2023年9月29日金曜日

飯島雪堂と飯島寅次郎

『上田案内』(明治40)「飯島雪堂著」「著者兼発行者 飯島寅次郎」
『上田案内』(明治40)「飯島雪堂著」「著者兼発行者 飯島寅次郎」

明治時代の本の『上田案内』(明治40)、『別所温泉誌』(明治33)は、表題に「飯島雪堂 著」「上田 雪堂主人 著」とある一方で、奥付は「著者兼発行者 飯島寅次郎」「著作者兼発行者 飯島寅次郎」となっています。
この「雪堂」は、どうも飯島保作(茂経 花月 等)のことのようです。例えば『別所温泉誌』の「詩歌」に「雪堂 飯島茂経」の名前がありました。
奥付の「著者」とは、飯島寅次郎が書いた部分もあるという意味でしょうか。
あるいは、ここでは、二人で一つの名前を使っているということでしょうか…
誤解しないための説明は何か必要かも。

『上田案内』(明治40)「飯島雪堂著」「著者兼発行者 飯島寅次郎」
https://adeac.jp/shinshu-chiiki/catalog/mh043800


『別所温泉誌』(明治33)「上田 雪堂主人著」「著作者兼発行者 飯島寅次郎」
https://adeac.jp/shinshu-chiiki/catalog/mh055500

飯島保作(茂経 雪堂 花月 1863-1931)
飯島寅次郎(嬉笑 1866-1909)
※上田情報ライブラリー「地域の文化を支えた人々Part1~Part9」の飯島寅次郎の生年はもちろん誤り。
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/jlib-tosho/4514.html

上田市立図書館 令和5年度貴重資料紹介展
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/ueda-tosho/52191.html

「塩」の地名と塩田庄の謎
https://kengaku2.blogspot.com/2023/08/blog-post.html
主峰と脇峰?
https://kengaku2.blogspot.com/2023/07/blog-post.html
醤油久保橋の謎
https://kengaku2.blogspot.com/2023/06/blog-post.html

2023年8月30日水曜日

「塩」の地名と塩田庄の謎

青木村当郷塩之入
青木村当郷塩之入(八木貞助「長野縣小縣郡浦里村産の化石哺乳類」(1942)より)

「塩」が付く地名はいろいろありますが、由来も複数あるのではないかと思っています。

以下は、『小県郡史』にある、塩田の地名起源説話です。
前山に例が多くあるようにも読めますが、直接的な「塩」地名は一所だけ。「故に此地を「塩田」と云ふ」という理由付けは曖昧。「伝説構成の時代は極めて新しきを覚ゆ」とも。

『小県郡史 余篇』(大正12 1923) 74頁
https://dl.ndl.go.jp/pid/965787/1/50

塩田の海。
昔々、神様の代に塩土翁《シホツチノオキナ》が奥州塩釜に往かれて、塩のこしらひ方をお授けになり、お帰りのみぎり塩田に立寄り、和世田神とお二方で又塩のこしらひ方をお授けになった。其頃は塩田平は一面の海で水はまん/\としてゐた。潮水を汲んだ所を「浜場」といって、塩を焼いた所を「釜屋敷」と云ふた。其後に地主の神が多くあらはれて来て、御手洗を「塩野井」と云ひ、其あたりを「塩野間」又は「塩沼」又は「塩野はさま」と云ふて、今に西塩田村の前山に残ってゐる。故に此地を「塩田」と云ふので、中塩田村の小島は其頃中島であって、岩鼻が切れて海の水がひけるに従ひ、だんだん乾いて陸地となった。其荒れ水が埴科郡の坂木の横まくりに打ちあたって其地を壊した。(里伝、塩野神社縁起)

此伝説は地名説名の習俗より出でたるものにして、伝説構成の時代は極めて新しきを覚ゆ。今尚塩に関する類似の地名を求むれば、富士山村字塩の入・中塩田村保野区字塩野・及び塩吹・別所村字塩水・泉田村小泉区字塩野・塩田川原・浦里村越戸区字塩の入・同村浦野区字塩の入等あり、此地方田圃に出づることを今に「沖へ行く」若くは「浦へ行く」といへり。


解説文では「塩の入」(3所)が目立ちます。他に「塩野入」が前山(同書486頁)と舞田にありました。前山以外は、隣接した「塩野」はないようです。
「塩の入」の「塩」は、単純に、山麓でしみ出す水のことを言っているような気もしますが、どうでしょうか… 実際に旱魃でも乾きにくい所かどうかは未確認ですが。


他の可能性としては、牧の関係で、馬が好む場所・水を「塩野」「塩野井」と呼んだという可能性はないでしょうか。
(前山は独鈷山と産川に囲まれているので、草地にして北東をふさげば牧場にできた?)

ちなみに、「天正六年二月 上諏訪造宮帳」(1578)に「三御柱 小縣郡 塩田拾二郷 ~ 魔(前)山郷」とあるのは、「厩山」の誤写の可能性もありそうな…

信濃史料 巻十四(3)
https://adeac.jp/npmh/catalog/mp000014
https://adeac.jp/npmh/viewer/mp000014/1403/?pagecode=75


「塩田庄」の名前の由来はまた別で、外来の可能性もあるように思います。
平安時代に甲斐の三枝氏が別所の常楽寺の別当をしていたらしく(『上田市誌 総説 上田の歴史』(2004))、同じく甲斐の有力氏族に降矢氏がいて、その拠点が甲斐国一宮 浅間神社近くの「塩田」という所。降矢氏か三枝氏の関係者が塩田庄を開発し塩田氏を名乗ったのではないか、という仮説です。(富士山の北30kmの所で、平安時代に何度もあった噴火の影響で各地へ移住する人達もいた?) 産川水系を支配する手塚氏がいたとすれば、塩田庄は湯川水系または尾根川水系で始まったのかも。あるいは最初から諏訪経由で手塚氏とは一体化していた?
(ちなみに「手塚」の由来は大伴氏の拠点の帝塚山(てづかやま)の可能性がある?)

甲斐國志 卷之五 十八
神社部 第四 八代郡大石和筋
一 國立明神 塩田村 黒印神領二石八斗社地 東西十六間 南北三十間 證文ハ上萬力村神主藏ム 社記ニ云所祀國造鹽海ノ足尼ナリ 社中ニ神代杉ノ古株アリ 傍ニ建石或ハ矢石ト稱スルアリ 土人相傳テ曰古天ヨリ矢降リ化シテ石トナル故ニ此ノ邊降矢ヲ氏族トスル者多シト云リ 又一説ニ昔鹽田ノ長者降矢對馬ノ守二金亀ヲ藏ム 一ハ此ニ瘞メ石ヲ立テ金亀明神ト稱シ 一ハ金川ノ上流ニ沈ム 其處ヲ亀淵ト稱ス 藤木ノ域内ナリ 凡旱年ニハ近鄕五拾餘村盡ク蜂城山ニ雩ス然ルニ本村獨リ金川ニ遡リテ亀淵ニ雩スルハ盖此故ナリト云リ

https://www.digital.archives.go.jp/file/1257083.html
https://www.digital.archives.go.jp/img/4393671/17


八木貞助(1879-1951)「長野縣小縣郡浦里村産の化石哺乳類」
地学雑誌 1942 vol.54 (635) p.30-34
https://doi.org/10.5026/jgeography.54.30
(昭和初め、工事中に地下5mから発見されたナウマンゾウ化石等の報告)

2023年7月31日月曜日

主峰と脇峰?

鷲岩(鷲ヶ峰) 龍王山 独鈷山頂上
鷲岩(鷲ヶ峰) 龍王山 独鈷山頂上


写真中央手前の とがった山が龍王山(雨乞いの場所、中禅寺の山号)、その左後方のギザギザ峰が鷲岩(塩野神社奥宮の伝承。鷲ヶ峰とも)、右奥の高台が独鈷山の山頂。

謎は、雨の神が主峰ではなく周囲の峰(副峰、脇峰?)に祀られることに何か理由はあるのか、ということです。
(山頂は「アマデッキ」とも呼ばれて、雨乞いの場所を意味する、という話もありますが、真偽は未確認です。)

いくつか仮説を考えてみました。

1. 主峰は距離があり、時間がかかるので、手前に適当な峰があればそこで構わないと考えられた?
2. 川の源流は山麓上部にあることが多く、その近くの峰が主峰よりも優先された?
3. 戦乱期には主峰には見張りがいたので他の峰で雨乞いをして、それが定着した?
4. 雨乞いは失敗も多く、場所の変更を繰り返すうちに、主峰以外の峰に落ち着いた?(主峰での失敗は強く記憶され、主峰以外の方が期待できるような印象を持つようになった?)

醤油久保橋の謎
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木の葉石
https://kengaku2.blogspot.com/2023/04/blog-post_22.html
第三紀層地すべりの記事
https://kengaku2.blogspot.com/2023/04/blog-post.html
大行満 願海 生誕200年 没後150年
https://kengaku2.blogspot.com/2023/04/200-150.html
別所温泉駅 夫婦道祖神
https://kengaku2.blogspot.com/2023/03/blog-post.html

2023年6月6日火曜日

醤油久保橋の謎

醤油窪橋の記事(小泉村誌(明治14 1881))
醤油窪橋の記事(小泉村誌(明治14 1881))

UCVの地元の謎をテーマにした番組で醤油久保を取材していて、木橋の話も少しだけ出ていました。
「かつて~」&白黒写真 という紹介でしたが、撤去は2015年頃(平成27年度)なので、さすがに気が早いような…
Googleストリートビューで2012年6月の写真がまだ見られました。

地名の由来は、俗説があったとしても、本当の語源なのか、後からの理由付けなのか、わからないことも多くて、それをわかったことにしてしまうのは、もっと残念なこと…
(記録にも注意は必要で、例えば、お年寄りが最近思い付いた話を、伝承の聞き取りと思い込んで記録、それがいつの間にか地域の昔からの伝承と信じられるようになったり。好き勝手な想像にも意味はあるのかもしれませんが。)

関係ありそうな小泉村の地名の記録
しやうゆふ(1644頃?)
醤油(1715)
醤輔田(1801)
醤湯田(1801)

関係があるかわかりませんが、付近の浦野川から築地への水路の名前
昌栄堰(醤油久保堰の江戸時代の古名) 『泉田村誌』(昭和38 1963) 140頁
塩栄(しょうえい)水路 『築地誌』(平成23 2011) 29頁


https://ucv.co.jp/program/cat_prg/regular/nanami/

土木課 上田市橋梁長寿命化修繕計画
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/doboku/

上田市景観マップ 上田市みどころ一番
https://map.umic.jp/
浦野川の景色(特に醤油久保橋)
https://map.umic.jp/contents/59.html

「上田の景観80選」にも選ばれていましたが、撤去は話題にならず、ネットにもほとんど情報がありません… (歪んだ姿だったので忍びない気持ちもあったのでしょうか… あるいは何か不都合があった?)

広報うえだ 平成3年(1991)10月1日 10頁
昭和12年頃は、手すりのない、六尺(約2m)幅の板橋だった。
昭和34年の伊勢湾台風で全部流れてしまった。

広報うえだ 平成8年(1996)6月16日 1頁
昭和47年につくられたもの。(※H10年の記事では「昭和56年竣工」)
昔は架けた人の名をとって「えいじろう橋」と呼んでいた。

広報うえだ 平成10年(1998)11月1日 6頁
昭和56年(1981)竣工。長さ約40メートル、幅は3メートルほど。
近くに50センチほどの石の道しるべ。

小泉村誌(明治14 1881)
醤油窪橋 村内通路ニ属ス 村ノ丑寅ノ方 浦埜川ニ架ス 深サ二尺三寸 廣サ二十間 橋長八間 巾三尺 木造ナリ
(※丑寅=北東 二尺三寸=約70cm 二十間=約36m 八間=約15m 三尺=約91cm)

橋を歩こう
https://kengaku2.blogspot.com/2020/05/blog-post_31.html


2023年5月3日水曜日

黒色頁岩の模型(2)

黒色頁岩の模型(取り外した状態と埋め込んだ状態)
黒色頁岩の模型(取り外した状態と埋め込んだ状態)

化石の代わりに玄能石を埋め込んでみました。
2つ合わせて、頁岩を割ると中から現れるというギミックになる… はずだったのですが、歪みのために、ぴったりには、はまらず…

魅力アップと情報発信の反比例
https://kengaku2.blogspot.com/2022/04/blog-post.html
箱入り模型
https://kengaku2.blogspot.com/2020/05/blog-post_24.html
高温石英の模型
https://kengaku2.blogspot.com/2020/06/blog-post.html
石の模型
https://kengaku2.blogspot.com/2020/04/blog-post_21.html