2026年9月25日金曜日

今を遺すアーカイブ

東信ジャーナルBlog版(2008年12月)
東信ジャーナルBlog版(2008年12月)

上田市デジタルアーカイブポータルサイトを見ると、まず「地域に残る写真や記録映像」について書かれています。古い記録を遺すことは大事ですが、それと同じくらい、今の記録を遺すことも大事で、そのための検討や取り組みは、もっと必要ではないでしょうか。

東信ジャーナルが今月で終刊するとのこと… ウェブのアーカイブも消えるのでしょうか…

公共サービス(図書館、広報、学校など)で、一人500MB程度の廉価または無料のストレージを提供するのはどうでしょうか。個人の写真や動画は、災害、劣化、散逸等で100年後には大半が失われているかもしれません。家族や地域の写真を遺したいと思う人は多いはず。いずれ膨大な映像の検索・分析が可能になり、貴重な歴史資料にもなるはずです。




2026年8月27日木曜日

自然博物館のイベント

三葉虫のはい跡(群馬県立自然史博物館)
直接関係ありませんが… 三葉虫のはい跡(群馬県立自然史博物館)

自然博物館のイベントがあるそうです。

第1回まちなか自然博物館(筑波大学令和8年度社会貢献プロジェクト)
2026年9月5日(土) 6日(日) 10:00-17:00 まちなかキャンパスうえだ
https://msc.tsukuba.ac.jp/news20260706/

菅平の自然、茨城県自然博物館・群馬県立自然史博物館の紹介や顕微鏡を使ったワークショップなど。観察したいものの持ち込みもできるとのこと。

上田市内や長野県内の博物館で連携したイベントも、もっとあれば楽しいかも。
(何か目玉になる展示・イベント・物品等が必要になるかもしれませんが。)

小規模な巡回展やウェブ展示を専門的に企画する所があっても良いかも…
貴重品の巡回展示は難しいですが、普通品やレプリカでも展示する価値のあるものはあるはず。遠方地域・海外との交流・交換が容易になるメリットもあると思います。



2026年7月28日火曜日

自由研究とデジタル顕微鏡アーカイブ

魚鱗化石『上田小県誌 第四巻 自然篇』(1963)P102
魚鱗化石『上田小県誌 第四巻 自然篇』(1963)P102

魚鱗化石の表面の模様には、隆起線、成長輪、溝条、棘列などがあって、ルーペ等で拡大して観察すると、とても微細できれいです。特に貴重な化石というわけではありませんが、身近に海や湖の時代の様々な化石があるのに、全く知らずにいるのは、もったいないような……

拡大観察は、ルーペとか、デジタルカメラのマクロ撮影でも良いですが、学校や博物館、公民館等でデジタル顕微鏡の使用サービスを提供できたら便利かも。さらに、撮影画像をデジタルアーカイブに登録して、コミュニケーションや記録の蓄積に利用したり。
こんなアーカイブシステムはどうでしょうか。
・デジタル顕微鏡で生物等を拡大撮影し、画像とテキスト(または手書きテキストの画像)をネットのデジタルアーカイブに登録。
・先生やボランティアからコメントを受ける。内容は簡単なアドバイスや参照に留める。評価や指導は厳禁。
・基本的に会員制・クローズド。運営側でデータをピックアップして一定規模の公開も行う。

今年の科学作品展は、2026年8月29日・30日のようです。


頁岩の化石クリーニング
https://kengaku2.blogspot.com/2021/03/blog-post_9.html
自由研究の化石採集
https://kengaku2.blogspot.com/2021/08/blog-post.html
掃いて捨てるほど 化石の日
https://kengaku2.blogspot.com/2021/10/blog-post.html
魚化石のビッグデータ
https://kengaku2.blogspot.com/2026/05/blog-post.html
微化石モンスター
https://kengaku2.blogspot.com/2019/07/blog-post_23.html
別所層の有孔虫化石
https://kengaku2.blogspot.com/2020/07/blog-post_15.html
アイスクリーム・コーン・ゾンビ?
https://kengaku2.blogspot.com/2025/10/blog-post.html

黒色頁岩の模型
https://kengaku2.blogspot.com/2023/01/blog-post.html
アーカイブ・エディティング
https://kengaku2.blogspot.com/2025/04/blog-post.html
化石の3D画像
https://kengaku2.blogspot.com/2025/07/3d.html
自由研究のアーカイブ
https://kengaku2.blogspot.com/2025/08/blog-post.html
シロウリガイ
https://kengaku2.blogspot.com/2020/01/blog-post_9.html
幻のクジラ化石名?
https://kengaku2.blogspot.com/2024/10/blog-post.html



2026年6月29日月曜日

松本郷と下之郷

 

『天正六年二月 上諏訪造宮帳』塩田十二郷の負担分
『天正六年二月 上諏訪造宮帳』塩田十二郷の負担分

「三御柱小縣郡 塩田拾二郷」(1578)の各郷(村)の数値をグラフにしてみました。気付いた点です。

・「塩田拾二郷」とありますが記載は11郷。記載のない村落は、八木沢、舞田、保野、山田、野倉、十人。舞田・保野は小泉庄の時代がある。他は隣接する別所や手塚等と一括だったのかも。東西松本郷は(もしかしたら下之郷も)元は一郷だった?
(初期の塩田十二郷は、例えば、松本郷、柳沢郷、本郷、五加郷、小島郷、中野郷、前山郷、手塚郷、山田郷、八木沢郷、別所郷、野倉郷?)
・負担の数字と村の規模の関係は不明確ですが、中世は近世以降よりも上流部の村の規模は相対的に大きかったのかも。
・西松本郷と下之郷は代官が同じ市左衛門尉。安曽神社と下之郷明神(現在の生島足島神社)を管轄していた? 兼任はこの二郷だけで他の郷にはない。下之郷と東西松本郷は同じ尾根川水系で、下之郷は松本郷の下流に位置する。本郷は産川水系であり、下之郷とは水系が異なり、地形的な上下関係もない。村を「郷」と呼んでいた中世には、本郷と下之郷を名称で関連付けることはなかったはずで、「松本郷の下之郷」と解されていたことは確実?
・柳沢郷が西松本郷と別になっている。何度か合併・分離をした?


『天正六年二月 上諏訪造宮帳』(1578)

三御柱小縣郡 塩田拾二郷
西松本郷 三貫五百文 代官 市左衛門尉
東松本郷 三貫文 代官 左近丞
手塚郷 四貫五百文 代官 弥衛門尉
別所郷 参貫文 代官 右衛門尉
魔山郷 四貫文 代官 小衛門尉
五家郷 壹貫五百文 代官 与五左衛門尉
柳沢郷 壹貫五百文 代官 内蔵助
小島郷 六百文 代官 半七郎
中野郷 八百文 代官 金子三助
下之郷 七百五十文 代官 市左衛門尉
本郷 壹貫文 代官 小左衛門尉
  合廿四貫百五十文
右之拾貮郷ヨリ此外三貫七百五十文小祝分
          小池右近丞取之


厩山、魔山
https://kengaku2.blogspot.com/2026/01/blog-post.html


2026年5月28日木曜日

魚化石のビッグデータ

ニシン科の魚鱗化石(別墅層)
ニシン科の魚鱗化石の一部(別所層)

別所層(長野県)等のフォッサマグナの海成層からは、膨大な量の魚化石が見つかります。しかし、魚鱗やバラバラになった骨等の小さな化石がほとんどで、化石採集体験のイベントでも、何かわからない、気にしても仕方がないものと思われて、破棄されてしまうことが多いのも実情……
広域に協力して、標本と記録を蓄積し、古環境の復元の手掛かりにするような取り組みは、できないものでしょうか。

・標本と記録の作成手順を標準化し、各自で登録作業までできるような環境を作る。
・理科や郷土学習の実習としても行えるようにする。(ある程度は妥協して実現を優先する。)
・拡大してスケール付きで撮影できる機材を小グループに1台以上用意する。

化石の破片も使って、形態だけでなく、同位体分析等のデータも蓄積されるようになれば面白そう。

少し遠方ですが、新第三紀中新世の見慣れた魚化石がたくさんありました。

島根県東部島根半島に分布する下~中部中新統成相寺層から産出した魚鱗化石と古環境(2025)
https://doi.org/10.15080/agcjchikyukagaku.79.2_67


夏休みの化石採集(6)
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34688509

ソコダラ科の化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35838300

2026年4月28日火曜日

黒色頁岩(ブラック・シェール)

別所層の黒色頁岩
別所層の黒色頁岩

上田市にも分布する別所層は主に黒い泥岩の地層で、この泥岩は黒色頁岩(Black shale)とも呼ばれます。
フォッサマグナの深海底に堆積したもので、自分にとっては魚や貝などの化石が見つかる石という理解でしたが…
シェールオイル、シェールガス、オイルサンド等の言葉を聞くようになって、石油と黒色頁岩の関係について聞かれることがありました。

調べてみると、黒色頁岩は石油分の根源岩(ソースロック)であり、貯留岩(リザーバーロック)でもあるようです。石油分を含んでいて抽出は可能ですが、採算が取れるケースは限定的。最近の技術でも、岩石から分離している油分が豊富で抽出が可能で、原油価格が高ければ、やっと採算が取れるというような状況。環境への負荷も小さくない…

戦時中は中国大陸で採掘をしたそうです。この辺では褐炭等の試掘・採掘や松根油の話はありますが、頁岩の乾留のようなことを試していたかどうかはわかりません…

石油の抽出は難しくても、各地の黒色頁岩や貯留岩の油分について実験で調べて比較できたら面白いかも… 勉強不足でわかりませんが…

(ただし、別所層は化石産出層なので、産地情報の扱いには注意が必要。魅力的な情報発信が、集中による破壊・荒廃に繋がることも…)

夏休みの化石採集(7)
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34695517


今年のお花見…
沙汰無くも一人咲きけり山桜
虫追うて蛙や花に這い上がり
花の間に見え隠れせり笑い面
楽絶えて星夜に花の残りけり
折々の花読みなれや茶飲み客


2026年3月30日月曜日

ペーパークラフトの改良(改)

柱状節理のペーパークラフト
柱状節理のペーパークラフト(改)

柱状節理のペーパーモデルは、その後、ケースをマッチ箱型に戻して、内箱側面の上半分を切り取ってみました。柱を箱に入れたまま動かすことができて、持ち運びも特に問題ありません。箱の強度は低下しますが、石の標本のように重さで歪むようなことはなく、問題なし。
ただ、内箱の出し入れの際に、中の柱の頭が外箱に接触しました。内箱が傾きと歪みのために浮くようで、内箱側面がそれを防いでいたわけです。側面の上部を少し残すか、歪みを減らすか、箱と柱の高さの差を増やすか。歪みを抑制するのは難しいので、高さの余裕を大きくすることになりそう…(作りやすく、多少歪んでも機能に問題がないことが目標)

ペーパークラフトの改良
https://kengaku2.blogspot.com/2025/12/blog-post.html


2026年2月28日土曜日

一つ火と上田郷友会月報

山口鬼火實撿ノ顛末(明治19年)
山口鬼火實撿ノ顛末(明治19年)


明治19年(1886)11月『上田郷友会月報』「山口鬼火實撿ノ顛末」は、勝俣英吉郎(1865-1930)が学生時代、友人から鬼火の伝承について聞かれ、「彼ノ中小ノ學、嘖々タル其名ト唯ニ校舎ノ壮觀ニヨリテ之レヲ得タルカ」と煽られて、夏休みに観察した、というレポートです。
結果は人家の灯火で、感想は「要スルニ余カ今囘ノ成績ハ大ニ自他意想ノ外ニ出テタルヲ驚カズンバアラス今ヤ理化ノ學何ノ處ニカ用ヰン嗚呼三日ノ試驗皆是古人ノ輕々ニ行ヒ得可カリシモノナラントハ書キ終リテ浩嘆之レヲ久フス」

この件が人々に記憶されて、「上田地方には、山口の一つ火を、「迷信と宗教」(井上圓了博士)のいふやうに、狐狸の所為と思つてゐるものは一人もない」(藤沢衛彦編『日本伝説叢書 信濃の巻』大正6 1917)と言われたのかも…

こういう話を伝承することにも意味はあるのではないでしょうか。


『上田郷友会月報 明治19年11月』(1886)
○論説
 山口鬼火實撿ノ顛末 勝俣英吉郎述
去歳客アリ問フテ曰ク聞ク子カ郷ニ鬼火ナルモノアリト果シテ之
レアルヤ否曰ク有リ曰ク鬼火ノ竒怪ナル之レヲ傳フル久シ郷人既
ニ之レヲ實見セルモノアリヤ曰ク竒説百出シテ未タ實見ノ説アラ
ズ曰ク子カ郷ハ文化盛ニ行ハレテ教育日ニ舉リ夙ニ中學ノ設ケア
リ學士又林ヲナセリト聞ク然ルニ獨リ此ノ鬼火ノ事ニ至リテ未マ
ダ實見ノ説ナキハ何ゾヤ曰ク然リ、然レトモ人各其職アリ焦眉ノ急
ニアラスシテ手ヲ餘事ニ下タスモノ稀レナルハ世情ノ常ナリ何ソ
獨リ我ガ郷先生ノミノ咎ナランヤ曰ク然ラハ子ハ京ニ在ル數年、
理化ノ學、之レヲ學バストナス能ハズ然ルニ子ニシテ之レヲ實見
スルノ勇ナキハ何ゾヤ曰ク余モ亦此ノ研究ニ志ス年アリ而シテ未タ
之レヲ果タスノ機會ナカリシノミ曰ク鳴呼々々子何爲レソ此言ア
ルヤ今ヤ理學ノ研究漸ク深逺ニシテ宇宙洪漢ノ間ニ其力ヲ逞フセ
リ之レヲ以テ後進ノ學者、自已ガ研究ノ餘地ナキニ困シミ幾萬里
ノ波濤ヲ越ヘテ辛酸ヲ異郷ノ深山幽谷ニ甞メ貴重ノ生命ヲ以テ理
學ノ犠牲トナスニ非ラスヤ然ルニ郊外里許ヲ出テザルノ地ニ數百
年来疑惑ノ解ケザルモノアルヲ知リ看々之レガ實見ニ躊躇スル、
何ゾ夫レ無勇ノ甚シキヤ子ハ漫ニ罪ヲ機會ナキニ移シテ恬乎タリ
余レ其評スペキ言ヲ知ラス將タ又理化ノ脩學甚タ淺薄ニシテ之レ
ガ研究ニ堪へザルニ由ルカ然ラハ彼ノ中小ノ學、嘖々タル其名ト
唯ニ校舎ノ壮觀ニヨリテ之レヲ得タルカ余ハ稍之レヲ疑ハサルヲ
得ズト、余遂ニ一言ナシ、今玆八月暑季休暇ニ際シテ郷ニ歸リ乃ハ
チ之レヲ實撿シテ左ノ成績ヲ得タリ由テ序スルニ客言ヲ以テス然
レトモ余ハ更ニ客ニ之レヲ示見スルヲ憚カラサルヲ得サルモノアリ
何ゾヤ他ナシ其成績ノ甚タ意外ニシテ先輩ノ意見ニ反スレパナリ
否我ガ數百年来ノ暗愚ト無稽トヲ曝露セサルベカラザレバナリ
   明治十九年八月    稿者識ス
(以下略)

2026年1月30日金曜日

厩山、魔山

天正六年二月上諏訪造宮帳より
魔山郷(左から3行目。茅野市「守矢史料館企画展の史料について」より)

干支に因んだ話題… 塩田の前山は中世に小規模な牧場があって、厩山(まいやま)と呼ばれていたのが、後に前山と書かれるようになったのではないか、という仮説です。
平安時代、手塚氏か塩田氏が経営していて、木曽義仲と共に滅亡、生き残った人達も離散して牧場は消滅…
南は山、北と西は川があるので、主に東側に柵や施設を設置していたのではないか…
厩山の表記は長く残って、「天正六年二月 上諏訪造宮帳」(1578)に「三御柱 小縣郡 塩田拾二郷 ~ 魔山郷」とあるのは、「厩山」を誤読・誤写したのではないか…

信濃史料 巻十四(3)
https://adeac.jp/npmh/catalog/mp000014
https://adeac.jp/npmh/viewer/mp000014/1403/?pagecode=75

茅野市八ヶ岳総合博物館 アーカイブ
守矢史料館企画展の史料について
https://www.city.chino.lg.jp/site/y-hakubutsukan-archive/kiyo-jinbunrekishi.html


2025年12月31日水曜日

ペーパークラフトの改良

柱状節理のペーパークラフト
柱状節理のペーパークラフト

以前作った柱状節理のペーパーモデルを改良してみました。と言っても、ケースをマッチ箱型から蓋付きに変えただけですが。これまでは、ケースから出して、遊んで、ケースに入れる、という使い方でしたが、蓋付きケースなら、蓋の方で並べて、戻すときはそのまま下のケースを被せるだけでいいので簡単、ということを急に思い付きました。
作ってみると、確かに簡単になって良い感じ。
ところが、ケースを片付けようと持ち上げたとき、蓋だけ持ってしまい、下のケースを倒して中身をこぼしてしまいました。マッチ箱型では起きなかったことで、この扱いにくさは大きなマイナス。
もう少し考えてみます。


光さす雪の郡の煙かな
年神の魚も見るや冬銀河
泣き叫ぶ子等にも年は改まり

ほろ酔いて福神過ぐる宿の門
古家にて屠蘇を勧むる声聞けり
初業の鬼や神仏食らいおり

2025年11月28日金曜日

コレクションと研究、2つの好奇心

野倉民俗資料館にある(あった?)魚化石
野倉民俗資料館にある(あった?)魚化石(丸子町誌自然編 P71)

川原の小石標本
川原の小石標本(例えば10種を5回集めて仮分類してみたり)


UCVレポートで塩田西小学校の石研究会の話題がありました。
内容はこれから考えるそうで、色々試してみるのかも。

もしプレゼンテーション要素を加えてもらえるなら周りは楽しいです…
例えば、お気に入りの石を持ち寄って紹介をしていたので、その延長で、石コレクションのミニ企画展のような展示を作ってみるとか。学校の中で展示して感想や質問を書いてもらったり、公共施設や他の学校へ巡回したり。
地域内外でミニ博物展示の交換をするような活動があったら(周りは)楽しいかも…

石コレクションのテーマは自由で、身近な所では、地元の石とか、学校(新旧)の理科標本の紹介とか。
塩田中学校の保科百助の長野県地学標本(東塩田小と中塩田小にあったもの)、野倉民俗資料館の岩石鉱物化石標本、上田創造館の鉱物・岩石・化石展示室の紹介とか。

(コレクションと研究は重なる部分もありますが、対立する部分もあります…… 地味にゆっくり楽しむのも良いのかも……)

川原の石ころ標本
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/36210497
アイスクリーム・コーン・ゾンビ?
https://kengaku2.blogspot.com/2025/10/blog-post.html


2025年10月29日水曜日

アイスクリーム・コーン・ゾンビ?

棲管化石
アイスクリームコーン・ワームの棲管の化石?
(UCVレポート2025.7.29 より)

夏休み中の化石探し体験(塩田公民館 2025.7.29)を伝えるUCVレポートで、角笛形の棲管化石が紹介されていました。
上田市付近では多く見つかる化石ですが、詳細はたぶんまだよくわかっていません。
レポートでは、アイスクリームコーン・ワーム(ゴカイ)の化石と紹介していました。
形・大きさにバリエーションがあるのと(管の端の形態など)、似た形の棲管を作る生物が複数いる可能性もあるので、資料が増えれば分類もされるようになるのかも。
ウミイサゴムシ(アイスクリームコーン・ワーム)の仲間の他には、ハオリムシ(チューブ・ワーム)、ホネクイハナムシ(ゾンビ・ワーム)など。

クジラのような大型の動物の化石が見つかると、「豊かな海」と言われることがありますが、実際は、小さな化石が、まばらに見つかるような印象で、生物の豊富さを感じることはあまりないかも… この棲管も、比較的よく見つかるペッカムニシキの貝殻も、とても薄くて、もろいので、採集時にハンマーで強く叩くと、母岩が割れたときには化石は粉々… ということも多いです…


幻のクジラ化石名?
https://kengaku2.blogspot.com/2024/10/blog-post.html
管状の化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34308716
知らない化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/6889536
有孔虫と耳石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/36186312
有孔虫化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35565461

北向観音の由緒と古文書の謎
https://kengaku2.blogspot.com/2025/09/blog-post.html


2025年9月29日月曜日

北向観音の由緒と古文書の謎

北向観音堂勧進帳
正徳2年北向観音堂勧進帳(表紙は延宝6年?)『常楽寺綜攬』P38


別所温泉の北向観音の由緒話は、内容を見ればわかる通り、フィクションです。成立については不明、史実を反映した部分があるのかどうかも不明。
そもそも、由来を伝える文書にも謎があって、本を調べると、題名が異なる文書がいくつも出てきて、内容を確認できないものもありました。
(調べれば何かがわかるというわけではないですが、できることが十分に行われてきたというわけでもないのでは…)

今年は由緒話の薬師如来・観音菩薩の出現(天長2年 825)から1200年で、前立本尊の御開帳等もあるとか。基礎的な部分の進展はあるでしょうか…
(現在の北向観音の本尊は江戸時代中期、正徳4年(1714)の製作。前立本尊については未調査。昭和36年の御開帳のときには本堂が改修され現在の撞木造りになりました。また、夕焼小焼の歌碑が建てられました。)


北向観音由緒の文書
名称年代原書の確認所載等
勧進帳正徳2
(1712)
△
部分画像
『常楽寺綜攬』(1990) P38
原本か写しか不明。表紙は延宝6(1678)か?(※1)
信濃國小縣郡出浦郷別所七久里温泉并名所畧記江戸後期?○
画像公開
版本。「弘化三午年二月廿二日求之」の書込あり。(弘化3年 1846)
善光寺道名所図会
巻之五
嘉永2
(1849)
○
画像公開
版本。「以上別所七久里温泉由来記を抄出す」とある。「出浦古記 上畧」とあり木曽義仲軍の焼討の話(小説か?)がある。鳳来寺峯の薬師の話がある。
※「北向山大悲殿厄除千手観世音(略)毎歳二季彼岸ノ中日開扉回向」とある。
信濃國北向堂厄除千手観世音畧縁起不明△
全文翻刻
版本。(※2)
別所本起錄不明△
部分要約
『小県郡史 余編』(1923) P559 『小県郡民譚集』(1933) P34
小山真夫 記。
北向山厄除觀世音菩薩縁起不明△
部分要約
『小県郡史 余編』(1923) P559 『小県郡民譚集』(1933) P34
小山真夫 記。
信濃國小縣郡北向山厄除観世音菩薩御傳記不明△
部分要約
『長野県史蹟名勝天然紀念物調査報告 第20輯』(1939)
小山海太郎「別所北向山の桂」
「(北向山別當常樂寺藏版)」とある。
信濃國北向山厄除観世音菩薩縁起/信濃國小縣郡北向山厄除観世音菩薩御傳記明治?△
画像あり
版本?(名称は外題/内題)
信濃国出浦郷北向堂縁起不明△
部分要約
『常楽寺綜攬』(1990) P24 P73
黒坂周平、半田孝淳 記。「常楽寺所蔵」とある。「北向観音縁起書」とも。
北向堂大悲殿本起不明△
部分要約
『常楽寺綜攬』(1990) P33
山極尚一 記。

※1 勧進帳(『常楽寺綜攬』(1990) 38頁)
(表紙?)
延寶六 つちのへ 午 年
  勸進帳

(本文?)
 信州小縣郡塩田庄別所郷
 北向千手觀世音菩薩御堂
 敬奉大修繕奉加帳
夫當北向山は 人皇五十三代
淳和天皇の御勅定を蒙り天長
二年圓仁慈覚大師の開基たり
せば其功德無量大慈大悲㧞苦
與樂厄難消除の御誓ひ空し
からすと云
  別當常樂寺四十六世住
    権大僧都法印翁玄
于時正德二壬辰年應鐘吉祥日

(備考)
延宝六年戊午(1678)
元禄七年(1694) 北向観音堂が常楽寺持ちになる。
正徳二年壬辰(1712) 應鐘は10月。同年5月北向観音堂焼失。享保4年(1719)再建。
偶然かもしれませんが、1行の字数が揃っています。定型原稿とか活字印刷物から写した?


※2 「信濃國北向堂厄除千手観世音畧縁起」翻刻
『文教大学国文 第52号』(2023.03.15) P25-41
稲垣 泰一「『信濃國北向堂 厄除千手観世音畧縁起』について―解説並びに翻刻―」
https://doi.org/10.15034/0002000008
https://bunkyo.repo.nii.ac.jp/record/2000008/files/BKK0004411.pdf

※出現した観音菩薩の言葉として、「我は是火坑出現の観音薩埵《さつた》なり、国中の人民仏神に帰依《きい》する事うすく、現世は邪曲《じやきよく》に長じ、未来は地獄《ぢごく》に堕《だ》せん事を悲《かな》しみ、衆生《しゆじやう》を済度《さいど》し、天下静謐《せいひつ》、国家豊饒《ぶねう》を守らん為、此地に出現せんと、汝を待事年久し、今汝が法味に預り歓喜《くはんぎ》踊躍《ゆやく》せり、即今我止《とゞま》る処最上《さいじやう》の勝地《しやうち》なるが故、我像《わがぞう》を北面《ほくめん》に安置すべし、我北に向はん事は北斗の千載にひとしく、寿命長久を守らんためなれば、信心堅固にして、ひとたび歩《あゆみ》を運《はこ》ぶ輩《ともがら》は、現世は厄難《やくなん》を除《のぞ》き、諸願を満足せしめ、未来はこと/゛\く成仏なさしめん、(以下略)」とあり、観音菩薩は、現世の厄除け・諸願成就だけでなく、未来の成仏も誓願しています。


※『常楽寺綜攬』(1990) 25頁に「もとより伝承のことであるから、学問的に真否は確かめようもなく、またその必要もないが、ただこの内容から想像されることは、常楽寺はもともと北向観音と並々でない関係をもつ寺であったということである。」とありましたが、伝承には確かめる必要があることも当然あります。このような論調は柳田国男の著書でも見られますが、結果的に、不確かな関係性を断定して、その根拠の調査・考察を遠ざけてしまうのでは…


※北向観音堂は実際は約32°北西を向いていて、善光寺とは向き合っていません。古代でも太陽や星の位置から北の方角はわかったと思われ、向きの話は後付け?
北向観音の「善光寺地震絵馬」によると、善光寺参りの仲間の中で、一人だけ別行動で北向観音に参詣しているので、江戸時代には片参り・両参りの話はなかったか、一般的ではなかったのかもしれません。
現世利益と未来往生を分ける話も善光寺地震以降に発生した俗説かもしれません。
江戸時代、善光寺の御印文(御血脈の御印)を頂けば誰でも極楽往生ができるという俗信が広まり、その中で善光寺地震が発生(弘化4 1847)、御開帳参拝の旅行者千人余りが亡くなりました。皮肉な被災を合理化し、不審・不協和を解消するのに、現世利益と未来往生を分ける話は、当てはまったのかも…

(「皮肉な被災」のリスクはどこにもあって、例えば、北向観音の本堂前は明治時代の盛り土で、いつかは崩れる可能性があります。(『常楽寺綜攬』41-42頁「夫婦杉の幹が根本から四、五尺埋められた」(約1.5m)、「境内に埋められた土量も一万立方米を越える」) 安全を優先するなら本来は人を集めるイベント等は避けるべき?)


※民俗的な言霊(ことだま)について考察すると… 別所⇒別れる所⇒縁切り⇒悪い縁を切る⇒厄除け というのが別所温泉の伝統的なコンセプトでしょうか。これに追加して、 悪い縁を切り、良い縁を願う⇒縁結び と展開させた?(最近の企画の デトックス&チャージ も基本的には沿っている? レイライン は直接的には関連しない?)


※『常楽寺綜攬』(1990) 38頁より引用。
「記録」によると、本堂は正徳二年(一七一二)五月六日夜、観音堂と隠居家(三間に五間半)が火災により焼失し、八年後の享保四年に間口五間、奥行七間の観音堂が費用三百十九両、米三十五石で再建されたとある。今の御堂の原型である。この火災のため「古仏」も焼失したので、国分寺村の仏師藤川弁朝に依頼し、常楽寺で二ヵ年の歳月をかけ新仏が作られた。假堂を造り、正徳四年一月入仏式を行ったという。

(文中の「古仏」の製作年代等は不明。)


北条国時、北条時春の勅撰集和歌
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仏像は動く、菩薩立像の謎
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鎌倉街道歴史遊歩道
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両参りと片参りの謎(北向観音、善光寺)
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鎌倉殿と信州上田
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別所神社、縁結びの謎
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手塚八幡社 鬼板と寄進状
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長野県の方言「するしない」と「ないないことば」
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縄目地蔵の謎、定着しなかった誤伝?
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幻のクジラ化石名?
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大正13年大干ばつ100年 ~お地蔵様と生きるまち?
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もう一人の林東馬の謎
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もの恋し火ともしころを散る桜
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2025年8月28日木曜日

自由研究のアーカイブ

上小児童生徒科学作品展 2012.9.1
上小児童生徒科学作品展(2012.9.1 上田創造館)

そろそろ科学作品展かなと思って検索してみましたが、毎度のことながら、なかなか案内は見つからず… 学校教育関係の資料によると、今週末の土日で良いようです。

学習成果物であり、アーカイブ対象というわけではないですが、価値があると思える作品もたくさんあります。例えば、ローカルな自然の記録はほとんど常時不足状態なので(アバウト、不正確なものでも)貴重…
もし、概要だけでも、世界中の作品をネットで閲覧できたら、気付きがあって、楽しいのかも。
近くの公園の昆虫の観察記録を見つけて、今はどうなっているのか?と思って調べてみるとか…

ちなみに、県教育委員会で『長野県学生科学賞作品展覧会報告』という冊子を発行していますが、図書館にはほとんど置いてなくて、知らない人が多いと思います。
地元に関係する郷土資料が地元で見られないのは残念なこと。全てとは言いませんが、どんな資料があるのか、図書館や学校で把握して、書名一覧を案内するとか、部分的に複写して紹介するとか、できることはありそう…
他には『文化財信濃』(県文化財保護協会)も近年のものは置いてない…

自由研究 (2012.9.2)
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32010497
長野県学生科学賞作品展覧会報告 (2018.5.23)
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/36150012

思い付いたアーカイブの課題としては、
1 システムの形態
2 コスト
3 作品内部・作品自体の権利関係(著作権、プライバシー、環境保護 等)
4 内容の正確さ


2025年7月27日日曜日

化石の3D画像

野尻湖ナウマンゾウ博物館
野尻湖ナウマンゾウ博物館の復元模型

野尻湖ナウマンゾウ博物館で化石の3D画像を拡充するそうです。

信濃毎日新聞 2025年7月10日 12頁
「野尻湖ナウマンゾウ博物館 化石の3D画像 9→50点に拡充へ」
「(略)文化庁の「文化芸術振興費補助金メディア芸術アーカイブ推進支援事業」の一環。信濃町は本年度一般会計補正予算に事業費270万円を計上し、うち200万円は文化庁の補助金を充てる。
 同館は、いずれは県天然記念物の化石全88点を3D画像にしたい―とする。(略)」

(※文化庁「文化芸術(略)事業」の公募について調べたのですが、27日時点では今年度の採択結果は未発表?)

「9→50点」ということは41点追加ということでしょうか。事業費270万なので1点当たり6.5万円ほど… 相場等は知りませんが、使用する3Dスキャンは高精度が特長のようなので、形状の精細な測定・記録も兼ねているなら、多く作成する意義もあるのかも。

長野県には小さな郷土博物館がたくさんあって、その中には、興味深い化石もあったりするので、3D画像に限らず、それらを横断的に閲覧できたら楽しそうです。
大きさや重さ等を比較できる仕掛けもあると、一層、身近に感じられるかも。

令和7年度文化芸術振興費補助金メディア芸術アーカイブ推進支援事業について
https://www.bunka.go.jp/shinsei_boshu/kobo/94186401.html
令和6年度文化芸術振興費補助金メディア芸術アーカイブ推進支援事業について
https://www.bunka.go.jp/shinsei_boshu/kobo/94006901.html
令和5年度文化芸術振興費補助金メディア芸術アーカイブ推進支援事業について
https://www.bunka.go.jp/shinsei_boshu/kobo/93827901.html
MACC – Media Arts Current Contents
https://macc.bunka.go.jp/

野尻湖ナウマンゾウ博物館
【おしらせ】3D画像の公開をはじめました 2022.02.21
http://nojiriko-museum.com/blog/?p=1619

Innovate MUSEUM 事業 地域課題対応支援事業
No17 野尻湖周辺を活性化する博物館活動事業
https://innovatemuseum.bunka.go.jp/area-case/17/

化石を「3D画像」で…タブレットに映し出された「ナウマンゾウ」を観察…子どもたちが特別授業 長野・信濃町 SBC信越放送 2023.02.27
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/sbc/349710

YES!ものづくり~AB.do②~信州のものづくり企業に密着! SBC信越放送 2022.07.22
https://www.youtube.com/watch?v=x8Cm4aup0nU


野尻湖発掘を支えた 信州大学の人びと
https://www.shinshu-u.ac.jp/institution/library/archives/news/docs/nojiriko_web.pdf



2025年6月28日土曜日

長野県の方言「するしない」と「ないないことば」

『しおだ町報 昭和36年12月』塩田平の ないないことば
『しおだ町報 昭和36年12月5日』4頁 「塩田平の ないないことば」

テレビ番組で「するしない」という北信(長野県北部)の方言を紹介しているのを見ました。
上田市周辺で似た方言に「塩田平の ないないことば」というのがあります。(ありました?)
(これは自分の感覚なので、違うという人もいるかもしれませんが)語尾に「ない」(なえ、なゐ、なゑ)を付ける言葉で、特に決まった意味やニュアンスはありません。「ない」を「な」「なあ」「ね」「ねえ」等に置き換えたのとたぶん意味は同じ。
(塩田平にも表面的には同じ「するしない」がありますが、「するない」も普通です。「する・しない」ではなく「するし・ない」という意識があります。イントネーションもたぶん違って、「い」は下げるのが普通。)

早いない(早いな、早いなあ、早いねえ)
早いしない(早いしな、早いしなあ、早いしねえ)
あるない(あるな、あるなあ、あるねえ)
あるない?(あるな?、あるねえ?、あるよねえ?)
あるしない(あるしな、あるしなあ、あるしねえ)
あるしない?(あるしな?、あるしねえ?、あるよねえ?)
するない(するな、するなあ、するねえ)
するない?(するな?、するね?、するよねえ?)
するしない(するしな、するしなあ、するしねえ)
するしない?(するしな?、するしねえ?、するよねえ?)

北信の「するしない」は比較的新しい俗語で、同意・勧誘のニュアンスがある言葉みたいです。
もしかして、語尾「ない」が特定のニュアンスに限って生き残り、または、復活したものでしょうか…

荒井崇裕「北信方言「~シナイ」について」(2000)
http://hdl.handle.net/10091/00022431

『しおだ町報 昭和36年12月5日』 4頁
紙上講座 塩田平の ないないことば 東川多寿男
 塩田平の特有なことばとして、昔から伝えられていることばに、いろいろあるが、その中でおもしろいのは、塩田のないないことばである。「それでない」とか「あれでない」「ないそうだない」というように「ない」ということばが親しい間がらに、つかわれている。
 昔から「塩田のない、ないないことばはやめておくれ」といわれるぐらい「ない」ということばがつかわれたが、このごろではあまりつかわれないらしい、それでもときどき耳にすることがある。
 またこんなことばも残っている「そのうえせ、のつけておけ」その上にのせておけとか、あげておくようにという意味だが、他府県のものには、その言葉がわからないらしい。
 このような塩田平に残されている特有な「ことば」と思われるものを、ひろいあげてみると、なかなか数が多いものである。
 いけやあ(行こう)、いかね(行かぬ)、いいじやねいか(よいではないか)、いきやしよう(いきましよう)、ろくすつぽ、ろくつたま、ばんばあ(おばあさん)はなる(はじまる)、ばかこけ(ばかをいうな)、ばたこん(なわとび)、ほける(だんだん大きくなる)、ほたつぽ(薪のふといもの)、ほうたろ(ほたる)、ぼこ(幼児)、べちやべちや(よくぬれた)へえび(蛇)へえ(灰または蠅)、べろ(舌)、どうずく(なぐる)、どんびん道具(葬式道具)、どうだない(どうですか)とんでけ(とんで行け)、とべねえ(とべない)、とうやん(父)おべちや(おふろ)、おまんま(飯)おめえ (お前)、おざんざ(めん類)およはん(夕飯)、おしよぼる(折る)おき(たんぼ)わんだれ(お前たち)わりやいい(割合がよい)、かあやん(母)、かくねつこ(かくれんぼ)、がきや(子ども)よなべ(夜仕事)、たつぽ(たんぽの中)、たべなや(召あがれ)、そのかあち(そのかわり)、ぞぜえる(あまえる)なつぱ(菜)、うめい、うんめい(おいしい)、うそだうず(うそでしよう)、うちいれ(うどんの太いもの)、うそこけ(うそをいうな)、えべや(いくこと)、えんにや(否)、えれえ(えらい)えつける(のせる)、ええべべ(よいきもの)、でいろ(かたつむり)、でつかい(大きい)、ていら、でいら(平のこと)、あちやそうかつちや(ああそうだつたですか)、あんしやん(兄)、あんた(あなた)、きんな(昨日)、ゆうべな(昨晩のこと)、めためた(益々)、まんがれい(馬鍬洗)、しめし(おむつ)、しよつぺい(塩からい)、しんのい、しんのう(つかれたこと)、じやんぼん(葬式)、せつこうよい(精出してはたらく)
 以上の外にまだまだいくらもあげることが、できると思う。



方言は、最近の変化もあって、自分の語感がすでに伝統的なものではない可能性も… いくつか書いてみると…

おやげねえ
「親気ない」「人情がない」「ひどい」「理不尽」というニュアンスが強いです。「かわいそう」だけの意味で言う人もいて、それを聞くと違和感があったりします…

なから
「だいたい」「ほぼ」という意味で「適切・妥当な量」というニュアンスもあります。何の「なから」なのか多義的だったり省略されていることもあります。(「なから仕事が終わった」は「"仕事"のなから」と「"終わった"のなから」の両方の意識があり、例えば、7割の進捗のときに、「なからの作業は終わったけれど…」(だいたい主な作業は終わったけれど、まだ終わっていない部分もある)は言うかもしれませんが、「なから作業が終わった」(ほぼ終わった)は言いません。)

おはようでごわす
丁寧な朝の挨拶。「こんにちは」「こんばんは」では「ごわす」は聞きません。
「おめでとうでごわす」も改まったお祝いの言葉。
他には「おはようさん」「こんちは」「おこんちは」「おこんにちは」「おこんばんは」「お疲れー」「お疲れでごわす」「お疲れでごわした」「ごめんなすって」「ごめんよー」

にわごめーん
人の家の庭を通させてもらうときに言う挨拶。人がいてもいなくても言う。

ご苦労様です
仕事の始め・終わりの挨拶。「お疲れ様です」「お疲れです」「お疲れ」 終了時は「ご苦労様でした」「ご苦労でした」「お疲れ様でした」「お疲れでした」「ご苦労でごわした」「お疲れでごわした」
ビジネスマナーにあったような上下の使い分けはありません。勤務に対する慰労の言葉で、感謝の意味は直接的にはありません。何かしてもらって感謝を言うときは「ありがとうございました」

しんの、しんのい
疲れた。「しんどい」「しんど」も言う。

カミナリ
「小麦粉に油を入れて味噌汁で掻き、野菜を入れたもの。」(『信州上田附近方言集』35頁)
黄色の蕎麦掻きみたいなものだったような…

へーぼー
クマバチ。(クロスズメバチは「じばち」)

じくまん、くまんばち
オオスズメバチ。

せんげ
堰。子供の頃は、堰(せき、せぎ)の言葉を聞いたことがなく、「せんげ」しか知りませんでした。


アーカイブ・エディティング、報告書等
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アーカイブ・エディティング
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2025年5月23日金曜日

アーカイブ・エディティング、報告書、上田市誌等

長野県 地域発 元気づくり支援金事業の資料(全国つるし飾りまつり他)
長野県 地域発 元気づくり支援金事業の資料(全国つるし飾りまつり他)

アーカイブの対象は、ウェブコンテンツの他には、団体の会報・会誌、議事録、事業報告などもあります。どんな形式で保存するのか、どんな情報を記録したいのか、どんな手続きが必要か等、検討すべきことはたくさんありそう……
例えば、ウェブで公開されている補助金事業の概要報告書は、ある程度定型的ですが、やはり情報量は少ないです。(日付が書かれていないものも多くあって、年と年度の揺れとか、いちいち確認しないといけないのは結構大変……) そして時間が経つと消されて行きます……

学校等で、数時間でいいので、地域の過去の資料を調べて報告するような実習はできないでしょうか。例えば「道の駅の計画と実績」「ご当地カルタの系譜」とか、もっとピンポイントで具体的な課題とか。
完成できなくても構いません。今ある情報が消えて行くことや、記録を残すことの意味について、一度くらいは考えてみても良いのではないでしょうか……

長野県「地域発 元気づくり支援金」
https://www.pref.nagano.lg.jp/shinko/kensei/shichoson/shinko/shienkin/index.html

「地域発 元気づくり支援金」優良事例の選定事業【平成20年度】
https://www.pref.nagano.lg.jp/shinko/kensei/shichoson/shinko/shienkin/jisshijokyo/yuryoh20.html
情緒溢れ、楽しく歩ける温泉街づくり 別所温泉観光協会(上田市)

「地域発 元気づくり支援金」 フォローアップ調査について (平成27年?)
https://www.pref.nagano.lg.jp/shinko/kensei/shichoson/shinko/shienkin/20150421followup1.html
☆県内10団体の特色ある事例
復活上田雛によるまちづくり 全国つるし飾りまつりin別所温泉実行委員会(上田市)


市誌については、これまでは記録が中心でしたが、今後は追加・修正等を含めた仕組みを目指して行けたら良いのではないかと…
上田市誌編纂の概略が、刊行の最終になった『総説 上田の歴史』の冒頭にありました。

『上田市誌 総説 上田の歴史』(平成16.3.1 2004)
刊行のことば 上田市誌刊行会長 上田市長 母袋創一
 『上田市誌』につきましては、平成四年に大勢の皆様から新しく『市誌』を発刊してほしいとの御要望をいただきました。折しも、上田市は平成十一年の市制施行八十周年を迎えようとしており、その記念事業の一つとして『上田市誌』の発刊が取り上げられ、平成五年に上田市誌準備委員会を設けて検討を重ねました。
 その結果、すでに上田市では、昭和十五年に藤沢直枝先生が中心となって執筆された『上田市史』があり、高い評価を得ていましたが、その後の第二次世界大戦を経過した六〇年間は上田市も激しく変貌《へんぼう》し、学問の進歩も目覚ましいものがありました。また、古《いにしえ》からの歴史を礎としてさらなる発展を期するためにも、新しい『上田市誌』による歴史の再確認と、市民への提供が必要であることを改めて認識しましたので、平成十一年から刊行を目指すこととなりました。
 平成六年三月に、東京大学名誉教授・国立歴史民俗博物館長(当時)の石井進先生から内容や本のつくり方について御指導をいただきました。同年四月に上田市は市誌編さん室を新たに設け、上田市誌刊行会、上田市誌編さん委員会を組織して検討を重ね、自然編・歴史編・近現代編・民俗編・文化財編・人物編・別巻の計三一冊の発刊を目指すこととなりました。
 指導者(国立歴史民俗博物館長退任後は監修者)に石井進先生、編さん委員長には黒坂周平先生に御就任いただき、平成六年十二月には、特別委員、執筆委員、調査協力員をお願いして本格的な調査・研究に着手し、平成十一年十一月の上田市制施行八十周年記念式典に併せてまず三冊を発刊し、その後も半年ごとに三冊ずつの発刊を続けてきました。
 この間、平成十二年三月、黒坂周平先生の編さん委員長退任・病臥・ご逝去のことがあり、十二年四月以後、小池雅夫先生が編さん委員長に御就任くださり刊行を受け継いでいただきました。また、平成十三年十月には監修者の石井進先生が急逝されるという、思いがけない悲しい事態になりましたが、平成十四年一月、後任の監修者に東京大学教授・文学博士佐藤信先生をお迎えすることができました。(以下略)



アーカイブ・エディティング
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2025年4月29日火曜日

アーカイブ・エディティング

上田地域千曲川自然電子図鑑 上田地域の地形・地質
「上田地域千曲川自然電子図鑑 上田地域の地形・地質」(非公開中?)

gooブログ(2004年3月~)が終了するそうで、また、多くの記録が消滅します。イベントレポートとか、団体の活動記録とか、重要性は不明確でも、失うには惜しいものもたくさんあるのでは……
図書館、博物館、学校等で、本等の媒体を収蔵するように、一定の有用性があるウェブコンテンツを普段から収集するようなことはできないでしょうか……

・個人や団体が作ったコンテンツを収集して、長く再利用できるような仕組みがほしい。
・即興的で完成度・信頼度が中程度のコンテンツが主な対象。
・ここで言う「アーカイブ・エディティング」は、デジタルアーカイブについての作業全般のこと。設計、運用、コンテンツの作成、作成依頼、収集、編集、保守、利用等。
・現在のウェブサービスと範囲は同じで、コンテンツの蓄積を前提としていることが特徴。各種サービス+アーカイブ機能。

残したいコンテンツというのは、例えば……

上田地域千曲川自然電子図鑑
http://edu.umic.jp/zukan/

上田小県地方の希少生物
http://kisyoseibutu.web.fc2.com/
(上田・小県の自然 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2876/index.html)

上田地域千曲川自然電子図鑑が見つからない?
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今年の花見…
花曇りいずこの鐘の響くやら
命にも無為の時あり春嵐
降りかかる花の香りの時雨かな


仏像は動く、菩薩立像の謎
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幻のクジラ化石名?
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2025年3月30日日曜日

仏像は動く、菩薩立像の謎

長福寺銅造菩薩立像の説明

1月に、仏像がテーマのテレビ番組で、長福寺銅造菩薩立像の発見を「大正時代」としていました。疑問に思って、関連の話を探してみたのですが、よくわからず……
『信濃 昭和10年8月』の記事では「二三百年前」でした。(不確かな伝承があるだけで、別の由来の可能性もあるということ?)
国の重要文化財の来歴の話なので、それなりに重要と思うのですが……

NBS「みほとけ信州美仏めぐりin上田」 2025年1月31日(金)放送
https://www.nbs-tv.co.jp/program/focus8/single.php?id=95


「昭和19(1944)年に信州夢殿と共に長福寺へ寄進」は正確ではなく、仏像の所有者変更は昭和16年12月5日(官報)、八角堂は戦争中の昭和17年起工、19年竣工のようです。(戦後まで続いたという話も。) 資料によって、昭和17年、18年、19年等の表現がありました。

※生島足島神社社殿も信州夢殿も、戦勝祈願と死者への鎮魂の思いを込めて建てられたはずで、文化財として解説するときに、それを省略したり僅かな言葉で済ませるべきではないのでは……(インバウンドでトラブルの原因になる可能性もある?)

※『上田市誌 文化財編』の「昭和十三年(一九三八)に長福寺へ移されました。」(81頁)は誤りかも。昭和13年は小布施の吉沢家から大塚稔が仏像を入手した頃でしょうか。

『上田市誌 文化財編』(1999) 81頁
この夢殿観音と呼ばれる菩薩像は、もとは上高井郡小布施町(旧都住村)の旧家に伝わるものでしたが、昭和十三年(一九三八)に長福寺へ移されました。そして菩薩を祀る信州夢殿が昭和十七年(一九四二)に建てられました。

(※仏像展の講演でも不正確な内容になっていました。一度、記録を整理するべき?)


「今まで3回盗まれて戻ってきた」は、公式サイトにもある話ですが、探してみると、昭和23年と平成7年の2回は見つかりましたが、残りの1回は見つからず……

『信州上田 塩田平ガイドブック』(平成28 2016)では「二度の盗難」。(10頁「菩薩立像は二度の盗難に遭い、長い間行方不明になっていたが、二度とも無事戻ってきた。」)

「分かっているだけで3回」という言葉はいくつも見ましたが、その情報源は示されていません。
例えば、小布施で盗難があったことが、本当に「わかっている」のでしょうか?

(もしも、伝言ゲームの勘違いの可能性もあるとしたら、例えば、平成18年に返還されたときに、「(今回を含めて)2回盗まれた」→「(今回を含めず)2回盗まれた」→「今回で3回」→「長福寺で2回だから小布施で1回あったのかも」→「小布施で1回、長福寺で2回盗まれた」と変化したとか?)

昭和23年の盗難についても不明確な部分があります。
・発見は盗難の「次の日」という話と「1か月後」という話がある。
・盗んで川に捨てるのは不自然。
・浸水した仏像(旧国宝)の清掃や修理の記録が見当たらない。
(もしかして、子供のいたずらで持ち出されて、川原に放置されていたとか?)

清水利雄編『小県上田歴史年表 続』(昭和35 1960)
(昭和23年)四、一二 東塩田村長福寺の国宝救世観音盗まる。幸い次の日産川の川の中より子供達どじようと共に救い出す

UCVレポート(平成18年10月22日仏像一般公開のレポート)
この菩薩立像は以前にも盗まれたことがあり、そのときには1か月後に近くの用水路で発見されています。


『信濃 昭和10年8月』
吉澤氏の古佛像に就て
 ▽玻璃版は正面と背及側面
   栗原生
 去る五月二十六日小布施、都住に開催の信濃史談會に際して發見されたものが二三あつた。其の中の一つは都住中子塚區吉澤龜之助氏方に前代から奉安された觀音の古佛像である。
 同家の傳へに依れば二三百年前同區字下谷地と稱する人家を離れた畠の地下二三尺の所より發掘されたとの事である。
 寫眞版でも窺ひ得る通り、光背も臺座も共に失はれ、剩へ左手もなく誠に痛々しい姿に成つては居るが、相好と云ひ、時代と云ひ平安前期のもので、北信に三體(上水若槻の山千寺、下水太田の新當寺と併せ)と云ふ古佛像であると、當日栗岩氏は説明された。
 由來都住村では藥師堂の特建物、準國寶の藥師如來、藤原期と稱せらるる聖觀音(淨光寺)等、世間周知の事なるにも拘らず、この古佛像のこれまで餘り知られなかつたのは抑も何故か。
 吉澤家では昔から鄭重に奉安して置かれ乍ら一般に參拜を許さなかつた爲めか、其安置の爲め別に結むだ草庵は今尚ほ一切其儘ではあるも、これも時勢の變、最近養蠶のために尊像は居宅の座敷へ移し御堂は雜庫に利用されて居る。
 處で此の古佛像を今囘の史談會一行に見て頂きたい、見せてはといふ人が吉澤氏の友人にあつて、私達は夫等の人々の心配で會前の十四日に初めて拜觀した。
 私の今日迄に親しく取り上げて拜觀した金銅佛ではこれが第二囘目で、(其の一は南安曇郡栗尾山滿願寺の彌勒菩薩で白鳳の稱あるもの)實に襟を正して拜した次第である。
 身丈九寸、文字は何處にも見えぬが茲に殘された問題は此の佛像が最初何人に據つて如何なる所に安置されたかにある。今日迄の所では高井郡殊に延德沖の南部には此の時代に此の佛を奉安された樣に思へる寺院は文獻にも口碑にも存してゐない。
 然し乍ら湖南の高井郡は千曲川河東の文化の吹き溜りとも云ひ度い場所柄であるが故に、何時如何なる大氏人があつてこれを奉戴したのか知れない。況んや南北朝時代の如きは中央史的大氏人がこの地方に出入頻繁であつたり、殊に千曲川を隔てて西には古代文化の中核地のあるありと云ふに於てをやである。是等の點もやがては詳しく研究されて發表される時が來るであらう。


鎌倉街道歴史遊歩道
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2025年2月28日金曜日

鎌倉街道歴史遊歩道

鎌倉街道
鎌倉街道(広報うえだ 昭和54年8月16日 前山寺の西)

昭和の『広報うえだ』で「鎌倉街道歴史遊歩道」というのを見かけたのですが、思い当たる節はあるものの(たぶん、今のあじさい小径と重なる)、具体的なコースや作られた経緯は知らなかったので、少し調べてみました。

1975(昭和50) 「三·五キロにわたって「鎌倉街道歴史遊歩道」ができ道案内板もある」(前山寺から中禅寺が約1.4kmなので、残りは、前山寺-手洗池-安曽神社(約2.3km)のコースか?)
1981(昭和56) 11月1日 塩田三代北条まつり(別所温泉と前山で時代行列、ふるまい等。翌年、翌々年も開催)
1983(昭和58) 上田市予算 商工費 塩田史跡めぐり道路改修工事費 1100万円
1984(昭和59) 上田市予算 商工費 鎌倉街道歴史遊歩道整備事業 452万円
1984(昭和59) 4月14・15日 前山塩野神社 甲子祭(60年に一度)
1985(昭和60) 4月3日 NHK「真田太平記」放送。(翌年3月19日まで 全45話)

現在は、パンフレット等では見ませんが、現地には「鎌倉道遊歩道」の案内表示があるようです。手洗池の西方、安曽神社、砂原池、上窪池など。
ただし、上窪池では、安曽神社北側の小道の写真に「鎌倉道遊歩道 650m」と書いてあるだけで、どこのことを言っているのか不明です……(上窪池から安曽神社までは直線距離で約1.5km)
また、柳沢から安曽神社までのコースもはっきりしません……
(「鎌倉道」自体も、そう呼ぶ理由が特にあるのか、ぼんやりした印象。隣接する集落間の道で、もっと古くからあったと思われますし、その他の道もあって日常的に使われていたでしょうし……)


服部英雄「鎌倉街道・再発見」(1994)
https://hdl.handle.net/2324/1517814
Ⅱ 都道府県による歴史の道調査 (七)長野県
22頁
塩田平 以前に塩田城跡(上田市)を現地調査した折、前山寺と塩田城の間の道が鎌倉街道であると説明を受けた。のちに黒坂周平先生にその話をしたら「あれはまちがいだった」とのことだった。それより北方、下城戸を通るのが正しい鎌倉街道とのことである。
 『上田小県誌』(一)(一九八〇)をみると、先述の前山寺前から砂原峠に通ずる道が直路《すぐじ》、即ち軍用道路で、一方、下城戸を通る道が本道だったとあり、「この鎌倉とを結ぶ道(現在鎌倉道と呼んでいる)」(九八九頁)というまぎらわしい記述があった。四三五頁の地図では下城戸通過分の道のみに「鎌倉街道」とある。研究者が推考した「鎌倉街道」と、実際に伝承されてきた「鎌倉街道」は峻別して記録に残すべきではなかろうか。この道についての歴史の道の報告はない。


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