2019年6月18日火曜日

偽史・偽説と郷土愛サービス(フルベッキ写真 和田家文書)

フルベッキ群像写真
フルベッキ群像写真(道の駅 雷電くるみの里 2012年)

NHKのダークサイドミステリーで、フルベッキ写真、和田家文書(東日流外三郡誌等)、義経チンギスハン説について紹介していました。

“怪しい歴史”禁断の魔力 あなたもだまされる!?
https://www4.nhk.or.jp/darkside/x/2019-06-13/10/21482/2292006/

偽史・偽説としての扱いでした。今もフルベッキ写真を「オールスター」として紹介している所があったり、和田家文書を肯定的に研究している人もいます。そちら側から見たら、この番組が偽説ということになるのでしょう。
それぞれが切り抜き・脚色を行い、真説が同時に偽説でもあるという、重ね合わせのような現実。

フルベッキ写真については、昭和49年『日本歴史』の論文以降の紹介で、それ以前の、明治28年『太陽』、昭和47年の讀賣新聞の記事等は省略されていました。

偽説が郷土愛サービスを指向するのは今も変わらず。郷土学習等で怪しげな話を聞くことも。
偽遺産 見て見ぬふりの郷土愛 いつの間にやら子々孫々の恥
大船に乗ったつもりが泥の舟 「心配ご無用」と案山子船頭
助けなく文句ばかりの聖人より 金になるならまだ詐欺師がまし(金になったとしてそれは未来の子供達の負債?)
千年の歴史も この日この時も 虚飾覆って すべて台なし
(ニーズがあっていろいろ仕方ないのかもしれませんが… 偽説は宗教と同じで嘘の供与と受容の"共犯"の現象。誤りや矛盾を指摘されても聞き流せる… 根拠を否定しても偽説を否定したことにはならず、また別の真偽不明な根拠をくっつければいいだけ…)

和田キヨエさんの文書
http://yamataikokunokai.com/katudou/wada.htm

「歴史のロマン」的な反論(「一般人は学者の説を黙って信じろと言うのか」「歴史家の多くは古文書を重視し伝承を退けている」「隠蔽されたから証拠が見つからないのは当たり前」のような話)も興味深かったです。最近も似た言葉を聞きました… (出典御無用、バイアス全開、好き勝手な妄想を拡散するのが歴史のロマン?)

今後も偽書・ねつ造された歴史は増えてくる、ネットでは嘘が繰り返されることが起こりやすく、大きな嘘にだまされやすくなる、とのことでした。(エコーチェンバー等のこと?)
クローズアップ現代+(弁護士への大量懲戒請求)
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4200/index.html

日本遺産は 大きな嘘(Big Lie) の好例かも…
https://en.wikipedia.org/wiki/Big_lie

(言葉は常に不完全で、背景・文脈によって大きく変化。事実・史実はそれを取り上げるだけで文脈・価値観のすり替え(擬現代化等)が発生。動物の擬人化は動物行動等を人間の文脈・価値観で認識。)

対策については、何が事実がわからない状況で、事実を見極めること、事実を知ることが必要と言っても、あまり意味がないような…… 捏造・脚色の可能性を常に考えること、メディアや権威がそれら自身を疑うことを人々に強く促すこと(ダウト・ミー)が大切とは思います。(不透明な信頼よりも透明な疑いを? それでも、偽説の抑止は絶望的に困難なことで、毒を以て毒を制す、自分の手を汚す覚悟のような気持ちが必要かも。)

2019年6月13日木曜日

上田市誌の岩石年代測定の資料

上田城 真田神社の社号標 太郎山の流紋岩 柱状節理
上田城 真田神社の社号標(太郎山の流紋岩 柱状節理)

上田市の岩石・鉱物 年代測定結果
『上田市誌 自然編 資料』1頁より

『上田市誌 自然編 資料』(2002)に岩石・埋もれ木の絶対年代測定の資料が載っていますが、どの石のことかわからないものもあって、試料の詳細情報がほしい感じです。室賀の貫入岩(ひん岩)は青っぽいものや真っ黒なものを見たことがあります。「窪尻橋西方約300m地点」も少し曖昧で、輝石安山岩ではなくデイサイトとしている資料を見たこともあります。どれが本当?
変質した岩石が多く、その影響もあり得ると思うのですが、説明を見たことはありません。
(複数試料・複数方法の測定が無く、バラツキ等が不明だと、これらの測定結果も、考察・仮説も相当に不確実…)

ちなみに、太郎山「天狗岩」流紋岩(940万年±50万年(990~890万年前))というのは「六方石」「天狗石」などとも呼ばれる柱状節理の岩石です。先日、第5回真田塾講座「上田城に真田昌幸が造った石垣は残っているか?」(2019.3.2)のビデオを見せて頂きました。上田城の石垣には太郎山の緑色凝灰岩や千曲川などの河原石が多く使われていますが、本丸西虎口石垣の解体修復工事の際に、石材に六方石が含まれていたそうです。(数量はわかりません。)
平成30年度トピックス 第5回真田塾
https://www.city.ueda.nagano.jp/sanadat/documents/topics/30topics.html


資料「上田-15」(上田原層?)の「年代値(B.P) >50,000」が5万年以上前という意味だとすると、『上田市誌 自然編 上田の地質と土壌』101頁の「ここから出た炭化木の年代測定が行われ,約28000年前と報告されています。」という記述と合わないように思うのですが、どうなのでしょう…


『上田市誌 自然編 資料』(平成14 2002) 1頁より

1. 上田市各地岩石・埋もれ木の絶対年代測定結果

① カリウム・アルゴン(K・Ar)年代測定結果
資料名    年代値(Ma)    40Ar(scc/gm×105)    %40Ar    %K    採取場所および岩体・岩石名    分析年
上田-1    0.9±0.3    0.002(2) 0.002(5)    8.4 8.7    0.71 0.70    神科「虚空蔵山」通称とんび岩 輝石安山岩    1997
上田-2    9.4±0.5    0.068 0.066    36.7 40.4    1.84 1.83    太郎山「天狗岩」 流紋岩    1997
上田-3    6.9±1.9    0.029 0.031    10.4 10.0    1.11 1.11    別所温泉柏屋別館南方の採石場跡 ひん岩    1997
上田-4    6.5±1.7    0.005(7) 0.005(4)    13.6 10.2    0.22 0.22    上室賀貫入岩 ひん岩    1997
上田-5    5.8±0.3    0.036 0.036    60.9 64.2    1.59 1.59    半過「岩鼻」 角閃石石英ひん岩    1997
上田-6    8.2±0.4    0.050 0.050    55.7 52.1    1.57 1.57    水産研究所北千曲川河床 角閃石石英安山岩    1997
上田-7    7.2±0.4    0.081 0.078    44.7 41.4    2.83 2.82    前山212-1地籍温泉試掘コア地下1100m 石英安山岩    1997
上田-8    9.9±0.5    0.107 0.112    65.9 65.9    2.84 2.84    林道沢山線窪尻橋西方約300m地点 輝石安山岩    1997
THLEDYNE BROWN ENGINEERING社(アメリカニュージャージ州)分析 テレダインジャパン株式会社扱

14C年代測定結果
資料名    -δ14C    年代値(B.P)    採取場所および地層名・試料名    分析年
上田-12    >993    >39,900    産川「薬師橋」下 新期上小湖成層 埋もれ木    1997
    -δ13C
上田-13    -25.6    56,020±3,140    室賀川 新期上小湖成層 埋もれ木    1997
上田-14    -23.4    51,840±2,050    八木沢 新期上小湖成層 埋もれ木    1997
上田-15    -27.5±0.2    >50,000    小牧橋下流千曲川左岸 上田原層 埋もれ木    1999
THLEDYNE BROWN ENGINEERING社(アメリカニュージャージ州)分析

③ フィッション・トラック年代測定結果 1999年 株式会社京都フィッション・トラック分析
資料名    採取場所・岩石    (1) 測定鉱物    結晶数(個)    自発核分裂片飛跡 ρs (Ns) (cm-2)    誘発核分裂飛跡 ρi (Ni) (cm-2)    (2)x2検定 P(x2) (%)    (3,4)熱中性子線量 ρd (Nd) (×104cm-2)    (5)相関係数 r    ウラン濃度(ppm)    (6,7,8,9) 年代値(Ma) Age±1σ    (10) 測定方法
上田-9    市民の森北方 石英安山岩    Zr    30    1.22×104(  4)    6.41×105( 211)    40    7.766(2386)    -0.004    70    0.6±0.3    ED2
上田-10    丸子町梨平大沢 輝石安山岩    Zr    30    5.63×106(125)    3.18×106( 706)    19    7.766(2386)    0.773    330    5.1±0.5    ED2
上田-11    丸子町茂沢 溶結凝灰岩    Zr    30    6.03×105(306)    4.22×106(2142)    22    7.766(2386)    0.837    440    4.1±0.3    ED2

(1) 測定鉱物 Zr:ジルコン, Ap:アパタイト, Sp:スフェーン
(2) P(x2):x2値の自由度n-1のx2の分布における上側確率(Galbraith, 1981)
(3) 熱中性子線量測定用標準ガラス:NBS-SRM612
(4) 照射場所:立教大学原子炉 TRIGA MARK II 回転試料棚
(5) r:ρsとρiの相関係数
(6) 年代値:T=ln(1+λD・ζ・ρd・ρs/ρi)/λD(ED1はρs*1/2)
(7) 誤 差:σt=T*[1/ΣNs+1/ΣNi+1/ΣNd+(σζ/ζ)2] 1/2
(8) 238Uの全壊変定数:λD=1.480×10-10/yr
(9) ζED1=370±4 ; ζED2=372±5(Danhara et al., 1991)
(10) 測定方法:外部デイテクター法(内部面:ED1, 外部面:ED2)

2019年6月9日日曜日

五無斎保科百助碑の碑文

五無斎保科百助碑 碑文
信濃教育 昭和4年1月より 五無斎保科百助碑 碑文

『信濃教育 昭和4年1月』にある、長野市の五無斎保科百助碑の碑文です。浅井洌の撰文。訓読文が三石勝五郎『詩伝・保科五無斎』(1967) 232頁 にあります。

跋渉高山絶壁踏險冒危屢出入死生衢具甞辛酸
而所採集之鑛石達五万餘個盡頒之於各種學校
身不留一物其珍奇者致之於大學資學者研究其
有功斯學爲不尠矣信濃敎育會之創圖書舘也周
旋盡力無不到其有今日實君之力也性恬淡不拘
物卓犖不羈時脱繩墨而識見奇拔多足驚人者矣
初君之在小學校長之職也常語人曰他日辭職跋
渉信中之山河採集鑛物呈諸君供敎授便人以爲
放言後及實現其言人々皆驚更及見圖書舘之成
人服其精神與手腕世之信用漸篤會將大有爲之
期忽罹篤疾不起矣吁

(※丙に攴は更に替えました。)


改めて読んでみると、地学標本と信濃図書館の話に絞って、物語性を持たせた文章になっています。

「身不留一物」は少し誇張で、「当時の余りもの一万余塊」を明治41年に「おもちゃ標本」として一種三銭均一で販売もしています。(『信濃公論 明治42年3月10日』「第九。礦物地質の學普及必要の事。」)
牛山雪鞋も三将軍歓迎会の記事の中で「頗る地質學及礦物學に詳しく、其資産は悉く斯學研究の爲めに費し數年間山野に跋渉して諸種の礦物を採集し之を整理して悉く諸方の學校に寄附し、少しも自身の爲めに殘さず」と書いていたので、長野高等女学校に標本を寄贈した頃から「身不留一物」の話はあったのだろうと思います。

6月7日は保科百助の命日でした。昨年は生誕150年のイベントがあって楽しかったです。まだ埋もれている資料はたくさんあるはずなので、今後も積み重ねて行けたら良いなと思います。

また一つ年を重ねて思うかな 急がずもじき無一物なり
美しき未来に向かい思うかな なめくじ這える日陰もほしなと
足元の死骸を踏みて思うかな 知らぬが仏を知らぬも仏
石一個笑ってみれば思うかな 空に笑いの満ちてあるなり

2019年6月3日月曜日

星糞(星石)


星糞(星石)
信州和田峠 星石 (飯田市美術博物館編『江戸時代の好奇心』(2004) 33頁より)

星糞(星石) 地質学雑誌より
地質学雑誌 明治27年7月 山田・伊木「旅中見聞鎖談ノ續キ」より

先日、勉強会で保科百助「長野県小県郡鉱物標本目録」(明治28年・29年)にもある「星糞」の語源の話題がありました。本では菊岡米山『諸国里人談』(1743)、木内石亭『諸国産石誌』(星糞)、『諸州石品産所記』(星石)、伊藤圭介『日本産物誌』(明治5)(ホシイシ 一名ホシクソ)等にあります。

『諸国里人談』は田から黒曜石等のかけら(たぶん遺跡の石器)が出てくるという話で、それを当時の人は星の化石とか星の糞とか呼んだわけです。さらに、星との結び付きの起源は?となると、わかりません。石器時代からあったのもしれませんし、そうではなく、もっと後になって生れたイメージなのかもしれません。
(記述から、主に黒曜石と思われますが、他の石も混在して、明確には区別していなかったのではないかと思います。また、本物の隕石によるガラスを見た記憶や伝承も混じっている可能性も。)

※星糞を「黒曜石の方言」とする説明を見ることがありますが、星糞・星屎(ほしくそ)は中国伝来の本草学の言葉であり、江戸時代には全国的に使われていたので、方言とか地方名とは言えないのでは…(地域・学者によって定義や対象に差異はありますが)

和田峠の黒曜石も江戸時代には(諸地方と同様に)星石、星糞と呼ばれたのだろうと思います。市岡家コレクション(1800年頃)に「信州和田峠 星石」がありました。また、市岡智寛『玄経集』に和田峠の「星カ石」の記述があるそうです。(星化石?)

鷹山の「星糞峠」はもしかしたら明治からの名前かもしれません。天領・国有林で一般の入山は制限されていたそうなので。(戦後に開拓、スキー場開発)
山田・伊木「旅中見聞鎖談ノ続キ」(地質学雑誌 明治27年7月) 、山崎直方「八ヶ嶽火山彙地質調査報文」(明治31 1898)に星糞・星糞峠の名前がありました。(ここは黒曜石に「耀」の字を使ったり、名前にこだわった取り組みをしているので、峠の名前にも何かこだわりがあるのか?と思いましたが、そうではなく、遺跡調査のずっと前から学者の間では定着した名前だったようです。児玉司農武氏の文章にも「有名な星糞峠」という言葉がありました。)

※和田峠等、広範囲が「八ヶ岳中信高原国定公園」になっています。岩石等の採集には土地所有者・権利者の許可が必要で、さらに公園内や史跡等では様々な制限があります。
(誤解を招くような話を見かけますが、自然公園法の制限・許容の対象は当然、地権者。軽微な変更に止めるには不特定の採集は許容できない≒一般の採集禁止?)

菊岡米山『諸國里人談 卷之二』(寛保3 1743)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557402/14

○星糞《ほしくそ》
信濃國岩村田の邊に星糞《ほしくそ》といふ石あり 春 田《た》耕《うへ》す(※たがやす?)ころ土中より掘出す也 色うす鼡にして性《しやう》は水晶石《すいしやうせき》に似たり 大きなるは稀《まれ》也 燧石《ひうちいし》の欠《かけ》たる程の石角たちたる也 此地は他所より流星《りうせい》多き所也 すぐれて流星あるとしは此石もまたおほし これを星糞《ほしくそ》といふ


宮澤恒之「「市岡家の 考古資料」補遺」(2005)
https://doi.org/10.20807/icmrb.15.0_197

伊藤圭介『日本産物志 前編 信濃部 上』(明治5 1872)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801582/3

地質学雑誌 第1巻第10号 明治27年7月
山田・伊木「旅中見聞鎖談ノ續キ」より

旅中見聞鎖談ノ續キ (十五)信州和田峠 上諏訪に着し日尚ほ高かりしを以て之より三里半を隔てたる和田峠を驗したり、此山は木曾街道の一部にして今は舊道廢して新道の通行甚た盛なり 峠の東西に二小村落あり 東に在るを東餠屋と云ひ西に在るを西餠屋と云ふ 山越の旅人の休息所なり、和田峠は一の火山地にして西餠屋の邊より少しつゝ火山岩の散布せるを見る 此より廢れたる舊道を傳ひ行くに岩石累々として橫はり恰も河原を行くが如し 道こそなけん好き岩石は標本は數多集めらるゝなり、岩石の内里人の口にとまれる者は星石及ひ豆石なり、星石は又星の糞と稱す 尋常の黑曜石の稱なり 白き小斑點を有する者あり、豆石は Spherulitic Obsidian の種類とも云ふ可き者にして恰も豆を集めたる如き看をなせり 取り來りて公園の置石等に供せるを見る 顆粒は直徑二三許にして其發生烈しく硝子即ち黑曜石の部分は殆んと有るかなきか位なり 顆粒は多くは核として中心に一個の長石の微晶を有せり、顆粒の内部の構造に二樣あり 即ち長石を取圍みて分子か同心環樣(Concentrically)に排列せると菊座形(Radially)に排列せるものとあり 環層をなすもの多く菊座形をなす者は稀なり 此顆粒の薄片は能く光線を通過せしめす反射光を以ては灰色に見え通過光を以ては褐色に見え尚非常に多く散在せる岩石は粗面岩樣の岩石にして色白く大抵里雲母を有し時として石英を有す 能く流紋組織 Fluxion Structure を顯はし恰も木纖維の如き看を呈する者あり、和田峠に富士岩質の岩石を見さるを以て考ふれは寧ろ古代の火山ならんか 尤も路中玄武岩の露出する所ありと云ふ、(以下略)


震災予防調査会報告 第二十号(明治31 1898)
山崎直方「八ヶ嶽火山彙地質調査報文」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/831458/47
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/831458/73

第四章 火山特論 より

(十)和田峠
(中略)
峠の頂上に露出せる黑曜石は和田峠の黑曜石とて其名夙に顯れ黑曜石と稱すれば直に和田峠を聯想せしむるに至れるものなり 今此黑曜石噴出の状況を察するに和田峠の直に東に隣り鷲ヶ峯あり 南方霧ヶ峯火山に連る鷲ヶ峯は此附近に於ける最高峯にして東は男女倉澤より星糞峠の方向に長き山脊を曳き西は和田峠より緖占山に連る、黑曜石並に其類似岩は實に此鷲ヶ峯附近を中心として噴出し此等の地方に流れ一部は焙録山の富士流を蔽へり 此黑曜石熔岩は其種類一ならずして所を異にするに從ひ其外觀亦從て異れり
今和田峠地方に露出せる黑曜石の種類を示さんに其最普通なるものは黑色の玻璃にして時々褐色又は白色の彩紋あるものあり 又其色淡きときは白色或は殆ど無色を呈す 此等の黑曜石中球子を含有するものあり 普通豌豆大黝色不透明の非晶物にして其少なきものは唯僅かに點々散在するも其數次第に增加して遂に岩石全體に球子を以て充たされ透明なる玻璃質分は纔に其間隙を填充するに過ぎさるものあり 此球子となるべき物質は又充全なる球状をなせる球子を造らずして泡沫状をなし宛然熔鉄爐より生ずる鑛[金へんに宰]の状を呈し其各泡又純、不純、各種の玻璃質又は磁器状のものより成るものあり 此等の岩石は石質脆弱にして又其不純陶器質の部分は霉爛し易く爲に岩石容易に粉碎して其堅硬なる玻璃質の部分のみを剰し粗粒の砂を作る鷲ヶ峯和田峠の中間に位する山脊、及び星糞峠附近に於て其適例を見るべし、
(中略)
此黑曜石は如何なる種類の岩石の玻璃に屬すべきか試に之を鏡下に檢するに美麗なる流紋状をなせる「ミクロライト」、「ロンギュライト」の外に往々斜長石、顆粒状をなせる輝石、桂状(※柱状?)をなせる角閃石等の介在せるを認むべく、星糞峠の西方には殆と玻璃質の石基より成れる角閃富士岩あり、鷲ヶ峯の角閃富士岩の如きも玻璃質に富み其和田峠に近つくに從ひ此角閃富士岩は玻璃質と共に「ユーターキシット」構造をなすものあり、由て意ふに此黑曜石は富士岩玻璃にして即ち此鷲ヶ峯地方に發達せる角閃富士岩と同一の岩漿より成り唯其急激なる凝結によりて今日の状態をなすものたるに過ぎす 而して其外觀に種々の差あるは亦其凝結當時の状態により彼の泡沫状をなすものは意ふに岩流の表面に生じ、完全なる玻璃質をなせる部分、及び土器質にして緻密流状をなせる部分は稍其内部に位せるものなるべし