2020年3月24日火曜日

クジラの化石

鯨類化石の露出(青木村)
鯨類化石の露出(青木村)

2013年の上田創造館の企画展にあった鯨類化石の露出の写真です。(現在は同館の鉱物・岩石・化石展示室に展示。化石は採取前に川の増水で流失…)

あごから尾まで約8mのクジラ化石が上田市で発掘されたとのこと。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20200324/1010012876.html

昨年5月の発見。その後の大雨で流されなくて良かったです。川の改修も度々行われていて、工事中に破損する可能性もありますし、さらに化石の専門家に発見されたというのは、奇跡に近い幸運かも。
現生でも謎の多いアカボウクジラ科の特徴が見られるそうで、どんなことがわかってくるか楽しみです。

一つ気になったのは、この辺の化石には黄鉄鉱化していて分解してしまうものがあることです。すぐに分解するものもありますし、数年後に気付いたらボロボロになっているものもあり、保存・記録には注意が必要かと。

ニュース記事の「1290万~1250万年前」はどこからの数字でしょう?(化石と同じくらい、この数字が気になりました…)

植物化石、小型の動物化石、微化石も面白い場所なので、発掘で出た他の石も有効に使って頂ければありがたいです。
いろいろな化石の発見があるのにこれほど扱いに差をつける人達は何の疑問も感じないのでしょうか…

8mの化石標本の保存場所はどこになるでしょうね。
(一時話題にはなるかもしれませんが、たぶん継続性の徹底だけが重要で、他のことは気にしない方が良いのかも…)

(増水で化石発見が期待される、とか気軽に口にする人もいますが、すごく気にして絶対に言わない、話題を遠ざける人もいます。)

信州新町化石博物館でもクジラ化石を企画室で展示中です。戸隠地質化石博物館の企画展はゾウ化石。
化石の魅力に触れて 信州新町と戸隠で企画展(2020.3.21)
https://www8.shinmai.co.jp/odekake/article.php?id=ODEK20200321013116

関連の以前の記事です。
鯨類化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/33051756
イルカの化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35046947
明治30年 海獣の頭骨化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/29565216
化石の日、県の石
https://kengaku2.blogspot.com/2019/10/blog-post_19.html

2020年3月12日木曜日

独鈷山、鉄城山、殿城山

独鈷山、独鈷、雲根志 石戈(越後産玄能石)
独鈷山、独鈷、雲根志 石戈(越後産玄能石)

『長野県小県郡地図』信濃教育会小県郡会
『長野県小県郡地図』信濃教育会小県郡会(大正11)

写真は独鈷山(とっこざん・とっこさん)、密教法具の独鈷(とっこ・どっこ)、雲根志の石戈(せきか・せっか)(越後産 玄能石)です。山脈の形は独鈷にも少し似て見えますが、これも後付けの、名前からの連想なのでしょう。

過去の資料を読むと、この山の名前は、独鈷山、殿城山、出城山、鉄城山、天デッキ などいろいろです。
まとめると、3つの時期に分けられるようでした。
江戸時代末から明治前期: 殿城山(西内、平井寺)、独鈷山(前山)
明治後期から昭和20年頃: 鉄城山(『小県郡史』等)、独鈷山(『小県郡地図』)
昭和30年頃以降: 独鈷山にほぼ一本化


独鈷山は前山寺(ぜんさんじ)の山号であり、今の弘法山も独鈷山と呼ばれてきました。(現在も弘法山の山頂の字名は独鈷山)

明治初めの町村誌によると、当時、山の北側が前山村、南東が平井寺組(古安曽村)、南西が西内村に属し、北西部の沢山(さやま)地域は前山村と手塚村が「地籍争論中」でした。
前山に属する北側は独鈷山と呼ばれ、平井寺と西内に属する南側は殿城山と呼ばれていました。(殿城山の読み方はわかりません。『小県郡史 余篇』(大正12)では「デンシヨウ」(デンジョウ?)となっていました。)

その後、明治後半から昭和20年頃までは、主に鉄城山(てつじょうざん)と呼んでいたようです。

「鉄城山」は『小県郡史 余篇』(大正12)等にある名前で、現在の独鈷山の旧名であることは確実ですが、明治前期までの資料では見つかりませんでした。おそらく明確な出所があると思うのですが、わかりません。独鈷山は前山村の山林を意味していたので他の地区が嫌ったとか、同じ小県郡に殿城村が既にあったので殿城山に音が似た新たな名前にしたとか、でしょうか?(西塩田村発足の頃?)

ところが、その一方で、大正時代の小県郡地図(信濃教育会)には「獨鈷山」と表記され、その後の地図でも同じでした。
昭和30年頃以降は、観光事業や小中学校の校歌等で独鈷山とされ、独鈷山への一本化が進んだようです。

明治時代に鉄城山と呼び始めた経緯、小県郡地図で独鈷山と表記した経緯、戦後、独鈷山に一本化した経緯については、まだよくわかりません。

※地名等で定まった名前がないとき、独自の名前を作ってみるのも良いとは思いますが、既存の名前を勝手に別の意味合いで使うことは、避けるべきだと思います。


関連の資料です。

郡村誌 小県郡(前山村、手塚村、古安曽村 他)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03ADM110A35220

前山村誌(明治14 1881) 228コマ
獨股山《トクコザン》 官有ニ属ス(中略)本村ノ南ニ崛起スル高岳ノ総称ナリ 南ハ古安曽村平井寺組西内村ニ分属ス北ハ本村ニ属ス(以下略)

手塚村誌(明治15 1882) 270コマ
沢山(中略)嶺上ニテ界シ南ハ西内村ニ屬シ北ハ本村東ハ前山村ト目今地籍争論中ナリ(以下略)

十人村誌(明治14 1881) 180コマ
澤山 前山村ニテハ獨股山ノ内ト云フ 北面ヲ澤山ト云フ 南面ヲ殿城山ト云フ(中略)嶺上ニテ界シ南ハ西内村ニ屬シ北ハ前山村手塚村ニテ地籍争論中ナリ(中略)
獨股山(中略)南ハ古安曽村平井寺組西内村ニ分屬ス 北ハ前山村地籍ニ屬シ(以下略)

本郷誌 148コマ
獨股山(中略)嶺上ヨリ界シ東南ハ古安曽村平井寺組西内村ニ分屬ス 北ハ前山村地籍ニ屬シ(中略)
沢山 該山北面ヲ沢山ト云フ 南面ヲ殿城山ト云フ 前山村ニテ獨股山ノ内ト云フ(中略)嶺上ニテ界シ南ハ西内村ニ屬シ北ハ前山村手塚村地籍争論中也未定(以下略)

五加村誌(明治14 1881) 123,124コマ
獨股山(中略)嶺上ヨリ界シ東南ハ古安曽村平井寺組西内村ニ分属ス 北ハ前山村地籍ニ属ス(中略)
澤山 該山北面ヲ沢山ト云フ 前山村ニテハ獨股山ノ内ト云フ 南面ヲ出城山(中略)嶺ノ上ニテ界シ南ハ西内村ニ属シ北ハ前山村手塚村地籍争論中ナリ(以下略)

古安曽村誌(明治14 1881) 93,94コマ
殿城山(中略)嶺上ヨリ三分シ西ハ西内村ニ屬シ南東ハ本村平井寺組ニ屬ス 北ハ前山村ニ屬ス 山脈北ハ獨股山ト称シ東北ハ安曽岡山ニ接ス(中略)
獨股山(中略)嶺上ヨリ界シ南ハ本村平井寺組西内村ニ分屬シ北ハ前山村地籍ニ屬シ官有地ナリ(以下略)
(※古安曽村は明治8年にできた村で、旧平井寺村の殿城山と、旧柳沢村が入会権を有していた前山村の独鈷山が村誌に記載されています。ちなみに「古安曽」は平井寺の古川神社と鈴子・石神・柳沢(江戸時代前期の西松本村)の安曽神社から付けた名前であり、古名というわけでは無いそうです。)

郡村誌 小県郡(西内村 他)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03ADM110A35190

東内村誌(明治12 1879) 198-200コマ
虚空蔵堂(中略)古跡ハ戌ノ方三十丁殿城山ノ巓ニアリテ虚空蔵屋敷ト称シ遺跡猶存ス 其敷石方七八尺 故ト石経ヲ敷キシナレハ偶文字ノ存スルアリ 今俗殿城ヲデツ゜チヤウト称スルハ訛リナリ 詣スル人常ニアリ

西内村誌(明治11 1878) 238コマ
殿城山 官有地ニ属ス(中略)嶺上ヨリ二分シ北ハ前山村ニ属シ南ハ本村ニ属ス 山脈西冨士山ニ連続ス(以下略)

『小県郡史 余篇』(大正12 1923) 鉄城山
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965787/25

『長野県小県郡地図』信濃教育会小県郡会蔵版 (大正11 1922)
「獨鈷山」「弘法山」(※原典はカラー)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948699

『信濃中部地図』信濃教育会小県・上田部会 (昭和4 1929)
「獨鈷山 Dokkosan」「弘法山」

『しおだ町報 昭和32年4月25日』紙上講座
黒坂周平「塩田町の歴史と文化財(12) 中禪寺の藥師堂及び藥師佛」
西前山区の宮原(又は中原)を南に上りつめると、いやでも我々は鉄城山(一名とつこ山)の岩壁につきあたらないわけにはいかない。その岩壁につき当たる一寸手前―即ち鉄城山が、この地表から聳え立つ根もとのところに、峨々たる山容を押しかぶるような位置に仰いで、真言宗中禅寺がある。(以下略)

『しおだ町報 昭和33年8月5日』
独鈷山に案内標 塩田連青団員の手で
 塩田町観光開発事業の計画案として独鈷山(一名信州妙義)の開発宣伝を以前より懸案されていたが観光協会総会に於てこれの具体化が強く要望され、広く独鈷山を紹介するべく六月中旬観光委員のみなさんが実地調査を実施し、観光価値を再認識しました。
 観光客が非常にみりょくを感じ 日帰り登山に最適で健康的な山として観光協会では安心して登山できるよう、別所よりのコース及び西塩田よりのコースへ親切な案内標を立てることに決定、塩田町連合青年団へ協力依頼した。(以下略)

『しおだ町報 昭和34年6月5日』
独鈷山へ二〇二名登山 国民体育デー 体育部で主催
明るく健康な生活を築くために、ひとりひとりがそれぞれにふさわしいスポーツ、レクリエーションに親しむ国民体育デーが毎年五月の第三日曜に催されます。(中略)
公民館体育部では健全なレクリエーションとして独鈷山の登山を昨年から考え、みなさんに塩田平を眼下に収め遠く浅間山、たてしな 佐久平、美ヶ原、アルプスを望む標高一、二六六メートルの頂上の景勝を味わっていただく計画をしてきました。(以下略)

西塩田小学校校歌(昭和34年?): 独鈷《とっこ》のみね
中塩田小学校校歌(昭和38年): 独鈷山《とっこざん》
塩田中学校校歌(昭和39年): 独鈷山《とっこざん》

※昭和30年代には、まだ普通に鉄城山と呼ぶ人がいる一方で、塩田町(昭和31-45)の観光事業や小中学校の校歌で独鈷山と呼ぶようになり、一本化されて行ったと考えられます。

2020年2月28日金曜日

微化石の講座

石灰岩
石灰岩(幅約5mm)

3月8日の新潟大学インターネット市民講座「大きな地球と小さな化石」は中止になったようです。(イベントすべてかどうかわかりませんが。もし小規模・分散的に開催するなら、今回のような状況では比較的有利な形態ではないかと。)
https://geo-itoigawa.com/sub/topics2020.html
https://www.city.itoigawa.lg.jp/item/25302.htm

遠くて企画展等にもなかなか行けないですが、今後もイベント企画や情報発信(一部のコンテンツだけでもいいので)をして頂ければ嬉しいです。

上の写真は以前頂いた青海石灰岩の表面で、0.2mm前後の粒々はたぶん何かの化石。


フォッサマグナミュージアムのウェブサイトを見ていたら、石のガイド養成講座の資料(基礎編・実習編)があって、「持続可能な開発(石探し)」という相反関係を含むテーマが興味深く、勉強になりました。ヒスイ拾いの機会も今後さらに減少して行くのでしょうか。よく観察して定量的に評価しないと、体験や調査の範囲を越えて、一部の人による乱獲の繰り返しになることもあり得るわけで。
石のガイド養成講座・試験
https://fmm.geo-itoigawa.com/blog/event080/
石の鑑定サービスの変更について
https://www.city.itoigawa.lg.jp/item/21402.htm
「サービス利用者が平成29年度の1万7千人から平成30年度は2万1千人へと増加しました。」とのことで、一人10個として年間20万個以上の石が採取されている状況。

おもしろ石コンテストの記事がありました。
いとしん だより No.62
https://itoigawa-shinkumi.co.jp/suishin/itoshindayori.html
おもしろ石コンテスト2019
https://www.city.itoigawa.lg.jp/item/23279.htm


数十人程度の小規模なイベント(観察会・勉強会等)の場合、どうするか(意見調整等も)悩ましいところ…
今やらなくてもいいと思う人がいる一方で、意欲的な人は、他の日常の活動と比べてリスクが変わるとは思えず中止は行き過ぎ、と考えるかもしれません。ほとんど欠席という可能性も考える必要があります。それなりに頑張っても結果が悪ければ苦情を言われ… 誰が担当しても難しい事態ではないかと…

2020年2月17日月曜日

黒羊石、はちまき石、一文字石

石鏃(坂城町文化財センター)
石鏃(坂城町文化財センター)

一文字石(『柳庵随筆』より)
一文字石(『柳庵随筆』より)

昨年11月の黒曜石の講演のビデオを見せて頂きました。

「腰越ふしぎ発見探検隊」が発足
https://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000591580.html

シーボルト鉱物標本
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKoubutu/FSiebold/recordlist.php?-skip=500&-max=100
Obsidian は17件
329122 (和田峠産に類似)
329128 黒石脂《コクセキシ》信濃 和田峠《シナノ ワダトウゲ》ホシクソ
328718 信濃《シナノ》 ホシクソ (※ラベルの混入?)


黒曜石、黒耀石等の言葉の使い分けのお話がありましたが、追加すると、より正式な岩石名は「黒曜岩」。
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200906060078871112


明治5年の県宝の行政文書は「明治五年 勧業博覧会之部 全 農商」「信濃国産物大略」でしょうか。当時の筑摩県の文書がありました。
『信濃飛騨物産目録』鉱石化石土砂之部 明治5年8月(壬申八月)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536386


会津藩の古文書は田村三省(1734-1806)『会津石譜』。

黒羊石 方言星糞 或漆石 形状究ラス 其色黒潤ニシテ醫珀ナリ 出所定ラス 予ノ具スルハ烏古瓦有シ圃中ヨリ得タリ


白羊石・黒羊石は『本草綱目』にもある名前です。(Obsidian かわかりませんが)
『本草綱目』第十巻 白羊石
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287089/25

「黒曜石」の字は『雲根志』や『佐渡志』にありました。
『雲根志 三編』(享和1 1801) 巻之六 胡椒石
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2556678/16
『佐渡志』物産 黒曜石
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764617/7

「星糞」の名前は『諸国里人談』等にあります。
菊岡米山『諸國里人談 卷之二』(寛保3 1743)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557402/14
○星糞《ほしくそ》
信濃國岩村田の邊に星糞《ほしくそ》といふ石あり 春 田《た》耕《うへ》す(※たがやす?)ころ土中より掘出す也 色うす鼡にして性《しやう》は水晶石《すいしやうせき》に似たり 大きなるは稀《まれ》也 燧石《ひうちいし》の欠《かけ》たる程の石角たちたる也 此地は他所より流星《りうせい》多き所也 すぐれて流星あるとしは此石もまたおほし これを星糞《ほしくそ》といふ


星と関連して、星糞(黒曜石)を家に持ち込むと火事になる、という言い伝えもあるそうです。(小山真夫)

関連の以前の記事です。
https://kengaku2.blogspot.com/2019/06/blog-post.html



余談ですが、鉢巻石を幸運とする所があるそうで、調べてみましたが、それぞれの話の出所についてはわかりませんでした。もしかして、一文字石(いちもんじせき・いちもんじいし)と同一視されたのでしょうか。(『柳庵随筆』の一文字石の図では、筋は輪になっていません。)
鉢巻石は、病鉢巻(やまいはちまき)の連想等で、縁起が悪いという話が多くあります。筋を刀痕に見立て、「首切石」「恨み石」(手取川)とも。
一文字石は特に不吉というわけではないようで、明治天皇北陸巡幸の富山の記録にもあるそうです。
縁起が良いと言われたのは(輪になっていない)「一文字石」の方で、「はちまき石」は混同された?(昭和中頃?)

柳田国男『日本の伝説』 (親しばり石)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/53810_50599.html
やたらに外から小石を持って来ることを嫌っている家は今でも方々にあります。川原から赤い石を持って来ると火にたたるといったり、白い筋のはいった小石を親しばり石といって、それを家に入れると親が病気になるなどといったのも、つまり子供などのそれを大切にすることも出来ない者が、祀ったり拝んだりする人の真似をすることを戒める為にそういったものかと思います。

柳田国男『禁忌習俗語彙』(昭和13 1938)  (親縛り石 鉢巻石 親巻石 首切石)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1228428/28
オヤシバリイシ 親縛り石、白い線の通つて居る石。是を海邊などから家に持込むことを忌む(下總海上)。
ハチマキイシ 越後長岡附近で、石の周圍に白や黑の筋が一周して居るのを鉢卷石といひ是を家に置くと病人が絕えぬといふ(民俗學二卷五號)。信州でもこの名の石を嫌ふ處が多い。色は白とは限らず、筋の細く通つた川原石をさう謂ひ、之を持つて歸ると親の死目に會はぬとか又は母親が頭痛を病むとかいふ(下高井)。或は之を親卷石とも呼び、親を卷殺すとさへ謂つて居る。此石を屋根石に葺くと子供が夜啼をするともいひ(東筑摩)、又は火に祟るともいふ(下伊那)。結果の害は後に言ひ出したことでも、此種の石を忌む慣習は久しかつたのである。
クビキリイシ 伊勢の三重郡では、縞の入つた石を首切石といふのは、形から思ひ付いた名のやうに思はれるが、之を拾ふと首を切られるといふ。知らずに拾つたらそつと首を三度撫でゝから捨てよともいふ(鄕土石號)。

栗原信充(1794-1870)『柳菴随筆』(柳庵随筆) 一文字石
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554064/6
一文字石 駿河國  郡三穗松原の中に一文字石とて石面に自然一文字の斑を生せし小石芣(※さかんに?)産する處あり 其書躰をのすから篆真草八分の體を備えたり 造化の不思議いふへからす しかるに信濃の岐蘇山にも同し石の産する處あり 全く三穗の産と同

『遊覧の清水』(昭和10 1935)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034136/53
三保濱の一文字石
 三保海岸の砂礫の中に、一文字石と稱する石あり、黑き、又は靑き石の中央に眞白の一文字を現したる奇石、傳ふる處に依るとこの文字、自ら人體を備へてゐると云ふ。今も時折、心して尋れば見受ける事がある。この石を拾へるもの この石を所有せるものは、幸福を得ると云ひ傳ふ。
 今の世に云はゞラツキー・ストーンとも云ふ可きや。心あらば、君がマスコツトにとおすゝめする。
※三保松原の砂や石は持ち帰り禁止とのこと。※
三保松原 お知らせ
https://miho-no-matsubara.jp/archives/2853
 ※海岸の砂や石のお持ち帰りはできません。


ネットを検索すると、ハチマキ石の風習・俗信にもいろいろあるようでした。
・はちまき石を見つけると願いごとが叶う。(場所によっては普通に見つかる石なのでこの俗信は少数かも)
・(種類に限定なく)石に願い事を書いて羽車神社に納めると願いが叶う。
・はちまき石に願い事を書いて羽車神社に納めると願いが叶う。
・はちまき石を持ち帰り、願いが叶ったら羽車神社にお礼をして返す。
・はちまき石を持ち帰りお守りにする。
※三保松原の砂や石は持ち帰り禁止とのこと。※
三保松原 お知らせ
https://miho-no-matsubara.jp/archives/2853
 ※海岸の砂や石のお持ち帰りはできません。

願いが叶ったら(何倍かにして)お返しする、というのは子産石、イボ石等の儀礼と同様です。

ハチマキ石(不吉)と一文字石(吉)の区別が曖昧になり(元々曖昧だったのかもしれませんが)、病鉢巻も忘れられて、古い風習が衰退する中で、どちらも幸運とされるようになってきたのかも。
不吉とする記述も依然残っているので、今後どのように変化して行くか興味深いです。

伝承には近現代の捏造・脚色が普通に含まれています…
両参りと片参り(北向観音 善光寺)
https://kengaku2.blogspot.com/2022/03/blog-post.html
看板いろいろ、信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
https://kengaku2.blogspot.com/2021/07/blog-post.html
別所神社、縁結びの謎
https://kengaku2.blogspot.com/2021/02/blog-post_5.html
日本遺産ストーリー、子供銀行券、ハーメルンの笛吹き男 (日本遺産スペシャル)
https://kengaku2.blogspot.com/2020/12/blog-post_31.html
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html
舌喰池の伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2019/09/blog-post_29.html
伝承の保護者と破壊者
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34754513


2020年1月26日日曜日

下塩尻の凝灰岩の化石

凝灰岩の魚化石
凝灰岩の魚化石(信濃中部地質誌 114頁より)

写真は、本間不二男『信濃中部地質誌』(昭和6 1931) 第五十二図 魚の化石(身長約十八糎)(内村層上部凝灰岩)(小県郡塩尻村下塩尻採石場) です。
以下の記事にもありました。
本間不二男「信濃中部第三紀層の分類(二)」(昭和3 1928)
http://hdl.handle.net/2433/183437

母岩は凝灰岩(御坂凝灰岩)としているので、少なくとも別所層の黒色や茶色灰色の泥岩とは異なる石なのでしょう。「魚類の化石であるが鑑定に堪えるものではない」(第二篇 114頁)と書かれていますが、姿はハダカイワシに似ているかも。トンガリハダカ属 Nannobrachium とか。
この標本は今もどこかで保管されているのかもしれませんが、見つけられませんでした。本に掲載されるような標本でも、気にかけられることがほとんどないのはちょっと残念…


上田市立博物館の地学標本の常設展示が別館に移転したそうです。広くなって鉱物も増えたとのこと。今後も展示の目的に必要な内容を増やして行って頂ければありがたいです。
(「希少」「美しい」等の言葉だけ聞くと、コレクターやハンターを育てるのが目的?と思ってしまいます… 希少性は、価値があると同時に、楽しみを台無しにする要因にもなります。)

上田市立博物館に「上田地域の岩石・鉱物・化石」を展示した「常設展示室」を設置!
https://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000594915.html

上田市立博物館 収蔵品紹介 自然
https://museum.umic.jp/hakubutsukan/collection

宮下コレクションは鉱石標本1305点、岩石267点、化石73点で、1645点すべてが鉱物標本というのは誤解。これまで展示されてきた化石もあります。(魚化石やメタセコイア等)

ヘミオナス馬 Equus hemionus を「ヘミオナス」に短縮することはあるのでしょうか?(例えば ナウマンゾウ Palaeoloxodon naumanni や ナウマンヤマモモ Comptonia naumanni を「ナウマン」「ナウマニイ」と呼ぶことは無いかと)

「ソコダラ科魚類の化石」は昭和33年に採集、昭和61年にソコダラ科と鑑定され「完全な形(全身の意味か?)で見つかったソコダラ科化石としては日本で初めて」と言われました。ソコダラ科化石は希産ではなく、鱗の化石はそれ以前から研究されていました。具体的な種類は未解明かもしれません。魚化石の研究者は少ないようで、多産するニシン科やハダカイワシ科でも、詳しい種類の話はわずかです。
2016年に国立科学博物館所蔵の坂城町産の魚化石が初めてニシン属として同定されたという話がありました。もしかしてニシンの化石はまだこれ1つだけでしょうか?

日本古生物学会 第165回例会予稿集(2016) 43頁
籔本美孝「長野県埴科郡坂城町産中新世ニシン科魚類について」
http://www.palaeo-soc-japan.jp/meetings.html

日本古生物学会 化石 vol. 105 (2019.3.31)
特集:魚類化石研究の現状と可能性(1)
籔本美孝「日本の中生代・新生代硬骨魚類化石――日本の博物館所蔵の主な魚類化石と研究の可能性について」
http://www.palaeo-soc-japan.jp/publications/fossil/vol-105/

Eosardinella hishinaiensis は無く、もしかして否定的?

魚類学雑誌 13巻4-6号(1966)
Jiro SATO「A New Genus and Species of Sardine from the Miocene Hishinai Formation, Northeastern Japan」
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jji/13/4-6/_contents/-char/ja
https://doi.org/10.11369/jji1950.13.112

10cmほどの稚魚の場合は成魚より頭部の比率が大きくなり、また、化石は押し潰されて生体より大きく見えることもあるかも。
岩手県宮古湾に生息するニシンの生態を探る
https://www.spf.org/opri/newsletter/248_1.html