2020年8月19日水曜日

鷲岩と雨乞い多様性

信州小県郡前山寺奥院獨股山図 大宮奥院(鷲岩)
信州小県郡前山寺奥院獨股山図 大宮奥院(鷲岩)

独鈷山山頂(写真右上隅)付近
独鈷山山頂(写真右上隅)付近

ちいきたんけん ナゾときチャン「上田市が日本遺産!?」のナゾ のビデオを見せて頂きました。

大行満 願海の「加持涌出霊泉塔」は字の通り、霊泉(龍王湧水)の涌出に関する碑です。

独鈷山で鷲岩と言えば塩野神社の奥宮でしょうか。(他にもあるかもしれませんが)

『小県郡史 余篇』(大正12) 塩野神社 鷲岩
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965787/257

出典?と思われる「明暦社記」についてはわかりません。
「塩野入」は町村誌等にある「宮ノ入」ではないかと思います。
他の本等では「鷲岩」の他に「鷲ヶ峰」「鷲ヶ峰の鷲岩」とも言われているようです。

上の絵図は昭和61年に前山寺(ぜんさんじ)で再発見された「信州小縣郡前山寺奥院獨股山啚(図)」(江戸時代末?)の一部です。(不明瞭な写真で、すみません。)
中央上「獨股山奥院」の文字の山が今の独鈷山の山頂付近。その左の四角の中の文字は「院奥(縦並びで)大宮」つまり「大宮奥院」、大宮は前山塩野神社の昔の名称です。細く尖った峯が4から6並ぶ中に社の絵があって、たぶんそこが鷲岩。ただ、細かくギザギザしていて、どの峯か正確にはわかりませんでした。「岩」なので山・峰ほどは大きくなかった?


噂話は広がりがあることもありますが、まったくの個人的創作の可能性もあります。それがメディアを通すとそれだけで一定の分布があるように解釈されて、いつの間にか、ムカシからのチイキの伝承と言われるようになることも。
山の一部が龍に見えるという、ほとんど誰も知らない話も、そのうちにガイドブックに載るようになって、他の文化「遺産」と区別がつかなくなるのかも…

雨乞いの習俗は、どこでも普通にあったはずですが、衰退してきて、過去の記録や現存するものは民俗遺産と呼べるのかもしれません。
興味深いのは凄まじいほどの多様性です。理由は簡単で、雨乞いで雨が降るわけではないので、繰り返し失敗し、変化し続けた結果でしょう。お地蔵さんを縛って引き回したり火責め水責めにするのは生贄儀式にも似ていますが、聖域無く何でも試してみようという(ある意味マッドな)科学的な感覚もあったのかも。

ちいきたんけん ナゾときチャン!!
http://www.ucv.co.jp/program/nazo.html
龍王山、レイライン
https://kengaku2.blogspot.com/2020/06/blog-post_20.html
独鈷山、鉄城山、殿城山
https://kengaku2.blogspot.com/2020/03/blog-post.html
日本遺産ストーリー 子供銀行券 (日本遺産スペシャル)
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_31.html
曲がった直線、裸の王様、袈裟供養
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_15.html
日本遺産 ストーリーのデパートメント化
https://kengaku2.blogspot.com/2020/11/blog-post_12.html
日本遺産 レイラインの幅
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_15.html
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html

願海について
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34587331
絵堂の地蔵
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34620178


2020年8月17日月曜日

自由研究と疑似科学

魚の化石(部分)
魚の化石(部分)

山から少し泥岩を運んで化石採集体験をしました。写真はたぶん魚の頭骨の一部。謎解きの手掛かりは各骨の形と細部の形・模様ですが、解けないことがほとんどで、楽しむレベルにはまだまだ及ばず…
タイ科の頭骨についてはすごい資料があります。
https://osakanabanashi.seesaa.net/article/465702968.html


今年は自由研究の作品展は無しでしょうか。学生科学賞はWeb開催(地方審査)の話があるようですが、どうなるでしょう…
https://event.yomiuri.co.jp/jssa/contact

※追記: 公開されました。
令和2年度(第64回)長野県学生科学賞作品展覧会
https://kagakusakuhinten.sakura.ne.jp/

あやしげな話を2つ教えて頂きました。
化石の定義が「人類が誕生する前に生きていた生物」(の痕跡)との話を聞いたとか。(「有史前」等の誤解? それとも教義関係…)
「水からの伝言」を今も市内の小学校で教えているとか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/水からの伝言
「水からの伝言」を信じないでください
https://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/
水は答えを知っている
若杉亮平「図書館における疑似科学的資料の扱いについて」『北陸学院大学・北陸学院大学短期大学部研究紀要 第7号』(2014)
http://id.nii.ac.jp/1273/00000237/

自由研究の作品展示(2019)
https://kengaku2.blogspot.com/2019/09/blog-post.html

2020年8月14日金曜日

安曽岡山の櫃石の謎

櫃石(信濃国小県郡年表 26頁)
櫃石(『信濃国小県郡年表』26頁より)

櫃石(ひついし?)は『信濃国小県郡年表』にある石で、他の資料では見たことはありません。約5.4m x 5.4m x 10.8m という大岩。この付近には水平方向の柱状節理の露頭もあるので、それを「巨大な小袖櫃」に見立てたのでしょうか?

上野尚志(1811-1884)『信濃国小県郡年表』(活字本 26頁)
安曾(中略)爰等里人談に柳沢山の中腹に塩田氏の臣安曾(一作浅岡)甚太夫の城跡あり、二つの石塔存す云々。又云、備場とて棚の如き石垣段々あり其下の野に巾三間余長二三丁の堀切あり尤も城は小さし。其鬼門に諏訪明神あり、安曾の社と号す。此山に櫃石とて白き高さ横とも三間余長さ六間余四面削りたる如く小袖櫃に似たるあり。(以下略)


例えば、単位が間(約1.8m)ではなく尺(約30cm)とすると、約90cm x 90cm x 180cm で小袖櫃に近くはなりますが、わかりません…
どんな本でも誤りは大抵あって、原書を確認したら誤記や誤写が見つかって、考察が無駄になった、なんてことも。(例えば『五無斎保科百助全集』の「十二の人」の考察とか)
原書画像や正誤情報の優先順位は比較的高いと思うのですが、『年表』再復刻のときはあまり話題にならなかったようで、ちょっと残念…
(「備場」は「槍立場」(『ふるさと塩田 村々の歴史』石神)と同じ場所でしょうか。元々は曲輪とか建物跡の可能性が高いと思いますが、芳沢の東に「高山」があるので、地名は鷹狩りとも関係があるのかも。)

ちなみに、国立国会図書館のデジタル化資料に『信濃国小県郡年表』(活字本)は無いようです。『小県郡史』はありますが、『余篇』はインターネット公開で、『(本篇)』は図書館送信資料。(図書館送信資料は、全国の特定の図書館・大学等でインターネット閲覧ができるもので、一般の人も一応利用可能。)
著作権保護期間が終了するか、著者・編者が公開を許諾して手続きが行われれば、インターネット公開になるわけですが、著作権以外にも個人情報とか文化財・自然保護等の問題もあって、簡単ではないのでしょうか…
『五無斎保科百助全集』は図書館送信資料、『五無斎保科百助評伝』は未デジタル化のようです。