2020年12月11日金曜日

岳の幟、昇り龍と下り龍

岳の幟 神事
岳の幟 神事(布等をお供えする)(UCVレポート2017年7月17日)

『岳の幟の祭礼調査報告書(改訂版)』(昭和57 1982) より引用
Ⅱ 歴史的考察
(中略 ※16頁)
 最後に昭和33年7月15日、県文化財専門委員中村浩氏が「岳の幟」調査のために来町された当時の模様についてお伝えすることにしよう。
 「岳の幟」の行事は7月15日に行なわれるので、中村浩氏はその前夜来町されて柏屋別荘に一泊された、当夜は別荘の主人斉藤房雄氏(当時の氏子総代)から細々と「岳の幟」行事について話を聞かれ、翌15日には午前4時起床、5時には出発された、もうその頃山登りの人達は三々五々、幟を巻いて持参しつゝ登山する姿が見られた。それらの人々は足早に登って行ったが観光課の職員と中村氏一行は2時間余を費して登山した。頂上は相当に拡かった。塩田平を越えて鳥帽子岳、菅平に続く高原が一堂の中に収め得る1.250メートルの頂上は、すばらしい眺めであった。ここには「九頭龍社」の祠があって先ずその神に参拝した 7時を過ぎた頃祭典係の指示に従って参拝の儀式が行なわれ、布幟は二本だけ立てられた。終って神酒が開かれたがこれから山を下り、行列もあるというのでこの神酒開きは2、30分で閉じた。
 一同は祭典係の指示に従って下山したが"幟"は巻いた儘で持って下るものが多かった。然し勢揃いする塩水地籍に到着する頃は竹に幟を巻きつけて、高く掲げて、その場に到着して待ち合わせるのであった。塩水には神主及び氏子総代、祭典係等、登山しなかった一同が待っていて、「岳の幟」の捧持者もこゝで交代した。これからが行列である。(以下略)


山頂では幟は2本だけ立てられた(儀式中?後?)とのこと。もしかして、この2本は「昇り龍」「下り龍」(降り龍)でしょうか。

UCV「岳の幟」(2016年, 2017年)等によると、行列では先頭が昇り龍、最後尾が下り龍の幟。40年ほど昔の写真でも前方に昇り龍の幟が見えました。
それが、日本遺産 構成文化財一覧では「降り龍の幟を先頭に」としている?
(固定化している部分と、していない部分があり、その時々の人の考えで変わる儀礼もあると思いますが、この行列の件はどうなのでしょう…
伝承が不変というのは無理な思い込み。最近変えた部分を安易に文字化すると、固定化・偽史化に繋がるので要注意。)

◆雨乞い祭事「岳の幟」2013 鮮やかな反物で作った幟の行列が、昇り龍の幟を先頭、降り龍をしんがりに温泉街を練り歩く! 長野県 上田市
https://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000420229.html

当時は布を竹に付けずに下山? 現在は山頂の祠に布をお供えして神事を行い、その後、布を竹に付けて下山しているようです。汚れや破損に注意しながら山道を下るのは大変。

「山頂にある九頭竜権現に、竹に反物を付けて幟にしたものを数十本奉納し雨ごい祈願を行う」という解説を見たのですが、出典は何でしょうか?(岳の幟は、布を奉納して神事を行い、その後、幟にして行列するという手順。もしかして夫神地区と混同?)

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