2022年3月5日土曜日

両参りと片参りの謎(北向観音、善光寺)

上田温泉電軌株式会社の観光パンフレット(昭和初期)
上田温泉電軌株式会社の観光パンフレット(昭和初期)


両参り(両詣り)、片参り(片詣り) という言葉がありますが、「片参り」は「一方では不足」「力が小さい」という意味になるので、「両参り」を使うようにと言われたことがあります。
「両参りのご利益は 1+1=2。片参りのご利益は両方合わせても 0.5+0.5=1。両参りの方がご利益は大きい。両参り>片参り×2」という冗談?みたいな話…
信心も過ぎれば強欲虚栄なり 不安執着煽り煽られ

どちらの言葉も、ネット等で繰り返し見たりすると、強迫めいて感じられて、良い気持ちはしませんが。
(ご利益に"得手不得手"があるとか… 「土葬水葬火葬までする」と同類の悪口でしかないことがわからない? 例えば「当山は"来世担当"で現世はちょっと弱い」とか「こちらだけではご利益はない」とか、お寺が言うのでしょうか? 子供に得意顔でするような話ではないはず…)
(参拝する寺社を増やして、お賽銭を増やせば、ご利益が確実になるのでしょうか? 数が足りないのは不安でしょうか? どれだけ増やせば安心できるのでしょうか…… 何も違わないことを私たちは知っているのでは? いらない尾ひれを、競うように増やし続ける?)

『信州善光寺御堂額之写』(明治10 1877)
https://adeac.jp/shinshu-chiiki/
https://adeac.jp/shinshu-chiiki/text-list/d100080-mh088100/ht081010
>実際には病気平癒など切実な願いで参詣する人が多かった

調べてみると、お伊勢参りや富士参り・大山参り等で、片参りの禁忌がいろいろあり、誘客に利用もされたようです。
何か並立するものがあるとき、扱いに差をつけると恨みを受ける、という発想は、自然発生的な生活の知恵のようなものでしょうか。
(商売人は「片参りはいけない」「昔から~」「皆~」「一般的~」と勧誘し、一般の人もそんな気になって(自分だけ真に受けているのも嫌なので? 納得したい、自慢したい?)口コミでも広まる、というような流れかも…)

別所の北向観音の片参りの起源はいつ頃か、記録を探してみたのですが、なかなか見つかりません。
『信濃奇勝録』『善光寺道名所図会』『別所村誌(明治14年)』『北向山霊験記 戸隠山鬼女紅葉退治之伝』に見つからず、今のところ、昭和初期の鉄道会社の観光パンフレットが最初です。
北向観音の片参りの話を広めたのはこの頃の鉄道会社でしょうか?
(大正13年(1924) 千曲川橋梁の開通後に活発化?)

「片参り」ではありませんが、飯島寅次郎『別所温泉誌』(明治33.4 1900)(飯島保作(雪堂)が中心の共著?) に「抑當國善光寺如來は南に向ひ當觀世音菩薩は北に向ひ相對して」とありました。善光寺との対比・並立があれば「片参り」もすでにあるか、発生直前と思われます。
(※実際は北向観音堂は北西向きで、善光寺とは向かい合っていません。)
善光寺との対比・並立もこれ以前にありそうですが、未確認です。(「当国(信濃国?)観世音巡拝第一番の札所」に関する文書にある?)

飯島寅次郎『別所温泉誌』(明治33.4 1900)(飯島保作(雪堂)が中心の共著?) 25頁
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765305/21
抑當國善光寺如來は南に向ひ當觀世音菩薩は北に向ひ相對して互ひに不捨の光明を交はし攝取の誓ひ空しからざるを以て遠近の賽客日々に群聚し護摩の煙、鐘皷の音絶ゆる時なく籤を抽き符を乞ふもの引きも切らず盛なりといふべし當國觀世音巡拜第一番の札所にして巡拜の歌に
 救世の誓ひ廣き惠みの北向に沸や泉の涼しかるらん
一に
 救世の誓ひ廣き惠みの北向に沸や出湯の藥なるらん
慈惠大師の詠なりといへり堂前の東北は崖に臨み石を疊むこと數丈にして石階を設く和漢三才圖會に攝州有馬湯山權現凡寺社多南向當社北向也とあり蓋し地形によりて南向に建る能はざるより北向とせしならんか此觀音堂も其類ひなるべし


追記:江戸後期の『上田往来』に北向観音と善光寺の対比があることを教えて頂きました。片参り両参りの話もこの頃には存在していた可能性も。
宣伝の痕跡が見つからないのは、歩き旅の時代には両参りが簡単ではなく広まりにくかったとか、規模の差があって並立とは考えにくかったから、とかでしょうか…

古松周政(白鵞 海風堂 1777-1853)『上田往来』(1810年頃以前?)
文化11年(1814)4月写
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100263926/viewer/57
北向堂には厄除《ヤクヨケ》の願《ネカイ》を籠《コメ》て来る人や札を納に老《ヲイ》たるも態《ワサ》々歩行を運《ハコ》ふなり 抑《ソモ/\》此御堂を北向と申事は善光寺の本堂より真向に建《タテ》し故《ユイ》とかや



上田温泉電軌株式会社のパンフレット「善光寺から別所温泉へ」より
(絵図に青木線(1921-1938)と西丸子線(1926-1963)があるので昭和初め)

聞いてためになる汽車の中の話
或る日、汽車の中で、若い娘をつれたお婆さんと、信州人らしい青年との間に、次のやうな会話がありました。
(中略)
青年『殊にあなたは、善光寺さんのお帰りださうですから尚更都合がよいわけですね』
老婆『それは又、どういふ訳ですか』
青年『別所の観音さんは北向になつて居り、長野の善光寺さんは南向になつて居り、つまり両方向き合つてゐる訳ですね。それで善光寺さんにお詣りしたらば、別所の観音さんにもお詣りせねばならないと昔から言つて居るのです。私もさう言ふ訳で今から行く所です』
老婆『つまり善光寺さんだけでは、片詣りになつてしまふといふ訳でございますね。観音さんを先にして、善光寺さんを後にお詣りしたらばどうなるでせうか』
青年『それはちつとも構ひませんです。汽車の時間の都合でさういふやうなお詣りをする方も沢山あります』
老婆『電車賃や宿賃はお高いでせうか』
青年『いゝえ、電車賃はタツタ三十五銭です 宿賃も二円と言ひばよいでせう――オヤ、もう上田駅です。あそこに大きな電車があるでせう。あれに乗れば直ぐ別所温泉へ行きます』
老婆『どうも色々ありがたうございました。うちへ帰りましたら、早速近所の方にもお話して別所観音さんへお詣りに来るやうに申しませう』


どちらが先でも構わないと言っていますが、例えば「善光寺地震絵馬」の話では参詣の順番によって身代わりの守り札がないことになります。その辻褄合わせはどう考えていたのでしょう? 仏の慈悲は時空を超越するとか?
(「善光寺地震絵馬」からわかること
・1847年(江戸時代末)には北向観音の片参りの話は一般的ではなかった。(別行動で参詣したのは病気平癒や厄除けが目的?)
・お礼の奉額は1件で、北向観音を参詣して犠牲になった人もいた可能性はある。(当時は自然にそう思われていた?))

青年が高齢者を「ためになる話」で勧誘し高齢者が近所の人を勧誘する、という(今なら催眠商法を思わせる)図式ですが、当時、高齢者が主要な顧客層だったのでしょうか。
不思議なことに、多く見かける現代のステマ投稿も類似パターン?(公式は関与していないとは思いますが… ステマの放置も信用低下につながります。大丈夫でしょうか…)

義仲願状、三島社
https://kengaku2.blogspot.com/2022/02/blog-post.html
義仲・鎌倉 Year
https://kengaku2.blogspot.com/2022/01/year.html
鎌倉殿と信州上田
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脱日本遺産、泥宮の朝日、レイラインの競合
https://kengaku2.blogspot.com/2021/11/blog-post.html
Japan Heritage fake ley line
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2022年2月17日木曜日

Japan Heritage fake ley line

Japan Heritage leyline
The leyline (swerving?) in Ueda Shioda-daira(Nagano Pref.)

Japan Heritage leyline sun's light reaches places in order from west to east
The sun light reaches in order from west to east in the basin

Japan Heritage "Along the Ley Lines – Ueda Shiodadaira (Nagano Pref.)" is a fake story.
https://www.japan.travel/japan-heritage/full_list?tab=region&map=hokuriku#region
> First, the sun’s light touches Shinano Kokubunji Temple, where the Dainichi (“Great Sun”) Nyorai Buddha is enshrined, before passing on through the Ikushimatarushima Shrine, where the earth is the deity. Finally, the light reaches Bessho Onsen hot springs,


The truth is that:
In Ueda Shioda-daira basin the rising sun's light reaches places in order from west to east in the shadow of the mountains in summer.
First, Bessho Onsen on the west side, then, Ikushima-tarushima Shrine, then, Shinano-kokubunji Temple on the east side.
And it is NOT straight line actually. See the map again.

Don't make children liars


(btree2.hatenablog.com)
Unclear meaning of the scene of Ueda City Japan Heritage
Delusional overlap between directions in Ueda City Japan Heritage
The Japan Heritage story in Ueda City is full of contradictions?
False locations on the ley-line map of Ueda City Japan Heritage

Misunderstandings about Japan Heritage?
Indeterminate ley line in the Japan Heritage story
Fictional story of Japan Heritage manipulates locations
Misleading representations of Japan Heritage

The shadow of the torii-gate near summer solstice
Location map of cultural properties of Ueda City Japan Heritage
About the great willow "Oh-yanagi"
About Japan Heritage video at the shrine in Ueda City


2022年2月16日水曜日

義仲願状、三島社

義仲願状(偽書?)
前山村誌(明治14)の義仲願状(挙兵時に左馬頭?)

前山村誌(明治14)にある義仲願状です。偽書でしょうか?

言帰命頂礼前山塩野神社曰木曽左馬頭源義仲
丸子城出張 令属信陽士卒義仲幕下 哉否存分得勢力令防戦者
皈家安泰之日 法楽之能於神前可致 依願状如件
治承四季三月朔日 冠者義仲 (花押)

郡村誌 小県郡 前山村 245コマ
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03ADM110A35220

『玉葉』寿永2年7月30日 8月11日(1183年 左馬頭)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920201/313
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920201/316


弘法山・塩田城の三島社について質問があったのですが、北条氏とは関係なく、江戸時代末に蚕神として創建されたと聞いています。(昭和57年修理時、天保13年(1842)3月28日棟札による)
上田藩村明細帳(宝永3 1706)、信州小県郡前山寺奥院獨股山図(寛政5 1793 以降?)に記載はなく、前山村誌(明治14 1881)や前山村絵図にも三島社は見つからず。(ただし、山中の道沿いに山神社が4社あり(水源および山林管理と関係?) すべて「祭神大山祇命 里俗伝 正安三年正月(十七日) 伊予国越智郡一の宮 三島社より勧請」とされています。『郡村誌 小県郡』前山村(237))


疑いを何度も重ねて、それでも正しいとは言い切れず、真偽の判定が今どうしても必要だとしても、それで確定して終わるわけもなく。まして、不十分な知見を根拠に断定なんてあり得ない話。(ロジカルエラーも多数… 根拠のない話を根拠のある話の中に混ぜて、間違いないと主張? 対立するA説B説のA説は誤りだからB説が正しいと主張? 実際はどちらも誤りまたは不確実…)

実は近現代の文化でもあるので、話の出所も気にした方が、より楽しめるかも。
(ここでも出典御無用? 歴史とサブカルチャーをミックスするのは楽しいかもしれませんが、信じ込んだり不確かな願望を教義化するのは危険…)
義仲・鎌倉 Year
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鎌倉殿と信州上田
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脱日本遺産、泥宮の朝日、レイラインの競合
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看板いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/07/blog-post.html
Japan Heritage fake ley-line
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2022年1月20日木曜日

義仲・鎌倉 Year

義仲古城
儀仲古城(中丸子村図 明治時代) ここが最有力候補地ですが…

タイトルだけでも「義仲・鎌倉」の方が良さそうな気もしますが(義仲は平安時代ですが)、どうでしょうか…
記録は少なくて、平家物語、源平盛衰記 等の "物語" の中の「依田(の)城」「白鳥川原」の名前くらい(「出典付年表」を参照)、歴史っぽく見えるものもほとんどは伝説雪だるま、近世近代現代の二次創作。「依田」「白鳥」は物語成立当時の地名の可能性があり、最大勢力だった滋野氏系の拠点のどこか(牧の可能性も)、ということかも。

源範頼のサインを展示しているそうで、あと3枚なんとか用意して源氏四将、義仲、頼朝、範頼、義経 を並べたら面白いかも。源氏の抗争は物語前半の一つの軸でもあり、大河ドラマファンも多いと思うので。動きにくい昨今、小規模でも分散的に各地で盛り上がるのは悪い話ではないのでは… 観光地でないところでも便乗ができないわけではなく、ちょっとしたものでも多少の人出・物販の可能性はあるかも。

上田市の丸子地域 木曽義仲ゆかりの地をPR 1月17日
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20220117/1010021240.html
「義仲が挙兵」上田市丸子地域自治センターに紹介コーナー
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022012000217

中央大学文学部 紀要 言語・文学・文化 第123号(通巻274号)(2019)
清水由美子「『平家物語』と『吾妻鏡』-横田河原合戦記事をめぐって-」
https://www.chuo-u.ac.jp/academics/faculties/letters/navigator/bulletin/

関西学院大学 文学部・文学研究科 紀要『日本文藝研究』54巻4号(2003)
武久堅「平家物語・「横田河原合戦」の木曽義仲造型 : 「武水別神社・八幡宮大本堂」からの発進」
http://hdl.handle.net/10236/10154

義仲・巴魅力発信オンライン講演会
https://www.pref.toyama.jp/1103/r03yoshinaka-tomoegozen.html
「義仲・巴」出典付年表
https://www.pref.toyama.jp/1103/kensei/kenseiunei/kouikirenkei/kj00018751.html

2021 地域連携講座 阿部勇「木曽義仲と東信濃」
https://www.youtube.com/channel/UCMQAJ-L0ovAWuuo3NGNKGWg

中丸子村(図)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03MP0301080390
郡村誌 小県郡 中丸子村 義仲古城(120)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03ADM110A35190
(講座の絵図と写しの関係?)

平家物語 巻6 (元和・寛永年間) 依田城
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2570042/32
平家物語 巻7 (元和・寛永年間) 依田ノ城
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2570043/3
平家物語 巻6 (元和頃) 依田城
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2570062/33
平家物語 巻7 (元和頃) 依田ノ城
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2570063/3
平家物語 巻6 (寛永5 1628) よたの城
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544827/39
平家物語 巻7 (寛永5 1628) よ田の城
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544828/3
源平盛衰記 巻27 (寛永年間) 白鳥川原
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544841/13

鎌倉殿と信州上田
https://kengaku2.blogspot.com/2021/12/blog-post.html
脱日本遺産、泥宮の朝日、レイラインの競合
https://kengaku2.blogspot.com/2021/11/blog-post.html
看板いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/07/blog-post.html


2021年12月31日金曜日

飾り亜炭?

亜炭の破片
亜炭の破片

雲間に少しだけ見えた大晦日の夕日
雲間に少しだけ見えた大晦日の夕日

注連飾りに木炭も使うのですが、切らしているとのこと。冗談で、亜炭で良ければ近くの山にあると言ったら、見たいという人がいて、寒中、出かけることに…
沢沿いの崖に少し露出している程度。流されて塊が集まっている場所でいくつか拾いました。
結局、木炭の都合がついて、亜炭は使いませんでしたが、石炭とか亜炭を縁起物にするような風習も、どこかにはあったりするのでしょうか。