2020年4月21日火曜日

石の模型

黄鉄鉱・斜長石の模型
黄鉄鉱・斜長石の模型

黄鉄鉱 模型(はがきサイズ)
黄鉄鉱 模型

以前試作した黄鉄鉱と斜長石のペーパークラフトです。
結局、没企画となりました。小さくて作成困難(大きいと邪魔)とのことで…

面の角度等は不正確です。だいたいこんなような形、という程度。

武石のブセキはこのタイプも多いようです。
ちがい石(斜長石の貫入双晶)の交差の角度は、この模型では60度ですが、これまで見てきた標本は50度台が多かったように思います。(「たす石」の話を聞いてから気にしていますが、90度のものはまだ見ないです。三つの結晶、約50度+約50度、中央の結晶が小さいか欠損、というものかも。)
ちがい石の謎
https://kengaku2.blogspot.com/2020/04/blog-post.html
ちがい石、かけ石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32671194


化石標本の模型もあれば面白そうですね。ゾウの頭骨と臼歯、足跡(着地痕、支持痕、離脱痕等)とか。


自然観察は例年と変わりませんが、考えることは似ているようで、人で賑わっている所もあるようです。いつも空いている駐車スペースが満車状態だったり。(遊歩道や登山道では同じ場所を継続的に歩くので、人が多ければ、前と間隔をあけたとしても、リスクが無いというわけにはいかないかも。)
いつもなら賑わっているはずの場所へ行ってきて、すいていて快適だったと(たぶん冗談で)言っている人がいました。それを多くの人がやったらやはり混むことになるわけで。
いろいろ考えすぎて疲れて思考が硬直、同じ言葉や考えを繰り返しているような気もします…  人との距離だけでなく、いつもと少し違う自分との距離感も大事ではないかと。

2020年4月3日金曜日

ちがい石の謎

斜長石流紋岩(ちがい石の母岩)
斜長石流紋岩(ちがい石の母岩 丸子地域(※弘法山ではない))

ちがい石 模型
ちがい石 模型

輝石(長柱状・透入双晶を集めたもの 八ヶ岳)
輝石(長柱状・透入双晶を集めたもの 八ヶ岳)

次回の「ナゾときチャン」は「上田市でしか採れない石のナゾ」とのことで、違い石(ちがいいし)がテーマのようです。
以前の「信州うわさの調査隊」の取材の後、進展はあったでしょうか。
(帽章・バッジのメーカーとか、旧小学校の郷土資料室に残っている可能性は…)

ちいきたんけん ナゾときチャン!!
http://www.ucv.co.jp/program/nazo.html
信州うわさの調査隊 上田にとってもレアな中学校の校章があるらしい!?(2016.8.15)
http://radikanchosatai.naganoblog.jp/e1979715.html

18日に他番組での紹介もあるそうです。
長野朝日放送 駅前テレビ 上田ミステリー「謎の石」を探せ
https://www.abn-tv.co.jp/ekimae/

実は、タイトルの「上田市でしか採れない」もナゾの一つで、誰がどのような根拠で言い出した話なのか、調べてみたのですが、わかりませんでした。(中性長石、貫入双晶、それぞれは稀産というわけではないので)

『西塩田時報 昭和24年7月20日』(1949)「徽章制定に就て 西塩田中学校」の記事には「ちがい石の産地は国内でも数ヶ所あるだけだそうです」とあって、他にも産地があると認識されていたことがわかります。(記事のコピーが、とっこ館に展示されていました。)

『上田小県誌 第4巻 自然篇』(昭和38 1963) には稀産についての記述は見つからず。(91頁 95頁)
『上田小県誌 第5巻 補遺・資料篇(2) 自然』(昭和48 1973) でも「中性長石は,造岩鉱物として広く産し,中性の深成岩および火山岩,また変成岩に主成分鉱物として見いだされる。」(17頁)

『日本鉱物誌(改訂版)』では中性長石の産地として「小笠原島中硫黄島」「壱岐国渡良」等を挙げています。

『日本鉱物誌(改訂版)』(大正5 1916)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933382/113
神津俶祐「本邦産斜長石の類別に就て」(『地質学雑誌 17巻202号』明治43.7 1910)
https://doi.org/10.5575/geosoc.17.283
地質ニュース1957年12月号 No.40 地質調査所の標本(その4)斜長石
https://www.gsj.jp/publications/pub/chishitsunews/news1957-12.html
和田八重造 粟津秀幸『原色日本岩石図譜』(昭12 1937) PLATE15. 石英閃緑岩
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1115017/21

正田篤五郎「宮城縣栗原郡金田村附近産中性長石の形態」(『鑛物と地質』3巻2号 1949.9) では泥流中の中性長石(カールスバッド式双晶等)を報告しています。

調べた資料の中で稀産について言及があったのは、『長野県地学図鑑』(昭和55 1980)「日本では小県郡下が唯一の産地である。」(139頁)、『上田市誌 自然編 上田の地質と土壌』(平成14 2002)「ちがい石は,全国的にみてもここだけに見られる貴重な鉱物なので」(23頁)、それと、平成10年にちがい石の産地が市指定文化財に指定されたときの広報うえだ(平成10年7月16日)等の記事でした。
何かを参照したはずですが、毎度のことながら、出所をたどることができません…
(昔の本の中には、呆れるような、ひどい作り話もあったりします。)

結晶が大きめで、きれいに分離して、人に気付かれるような所は、もしかしたら限られるのでしょうか。(「"標本産地"は少ない」という話が「ここでしか産出しない」という話に変化した? 例えば、輝石の"産地"も人によっては "標本産地"(大きな分離結晶の、商品になる)という意味だったりします。)
ここの流紋岩・デイサイトでも、砂粒に近い大きさだったり、石基よりも先に風化して壊れたり、きれいに分離しなかったり、という所はたくさんあります。

誓い石の話は「あやつこ」等から来ていると思いますが、この地方でいつ頃どんな習俗があったのかは資料を見たことがなく、わかりません。

(ちなみに、旧西塩田小学校南校舎の西側の黒っぽい建物が、戦後に西塩田中学校校舎として増築された部分です。統合後は小学校として使われたので、旧小学校校舎と言って間違いではないですが、最初からそうだったというわけではないです。)

以前の関連の記事です。
ちがい石、かけ石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32671194
西塩田中学校のバッジ
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32655821
西塩田中学校の校章
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35327673
変形した高温石英
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32771364
弘法石の謎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/28575940
サッカーゴールと校内放送
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32923334

2020年3月24日火曜日

クジラの化石

鯨類化石の露出(青木村)
鯨類化石の露出(青木村)

2013年の上田創造館の企画展にあった鯨類化石の露出の写真です。(現在は同館の鉱物・岩石・化石展示室に展示。化石は採取前に川の増水で流失…)

あごから尾まで約8mのクジラ化石が上田市で発掘されたとのこと。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20200324/1010012876.html

昨年5月の発見。その後の大雨で流されなくて良かったです。川の改修も度々行われていて、工事中に破損する可能性もありますし、さらに化石の専門家に発見されたというのは、奇跡に近い幸運かも。
現生でも謎の多いアカボウクジラ科の特徴が見られるそうで、どんなことがわかってくるか楽しみです。

一つ気になったのは、この辺の化石には黄鉄鉱化していて分解してしまうものがあることです。すぐに分解するものもありますし、数年後に気付いたらボロボロになっているものもあり、保存・記録には注意が必要かと。

ニュース記事の「1290万~1250万年前」はどこからの数字でしょう?(化石と同じくらい、この数字が気になりました…)

植物化石、小型の動物化石、微化石も面白い場所なので、発掘で出た他の石も有効に使って頂ければありがたいです。
いろいろな化石の発見があるのにこれほど扱いに差をつける人達は何の疑問も感じないのでしょうか…

8mの化石標本の保存場所はどこになるでしょうね。
(一時話題にはなるかもしれませんが、たぶん継続性の徹底だけが重要で、他のことは気にしない方が良いのかも…)

(増水で化石発見が期待される、とか気軽に口にする人もいますが、すごく気にして絶対に言わない、話題を遠ざける人もいます。)

信州新町化石博物館でもクジラ化石を企画室で展示中です。戸隠地質化石博物館の企画展はゾウ化石。
化石の魅力に触れて 信州新町と戸隠で企画展(2020.3.21)
https://www8.shinmai.co.jp/odekake/article.php?id=ODEK20200321013116

関連の以前の記事です。
鯨類化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/33051756
イルカの化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35046947
明治30年 海獣の頭骨化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/29565216
化石の日、県の石
https://kengaku2.blogspot.com/2019/10/blog-post_19.html

2020年3月12日木曜日

独鈷山、鉄城山、殿城山

独鈷山、独鈷、雲根志 石戈(越後産玄能石)
独鈷山、独鈷、雲根志 石戈(越後産玄能石)

『長野県小県郡地図』信濃教育会小県郡会
『長野県小県郡地図』信濃教育会小県郡会(大正11)

写真は独鈷山(とっこざん・とっこさん)、密教法具の独鈷(とっこ・どっこ)、雲根志の石戈(せきか・せっか)(越後産 玄能石)です。山脈の形は独鈷にも少し似て見えますが、これも後付けの、名前からの連想なのでしょう。

過去の資料を読むと、この山の名前は、独鈷山、殿城山、出城山、鉄城山、天デッキ などいろいろです。
まとめると、3つの時期に分けられるようでした。
江戸時代末から明治前期: 殿城山(西内、平井寺)、独鈷山(前山)
明治後期から昭和20年頃: 鉄城山(『小県郡史』等)、独鈷山(『小県郡地図』)
昭和30年頃以降: 独鈷山にほぼ一本化


独鈷山は前山寺(ぜんさんじ)の山号であり、今の弘法山も独鈷山と呼ばれてきました。(現在も弘法山の山頂の字名は独鈷山)

明治初めの町村誌によると、当時、山の北側が前山村、南東が平井寺組(古安曽村)、南西が西内村に属し、北西部の沢山(さやま)地域は前山村と手塚村が「地籍争論中」でした。
前山に属する北側は独鈷山と呼ばれ、平井寺と西内に属する南側は殿城山と呼ばれていました。(殿城山の読み方はわかりません。『小県郡史 余篇』(大正12)では「デンシヨウ」(デンジョウ?)となっていました。)

その後、明治後半から昭和20年頃までは、主に鉄城山(てつじょうざん)と呼んでいたようです。

「鉄城山」は『小県郡史 余篇』(大正12)等にある名前で、現在の独鈷山の旧名であることは確実ですが、明治前期までの資料では見つかりませんでした。おそらく明確な出所があると思うのですが、わかりません。独鈷山は前山村の山林を意味していたので他の地区が嫌ったとか、同じ小県郡に殿城村が既にあったので殿城山に音が似た新たな名前にしたとか、でしょうか?(西塩田村発足の頃?)

ところが、その一方で、大正時代の小県郡地図(信濃教育会)には「獨鈷山」と表記され、その後の地図でも同じでした。
昭和30年頃以降は、観光事業や小中学校の校歌等で独鈷山とされ、独鈷山への一本化が進んだようです。

明治時代に鉄城山と呼び始めた経緯、小県郡地図で独鈷山と表記した経緯、戦後、独鈷山に一本化した経緯については、まだよくわかりません。

※地名等で定まった名前がないとき、独自の名前を作ってみるのも良いとは思いますが、既存の名前を勝手に別の意味合いで使うことは、避けるべきだと思います。


関連の資料です。

郡村誌 小県郡(前山村、手塚村、古安曽村 他)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03ADM110A35220

前山村誌(明治14 1881) 228コマ
獨股山《トクコザン》 官有ニ属ス(中略)本村ノ南ニ崛起スル高岳ノ総称ナリ 南ハ古安曽村平井寺組西内村ニ分属ス北ハ本村ニ属ス(以下略)

手塚村誌(明治15 1882) 270コマ
沢山(中略)嶺上ニテ界シ南ハ西内村ニ屬シ北ハ本村東ハ前山村ト目今地籍争論中ナリ(以下略)

十人村誌(明治14 1881) 180コマ
澤山 前山村ニテハ獨股山ノ内ト云フ 北面ヲ澤山ト云フ 南面ヲ殿城山ト云フ(中略)嶺上ニテ界シ南ハ西内村ニ屬シ北ハ前山村手塚村ニテ地籍争論中ナリ(中略)
獨股山(中略)南ハ古安曽村平井寺組西内村ニ分屬ス 北ハ前山村地籍ニ屬シ(以下略)

本郷誌 148コマ
獨股山(中略)嶺上ヨリ界シ東南ハ古安曽村平井寺組西内村ニ分屬ス 北ハ前山村地籍ニ屬シ(中略)
沢山 該山北面ヲ沢山ト云フ 南面ヲ殿城山ト云フ 前山村ニテ獨股山ノ内ト云フ(中略)嶺上ニテ界シ南ハ西内村ニ屬シ北ハ前山村手塚村地籍争論中也未定(以下略)

五加村誌(明治14 1881) 123,124コマ
獨股山(中略)嶺上ヨリ界シ東南ハ古安曽村平井寺組西内村ニ分属ス 北ハ前山村地籍ニ属ス(中略)
澤山 該山北面ヲ沢山ト云フ 前山村ニテハ獨股山ノ内ト云フ 南面ヲ出城山(中略)嶺ノ上ニテ界シ南ハ西内村ニ属シ北ハ前山村手塚村地籍争論中ナリ(以下略)

古安曽村誌(明治14 1881) 93,94コマ
殿城山(中略)嶺上ヨリ三分シ西ハ西内村ニ屬シ南東ハ本村平井寺組ニ屬ス 北ハ前山村ニ屬ス 山脈北ハ獨股山ト称シ東北ハ安曽岡山ニ接ス(中略)
獨股山(中略)嶺上ヨリ界シ南ハ本村平井寺組西内村ニ分屬シ北ハ前山村地籍ニ屬シ官有地ナリ(以下略)
(※古安曽村は明治8年にできた村で、旧平井寺村の殿城山と、旧柳沢村が入会権を有していた前山村の独鈷山が村誌に記載されています。ちなみに「古安曽」は平井寺の古川神社と鈴子・石神・柳沢(江戸時代前期の西松本村)の安曽神社から付けた名前であり、古名というわけでは無いそうです。)

郡村誌 小県郡(西内村 他)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03ADM110A35190

東内村誌(明治12 1879) 198-200コマ
虚空蔵堂(中略)古跡ハ戌ノ方三十丁殿城山ノ巓ニアリテ虚空蔵屋敷ト称シ遺跡猶存ス 其敷石方七八尺 故ト石経ヲ敷キシナレハ偶文字ノ存スルアリ 今俗殿城ヲデツ゜チヤウト称スルハ訛リナリ 詣スル人常ニアリ

西内村誌(明治11 1878) 238コマ
殿城山 官有地ニ属ス(中略)嶺上ヨリ二分シ北ハ前山村ニ属シ南ハ本村ニ属ス 山脈西冨士山ニ連続ス(以下略)

『小県郡史 余篇』(大正12 1923) 鉄城山
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965787/25

『長野県小県郡地図』信濃教育会小県郡会蔵版 (大正11 1922)
「獨鈷山」「弘法山」(※原典はカラー)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948699

『信濃中部地図』信濃教育会小県・上田部会 (昭和4 1929)
「獨鈷山 Dokkosan」「弘法山」

『しおだ町報 昭和32年4月25日』紙上講座
黒坂周平「塩田町の歴史と文化財(12) 中禪寺の藥師堂及び藥師佛」
西前山区の宮原(又は中原)を南に上りつめると、いやでも我々は鉄城山(一名とつこ山)の岩壁につきあたらないわけにはいかない。その岩壁につき当たる一寸手前―即ち鉄城山が、この地表から聳え立つ根もとのところに、峨々たる山容を押しかぶるような位置に仰いで、真言宗中禅寺がある。(以下略)

『しおだ町報 昭和33年8月5日』
独鈷山に案内標 塩田連青団員の手で
 塩田町観光開発事業の計画案として独鈷山(一名信州妙義)の開発宣伝を以前より懸案されていたが観光協会総会に於てこれの具体化が強く要望され、広く独鈷山を紹介するべく六月中旬観光委員のみなさんが実地調査を実施し、観光価値を再認識しました。
 観光客が非常にみりょくを感じ 日帰り登山に最適で健康的な山として観光協会では安心して登山できるよう、別所よりのコース及び西塩田よりのコースへ親切な案内標を立てることに決定、塩田町連合青年団へ協力依頼した。(以下略)

『しおだ町報 昭和34年6月5日』
独鈷山へ二〇二名登山 国民体育デー 体育部で主催
明るく健康な生活を築くために、ひとりひとりがそれぞれにふさわしいスポーツ、レクリエーションに親しむ国民体育デーが毎年五月の第三日曜に催されます。(中略)
公民館体育部では健全なレクリエーションとして独鈷山の登山を昨年から考え、みなさんに塩田平を眼下に収め遠く浅間山、たてしな 佐久平、美ヶ原、アルプスを望む標高一、二六六メートルの頂上の景勝を味わっていただく計画をしてきました。(以下略)

西塩田小学校校歌(昭和34年?): 独鈷《とっこ》のみね
中塩田小学校校歌(昭和38年): 独鈷山《とっこざん》
塩田中学校校歌(昭和39年): 独鈷山《とっこざん》

※昭和30年代には、まだ普通に鉄城山と呼ぶ人がいる一方で、塩田町(昭和31-45)の観光事業や小中学校の校歌で独鈷山と呼ぶようになり、一本化されて行ったと考えられます。

2020年2月28日金曜日

微化石の講座

石灰岩
石灰岩(幅約5mm)

3月8日の新潟大学インターネット市民講座「大きな地球と小さな化石」は中止になったようです。(イベントすべてかどうかわかりませんが。もし小規模・分散的に開催するなら、今回のような状況では比較的有利な形態ではないかと。)
https://geo-itoigawa.com/sub/topics2020.html
https://www.city.itoigawa.lg.jp/item/25302.htm

遠くて企画展等にもなかなか行けないですが、今後もイベント企画や情報発信(一部のコンテンツだけでもいいので)をして頂ければ嬉しいです。

上の写真は以前頂いた青海石灰岩の表面で、0.2mm前後の粒々はたぶん何かの化石。


フォッサマグナミュージアムのウェブサイトを見ていたら、石のガイド養成講座の資料(基礎編・実習編)があって、「持続可能な開発(石探し)」という相反関係を含むテーマが興味深く、勉強になりました。ヒスイ拾いの機会も今後さらに減少して行くのでしょうか。よく観察して定量的に評価しないと、体験や調査の範囲を越えて、一部の人による乱獲の繰り返しになることもあり得るわけで。
石のガイド養成講座・試験
https://fmm.geo-itoigawa.com/blog/event080/
石の鑑定サービスの変更について
https://www.city.itoigawa.lg.jp/item/21402.htm
「サービス利用者が平成29年度の1万7千人から平成30年度は2万1千人へと増加しました。」とのことで、一人10個として年間20万個以上の石が採取されている状況。

おもしろ石コンテストの記事がありました。
いとしん だより No.62
https://itoigawa-shinkumi.co.jp/suishin/itoshindayori.html
おもしろ石コンテスト2019
https://www.city.itoigawa.lg.jp/item/23279.htm


数十人程度の小規模なイベント(観察会・勉強会等)の場合、どうするか(意見調整等も)悩ましいところ…
今やらなくてもいいと思う人がいる一方で、意欲的な人は、他の日常の活動と比べてリスクが変わるとは思えず中止は行き過ぎ、と考えるかもしれません。ほとんど欠席という可能性も考える必要があります。それなりに頑張っても結果が悪ければ苦情を言われ… 誰が担当しても難しい事態ではないかと…