北条重時(菱川師宣画『武家百人一首』1672) |
「鎌倉殿の13人」比企の変の回に北条朝時、重時がちょっと出ていました。(もし比企の内紛に北条が介入した事件だとすれば、姫の前と子供達(北条分家)が反能員派に担がれた可能性もある? 畠山重忠の乱も似た構図?)
菱川師宣画『武家百人一首』の重時は若々しい感じ。恋の歌のせいかもしれませんが。
北条重時の勅撰集入集は16歌(10集)
政村40 宣時37 等ほどではないですが北条氏の中では多い方。(たぶん10位以内)
ちなみに北条義政は9歌(7集)
(北条氏等の有力御家人の和歌は、個人の趣味と言うより、公務に近かったのでは。現代的に見える歌でも実際は当時の流儀、定番に沿ったものかも…)
異種百人一首
『武家百人一首』(菱川吉兵衞(師宣)画 寛文12 1672)
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/Home/1171055100/topg/2ishu.html
(玉葉和歌集 巻第十 恋歌二)
夜恋の心を 平重時朝臣
おもひあれは たのめぬ 夜半も ねられぬを まつとや人の よそに見るらむ
恋の歌也 思ひせつなるまゝ ふしておもひ おきて思ひ きみかこんとたのめぬよはもいねられぬ 人をまつやうに よそめには見るらんといへり
中川博夫「鎌倉期関東歌壇の和歌 -中世和歌表現史試論-」(2014)
https://doi.org/10.24604/chusei.59_15
(注に執権・連署の勅撰集入集数がありました。執権・連署以外は 資時22 等)
政村40 宣時37 宗宣27 貞時25 泰時21(22?) 重時16 時村14 長時12(重出1) 維貞11 義政9 熈時4
新千載和歌集(1359)にある、重時の子が生まれたときの隆弁と重時の歌。(年は不明のようです。)
南北朝時代の勅撰集で、2代将軍足利義詮の父尊氏と母(正室)赤橋登子は二人とも重時の玄孫という血筋。
北条重時の子孫繁栄は足利将軍家の慶賀でもある、という感覚も、もしかしたらあったのかも。
新千載和歌集(1359) 巻第二十 慶賀歌
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2562662/97
平重時朝臣子うませ侍ける七夜によみてつかはしける 前大僧正隆弁
千とせまて行末とをき鶴の子を そたてゝも猶君そみるへき
返し 平重時朝臣
千とせともかきらぬ物を鶴の子の 猶鶴の子の数をしらねは
新勅撰和歌集(1235)にある、北条義時(1163-1224)死去後の北条泰時と蓮生法師の歌。
承久の乱(1221)後の雰囲気。
新勅撰和歌集(1235) 巻第十八 雑歌三
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2579154/81
父みまかりての後 月あかく侍ける夜 蓮生法師か本につかはしける 平泰時
山のはに かくれし人は 見えもせて 入にし月は めくりきにけり
返し 蓮生法師
かくれにし 人の形見は 月をみよ こゝろの外に すめる影かは
北条国時、北条時春の勅撰集和歌
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両参りと片参りの謎(北向観音、善光寺)
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