2020年5月31日日曜日

橋を歩こう

烏帽子岳冠雪
烏帽子岳冠雪(塩田公民館)

ちいきたんけん ナゾときチャン!!の『「橋の名前」のナゾ』は延期とのこと。
地域に主な橋がいくつあるのか、名前や建設年等の一覧の所在、名前は誰が付けるのか等、基本的なことも教えて頂ければありがたいです。
http://www.ucv.co.jp/program/nazo.html

写真の絵は塩田公民館にある池田美津雄(1926-2006)作「烏帽子岳冠雪」で、描かれた湯川の橋の場所を探してみたことがあるのですが、わかりませんでした。(偶々思い出して少し歩いただけで、丁寧には探していません。)調査不足か、状況が変化したか、または、絵画なので写真通りというわけではないのかも。
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34738334

旧上田市の広報で「橋を歩こう」(平成8年~12年)という連載がありました。
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/koho/list54-168.html
https://sites.google.com/view/uedanominwa/kouhou01

そういえば、昨年の台風の後、醤油久保橋のことを聞かれたことがありますが、確か、平成26年から27年の頃に撤去されています。(ストリートビューで2012年6月撮影の写真をまだ見ることができました。)大きな話題にならずいつの間にか消えているのは、この地方らしい?のでしょうか…


図書館等が再開したようで何となくほっとしてしまうのですが、危険性は依然ありますし、活動を再開すればその分のリスクは確実に増えるわけで、感染の少ない地方では、むしろこれからが本番になる可能性も… 職場、学校、病院等の人の集まる所で感染が発生して自分や家族が関係することは今後も心づもりをしている必要があるかと。
感染の他に心配なのは、冷静な反応をする人と過剰な反応をする人との間で摩擦が起きて混乱することです。感染を恐れる方へ傾きすぎて、酷い言動で人を傷つけてしまったり。
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/kenko/19944.html

2020年5月24日日曜日

箱入り模型

ペーパークラフト(方解石へき開など)
ペーパークラフト(方解石へき開など)

方解石は潰れたマッチ箱のような形に割れるという話から作ってみたペーパーモデルです。他に、方解石の実物(黄色)や八面体など。(箱の長辺は約54mm。実際に作った各模型はこの写真のものより大きめでした。)
勉強会等で鉱物のペーパークラフトを作ってもすぐに壊したり捨ててしまうとのことで、箱入りにしたら手元に置いてもらえる可能性が少しは増えるかも、という気持ちもありました。他の工夫としては、マグネットテープ等を中に入れると、ホワイトボードに貼り付けたり、模型同士をくっつけたりできて楽しいと思います。

方解石の破片の頂点を見ると、3鈍角が2つ、残りは2鋭角1鈍角になっています。平行四辺形の六面体では、反対に、3鋭角と2鈍角1鋭角のものも作れますが、手元の標本ではそれはありませんでした。

以下、展開図(svg)の一部です。のりしろの位置は作りにくいかもしれません。


以下、方解石の展開図を作成する javascript(ソース)です。ほぼ座標のベタ打ちで、配列中の各面の頂点座標は1頂点がグローバル、残りはローカルにしています。

2020年5月1日金曜日

ホルンフェルスの謎

ホルンフェルス 青木産(左) 松代産(右)
ホルンフェルス 青木産(左) 松代産(右)

青木村(左側)と松代(右側)の点紋ホルンフェルス(spotted hornfels)です。呼称は他にも点紋スレートとかいろいろ。ホルンフェルスという岩石名は言いにくく憶えにくいですが、ブラタモリのおかげか、多少は受け入れられやすくなったのかも。

松代のモノトーンのドット柄の石は村雨石(むらさめいし)と呼ばれて有名です。黒色泥岩・黒色頁岩が接触変質したもの。この他にもいろいろなタイプのホルンフェルスがたぶんあると思いますが、詳しくは知りません。
青木村や上田市のホルンフェルスにもいろいろなタイプがありますが(松代の村雨石によく似たものとかも)、これは川原の石ころ観察でよく見かけるもので、松代の村雨石と比べると、基質は青灰色や緑色、やや粗粒で、元の石はシルト岩かもしれません。
上田市誌等で、このタイプのホルンフェルスも村雨石と呼んでいるのですが(『上田市誌 自然編1 上田の地質と土壌』116頁)、見た目が同じとは言い難いのと、(松代も含めて)各地でいつ頃からあった名前なのか、資料が不明で、真偽是非の判断の仕様がないという感じ…

ウェブで村雨石について検索すると、真田幸貫(ゆきつら 之貫? 1791-1852)と佐久間象山(1811-1864)の話が見つかりました。

真田宝物館に、関連する「茶碗 外 書翰2点」がありました。書翰の具体的な内容はウェブでは見つからず。
http://jmapps.ne.jp/sndhmt/det.html?data_id=2654
資料解説 松代豊栄の赤柴産の村雨石を8代藩主・真田幸貫が徳川斉昭におくり、関白鷹司正通を経て孝明天皇に献上された。その返礼として斉昭を通じて幸貫に下賜された茶碗。


佐久間象山が幼少期に硯石を拾ったという話は『象山全集』(大正2 1913, 増訂 昭和9-10 1934-1935)の年譜(文政2年)にある「天石硯銘幷序」が出典と思われますが、それには村雨石の名前は無く、斑紋の描写もありません。むしろ村雨石ではなかった可能性の方が高いように思いました。(では、村雨石の話はどこから?)

『象山全集上巻』(1913 大正2)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949396
佐久間象山年譜
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949396/54
天石硯銘幷序
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949396/384

『増訂 象山全集 巻1』(昭和9-10 1934-1935)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1038089/

象山先生年譜
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1038089/27
文政二己卯年(二四七九)
〇八九歳の時戸外に遊び天然石の硯を拾得す父一學以て他年大名を成すの祥となす(天石硯銘幷序)

天石硯銘幷序
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1038089/264
   天石硯銘幷序
余年八九歳時。與鄰童嬉戲。拾得片石。色黑質潤。面有一池。側圓不假斧鑿。左
淺右深。深者可以貯水。淺者可以磨墨。先君觀之曰。昔東坡幼時與羣兒鑿地
爲戲。得異石。有貯水處。善發墨。老泉曰。是天硯也。有硯之德而不足于形耳。可
謂文字之祥矣。因手刻其匣以授東坡。後果爲大儒。今兒所得頗似之。毋乃亦
文字之祥乎。乃手製其槽以賜。余寶而藏之。余之才質固無以望於東坡。然年
長學進。稍稍以文字見稱於人。至于所作賦。有辱瀆天覽者。天下聞之莫不爲
榮。則先君之言亦驗矣。今爲之銘。以付兒恪。恪也其祗保之。銘曰。
樸而剛。重而靜。澤而光。以此進道。所以考其祥。
 東坡元豐二年得罪下獄。家屬流離。書籍散亂。明年至廣州。求硯不復得。以
 爲失之。後四年。舟行至當塗。發書笥忽復見之。喜付迢邁二子。余以嘉永七
 年四月。坐事下江都獄。九月。送鄕里禁錮。書帙器用多所散失。此硯不復見。
 後數年。偶得之於雜具匣中。以付恪兒。其顯晦之蹟。亦有甚似東坡之硯。可
 謂奇矣。因附記之。

※書き下し文。不勉強のため、誤りがあると思います。
余、年八、九歳の時、隣童と嬉戯し、片石(へげいし)を拾い得たり。色黒く、質(きめ)潤あり。面(おもて)に一池あり。側圓(※楕円)斧鑿(ふさく)を仮りず。左浅く右深し。深きは以て水を貯むべく、浅きは以て墨を磨るべし。先君之を観て曰く、昔、東坡、幼時に群児と与(とも)に地を鑿(うが)ち戯れを為し、異石を得たり。水を貯むる処有り。善く墨を発す。老泉曰く、是(これ)天硯(てんけん)なり。硯の徳有りて、形足らざるのみ。文字の祥と謂うべし。因て其の匣(はこ)を手刻し以て東坡に授く。後、果たして大儒と為す。今、児の得る所、頗(すこぶ)る之に似たり。乃(すなわ)ち亦(また)文字の祥 毋(なか)らんや。乃ち其の槽を手製し以て賜う。余、宝にして之を蔵(おさ)む。余の才質、固(もと)より以て東坡を望むこと無し。然(しか)るに年長し学進みて稍稍(やややや)文字を以て人に称(たた)えらる。賦を作す所に至り、天覧を瀆(けが)し辱(はずか)しむる者有り。天下之を聞き、栄と為さざるなし。則(すなわ)ち先君の言(げん)亦 験(しるし)なり。今この銘を為し以て兒恪と付す。恪や其の祗(つつし)み之を保つ。銘に曰く、樸(ぼく)にして剛、重にして静、澤にして光る。此(これ)を以て道を進む。以て其の祥を考ずる所なり。
東坡、元豊二年、罪を得て獄に下る。家属流離して書籍散乱す。明年、広州に至り、硯を求むるに復び得ず。以て之を失えりと為す。後四年、舟行して当塗に至り、書笥(しょし)を発(ひら)き忽(たちま)ち復び之を見る。喜び迢(※迨?)邁二子に付す。余、嘉永七年四月を以て、事に坐して江都の獄に下る。九月、郷里へ送り禁錮す。書帙(しょちつ)器用散失する所多し。此(この)硯復た見ず。後数年、偶(たまたま)之を雑具匣中に得る。以て恪兒と付す。其の顕晦(けんかい)の蹟、亦 甚(はなは)だ東坡の硯に似る有り。奇と謂うべし。因て之を附記す。


(意地悪く大げさに言えば、出所を示さず、確認を助けないのは、子供達に思考停止を強いることでもあると思います。メディアや学校等、多くの場面でそうなっている理由はあるはずですが、それに慣れてしまっていないか、繰り返し気にかけても良いのではないかと。優秀・適格としても、思考停止の毒を甘く見てはいけないはず…)

2020年4月21日火曜日

石の模型

黄鉄鉱・斜長石の模型
黄鉄鉱・斜長石の模型

黄鉄鉱 模型(はがきサイズ)
黄鉄鉱 模型

以前試作した黄鉄鉱と斜長石のペーパークラフトです。
結局、没企画となりました。小さくて作成困難(大きいと邪魔)とのことで…

面の角度等は不正確です。だいたいこんなような形、という程度。

武石のブセキはこのタイプも多いようです。
ちがい石(斜長石の貫入双晶)の交差の角度は、この模型では60度ですが、これまで見てきた標本は50度台が多かったように思います。(「たす石」の話を聞いてから気にしていますが、90度のものはまだ見ないです。三つの結晶、約50度+約50度、中央の結晶が小さいか欠損、というものかも。)
ちがい石の謎
https://kengaku2.blogspot.com/2020/04/blog-post.html
ちがい石、かけ石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32671194


化石標本の模型もあれば面白そうですね。ゾウの頭骨と臼歯、足跡(着地痕、支持痕、離脱痕等)とか。


自然観察は例年と変わりませんが、考えることは似ているようで、人で賑わっている所もあるようです。いつも空いている駐車スペースが満車状態だったり。(遊歩道や登山道では同じ場所を継続的に歩くので、人が多ければ、前と間隔をあけたとしても、リスクが無いというわけにはいかないかも。)
いつもなら賑わっているはずの場所へ行ってきて、すいていて快適だったと(たぶん冗談で)言っている人がいました。それを多くの人がやったらやはり混むことになるわけで。
いろいろ考えすぎて疲れて思考が硬直、同じ言葉や考えを繰り返しているような気もします…  人との距離だけでなく、いつもと少し違う自分との距離感も大事ではないかと。

2020年4月3日金曜日

ちがい石の謎

斜長石流紋岩(ちがい石の母岩)
斜長石流紋岩(ちがい石の母岩 丸子地域(※弘法山ではない))

ちがい石 模型
ちがい石 模型

輝石(長柱状・透入双晶を集めたもの 八ヶ岳)
輝石(長柱状・透入双晶を集めたもの 八ヶ岳)

次回の「ナゾときチャン」は「上田市でしか採れない石のナゾ」とのことで、違い石(ちがいいし)がテーマのようです。
以前の「信州うわさの調査隊」の取材の後、進展はあったでしょうか。
(帽章・バッジのメーカーとか、旧小学校の郷土資料室に残っている可能性は…)

ちいきたんけん ナゾときチャン!!
http://www.ucv.co.jp/program/nazo.html
信州うわさの調査隊 上田にとってもレアな中学校の校章があるらしい!?(2016.8.15)
http://radikanchosatai.naganoblog.jp/e1979715.html

18日に他番組での紹介もあるそうです。
長野朝日放送 駅前テレビ 上田ミステリー「謎の石」を探せ
https://www.abn-tv.co.jp/ekimae/

実は、タイトルの「上田市でしか採れない」もナゾの一つで、誰がどのような根拠で言い出した話なのか、調べてみたのですが、わかりませんでした。(中性長石、貫入双晶、それぞれは稀産というわけではないので)

『西塩田時報 昭和24年7月20日』(1949)「徽章制定に就て 西塩田中学校」の記事には「ちがい石の産地は国内でも数ヶ所あるだけだそうです」とあって、他にも産地があると認識されていたことがわかります。(記事のコピーが、とっこ館に展示されていました。)

『上田小県誌 第4巻 自然篇』(昭和38 1963) には稀産についての記述は見つからず。(91頁 95頁)
『上田小県誌 第5巻 補遺・資料篇(2) 自然』(昭和48 1973) でも「中性長石は,造岩鉱物として広く産し,中性の深成岩および火山岩,また変成岩に主成分鉱物として見いだされる。」(17頁)

『日本鉱物誌(改訂版)』では中性長石の産地として「小笠原島中硫黄島」「壱岐国渡良」等を挙げています。

『日本鉱物誌(改訂版)』(大正5 1916)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933382/113
神津俶祐「本邦産斜長石の類別に就て」(『地質学雑誌 17巻202号』明治43.7 1910)
https://doi.org/10.5575/geosoc.17.283
地質ニュース1957年12月号 No.40 地質調査所の標本(その4)斜長石
https://www.gsj.jp/publications/pub/chishitsunews/news1957-12.html
和田八重造 粟津秀幸『原色日本岩石図譜』(昭12 1937) PLATE15. 石英閃緑岩
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1115017/21

正田篤五郎「宮城縣栗原郡金田村附近産中性長石の形態」(『鑛物と地質』3巻2号 1949.9) では泥流中の中性長石(カールスバッド式双晶等)を報告しています。

調べた資料の中で稀産について言及があったのは、『長野県地学図鑑』(昭和55 1980)「日本では小県郡下が唯一の産地である。」(139頁)、『上田市誌 自然編 上田の地質と土壌』(平成14 2002)「ちがい石は,全国的にみてもここだけに見られる貴重な鉱物なので」(23頁)、それと、平成10年にちがい石の産地が市指定文化財に指定されたときの広報うえだ(平成10年7月16日)等の記事でした。
何かを参照したはずですが、毎度のことながら、出所をたどることができません…
(昔の本の中には、呆れるような、ひどい作り話もあったりします。)

結晶が大きめで、きれいに分離して、人に気付かれるような所は、もしかしたら限られるのでしょうか。(「"標本産地"は少ない」という話が「ここでしか産出しない」という話に変化した? 例えば、輝石の"産地"も人によっては "標本産地"(大きな分離結晶の、商品になる)という意味だったりします。)
ここの流紋岩・デイサイトでも、砂粒に近い大きさだったり、石基よりも先に風化して壊れたり、きれいに分離しなかったり、という所はたくさんあります。

誓い石の話は「あやつこ」等から来ていると思いますが、この地方でいつ頃どんな習俗があったのかは資料を見たことがなく、わかりません。

(ちなみに、旧西塩田小学校南校舎の西側の黒っぽい建物が、戦後に西塩田中学校校舎として増築された部分です。統合後は小学校として使われたので、旧小学校校舎と言って間違いではないですが、最初からそうだったというわけではないです。)

以前の関連の記事です。
ちがい石、かけ石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32671194
西塩田中学校のバッジ
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32655821
西塩田中学校の校章
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35327673
変形した高温石英
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32771364
弘法石の謎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/28575940
サッカーゴールと校内放送
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32923334