2020年11月23日月曜日

石の名前、情報発信と乱獲

大石橋と猫石
大石橋と猫石(UCV「自慢ばなしめっけた ~大屋の巻~」(1989) より)

松脂岩(千曲川)
松脂岩(千曲川)

石の地方名はたいていは種類名で、同時にローカルな固有名であることも多いです。例えば、猫石は「猫のような石」であり、大屋の大石橋付近では、かつてあった大岩(溶結凝灰岩)の名前でもあります。

固有の石は採集対象にはなりにくいので(なることもありますが)、ネットで楽しむには良いテーマかも。大石(雷電の出身地)の「七つ石」等、各地にあります。
ちょっと変わった名前で「コロンブス」というのを聞いたことがあります。近くの山にある3mほどの岩で、名前から連想される形の中でたぶん一番シンプルな形。(アメリカ大陸ではなく)

一方、採集対象になる鉱物や岩石の場合は、名前を出さないこともあります。むしろ、状況に応じて、情報の削除を考えたり。(詳細を伏せても、文脈や写真から場所を推測されたり、無関係な既知の産地に採集が集中したり。古い記述で著作権の問題や直接的な違法性は無いとしても。石に名前を付けて宣伝すれば、魅力度は向上しますが、採集圧力も増大して、長く楽しむことはできなくなる可能性も。観光資源にすることが最優先で、他の不都合は二の次、くらいの感覚なのかもしれませんが…)
結果を予想できなかったという言い訳はたぶんもう通用しないので…

採集可否のグレーゾーン付近を分類すると、例えば
× 権利侵害になる採集
× 環境に影響を与える採集
× 累積して環境に影響を与える採集
△ 累積せず環境に影響をほぼ与えない採集
累積しない採集だけ、ケースバイケースで、大目に見てもらっているという現状。
情報共有の問題の一つは、それが累積の程度に直結すること。
(ただ、問題が無いのに(問題の有無もグレーですが)占有を厳格にするためだけに野外の自然物の持ち出しを一切禁止するというのは、幸福を損なう悪習であり、それも正しくないように思います。持ち出しの禁止が息苦しさや敬遠に繋がっていないか観察する必要もある?)

学術研究目的・教育目的でも、環境に影響が出るなら、せめて後からでも批評する必要はあるのではないでしょうか。(記載された場所が、崩され、立入禁止になっていたりするのをフォローしている?)
情報分野も情報共有の問題点の洗い出しや対策は後回し? 目まぐるしい実験的な状況が続き、重要課題も多いので仕方ないですが、安易な汎用も無責任で、実用は絵に描いた餅。(単純さと泥臭さが必要)

そういえば日本遺産で郷土環境保全地域の話が無かったような… 保護地域だと知らずに違反行為の写真をネットで公開、という気の毒な話もあります。自然保護の広報も十分に行う必要があるかと。

石ころ観察でも便乗して(?) 切石や刀石の名前が出ていましたが、ニュースにもなっているんですね。石の種類・成因、周辺の地質との関係とかも面白そう。(便乗したい人、捏造を嫌う人。程度も様々)割石だんご、割石まんじゅう、他にもいろいろ… メロンパン、味噌パン(焼き菓子)、チョコパイとかも、どうでしょう?
小石が採集対象になることは無いと思いますが、もしなったとしたら、不吉なハチマキ石や首切石との関係はどうなるでしょうね。(吉凶入り乱れて、三すくみ四すくみになるのは好ましいことかもしれませんが。)
※三保松原の砂や石は持ち帰り禁止とのこと。※
三保松原 お知らせ
https://miho-no-matsubara.jp/archives/2853
 ※海岸の砂や石のお持ち帰りはできません。

新称偽称も出てきそうで、もしかしたら、登録商標で自由に使えない、なんてことも現代では起こる可能性も。鬼滅、鬼切とか。
本原の小玉神社(割石明神)では割れた大岩に社を祀っています。

盗掘
https://www.ishitomo.club/post/___盗掘
猫石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35517041
独鈷山郷土環境保全地域
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34927798
日本遺産ストーリー 子供銀行券 (日本遺産スペシャル)
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_31.html
曲がった直線、裸の王様、袈裟供養
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_15.html
日本遺産 ストーリーのデパートメント化
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_12.html
日本遺産 レイラインの幅
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_15.html
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html
黒羊石、はちまき石、一文字石
https://kengaku2.blogspot.com/2020/02/blog-post.html
切り石(北佐久郡と小県郡の境石)
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/33233763

2020年11月15日日曜日

曲がった直線、裸の王様、袈裟供養(けさくよう)

The 2020 July issue of Public Information Ueda City, Nagano, Japan 信州上田 鹽田平 日本遺產
広報うえだ(令和2年7月)より。ラインというよりベルト?

The 2020 July issue of Public Information Ueda City, Nagano, Japan 信州上田 鹽田平 日本遺產
日本遺産ストーリーの"直線"?

The ley line (swerving?) in Shioda plain, Ueda City, Nagano, Japan 信州上田 鹽田平 日本遺產
龍脈(Leyline) 直線? fake? ※一点だけ直線から外れた状況を「一本の直線状」と認識する可能性はほぼ無いのでは?


気になったことを2つ。

子供たちが、曲がった直線を見て何も言わずに受け入れるようなら、小さなことだと放置しないで、心配した方が良いのではないでしょうか。(ストーリー冒頭に「大げさ、まぎらわしい」があるのは重いことなのでは?)

不合理性が人選のフィルターになって、曲がった直線を許容できる人の多い集団ができるかもしれません。(トップが突出して有能だったり、ワンマンだったりすると、イエスマンばかりの集団ができるのと似た現象。お金も絡んで、意識の分断(分布が偏れば地域的分断)が醸成されるリスクも。「上田市日本遺産パンフレット」を見たら、誤りが多く、無校正状態…(ラインの傾きが20度(信濃国分寺跡と生島足島神社の間は実際は約25度)、前山寺を中禅寺の西に表示、表紙は"斜め鳥居"(斜めから見た鳥居と朝日の写真)、夕日の写真の横に「(レイラインとは)夏至の朝日が照らす光の線」と表記、等) もしかして対象地域の人は手を引いてしまった? または最初から無関与?)


区別して確認した方が良いこと。(何があって何が無いのか、事実確認)
1. (内容の)史実の有無
2. 物・現象の有無
3. 伝承の有無(伝統的な俗信の有無)
4. 伝承の伝承の有無("伝承があったらしい"という記録の有無)
5. 伝承の研究の有無(いつ誰がどんな仮説を提唱したのか)
6. 直近の情報源
(脳内妄想レイライン(位置を曖昧にしないと成り立たないレイライン。直線でないものを直線に偽装)、フェイク遺産(レイラインという現代の仮説を地域文化に偽装)になっていないか等の検証)

ガイドブック・新聞等の記事ではこれらの区別が曖昧なことが多いので、理解するには、複数の仮説・文脈を考えたり、ものすごく面倒…

歴史を知るということは、史実の不確かさと人間の妄信に向き合う ということでもあるかと。
疑似科学の特徴の一つは、事実と仮説の集まりを、まとめて確実なものとして扱うこと。例えば、建物の向きが事実で、向きの理由が仮説であるとき、事実と仮説の区別(人には苦手なこと)を曖昧にして、全体が確実であるかのように錯覚させる。(疑似科学は現実よりも"わかりやすい"。対策は、複数の仮説を提示して相対化する。相対化されない仮説は疑似科学に近付く。)
曖昧な話で相手を誤った主張(ストローマン論法等)に誘導し脱落させる、というテクニック(結果的にそうなっている?)もあるとか。
事実の列挙は事実を切り貼りしたフィクションに近いものである可能性も。(聞き取り調査結果 等)
極端な事例を提示して否定してみせるのは、強制的に同意させて、頭ごなしの拒絶を回避するための話法の一つ。(偽説でも多用。)
「根拠の否定=偽説の否定」という誤解は、偽説が存続する温床でもあるかも。
カルト弱者(霊感商法の顧客やインフルエンサーになりやすい人)は一定数いて、利益も大きいので、そういうビジネスも集まってくる?(明確なB級志向?)
呼称は「日本遺産」よりも「日本遺産ストーリー」の方がベターかも。(レイラインを日本遺産だと誤解する人も多いようなので。「レイライン」「聖地」は上田市歴史文化基本構想(2019)にまったく無かった話。文化財とか文化遺産とかではないです。)
"初公認レイライン"という本物?の"レイライン聖地"になったというアルケミー?(認定取消でも"レイライン聖地"はたぶん確定…)
この看板で人が来るのか、この看板に地域が耐えられるのか、という実験?
自由に発想する遊び・楽しみ(逃避?)は大切ですが、一線を越えてお金や社会を絡めれば、放置で済まなくなるのも自然の流れ…

日本遺産ストーリーの概要・詳細の文章を改めて読んでみましたが、面白さを感じる人はいるのかもしれませんが、好感を持つ人は本当にいるのでしょうか? 袈裟供養(けさくよう)と同様、看板を歓迎しているだけの人も多いのでは…
この中の「特別」という言葉が個人的にはダメなようで、他の観光地との差別化を狙っているのかもしれませんが、他の意味でも差別的に感じてしまいます。
夏至の朝日が通らない、聖地ではない場所ってどこ?
伝承でもない、「かもしれない」話で、特別に思ったり、誇りに思ったりできる? 大人は咀嚼できても、これを最初に教えられ、刷り込まれる子供たちはどうすればいい? 100年前の教育と同じようなことをまたやろうとしているような…

上田付近の良さは、風景が穏やかで、大きくなく小さくなく、おおらかさもあり、閉鎖性もあり、等身大の、ちょうどいい感じ、のような気がしています。特別というより普通の聖地という印象。強引な理由付けとは相性が悪く、逆効果にもなるのでは…

レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」信州上田
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/nihonisan/
祝 日本遺産認定 (上田市)
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/shogaku/30087.html

日本遺産 レイラインの幅
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_15.html
日本遺産 ストーリーのデパートメント化
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_12.html
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html
自由研究と疑似科学
https://kengaku2.blogspot.com/2020/08/blog-post_17.html


2020年11月12日木曜日

日本遺産 ストーリーのデパートメント化

生島足島神社・泥宮付近
生島足島神社・泥宮付近(長野県小県郡地図 大正11)

これも先日の話で、登録には一括が必要だったのかもしれませんが、一まとめにするとオカルトが強くなり過ぎて、知名度は上がっても、地域ブランドは悪化する恐れがあるので(賛否があるのは計画時に周知共有済?)、分割して相互干渉しないルールにした方が、個々を健全なレベルに維持できるのではないか(信州上田・塩田平のレイライン「信濃国分寺のレイライン(立地環境と太陽の線)」「生島足島神社と泥宮のレイライン(太陽の線)」「別所温泉と別所線のレイライン(祈りと心の絆の線)」+「雨乞いとため池」)… というような話もありました。

つまり、塩田平のレイラインとは、
(証拠はないが)生島足島神社、泥宮、信濃国分寺は直線状に配置されたのかもしれない、という話と、(なんとなく)別所温泉と別所線は生島足島神社のレイラインに並んでいるようにも見える、という話?
(観光用に、「かもしれない」成分と「なんとなく」成分を薄めて、断定的、確信的にしたもの? 結果的に地域社会から乖離した、観光業のための強引なストーリーになっているような。シビックプライド?黒歴史?)

国分寺の立地の調査・研究はいろいろあったと思います。太陽の線は相原文哉氏の説でしょうか。(『信濃路 42号』昭和58.7 1983)

生島足島神社と泥宮の間は直線的な道があったそうで、日の出入との関係も意識されてきた可能性はあると思います。『長野県小県郡地図』(大正11 1922) では「下之郷」の文字を斜めに通り、境内から今の大鳥居の方へ向かう線がその道でしょうか。(この地図では泥宮側は途中で北に曲がっている?)

『ふるさと塩田 村々の歴史 第一集』(昭和62 1987) 37頁より引用

上本郷
六 生島足島神社と本郷
 生島足島神社は本郷に鎮座してましたが、中古に下之郷へ遷座したと伝えられています。そのことは、上本郷から生島足島神社まで一直線の道路(区域整理で今は無い)のあったこと、神社の正面の鳥居は西側で本郷の方を向いていて、宮司さんが神様にお仕えするとき西から進んで御奉仕されること、七年目に一度の御柱祭の柱を引くとき第一の柱を上本郷が引くことになっていて、その柱は西鳥居から入ること、生島足島神社の御神体が大地であり 泥宮は泥を祭った神であること、そして本郷地籍に「諏訪」があり石の祠が残っていることなどから本郷と生島足島神社とが深い関係のあることを知ることができます。


別所温泉と別所線のレイラインの資料はわかりません。一番の難問? 地形と風水を根拠にした新解釈ということではだめでしょうか…
例えば、上田市南部では山脈の方向が西から東になっていて、川と平野の方向性も同様です。太陽は川の流れて行く方角から昇り、川の源流の方角へ沈みます。人々は、この、太陽と大地と水、地上と天上の循環を感じながら暮らしてきました。(東西循環の地勢感覚。特別なものではありませんが。自然環境との一体感の基になっているもの。) 別所温泉は、夫神岳・女神岳に降る雨と、大地から湧き出す温泉という、二つの水源のある霊地として、古くから神仏への祈りの場所にもなってきました。別所線は近代の鉄道ですが、大地に従い、川に従い、生島足島神社や別所温泉などの信仰の場所を結んで循環していて、交通手段というだけでなく、人々の心をつなぐ線にもなっています。こんな感じの、太陽と大地の循環する流れが別所温泉と別所線のレイライン、というような…

「同じ方向性の線が複数ある」「(あれもこれも)一本の線に沿って配置されている」 前者は普通にありそうに思える話(戦略としてはダメ?)、後者はどうでしょう?
目的には共感します。(できるなら最後の一本は残ってほしい)

以下は相原文哉氏の「太陽の線」の概略(一部)です。(『信濃路 42号』昭和58.7 1983)
12月?日、国分神社(八幡社)拝殿から、鳥居の中央、国分寺跡の上に夕日が見えた。
国分神社から国分寺跡を結ぶ線を延長すると、生島足島神社、泥宮、王子塚、女神岳山頂を通る。(太陽の線 ※ただし、かなりアバウト?)
生島足島神社から国分寺までの距離と女神岳までの距離が等しい。(5.2km)
この線上で冬至には女神岳に夕日が没む。(※実際は女神岳よりも南?)
女神岳は大和の三輪山に似ている。或いは夫神岳と女神岳で二上山(雄岳と雌岳)に対応する。
仮説:冬至の日没を眺める場所、太陽を見る場所が生島足島神社の位置。塩田平の暦を作る聖地、生島足島神社と女神岳(太陽の沈む山)を結ぶ線上に国分寺を建立したのではないか。しかし、国分寺にはそれ自体の立地条件があるので、生島足島神社と女神岳から自動的に決定されたとは考えにくい。初めに泥宮を建て、次に泥宮と女神岳の線上に国分寺を建て、その後女神岳と国分寺の中央に生島足島神社を建てたのではないか。
生島足島神社から太陽の線に直交する北西方向に弓立神社(※弓崎神社?)がある。そこから国分寺と女神岳の中間点を決めたのではないか。
太陽の線を北東に延ばすと大日ノ木(おひのき)地区に大日孁(おおひるめ)神社がある。
女神岳山頂に磐座(いわくら)がある。


(※弓崎神社の他に、福田神社、吉田の神明社も同様の向き? 道路では六中の西の道路等、旧松本街道と直交する方向。もしかしてこれは条理遺構以前の古代の道路の復元? 冬至日没が女神岳に来る線上に道路を作り、その道路沿いに(後で偶々)生島足島神社と泥宮を建てた? 国分寺の立地は諸条件により選定し、冬至日没が女神岳(ここからは見えない?)に来る位置に微調整した?
大日孁(おおひるめ)神社はラインの北側で向きも南寄り?
女神岳の磐座は山城の石積み?)

独鈷山、鉄城山、殿城山
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日本遺産 レイラインの幅
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2020年11月6日金曜日

ウチムラマユイガイダマシ

ウチムラマユイガイダマシ(信濃中部地質誌)
ウチムラマユイガイダマシ(信濃中部地質誌 化石貝類圖版第十三 より)

中信層群分布圖(信濃中部地質誌)
中信層群分布圖(信濃中部地質誌 104頁)


先日、ウチムラマユイガイダマシは内村層で産出しているか? という話題があって、資料を見ると別所層が多いようでした。『信濃中部地質誌』(昭和6 1931)では内村層最上部(内村層と別所層の間)としていました。産出地は西内村と錦部村赤怒田。(「第二篇 信濃中部の地質 第七章 中信層群」101頁~。分布図の中央左上の X X が西内村、その西方の X X の右側が赤怒田。「第四篇 特殊研究 第一部 化石貝類」の黒田徳米の記事には層序や年代の記述はありません。) 境界付近で諸説あるのかも。その層より下部でも見つかっているかどうかは、わかりませんでした。

ちなみに、Adulomya uchimuraensis は「内村地域のマユイガイダマシ」。
特徴的な岩石から見つかる示準化石・示相化石で、この地域の代表的な化石の一つではないかと。

ウェブで検索すると(マの抜けた)ウチムラユイガイダマシもあって、誤りのソースは Wikipedia 「松本盆地」、その元は「長野県の地学」のウェブサイトでしょうか。

1998年にそれまでの標本の一部は(一度)別種に分類された?(和名は ウチムラマユイガイダマシ、ウチムラシロウリガイ、クロダウチムラシロウリガイ?) 今後も化石資料が増えればまた再定義がされるのかも。
Adulomya uchimuraensis Kuroda, 1931
Calyptogena (Adulomya) uchimuraensis Kuroda. Kanno & Tanaka in Kanno et al., 1998
Calyptogena (Adulomya) uchimuraensis kurodai Kanno & Tanaka in Kanno et al., 1998

Fossil Adulomya (Vesicomyidae, Bivalvia) from Japan (2011)
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201302290159105361
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Fossil Vesicomyid Bivalves from the North Pacific Region (2007)
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201302202146723167
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天野和孝「化学合成二枚貝の化石記録と進化」(2014)
https://doi.org/10.14825/kaseki.96.0_5
「名誉会員菅野三郎先生を悼む」(2008)
https://doi.org/10.14825/kaseki.84.0_109

シロウリガイ
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