2021年4月30日金曜日

丸窓電車、新古珍症候群

丸窓電車
さくら国際高校にある丸窓電車

別所線の丸窓電車は3車両が今も保存されています。地域遺産ですが、観光資源にはたぶんあまりなっていなくて、行ってみたいという人はいるでしょうか…

丸窓電車の今
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/3450.html

繰り返し繰り返し、活用方法を考え続けることは大切かも。
映画・演劇の関心もある所なので、例えば電車や駅舎をセットに使ったショートコント動画のコンテストとかやったら、どんなものが出てくるでしょう…

※西塩田小学校と塩田西小学校(1996~)は混同されることがありますが新旧の別の学校。

新古珍症候群というのがあって、博物館等で一般向けの話題が「新発見」「最古」「珍しい」という文脈ばかりになってしまう現象だそうです。わかりやすい話がそれしか無く、仕方ないのかもしれませんが、もちろん陳腐で、すぐに飽きられることになります…
先日も化石が新発見かどうかにこだわり過ぎて中身があまり無い話を聞くことがありました。意識することで、自分のこだわりと少しだけ距離をとることもできるかも…

「新古珍」とか自然物の「見ばえ」とか「満開」とか「乱舞」とかを強く好む価値観(そうでないものを軽視・無視したり嫌悪したりする価値観)は、流行りのSDGs的にはどうなのでしょう…

無責任に発案できる機会をお互いに意識して作ることも大切かも。一部の人以外は口を開けないような会議を重ねてもなかなか面白くはならないので… 環境作りはトップの役割かもしれませんが。

イベント減少は仕方ないですが、情報発信を継続する努力は大切ではないかと。
(地方で一時落ち着いても、全体的に感染が減らない限り、またすぐに増加する可能性も…)

別所線の新しいラッピング車両を間近で見ました。雨の中の岳の幟のイメージで、とてもきれいでした。
(「れいんどりーむ号」(2021年10月 愛称決定) とのことで、"1本​の直線状"ではなく、多方向に錯綜するデザインが皮肉?)
ただ、龍+電車 なのでもっと子供に訴求するデザインもあったかも… 何ならDB神龍 SP Ver. でやっても元は取れそうな気も…(駅・旧線跡の7か所にモニュメントとか。子供だましでも抗えないかも…)

2021年3月20日土曜日

別所線クイズ&パズル、東信ジャーナル アーカイブ

別所線千曲川橋梁
別所線千曲川橋梁(2012年3月)


別所線全線開通を記念して? 沿線地域の文化財クイズを作ってみました。(すべての答えをまとめると、その中に動物(3種類以上)が隠れています。これも見つけられるでしょうか?)

Q1 モイワナズナなどが自生する千曲川沿岸の断崖(長野県天然記念物)は?
Q2 江戸時代に筑前 夏井が浜にたとえられた、小石の多い景勝地(上田市天然記念物)は?
Q3 武田信玄の重臣でタバコが好きだったという言い伝えのある武将のお墓は?
Q4 映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(第18作)で寅次郎がたんか売りをしていた神社は?
Q5 鶏石という卵に似た形の石が宝物として伝わる神社は?
Q6 安政3年(安政江戸地震の翌年)松平忠優(ただます 日米和親条約・修好通商条約締結時の老中)から改築中の建物が高すぎると注意されたと伝わる、下小島のお堂は?

別所線の駅弁は聞きませんが、駅弁祭り(予約制)のようなイベントをやってみるのも面白いかも。飲食店・仕出し店のPRや郷土料理の発掘にもなりそう。(パッケージ製作はサポートが必要?)

日本遺産のスタンプラリー企画をするそうで、構成文化財すべてではないですが、1日で回るのは忙しく、2、3日が適当でしょうか。
スタンプラリー台紙を見たら"斜め鳥居"のシンボルはそのまま。長福寺銅造菩薩立像の誤字はやっと修正? 雨乞いにはキリスト教が混じった?
パンフレットよりも誤りは減りましたが地図は依然インチキ… 信濃国分寺が駅の北東? 前山寺が柳沢の青龍寺の上の辺り? 等々… だまされないで。
(信濃国分寺と泥宮を大きく動かして、偽装ラインと競合する本来の直線(信濃国分寺-生島足島神社-泥宮)を見えなくした?)
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/nihonisan/43699.html

信濃国分寺・安楽寺の特別公開の動画(上田市行政チャンネル 2021.4.12)を見ましたが、歴史を誤解した感想のインタビューがありました。しかも誤解とわかるような解説付きで。ケースバイケースかもしれませんが、普通は絶対にこんな失礼なことはしないはず…
それと、仏塔の解説がほとんどありませんでした。仏像を本尊、塔をそのお堂のように思っている人もいるかも…

上田市のウェブサイトに観光モデルコースがありました。下之郷駅から西光寺、前山、手塚を回って別所温泉駅、等。まだ仮状態かもしれませんが。(ルート、駐車場、トイレ、必見ポイント等が不明。ウォーキングマップでは安曽神社から前山寺まで林道が近道に見えて危ない?)
(テーマ別のスタンプラリーをたくさん(10種類とか)作ってみるのもどうでしょうか。設置場所は近くのをまとめて。対象地は多い方が分散的で好ましいかと。)
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/nihonisan/40445.html

※竜王湧水の位置はたぶん違うのでご注意を。(竜王上池の西方向の沢ではなく、南西方向の沢です。以前に行ったときは、道は池から西へ上ってから南へ折れて上り、沢の西側斜面を南へ進む感じでした。道が整備されていれば道なりに南へ折れるようですが、そのときは西へ進む道も見えていて、南へ上る分岐がわかりにくかったです。)
龍王湧水の位置です。(これも誤差はあります。航空写真で径の小さな木の中に楕円の大きな塊が見えますが、これがサワラの大木?)
https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=36.3411,138.1693

UCVの新番組、25年前の各駅下車ウォークの再放送も面白かったです。
ローカル5000系
https://ucv.co.jp/program/cat_prg/regular/local5000/

ぜひ訪れたくなるような必見ポイントの紹介もあるといいですが、難しいのかも… のんびり、ゆるい雰囲気は悪くないですし。内容が別所線だけだと見る人が限定される可能性も。各地の公園でアウトドアランチとかもどうでしょうか。

橋と言えば、内村橋は令和3年11月に完成予定、馬坂橋はコンクリート橋に架け替えとのこと。
2021年3月27日 砂防ダム工事、馬坂橋架け替え工事について(リンクに誤りがあり、27日の別項目の方)
https://www.marukotv.jp/news/


東信ジャーナル Blog版のアーカイブ(12年分)が3月末で消えるとのこと。
記事数 54,391 記事当たりテキスト50KB 画像150KB とすると10GBほど。シンプルな構造なので抽出・編集はたぶんそれほど難しくはないかと。(記事ファイルからタイトル、日付時刻、分類(subject)、記事本文を抽出。分析と編集方法の決定が済めば残りは半日~1日ほど?)
紙媒体は図書館で保存すると思いますが、デジタルデータも保存して、できれば(権利者同意の上で)公開を継続できると便利なのですが…
一定の公共性のあることが前提ですが、図書館とか大学に期待することはできないでしょうか…
東信ジャーナル[Blog版]
https://blog.shinshu.fm/MHz/22.56/


2021年3月9日火曜日

頁岩の化石クリーニング

側線鱗
ハダカイワシ科の側線鱗?

二枚貝?
二枚貝の一部分?

UCVのナゾときチャン!!で一昨年発見されたクジラ化石の続報をしていました。昨年9月の様子が上田市行政チャンネルの動画にありましたが、今回は撮影も不可で、もしかして難航しているのでしょうか…

別所層の黒色頁岩は割れるようにしか割れず、化石クリーニングは、ほとんど何もしなくても良いか、非常に困難か、両極端のことが多いような気がします。叩けば崩壊、削っても化石との境界が見えない… (なので非破壊のデジタル採集ができるなら、その方が情報量は多いかも)

この付近の化石は戸隠地質化石博物館にも多く収蔵されているそうです。化石の種類や劣化の程度等の概要はわかるのではないかと。(『戸隠地質化石博物館 化石資料目録 1』(2014))

ところで、動画で、水に濡れた頁岩を叩いて割っていましたが、知る限りでは、ありえない方法です。崩壊することがあり、粉々になれば復元は困難。(プリオシン海岸の大学士に怒られます…)
魚の頭骨等、採集後の状態はどうでしょうか?

川原の転石(化石の露出のないもの)は石の上などで乾かして(地面では乾きません)、必要なら接着剤等で補強してから力を加減して割ります。強く叩くと、化石が壊れたり、都合良く割れても後になってひび割れ・剥離したり。
化石を採集しているのか壊しているのか、わからなくなることも…

あまり話題にされませんが、小さな化石の研究もあります。(石灰質ノジュール等の放散虫)
田邊勝彦・本山功・川村好毅・澤田大毅・柳沢幸夫「長野県上田市太郎山周辺の中新統の地質と放散虫化石層序」(2016)
https://staff.aist.go.jp/y.yanagisawa/
本山功「日本における過去20年間の新第三系放散虫化石層序学の進展」(2019)
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/bullgsj/70/1-2/_contents/-char/ja

ちいきたんけん ナゾときチャン!!  「上田にクジラ!?」のナゾ
https://ucv.co.jp/program/cat_prg/regular/nazo/
上田市行政チャンネル のびのび川遊び体験教室「浦野川で遊ぼう学ぼう!」(2020年9月開催)
https://www.youtube.com/channel/UCQUofwdBg7SAspK-jGOIDSw/videos
育成会便り(No.51) 令和2年11月30日発行
https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/shogaku/3853.html

「所さんの目がテン! 東京化石探し」の動画配信を見ました。建物の石灰岩の壁のアンモナイトなど。大きな写真がたくさんあって面白かったです。(ウミユリ、サンゴ、べレムナイト、厚歯二枚貝、海綿動物、巣穴化石)
基本的には川で無許可の掘削は違法では?(川岸を掘り起こすシーンは大丈夫?) 集中・累積しない、わずかで軽微な行為なら問題にされないかもしれませんが。(個々の採集はわずかでも大勢で繰り返したら、土地の形状を変更する行為になってしまいます。情報発信にも責任はともなうかと。)
化石採集体験で「露頭・地層を掘ったり叩いたりするのはダメ」と言うと、つまらなそうな顔をしたり、無視して勝手に叩いたり… 気持ちはわかりますが、砂遊びではないので。処罰や立入禁止などの結果も。

2021年3月2日火曜日

要石の謎

要石と石碑
要石。鹿島社・香取社とは異なり上に出ている。歌の中山 清閑寺の要石のイメージに近い?

要石
細い方を下にして立てた?

石碑と要石の表面
石碑(左)と要石(右)の表面

解説板
解説板

要石の石碑
石碑(明治26年) 

新田義徳の文字
新田純(左)と新田義徳(右)の文字比較。不明瞭ですが同じ特徴。

武高国(たけたかくに)神社の要石(かなめいし)の資料を探してみましたが、今のところあまり見つかっていません。この石をどこで、誰が、どんな理由で選んだのか、上田藩への届出内容、費用等。歌人の斎藤真蔭(まかげ 1799-1875)も関係したのかも。(善光寺地震は弘化4年3月(1847))

当時、塩田平の地理的な中心は本郷と考えられていた?(生島足島神社や五加八幡社ではなく。生島足島神社は日本中央とPRしますが、塩田平の中では東部または鬼門の方角。)
(日本遺産ストーリーでは武高国神社も"1本の直線状"の中? 科野大宮社、五加八幡社、保野塩野神社、塩野入神社、八木沢天満宮 等々 どれも"1本の直線状"?)

要石は見た感じは千曲川の転石、輝石安山岩でしょうか。石碑や柵柱の石材も似ていて、もしかしたら矢沢石かも。石碑の台石は弘法山・安曽岡山付近の流紋岩。(鶏岩と同じ石)

以下、碑文です。(『上本郷のあゆみ』(第二次改訂版 2020)には奇妙な誤り多数。)
「久米由」は久米由太郎(1853?-1898)。「新田純」は新田義徳(子純? 1842-?)だと思います。(久米由太郎の生年月日は、嘉永5年2月24日、嘉永6年2月15日、嘉永6年2月25日などがありました。各出所は未確認。)
書き下し文は誤りがあるかもしれません。

修要石周柵碑
弘化丁未春三月諸圀地大震信中特甚矣當
此時塩田鄉居民畏怖驚駭不安其堵如斯者
數十日父老相議禱于常陸鹿島社且合祀神
位於郷内武高國神社而置片石於祠畔以擬
𫝂謂要石者至誠感孚果有應驗焉後災異既
熄閲年又久焄蒿之典白茅之薦知其由来者
漸将少矣鄉之善士憂焉乃移檄當時各邨醵
貲鳩工以修頺柵其木則換之以石且欲録往
事以告将来是固敦風厚俗之擧有足最善者
也故畧叙其顛末係之以銘其辭曰
   一片之石 曾安斯民
   追往諗来 郷俗維新
 明治二十六年四月中澣
  東都 久米由撰文 信濃 新田純書

要石《かなめいし》周柵《しゅうさく》を修《おさ》むる碑
弘化《こうか》丁未《ひのとひつじ》春三月 諸圀《しょこく》の地《ち》大《おおい》に震《ふる》い信中《しんちゅう》特に甚《はなはだ》し。此時《このとき》に當《あた》り塩田鄉《しおだごう》居民《きょみん》畏怖《いふ》驚駭《きょうがい》して其《その》堵《と》に安《やす》んぜず。斯《かく》の如《ごと》き者 數十日《すうじゅうにち》。父老《ふろう》相《あい》議《ぎ》し常陸《ひたち》鹿島社《かしましゃ》に禱《いの》り、且《かつ》神位《しんい》を郷内《ごうない》武高國神社《たけたかくにじんじゃ》に合祀《ごうし》し而《しか》して片石《へげいし》を祠《ほこら》の畔《ほとり》に置き以《もっ》て𫝂謂《いわゆる》要石《かなめいし》という者に擬《ぎ》す。至誠《しせい》感孚《かんぷ》し果《はた》して應驗《おうけん》有り。後《のち》に災異《さいい》既《すで》に熄《や》み閲年《えつねん》又《また》久《ひさ》し。焄蒿《くんこう》の典《てん》、白茅《はくぼう・ちがや》の薦《せん・こも》、其《その》由来《ゆらい》を知る者 漸《ようやく》将《まさ》に少《すく》なからん。鄉《ごう》の善士《ぜんし》憂《うれ》う。 乃《すなわ》ち當時《とうじ》の各邨《かくむら》に檄《げき》を移《うつ》し貲《し》を醵《つの》り工《こう》を鳩《あつ》め以《もっ》て頺柵《たいさく》を修《おさ》め其《その》木《き》は則《すなわ》ち之《これ》を換《か》うるに石を以《もっ》てし 且《かつ》往事《おうじ》を録《ろく》し以《もっ》て将来《しょうらい》に告《つ》げんと欲す。是《これ》固《まことに》敦風《とんぷう》厚俗《こうぞく》の擧《きょ》、最善《さいぜん》の者に足《た》る有り。故《ゆえ》に其《その》顛末《てんまつ》を畧叙《りゃくじょ》す。之《これ》に係《かか》るに銘《めい》を以《もっ》てす。其《その》辭《じ》に曰《いわ》く
   一片之石《いっぺんのいし》 曾《かつて》安斯民《しみんをやすんず》
   追往《ゆくをおい》諗来《くるをいさむ》 郷俗《きょうぞく》維新《これあらたなり》
 明治二十六年四月中澣《ちゅうかん》
  東都 久米由撰文 信濃 新田純書

(「追往諗来」は「往者は諫めず来者は追うべし」(論語)の逆になっていて、急激に変化する現代では過去を忘れないことも大切、というウィットでしょうか。)

ちなみに武高国神社の向きは南やや西寄りで、鳥居前に立つと正面に弘法山(塩田城)・独鈷山が見えます。起源は不明ですが、塩田北条氏や村上・福沢氏の時代も同じなら、領主の本拠を向いた(北やや東寄りで鬼門に近い方角にある)八幡神社だったことになります。

志賀溶結凝灰岩(佐久石)、渋沢栄一、力石
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信州レイライン
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別所神社、縁結びの謎
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日本遺産ストーリー、子供銀行券、ハーメルンの笛吹き男 (日本遺産スペシャル)
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新しい鞍が淵伝説
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夕日いろいろ 信州上田・塩田平の日本遺産ストーリー
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曲がった直線、裸の王様、袈裟供養
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日本遺産 レイラインの幅
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日本遺産 ストーリーのデパートメント化
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バーチャル別所線ガイドの動画
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2021年2月17日水曜日

志賀溶結凝灰岩(佐久石)、渋沢栄一、力石

内山峡 肬水の志賀溶結凝灰岩
内山峡 肬水(いぼみず)の志賀溶結凝灰岩

渋沢青淵先生内山峡之詩 碑
渋沢青淵先生内山峡之詩 碑より(石材は仙台石(稲井石 井内石))

伝説の力石?
伝説の力石?(加美畑神社)

NHK大河ドラマ「青天を衝け」では内山峡や香坂峠のエピソードもありそうで、楽しみです。(聖地巡礼で「青天を衝いてみたい」という人もいるでしょうか…)
勢衝青天攘臂躋(勢《いきおい》青天《せいてん》を衝《つ》き 臂《ひじ》を攘《はら》い躋《のぼ》る)
「攘臂」は着物の袂をたすき掛けで縛ったという意味でしょうか。(攘は「はらう」と読んだ可能性が高いかも。) 内山峠を勢いよく登り、しかし、険しさと美しさは一つのもので、人も理想と現実の一方だけでなく両方を思うのが良いというような大人っぽい思索をしたり…
もしも渋沢栄一(1840-1931)の没後の内山峡詩碑(昭和15)まであれば、三石勝五郎も大河に登場? 保科百助もちょっとだけエピソードはありますが可能性はないでしょうね。今回は松平忠優(忠固)(開国派のリーダー。日米和親条約・修好通商条約締結時の老中。徳川斉昭の敵?)、それと田中芳男(1838-1916 幕末パリ万博派遣 「日本の博物館の父」と言われる)はどうでしょう…

上田市付近では藍玉販売、般若経奉納、力石 などの話がありました。(事実かどうか疑問点も。藍を敲く石を持ち上げたという話もあるようですが、藍を叩く石(石臼のこと?)に力石ほど大きなものが本当にあったのでしょうか? 藍を叩く石は他にも残っている?)

塩田町教育委員会『塩田歴史年表』(昭和35 1960) 73頁 より
安政5(1858) この年より四ヵ年渋沢栄一藍玉を小県地方に販売にくる。(八木沢資料)

清水利雄編『小県上田歴史年表』(昭和35 1960) 57頁 より
安政5(1858) 此の年より四ヶ年渋沢栄一藍玉を小県地方に販売に来る矢沢とか丸子神畑にその資料現存する
安政6(1859) 8.18 岩下観音堂盤(※般?)若経の一部渋沢栄一寄進 百日咳祈願とした

『渋沢栄一伝記資料』第1巻 p.208-209 より
上田毎日新聞 第三六四六号〔昭和一三年三月一〇日〕
丁度その時この観音様へ六百巻の大般若経奉納の計画があつたので功徳に感じた栄一氏は父市郎左衛門氏《(市郎右衛門)》の名前で一巻を寄進し巻頭に祖父市郎左衛門安知《(市郎右衛門安知)》の戒名を書いて納めた

『渋沢栄一伝記資料』第1巻 p.101 より
雨夜譚会談話筆記 上・第六―八頁〔大正一五年一〇月―昭和二年一一月〕
先生「そう云ふ記憶がない、観音様を信仰する様なこともなかつたが――(中略)由来私は無信心で寧ろ排仏論者である。神様の方はそうでもないが、(以下略)」

(※渋沢栄一に覚えが無く、父、市郎右衛門の名前があるということは、市郎右衛門が奉納し、その話が変化した?)

『渋沢栄一伝記資料』第1巻 p.123 より
上田郷友会月報 第六二〇号・第一五―一七頁〔昭和一三年九月〕
旧幕時代には村々に若者連の集まる場所に力試をする力石と称するものがあつて、今日尚処々に残されて居るものがある、神畑の伝ふる所によれば、翁、青年の際御得意廻りに来られ、村の若者連に参加し此の力石を試みたが、群を抜き若者連一人として翁に及ぶものがなかつたとのことだ。

『渋沢栄一伝記資料』第1巻 p.97 より
御口授青淵先生諸伝記正誤控 第一二頁〔昭和五―六年〕
「よく若い同志で下肥かつぎの競争をしたが、わしは力があつたのだが、どうも肩が弱くて、いつも残念乍らかなはなかつたよ。」

『渋沢栄一伝記資料』第1巻 第1巻 p.181 より
渋沢栄一伝稿本 第二章・第三〇―三二頁〔大正八―一二年〕
先生は生来の健康に加ふるに筋骨逞しく、膂力人に過ぐ、故に剣道の仕合にも、最後には得物を打捨てゝ敵と組打し、遂に勝を得るを常とせり、然れども相撲には極めて弱かりしといふ。又物を担ふの力は、村中にても一二を争ひ、他人の持て余したる俵などを、如何にも軽ろげに運びしこと屡々なりき、又畠を耕し畦を起すに「進さく」と唱へ、五人程同列にて之に従ふことあり、其折にも先生が先に立ちて働けば他の者は容易ならざる苦痛を感じ「若旦那は強力に任せ無理なる仕事のみして困る」とは、彼等が常に訴へたる繰言なりき。


神畑(かばたけ)村の力石の話は昭和13年(幕末から約70年後)上田郷友会月報の記事で事実かどうかは不明。他に記録がなければ創作や誇張の可能性も。
体力の記録は ちくはぐ? 本人の言葉を信じるなら、力は人並み以上。村で一二というのは誇張(お世辞?)で、力くらべや相撲では順当に勝ち、負けたということ? 明治~昭和の神畑の人にとっては一種の英雄譚?(お世辞や皮肉もあった?)
「神畑のお宮(加美畑(かみはた)神社?)に小泉小太郎力験しの石というのがあったそう」という話を聞いて見に行ったことがありますが、わかりませんでした。石垣や台などに転用された? 上の写真の石は少しそれっぽい感じがして、もしかしたら渋沢栄一も抱えたりしたのかもしれませんが、どうでしょうか…
大河ドラマで力石を担ぐ場面があり、「かわべむら」と言っているようでしたが、もし上田郷友会月報の話なら、小県郡川辺村は明治22年発足で、江戸時代から明治前期は神畑(かばたけ)村のはず。

あの大きさの力石でどれくらいの重さなのでしょう。
山形県庄内地方の「5俵かつぎ」について
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000254061
(観光用写真で2俵はもみ殻だったという話。米3俵でも180キロ…)

上田市誌に江戸時代から昭和まで盛んだった草相撲や力比べの話が少しありました。(石久摩神社近くの川辺小学校でも力石のような石を見たことがありますが未確認です。)

『上田市誌 民俗編(3) 信仰と芸能』(平成14 2002) 176-177頁より引用
二 力石など
一人前を示す力比べ
 機械化が進む以前の人力による農耕や山仕事をしていた時代は、力のあることが一人前であることの条件で、それがまた自慢にもなったのです。
 築地には、堂庭や火の見櫓《やぐら》の下などに、力石《ちからいし》が残っていますが、大正のころ祭りの夜に若者が集まって、これを持ち上げて力比べをしたといわれています。
 上田原の石久摩神社の境内にも、球形に近い一抱えもある石があって、若い衆が力比べに使った石といわれ、何回持ち上げられるか、地面からどこまで持ち上げられるか、大勢で互いに競ったもので、石の表面がつるつるになっています。
 石神には、かなり豪傑の若者がいて、石地蔵を抱き上げてお地蔵さんの首を欠いてしまったとか、日向小泉では、道祖神の碑を担いで力比べをしたと伝えられています。
 俵を持ち上げる力比べは、上田原で六〇kgの米俵を地面に置いて、続けて何回肩にのせることができるかを競いました。
 上塩尻や別所でも、一定の規格の俵を持ち上げたり背負ったりしたようです。越戸では、土を詰めた俵を担いで走り比べをしたといわれます。上本郷では、棹秤《さおばかり》の分銅《ふんどう》上げをしました。
 越戸では、大正のころにムラの辻などの広い場所で、天秤棒《てんびんぼう》を押し合って棒押しをしたといわれます。小井田でも、地面に描いた円の中で二人が向き合い、三尺(約九〇cm)ぐらいの長さでやや太目の棒で押し合い、相手を円の外に押し出す勝負をしたとのことです。


上田民俗研究会『上田盆地 第18号』(昭和54.6 1979) 19頁より引用
石雑題  酒井 侅
(中略)
 石久摩神社の境内に「力石」というものがある。これは球形に近いひとかかえもある石で、若い衆の力くらべの石であった。
 遊びのなかった昔は、若い衆が、お宮へ集った時など、この石を持ち上げて、それぞれの力を競い合った。
 何回持ち上げられたとか、どこまで持ち上げられた、など大勢で遊んだので、石の表面が、つるつるになっている。
 同じような石が、東部町本海野の白鳥神社にもある。ここの石は四二貫とかで、かんたんには持ち上げることはできない。(以下略)

(※『上田市誌』(2002)の石久摩神社の記述は『上田盆地 第18号』(1979)を基にしたものでしょうか。現状は未確認。文脈から、白鳥神社の力石に似て、それよりは小さいと思われます。)

ちなみに、鎌倉殿の13人 には畠山重忠の他、泉親衡と安念も登場する?(3人は鞍が淵伝説(小泉小太郎伝説)の関係者)

関連して荒船山、内山~下仁田のブラタモリとかもどうでしょうか。例えば、裏街道はなぜ"裏"だったのか? みたいな。(北部より古い火山噴出物で浸食のため険しい?) ただ、地史は難解で不確実な話になるのかもしれませんが。

たび重なる火山活動「本宿陥没」と「妙義火山」
https://www.shimonita-geopark.jp/geosite/geo04.html
兜岩層の化石から日本で初めてのホタル化石が発見されました
https://www.shimonita-geopark.jp/news/press%20relese20210127.html
下仁田町自然史館 研究報告
https://www.shimonita-geopark.jp/shizenshikan/

五郎兵衛記念館 館長の豆知識(2) 渋沢栄一を守り育てた佐久と古文書の世界
https://www.city.saku.nagano.jp/shisetsu/sakubun/gorobekinenkan/mamechisiki/mamechisiki02.html
https://www.city.saku.nagano.jp/shisetsu/sakubun/gorobekinenkan/mamechisiki/mamechishiki10.html
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?01
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK010003k_text
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK010008k_text

田中芳男-『虫捕御用』の明治維新(長野県立歴史館 2017年度 冬季展)
https://www.npmh.net/exhibition/2020/02/-.php

地質ニュース509号(1997.1)
神津俶祐先生の故郷を訪ねて 八木健三
https://www.gsj.jp/publications/pub/chishitsunews/news1997-01.html

『信濃教育 昭和4年1月』90頁より
五無齋の片鱗 德永晁岷
時は忘れたが、澁澤子爵と成瀬仁藏氏とが、女子大學の基金募集にやつて來た時の事である。例によつて歡迎會が催された。席上に突立つた五無齋は、長野市がかたをつけねばならぬのに其の儘放置して居る事業の幾つかを列擧した。それは長野市が如何に財政上窮迫して居るかを暗示するが爲である。二氏は募集の口を開かずに、倉皇として長野を去つたと云ふ。之を五無齋一世一代の演説と云ふさうである。(以下略)

(※渋沢栄一の歓迎会は明治43年8月長野市でのこと。『信濃公論』明治43年8月20日、9月15日に「渋沢男爵一行 歓迎会席上」の記事があります。)

(※五無斎関係の未公開資料で「公表しないでね」と言われることがあって、たいていは個人情報・権利関係(入手経緯不明品とか)か裏付けがないケース(ガセっぽい とは言いにくそうだったり)なのですが、ある件を研究者の方が記事に書かれたので、裏が取れたのかと思ってその方に問い合わせてみたら未確認だったようで(歓喜バイアスで検証無し?)、後で「伝」が追加されました。伝かどうかも疑わしい話でしたが… 誰がいつ何を伝えたのか、対象物の伝来経路等、できる限りの事実確認が必要で、考察はそれから。不確かな話を公表するのは、関係者には苦痛になるケースも。
新聞等の断片的・一方的な情報から憶測が大量発生。真面目に考えているとしても、自分が憶測で批判される側になったらどうか、想像できない? 全公開が不可なのはお互い様。「当たり前」の押し付け合いと情報不足で、相互に不信感を与えて、個々に都合の良い話を選択していたり…)

(以前からお世話になっている方が実は事情があって遠方に転居中とのこと… 知らずにメールで面倒なことをお願いして甘えていました。相手の状況を確認せず勝手な思い込みによる言動を反省)

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