2025年9月29日月曜日

北向観音の由緒と古文書の謎

北向観音堂勧進帳
正徳2年北向観音堂勧進帳(表紙は延宝6年?)『常楽寺綜攬』P38


別所温泉の北向観音の由緒話は、内容を見ればわかる通り、フィクションです。成立については不明、史実を反映した部分があるのかどうかも不明。
そもそも、由来を伝える文書にも謎があって、本を調べると、題名が異なる文書がいくつも出てきて、内容を確認できないものもありました。
(調べれば何かがわかるというわけではないですが、できることが十分に行われてきたというわけでもないのでは…)

今年は由緒話の薬師如来・観音菩薩の出現(天長2年 825)から1200年で、前立本尊の御開帳等もあるとか。基礎的な部分の進展はあるでしょうか…


北向観音由緒の文書
名称年代原書の確認所載等
勧進帳正徳2
(1712)

部分画像
『常楽寺綜攬』(1990) P38
原本か写しか不明。表紙は延宝6(1678)か?(※1)
信濃國小縣郡出浦郷別所七久里温泉并名所畧記江戸後期?
画像公開
版本。「弘化三午年二月廿二日求之」の書込あり。(弘化3年 1846)
善光寺道名所図会
巻之五
嘉永2
(1849)

画像公開
版本。「以上別所七久里温泉由来記を抄出す」とある。「出浦古記 上畧」とあり木曽義仲軍の焼討の話(小説か?)がある。鳳来寺峯の薬師の話がある。
信濃國北向堂厄除千手観世音畧縁起不明
全文翻刻
版本。(※2)
別所本起錄不明
部分要約
『小県郡史 余編』(1923) P559 『小県郡民譚集』(1933) P34
小山真夫 記。
北向山厄除觀世音菩薩縁起不明
部分要約
『小県郡史 余編』(1923) P559 『小県郡民譚集』(1933) P34
小山真夫 記。
信濃國小縣郡北向山厄除観世音菩薩御傳記不明
部分要約
『長野県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第20輯』(1939)
小山海太郎「別所北向山の桂」
「(北向山別當常樂寺藏版)」とある。
信濃國北向山厄除観世音菩薩縁起/信濃國小縣郡北向山厄除観世音菩薩御傳記明治?
画像あり
版本?(名称は外題/内題)
信濃国出浦郷北向堂縁起不明
部分要約
『常楽寺綜攬』(1990) P24 P73
黒坂周平、半田孝淳 記。「常楽寺所蔵」とある。「北向観音縁起書」とも。
北向堂大悲殿本記不明
部分要約
『常楽寺綜攬』(1990) P33
山極尚一 記。

※1 勧進帳(『常楽寺綜攬』(1990) 38頁)
(表紙?)
延寶六 つちのへ 午 年
  勸進帳

(本文?)
 信州小縣郡塩田庄別所郷
 北向千手觀世音菩薩御堂
 敬奉大修繕奉加帳
夫當北向山は 人皇五十三代
淳和天皇の御勅定を蒙り天長
二年圓仁慈覚大師の開基たり
せば其功德無量大慈大悲㧞苦
與樂厄難消除の御誓ひ空し
からすと云
  別當常樂寺四十六世住
    権大僧都法印翁玄
于時正德二壬辰年應鐘吉祥日

(備考)
延宝六年戊午(1678)
元禄七年(1694) 北向観音堂が常楽寺持ちになる。
正徳二年壬辰(1712) 應鐘は10月。同年5月北向観音堂焼失。享保4年(1719)再建。
偶然かもしれませんが、1行の字数が揃っています。定型原稿とか活字印刷物から写した?


※2 「信濃國北向堂厄除千手観世音畧縁起」翻刻
『文教大学国文 第52号』(2023.03.15) P25-41
稲垣 泰一「『信濃國北向堂 厄除千手観世音畧縁起』について―解説並びに翻刻―」
https://doi.org/10.15034/0002000008
https://bunkyo.repo.nii.ac.jp/record/2000008/files/BKK0004411.pdf

※出現した観音菩薩の言葉として、「我は是火坑出現の観音薩埵《さつた》なり、国中の人民仏神に帰依《きい》する事うすく、現世は邪曲《じやきよく》に長じ、未来は地獄《ぢごく》に堕《だ》せん事を悲《かな》しみ、衆生《しゆじやう》を済度《さいど》し、天下静謐《せいひつ》、国家豊饒《ぶねう》を守らん為、此地に出現せんと、汝を待事年久し、今汝が法味に預り歓喜《くはんぎ》踊躍《ゆやく》せり、即今我止《とゞま》る処最上《さいじやう》の勝地《しやうち》なるが故、我像《わがぞう》を北面《ほくめん》に安置すべし、我北に向はん事は北斗の千載にひとしく、寿命長久を守らんためなれば、信心堅固にして、ひとたび歩《あゆみ》を運《はこ》ぶ輩《ともがら》は、現世は厄難《やくなん》を除《のぞ》き、諸願を満足せしめ、未来はこと/゛\く成仏なさしめん、(以下略)」とあり、観音菩薩は、現世の厄除け・諸願成就だけでなく、未来の成仏も誓願しています。


※『常楽寺綜攬』(1990) 25頁に「もとより伝承のことであるから、学問的に真否は確かめようもなく、またその必要もないが、ただこの内容から想像されることは、常楽寺はもともと北向観音と並々でない関係をもつ寺であったということである。」とありましたが、伝承には確かめる必要があることも当然あります。このような論調は柳田国男の著書でも見られますが、結果的に、不確かな関係性を断定して、その根拠の調査・考察を遠ざけてしまうのでは…


※北向観音堂は実際は約32°北西を向いていて、善光寺とは向き合っていません。古代でも太陽や星の位置から北の方角はわかったと思われ、向きの話は後付け?
北向観音の「善光寺地震絵馬」によると、善光寺参りの仲間の中で、一人だけ別行動で北向観音に参詣しているので、江戸時代には片参り・両参りの話はなかったか、一般的ではなかったのかもしれません。
現世利益と極楽往生を分ける話も善光寺地震以降に発生した俗説かもしれません。
江戸時代、善光寺の御印文(御血脈の御印)を頂けば誰でも極楽往生ができるという俗信が広まり、その中で善光寺地震が発生(弘化4 1847)、御開帳参拝の旅行者千人余りが亡くなりました。皮肉な被災を合理化し、不審・不協和を解消するのに、現世利益と極楽往生を分ける話は、当てはまったのかも…


※民俗的な言霊(ことだま)について考察すると… 別所⇒別れる所⇒縁切り⇒悪い縁を切る⇒厄除け というのが別所温泉の伝統的なコンセプトでしょうか。これに追加して、 悪い縁を切り、良い縁を願う⇒縁結び と展開させた?(最近の企画の デトックス&チャージ も基本的には沿っている? レイライン は直接的には関連しない?)


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