2021年12月22日水曜日

鎌倉殿と信州上田

北向山焼討
『善光寺道名所図会 巻之五』木曽の軍勢 北向山を焼討にす (木曽義高(義隆) 手塚光盛 等)

中禅寺薬師如来像の台座の戯画
『上田市誌 文化財編』84頁 中禅寺薬師如来像の台座の戯画

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」と関係がありそうな人物について書いてみました。

北条義政(1242?-1282)は北条義時(1163ー1224)と姫の前(?-1207)の子の重時(1198-1261)の4男。孫ですが義時の死後なので登場はなさそう。

木曽義仲(1154-1184)は登場するようですが、手塚光盛や塩田八郎高光はどうでしょう。一場面でもあったら感涙する人もいるかも…
例えば、義仲が立ち寄った寺で仏師が仏像を作るのを眺めていたら、手塚光盛が台座用の板に落書き、僧は困った顔、義仲と家臣は「似てる」「似てない」と面白がって、仏師も絵を見て笑い出す、みたいな。(権威よりも諸芸実力重視の新興の気風と心の繋がり。台座の戯画は実在。手塚光盛は手塚治虫の先祖という説も。手塚光盛の話は(近世の義仲伝説と同様に)根拠のない推定も多く大部分は偽史かもしれませんが)
中禅寺 木造薬師如来像
https://museum.umic.jp/bunkazai/document2/056.html

『善光寺道名所図会』等に木曽義仲の軍勢が上田市別所温泉の寺院を焼き討ちした話がありますが、どうも史実ではないようです。出典とされた『出浦古記』については不明。たぶん江戸時代中頃の小説か小説を基にした歴史書ではないかと思いますがわかりません。北向観音の由来話も同じルーツ?
(別所を「出浦」と呼び(出浦への帰属意識?)、先祖から代々北向観音を支え、木曽義仲とは敵対する、という意識を持った人達が江戸後期にいて、その「歴史」が現在まで継承されているということでしょうか)
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2000515100/2000515100100020/ht087151
此上は暫時に押寄一宇も不残焼払へと其夜十万の軍勢松明を用意し油断を見すまし忍び入数ケ所の寺院に火を懸たり
折節魔風頻に吹て甍を並べし大伽藍寺院町家民家迄一端に焼上る
思ひ寄ざる事なれば上を下へと騒動す僧俗男女の焼亡いふも更なり
嗚呼今日いかなる日ぞや寿永二癸夘五月廿一日さしも東国一の大伽藍一時の灰燼と成にける
木曽の軍勢十方より鯨波《ときのこゑ》天地に響き押よする 下略

信濃国守護になった比企能員(?-1203)、その一族で塩田庄の地頭になった惟宗忠久(1179-1227 島津氏初代)
(ちなみに、明治時代に違い石など小県郡の鉱物の分析をした比企忠(1866-1927)は、比企氏の子孫として系図作りなどもしているので、信州に因縁を感じていたかも。)

小泉庄を本拠にしたと言われる泉親衡。確実な史料や遺構は少ないようですが、反乱に失敗、追っ手を撃退、逐電、後世様々に伝説化したという怪人物。映像で見てみたいです…
『新刊吾妻鏡 巻二十一』 建暦三年(1213) 二月十五日、十六日、三月二日
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2599728/51
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2599728/53

文禄3年(1594)(豊臣秀吉の時代)の記録の写しで、本当かどうか、出典も不明ですが、安楽寺開山の樵谷惟仙が木曽義仲の一族という話がありました。(常楽寺と手塚氏や塩田氏に親戚関係があった可能性があり、没落後に別所を頼った人がいた可能性はあるとは思います。)
信濃史料 巻五_2
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2000710100/2000710100100010/0502/?pagecode=6
塔名(銘)写
崇福山安楽禅寺開山樵谷伊遷(惟僊)禅師者、源朝臣木曽生縁也、憐(隣)寺之於常楽教寺、年齢到於拾六歳迄、成天台之学

木造惟僊(仙)和尚坐像(安楽寺)
https://museum.umic.jp/bunkazai/document2/059.html

藤原景清(?-1196?) 平家方の怪力の武士。伊藤景清 平景清 悪七兵衛景清 上総悪七兵衛尉景清 など。
御嶽堂の宝蔵寺(岩屋堂観音)に悪七兵衛景清の旗があるそうです。(後付けの伝説以外で)実際にいつ頃どういう縁があって作られたのか不明…
御嶽堂村誌(明治12頃? 1879?) 龍洞山宝蔵寺(72)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03ADM110A35190
寺宝ニ七兵衛景清ノ旗ト云フ赤絹ニ 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散 妙音観世音 ノ四句ト 治承四年八月廿一日 ノ文字アリテ 景清ノ花押アリ
同髻観音ノ小銅像 同聖徳太子ノ像アリ 又 牛ノ玉アリ

旗の言葉は妙法蓮華経で、観音を念じれば敵は退散するという意味。
妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818281/30

「髻観音」は悪七兵衛景清が髻(もとどり)の中に常に入れていた千手観音菩薩像で後に伝来したものとも。
「牛の玉」は「牛玉」「牛王(ごおう)の玉」

海野小太郎幸氏。人質の木曽義高の身代わりをした話が吾妻鏡にあり、ドラマでも場面がありそう。その後は鎌倉幕府の御家人として活躍。義高と同年代とすれば、義仲に従って戦った話は他の海野氏の可能性も。(義仲を担いだ信濃の武士が鎌倉時代にも存続しているのは、当初は頼朝と義仲は一応協調していたこと(義仲にとって頼朝は父義賢のかたきの義朝・義平父子の子・弟)、義仲は旗印であって絶対に代替できないほど強固な関係ではなかったこと(義仲は河内源氏の義賢の遺児であり、信濃領有は一時的なので "信濃源氏" とするのは無理がある?)、馬の生産・運用の専門家集団でもあったこと、等が理由でしょうか。)
新刊吾妻鏡 巻第三 寿永三年 四月 廿一日
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563194/64
而海野小太郎幸氏者與志水同年也 日夜在座右 片時無立去 仍今相替之 入彼帳臺 卧宿衣之下 出髻云云

義経討伐で敗死した土佐坊昌俊(渋谷金王丸?)。土佐坊昌順が舞田の法樹院を創建したという言い伝えや、塩野入(渋之入?)に渋谷金王の墓所があったとか、金王五輪塔は土佐坊昌俊の供養塔ではないかという話があります。塩田北条氏を頼った渋谷氏の一族がいたかもしれないとか。実際に関連があるのか、いつ頃できた話か不明。近世に「金王丸信仰」のようなものがあって、その痕跡とか?(本当に鎌倉時代で古文書(嘉暦4 1329)「小泉庄内前田・罡村泉小二郎知行分」が舞田・岡村なら、泉氏が建立した可能性も。)
吾妻鏡 文治元年九月九日 十七日 二十六日
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019645/121
郡村誌 小県郡舞田村(114)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03ADM110A35230
法樹院(中略)寺傳ニ文治元年渋谷土佐入道昌順故有テ創建シ金玉庵ト称ス後法樹院ト号ス 字塩野入ニ渋谷金王ノ墓所有リ永禄中大破ニ及ヒ某室賀入道某室賀甚七ヲシテ之ヲ再建スト云フ確乎タラス

『檀林飯沼弘經寺志』(摂門 1782-1839) (浄土宗全書 第19巻)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1226434/419
○葉蓮社秋譽紅巠は大阪人 飯沼に止錫習學し數年ののち諸國廻國し信濃國上田領鹽田庄舞田村飯繩山法樹院報應寺を中興し住務二十年
寺記云 左馬頭義朝朝臣の臣澁谷金王丸當國出生也 主君沒後賴朝卿に仕へ後落髮し土佐坊昌俊と名 文治元年義經主を討んと上京時五條河原にて誅に伏す 其臣舞田次郞首を壓炭と成し其骨幷守本尊地藏菩薩を當所へ持來土中に埋む 當郷澁之入と云地に廟所今にあり 是以地藏を本尊として一宇を建て金王寺と云 後久しく無住にて永祿年中本尊假移小堂領主室賀入道由緖同姓甚七奉行として永祿七年再興し今の寺山號に改め秋譽を中興とす
天正十一未年十一月二十五日寂

2021年11月6日土曜日

脱日本遺産、泥宮の朝日、レイラインの競合

泥宮 夏至の朝日
泥宮 夏至の朝日の写真パネル(日の出位置は頂上よりも南)

斜め鳥居と架空レイライン
日本遺産を象徴する 斜め鳥居架空レイライン? どう案内する?

泥宮に夏至の朝日の写真パネルが設置されたとのこと。
日本遺産のマークが無く、もしかして補助金対象外?

泥宮は日本遺産の構成文化財ですが、申請資料には泥宮の夏至の朝日の話はありませんでした。レイライン関係の説明は、「かつては生島足島神社の西鳥居とまっすぐな道で繋がっていたといい、御神体を同じくするこのふたつの神社は、深い関係があることを示す。神社はレイラインを構成する、聖地のひとつとして親しまれている。」
(ただし「まっすぐな道」は絵図等で確認できず、後付けの脚色という可能性も。)

日本遺産ストーリーで泥宮の扱いが小さいのは、信濃国分寺-生島足島神社-別所温泉 のラインと競合するためでしょうか。太陽の線に近いはずの、王子塚、皇子塚、無量寺、手塚八幡社、塩田水上神社などを構成文化財から外しているのも競合を隠すため?
申請時には、レイラインの競合を意識する、合理的な感覚があったのかも。(関連ログ ご当地検定)
認定後に泥宮とその先に注目するようになったのは、日本遺産レイラインが脳内絶対化して、競合を避ける必要を感じなくなったため? もしそうなら、危険度は上がりますが、事例としては興味深いです…

泥宮、生島足島神社、信濃国分寺の日の出時刻は異なるので、泥宮の日の出の方角は「信濃国分寺と生島足島神社を結ぶ、夏至の朝日が照らす光の線」(日本遺産パンフレットのレイライン。実在するか未確認)とは一致せず、必ずズレることになります。生島足島神社で約1度(太陽約2個分)、信濃国分寺で約2度(太陽約4個分) どの地点・時刻の方角を選ぶ? こまけぇこたぁいいんだよ?

写真パネルの裏に解説文があって「烏帽子岳-信濃国分寺-生島足島神社-泥宮-女神岳」をレイラインと言っています。しかし、日本遺産ストーリーのレイラインは、解説文にはない「別所温泉」を通る直線です。
では、塩田地域の人は「烏帽子岳-信濃国分寺-生島足島神社-泥宮-女神岳」の直線が「別所温泉」を通ると考えるのでしょうか? 観光客にそう案内するのでしょうか? 子供達にそう教えるのでしょうか?


日本遺産は将来像をイメージできるでしょうか? 知名度向上と(”次”を見つけるための)時間稼ぎにはなったのかも… 今が分岐点?
(前向きに考えるなら、「ワクチン」のようなものにはなるのかも… 熱狂してしまう人もいるかもしれませんが…)
(2016年真田丸のときも、チャンスを活かせず、目に見えない失敗がたくさんあったような。反省無く、形式的なアウトプットばかり?)

地域の歴史で関心が高いものは(日本遺産より優先度を下げたりせずに)応援・支援した方が良いかと。
・真田氏・上田城・山城
・別所線(上田丸子電鉄)
・赤松小三郎・松平忠固
・産都上田
・木曽義仲・手塚光盛・北条氏
・加舎白雄
・農民美術
・たけしカルタ歴史さんぽみち
等々

御朱印、鉄印の真似で、各地の古道・峠道の集印の限定企画とかもどうでしょうか。(道印? 食・歴史・地理・地質等の組み合わせで。湯坂を越えて厄除け饅頭とか、鎌倉道であんぱん&コーヒーとか…)

別所線は101周年イベント(リベンジ)を積極的にやっても良いかも。100周年もほぼ単独だったので、日本遺産抜きでも変わらない?

カルタの歌「夏至の日の」は「冬の空」に訂正されたようですね。
「うえだ乙女百人一首」を製作!オリジナルデザインのカルタを「上田女子短期大学の学生有志」がつくる
https://ameblo.jp/idem2007/entry-12664130233.html

ちなみに、「塩田」「手塚」の名前は外来(山梨 笛吹市一宮町塩田(しおだ)、大阪 帝塚山(てづかやま))という話もあるそうですが、研究等は見たことがありません。

泥宮は上窪池の上で、前が烏帽子岳、後ろが女神岳(産川の水源の方向)。前後の山の方向に配置したら、たまたま、生島足島神社に向いて、夏至の日の出方向と一致した、という感じなのかも。創建や移設のときに意識していたのか、後で気付いて手直し等もしたのか。
始まりは偶然でも、そこに関係性や意味を見つけてしまうのが人間の認知・理性で、その中で文化が成立してきたことは、史実でもあり… それを現代にやっているのがレイライン研究の一側面?

補充調査報告書に大日如来関係の調査結果がありましたが、大日如来の石碑は一般的な供養碑として墓地などにあり、また、道路沿いには(馬頭観音のように)牛の供養碑としても多く建てられたと言われます。密教系の寺院、特に真言宗ではたいてい大日如来像があります。多すぎて、特定の信仰との結び付きを明確にするのはとても難しいような…
明確に否定もできないから、こじつけて強弁するには都合が良いのかもしれませんが。

看板いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/07/blog-post.html
夏至の朝日と別所線の赤鉄橋
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Japan Heritage delusions
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朝日いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
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The pagoda where time has stopped in the Sengoku period
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2021年10月20日水曜日

湖成層の化石

湖成層
湖成層

湖成層
湖成層(右は現代の犬の足跡)

貝化石の破片
貝化石破片の表面。藍鉄鉱化?

藍鉄鉱化した植物化石?
藍鉄鉱化した植物化石?


上小湖成層の貝化石はときどき見てはいるのですが、標本にしたことはありません。露出しているのは半分壊れていて、残りを壊さずに採取するのも難しそうなので。地層を掘り込むわけにもいかず…
窪みは足跡化石かもしれないので注意して見るようにしています。露出が狭く、連続はわかりにくいです。

自由研究の岩石・鉱物採集(桃簾石、オーケン石など)
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自由研究の化石採集
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看板いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
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夏至の朝日と別所線の赤鉄橋
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Japan Heritage delusions
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2021年10月9日土曜日

掃いて捨てるほど 化石の日

魚鱗化石 ニシン科?
魚鱗化石 ニシン科? 隆起線はこの写真では見えません。

魚鱗化石 ハダカイワシ科?
魚鱗化石 ハダカイワシ科? 隆起線と溝条を確認できます。

不明化石
不明化石 空洞化した有孔虫?

国際化石の日が10月第2週の土日、日本古生物学会の化石の日が10月15日。
「掃いて捨てるほど」という言葉がありますが、小さな化石は本当に掃いて捨てられていたりします…
たまには、そんな身近に無数にある、大昔の生き物の遺骸を観察してみるのもいかがでしょうか。

クリーニング中のクジラ化石の展示はもう少し先?

日本古生物学会 化石の日
http://www.palaeo-soc-japan.jp/fossilday/

今年の自由研究作品展は地学関係はわずかのようです。採集イベント等が少なかった影響でしょうか。川原の石ころとか、小さな化石なら、資料集めに支障はないと思いますが、情報量は現状では少ないのかも… かと言って、安易に増やすのもまずいジャンル…
令和3年度 第65回 長野県学生科学賞作品展覧会
http://kagakusakuhinten.sakura.ne.jp/

自由研究の岩石・鉱物採集(桃簾石、オーケン石など)
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自由研究の化石採集
https://kengaku2.blogspot.com/2021/08/blog-post.html

2021年9月8日水曜日

茂みを見たらクマと思え?

ツキノワグマ、イノシシ、ニホンザルの目撃・痕跡報告件数
ツキノワグマ、イノシシ、ニホンザルの目撃・痕跡報告件数(上田市の注意情報より)

タヌキ
タヌキ(夜間監視カメラ)

上田市 注意情報のクマ等の目撃・痕跡報告数をグラフにしてみました。数え漏れがあるかもしれません。
クマはほとんど目撃情報で、痕跡の報告は2020年4件、2021年0件。
目撃≒遭遇=重大な危険の発生 と考えるべきで(実際に襲撃された件も含んでいます)、目撃後に注意情報を出すのでは遅いのでは…
痕跡や監視カメラの情報を収集して、注意喚起や対策はしている?

目撃が増えるということは、昼間、集落近くで活動するケース・個体が増えているということ。
クマはもともとおとなしく臆病な動物とも言われますが、体力だけならクマが人を恐れる必要性は低く(本州の森林では突出していて、おそらくクマの敵はクマ)、クマが人を恐れるのは昔から人が武器で攻撃してきたからではないかと。攻撃が減り人への恐れが減るのなら、活動範囲はさらに接近、(平野部でも)重なることになる?(単に"駆除"では恐れを知らない性格を増加させる? 言葉は悪いですが、野生動物を虐待・圧迫し続けないと(人間にとっては)共存できないという関係?)
(災害関係では、断片的な情報と憶測で結論ありきの強バイアスな話を展開する事例をたくさん見ることができます…)

群馬県 クマによる人身被害が発生しましたので、注意してください
https://www.pref.gunma.jp/04/e23g_00021.html
松本市 ツキノワグマによる人身被害防止について
長野市 野生獣(クマなど)の出没について
出没情報・人身被害件数・捕獲数(速報値) 環境省
http://www.env.go.jp/nature/choju/effort/effort12/effort12.html

ヒグマは「本州には少なくとも34万年よりも古い時代と14万年程前の2回にわたってユーラシア大陸から本州に渡来していた」とのこと。本州のヒグマは絶滅。ツキノワグマも複数回渡来したことはたぶん確実。
【国立科学博物館】本州にかつて生息していたヒグマの起源の解明
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000305.000047048.html

ツキノワグマの子殺しの話(記録は2016年)。2017年にNHKの放送(記録は2015年)がありましたが、それへの言及や比較がないのは、スルーか、情報提供を受けられなかったか、あるいは何か不都合があったのか…
ツキノワグマの子殺しについての論文を発表
https://picchio.co.jp/news/2691
ツキノワグマ オスに子グマ殺す習性あるか NPO法人が確認
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20211015/1010020212.html
森の王者 ツキノワグマ ~母と子の知られざる物語~
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170115


自由研究の岩石・鉱物採集(桃簾石、オーケン石など)
https://kengaku2.blogspot.com/2021/08/blog-post_20.html
自由研究の化石採集
https://kengaku2.blogspot.com/2021/08/blog-post.html
看板いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/07/blog-post.html
夏至の朝日と別所線の赤鉄橋
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/blog-post_27.html
Japan Heritage delusions
https://kengaku2.blogspot.com/2021/06/japan-heritage-delusions.html