雨降り地蔵の由来(下小島)(中塩田村時報 昭和27年11月) |
昭和27年11月の中塩田時報(中塩田村時報)に下小島の雨降り地蔵の話がありました。
祈りの言葉は「南無地蔵大菩薩 雨降らせ給へな」
上小島と下小島は元は小島村で、一緒に池生神社(諏訪大明神)・小島大池で雨乞いをすることもありましたが、その他に地蔵尊にも祈ったということでしょうか。どんな慣習があったのかは未確認です。
塩田は諏訪社が多いですが、湯川沿いは、八木沢 兜神社、舞田 塩野入神社、保野 塩野神社、中野 諏訪神社、上小島・下小島 池生神社、どれも諏訪社です。(保野塩野神社は「諏訪大明神宮」(宝永指出帳)で、祭神は「塩垂津命、健御名方命、素盞男命」(明治の町村誌))
祈りの言葉は「雨降らせたんまいな、ナーム、諏訪の大明神」(『ふるさと塩田 村々の歴史 第二集』中野)等でしょうか……
『中塩田村時報』昭和27年11月27日
分舘めぐり =下小島の巻=
雨降り地藏の由來
部落の西側を、人家に沿つて、流れる水路は、大池の水が流れる主要水路である。水路と並んで、一間幅の道路があり、所謂、下の角がある。下の角も別所街道寄りの所に、立派な格子作りの家に、地蔵尊が鎮座する。
其の昔、上小島から遁がれて、下小島の地に、新開地を求めた、当時の開拓者達が、土地の守本尊として、祀つたものである。
元禄五年九月二十四日建立されたが、降つて、文久三年、今も尚、地蔵尊の前に建つている石燈籠が建てられた。
以来毎年九月二十四日には、子供達によつて、地蔵尊のお祭りが行はれる。
又、日照りの続いた時には、人々が集つて、雨乞いすると、一天俄かにかき曇り、慈雨をもたらしたといふ事である。
地蔵尊がある所から、別所街道迄の曲りくねつた坂道を、人呼んで地蔵峠と云ふ。
地蔵尊を抱う様にして、生い茂つていた、ひもろの大木は、数百年の風雨に耐えて来たが、今春 三月果樹の赤星病撲滅の為に伐られたが、公民舘の欄間に用いられて区民の話題になつている。
『ふるさと塩田 村々の歴史 第二集』(昭和63年 1988) 95頁
大正十三年の大旱魃には昼夜交替で鐘をたたき調子を合せて「南無地蔵大菩薩雨降らせ給へな」と祈願し、近郷からも大勢の参拝者が訪れて一週間後には恵みの雨がふりました。
金井の雨乞い地蔵尊
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