和15.10 1940) 126頁
https://dl.ndl.go.jp/pid/1056525/1/74

林 東馬《ハヤシ トウマ》(應召中)
 大正七年(※8年?)二月(※11月?)三日長野縣小縣郡東鹽田村に生れ、十四歲上京、東京市芝區巴町長谷川花店に入り、性來の歌好きから業務の餘暇を見ては歌の獨習に專念す。其の後同店が日本ビクターの御用を受けて花の取引をするやうになつてからは、一層歌手への熱望を燃やし、一意勉勵するうち昭和十三年一月遂に佐々木俊一氏に天分を認められ、ビクター歌手として異數の推擧を受くるに至る。當時新聞紙上に「花屋の店員から流行歌手に轉向」と報道され、世の視聽を集めたものである。當時より奧田良三氏に聲樂を師事。デヴユーは愛國流行歌「戰友想へば」。その稀に聽くバスと熱心な勉强ぶりとは、將來の大成を期待されてゐる。昭和十四年九月應召。


(※以下の雑誌記事もありましたが、真偽は未確認。
「以前ビクターレコードに居て少しは名前の知れた林東馬、(中略)最近は淺草の金龍館に時々現はれる位」(『音楽の友』1942.12 ※昭和17年には東京で音楽活動をしていた?)
「戦時中は病気静養の為活躍せず」(『平凡』1952.12)
「戰後ずつと藝能界から遠ざかり歌謠學院で後進の指導に當つていたが」(『近代映画』1952.5))


塩田平ガイドマップ(15) 林東馬の碑
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34720794

北条国時、北条時春の勅撰集和歌
https://kengaku2.blogspot.com/2024/06/blog-post_24.html